45.離れられない
「今日は家まで送らないで」
バイトが終わった夕方、好実はまた高城君と一緒に電車で帰り始めた。
昨日は家まで送ってもらい、そのまま泊める結果となったので、今日はちゃんとまっすぐ帰さなきゃ。
高城君は彼女を家まで送るのは当然と思っているので、好実もわざわざ断らなきゃいけなくなるのだ。
気持ちは嬉しいけど、そういう負担はあまりかけたくないよね。
送ったついでに泊まった昨日はともかく、今日は途中まで一緒に帰るだけ。
でも同じ電車なだけで十分一緒に帰れるのに、昨日と違い寂しさばかり募るものだな。
比例して、二人の間には沈黙ばかり生まれる。
昨日の自分だったら、こんな沈黙ばかりは失敗と判断するのだろう。会話すら弾ませられなくて。
でも今の自分は寂しさのままに、わざと沈黙を選んでいるようなものだ。
これから恋人と離れる女性は、皆こんな気持ちなのかな。昨夜はずっと一緒だったからこその寂しさか。
どうせまたすぐ会えるのだから、遠距離恋愛の寂しさよりはるかに軽いはずなのに……本当はもう寂しさ超えて、胸が苦しいなんて。
「……明日は、バイトないんだよね?」
「うん」
「じゃあ、明後日まで会えないのか……残念」
一度沈黙を破った彼の声は、本当に残念そう。
今朝と同じく二人はドア近くで佇むから、好実の耳に彼の声がよく届いた。
でも、残念そうな彼の声はなぜか嫌だと思った。耳に入れたくなかったほど。
大人なので、正直に嫌な顔など見せられないけれど。
残念と言った彼の口調が、そして残念感を滲ませる彼の声が、本当はすべて軽々しく聞こえて嫌だなんて。
(……そもそも残念って言うこと自体、軽いよね)
こうして残念ワードにすら嫌悪感を覚え始めた好実は、とうとう表情にもはっきり表してしまった。
今のその顔だけ切り取ったら、誰が見てもただの不機嫌女。
でも正直な気持ちとして、きっと彼を許せないのだ。
自分とは違い、離れれば残念程度の彼なんて嫌いすぎて許せない。
もはや許せないあまり泣くのまで堪え始めると、「あっ」と高城君が思い出したような声を発した。
「スマホ、忘れたんだった」
「……え? 会社?」
「ううん」
「どこ?」
「好実ちゃんの家」
今度は好実をポカンとさせた高城君が、「あーあ、取りに戻らなきゃ」と続ける。
でも明らかにわざとらしい響きで、好実はようやく気付いた。
「わざと?」
「違うよ、本気。本気でわざと忘れた」
つまり彼は本気で今日も好実の家に行くために、今朝わざと忘れたってことか。そのくらいあっさり理解してあげると、好実はさっきわざと残念がった彼に今度はムカつきを覚える。
くそう、人の気持ちをおちょくりやがって……。
きっと好実が寂しそうなのも苦しそうなのも、最後は泣きそうなのも、こっそり楽しんでいたのだろう。趣味悪っ。
「……スマホ、取りに来なくていいよ。捨てちゃう」
「え?」
「お金持ちなんでしょ? また買えば?」
おちょくられた悔しさのあまりそっぽを向くと、高城君が焦ったのが露骨にわかった。
「ごめん。スマホぐらい忘れないと、今日は離れてしまうと思って」
「……今日も泊まりたいってこと?」
「だめ? 明後日まで離れたままなんて、耐えられないよ」
「だったら、最初からそう言えばいいんだよ」と仏頂面のまま視線を戻してあげれば、焦り顔の高城君がパッと笑顔に変わった。
「単純っ」
「男は単純だから」
「男のせいにしないで。自分だけでしょ」
「そうだね。俺だけ」
こんな会話も続けてしまえば、好実の顔も変わってしまった。やっと嬉しさが滲み始める。好実だって負けじと単純だから。
「……尚君、今日も離れないで」
ようやく素直にお願いして、明後日まで離れるなど耐えられないのは自分だと教える。
昨夜離れなかっただけで、もうこんなに骨抜きだから。
今だって、抱きついてしまいたい。誰の目も気にできない。
電車内で、彼がギリギリまで近づいた。きっと必死に耐えている。好実をいっそ抱きしめてしまいたくて。
互いに耐えるばかりの二人が、仕方なく手だけ繋がった。
彼がわざと刺激を与えれば、好実は素直にピクンと反応する。
電車内で露骨に女の顔にまでさせられ、立っているのもやっと。
一刻も早く、彼と一緒に家に帰りたい。
すでにどっぷりと恋に溺れた好実は、その身体までもが彼と離れられなくなってしまった。
今日も、彼は好実の家に泊まった。でも昨日とはまた全然違う一夜となり、二人は家に帰ってしまえばわずかも離れられないまま時が過ぎた。
夕食も、時間すらも忘れ、恋し合うままにキスして、深く繋がり合う。
水分すらも邪魔にして、どこまでも互いしか欲しがらない。
本当に好実しか見えないままに、彼は子供みたいな顔でびっくりする。
「俺達、何でずっと離れられたのかな」
好実もつられて子供みたいな声で発した。
「二十四年、離れてたの?」
「うん、おかしいね」
今はこんなに離れられないのにおかしすぎると、彼は子供みたいに笑ってしまう。そのまま好実の鼻にチュッと音を立てた。
「好実ちゃんの鼻、好き」
「鼻……」
「ホッペも好き。耳も好き。ツムジも好き」
子供の悪戯みたいなキスを繰り返すので、一足先にまた大人に戻った好実は彼の唇をちゃんと奪う。
彼も喜んで子供をやめた。
「今日は寝かせない」
男の顔に戻った彼は、好実が明日休みなら容赦しない。
好実しか映さないその目も同時にギラギラして、好実をブルリと震わせるほど追い詰める。
それでも好実だって捕まえてしまう。望みなど同じだから。
「愛して……朝まで」




