40.電車で甘栗
「好実ちゃん、ちょっと急ごう」
「うん」
今朝はのんびり朝ご飯など食べている時間もなく、バタバタと家を出てしまった。
今朝は兄の送迎も断った好実は、高城君と一緒。
昨夜好実の家に泊まった彼は朝から元気溌剌で、外へ出れば好実の手を引きながら急ぎ足になってくれる。
日曜日の今日、好実にバイトがあるだけで、彼は完全に休日なのに。
わざと好実に付き合い自分も会社に行くなんて、好実が反対の立場だったら、さすがにそこまではしないかな。
お願いされれば別だが……普通なら、そんな我儘なお願いは男女共にしないよね。
高城君の場合は休みが合わない日曜日だって、できるだけ一緒にいたいだけ。
手を繋ぎ、駅まで一緒に急ぎ足になるだけだって、元気溌剌になるほど喜んでくれる。
でも急ぎ足+スキップなんてしないでね。そんな器用じゃない好実は付き合えないよ。
「あっ、あの犬、好実ちゃんに似てる」
「え?」
「でも、好実ちゃんの方が百万倍可愛いね」
駅へ急ぐ途中、散歩中の犬にまで反応できる彼に、一応「ありがとう」と言っておく。
でも内心はちょっと複雑……わざわざどこぞのワンちゃんと彼女を比べなくていいと思うし、さっきのワンちゃんがブルドックなのも気になる。
彼が可愛いと思う系統はブルドックなのかな。じゃあ好実もブルドック系?
まあ、ブルドックも可愛いけどね……。
とにかく、さっきの彼の言動はちょっとデリカシーに欠けるけど、好実だから許すよ。
「……あの雲、好実ちゃんそっくり」
「え?」
「食べたい」
今度は駅前の横断歩道で赤信号に引っ掛かれば、彼は空を見上げながらまた始まった。
つまり今朝の彼は、何でもかんでも好実に見えちゃうってことかな。
本当に雲を食べたそうなポカン顔も、可愛いと言えば可愛いけど……ちょうど隣に並んだ女の子がやや不審そうな視線を向けている。
さすがに雲を食べたがる変な美形と思われたのかな。
でも、今の彼なら百万人の女の子に変と思われても平気そう。彼みたいな状態を、恋は盲目と言うのかも。
青信号に変わって、好実はこっそりホッとする。さすがに恋人を変な目で見られるのはつらい。
「よかった。まだ少し時間あるね」
「うん」
彼が元気溌剌で急いでくれたお陰で、むしろ早く駅に到着。
今日も昨日に続き、彼と一緒に電車か。
昨日は情けなくもそれだけで緊張したが、今となっては、それもまたいい思い出。
ということは、今朝の好実は余裕なのかな。なんせ彼と初電車の後、彼をお泊りさせちゃったからね。
キャー、思い出すだけで顔がヤカン。沸騰してシューシュー。
「顔、あついの?」
「え? うん、ヤカンだから……」
「ヤカン?」
「ううん。ちょっと周りの熱気にやられて」
と誤魔化してみたものの、駅は平日の朝に比べずいぶん穏やか。
朝に駅を利用することが滅多にない上、朝に彼と一緒なんて初めてで、新鮮というより不思議な感じ。
これからバイトなのに、彼と一緒に旅行にでも行くみたい。
顔が冷めるどころかまたヤカンになりつつあると、「ちょっとここで待ってて。一分……いや二分」と言われた。
好実が言われるまま改札の傍で待機中、高城君は案の定券売機へ。
しかし券売機から離れた後は、改札と反対方向へ去ってしまう。
おーい、どこ行くのー? もしかして方向音痴ー?
そのまま一分ほど好実をハラハラさせた高城君は、また軽々と走って戻ってきた。
美形は方向音痴並みに謎行動しやすいってことでいっか。
「お待たせ。俺二分以内だった?」
「多分……」
「はい切符」
今日も切符を買ってくれるのは想定内だったので、「ありがとう」と素直に受け取る。
でも高城君の謎行動は謎のままだな。
「切符買った後、どこ行ったの?」
「コンビニ」
「え? めずらしいね」
というより、彼の場合はコンビニを利用するなら好実目的かと自惚れていた。
仕事中はオフィスからほぼ抜け出さない彼が唯一利用するのは好実のいるコンビニで、完全に好実目的の彼は購入品も適当な飲み物といった感じだから。
「はい、好実ちゃんの朝ご飯」
「……甘栗」
まさか好実の朝ご飯まで調達してくれるなんて……しかも電車でこっそり食べられそうな甘栗チョイス。
申し訳ないが気が利く彼に感激というより、彼の行動が可愛くてキュン。
これじゃ甘栗食べる前にご馳走様だよ。可愛いって罪。
「キュンありがとう……キュンでお腹いっぱい」
「え? キュン?」
「間違った。甘栗ありがとう」
せっかくなので甘栗を抱きしめながら、さすがにそろそろ改札へ向かう。
切符と甘栗のお礼に、改札を抜けたら好実から手を繋いだ。
昨日の彼を真似しただけだが、自然な彼と違い下手くそすぎて、手を繋ぐにも上手下手があるんだと学んだ。
下手くそ手繋ぎが嫌じゃないか一応気にして、今度はホームで電車を待ちながらチラ見。
いつの間にか彼はトマトになっていた。好実はさっきヤカンになったが、彼はトマトになるタイプか。
トマトにもなれちゃう高城君、可愛い。
もはや高城君なら何でも可愛いが……そういや、何で今はトマトになっちゃったんだ?
もしや好実の手繋ぎ下手くそすぎて、あまりにも恥ずかしい?
ごめんなさい……練習して出直します。
「乗ろうか」
「う、うん」
でも手繋ぎやめるのも下手くそすぎる好実は、タイミングがわからないまま電車内へ。
うわーん、やっぱり手繋ぎ自体やめときゃよかったー。
偶然にも女性の多い車両に乗っちゃったせいで、トマトの高城君が大注目浴びちゃってるよー。
ううう、好実のせいで更に恥かかせてごめんなさい。
高城君、この際真っ赤なトマト通り越して真っ黒目指しちゃわない? ガン黒美形なんてむしろ需要あり!
「ママー、あの人王子様みたーい」
「ちょ、ちょっと、指差さないの!」
「ママはハートの目になってるよ」
……何だ。やっぱり美形はトマトになっても需要ありなのね。
しかも高城君、トマトのままでも小さい女の子の王子様で、いつの間にか電車内の女性を皆ハート目にするなんて。
じゃあガン黒美形にまでなったら悪い男風にもなって、貢がれ放題、騙し放題?
いやいや、それはだめ。やっぱり高城君は高貴で純真な、最上階にいる王子様がピッタリ。
……でも、高嶺の花の王子様か。
「好実ちゃん、席空いてるよ」
「ううん、ここでいいかな」
我がまま言って付き合わせ、ドアの傍で立ち続けてしまう。
やっと手も離せば、追いかけられるようにまた捕まってしまった。
好実は座ってしまえば自分まで注目浴びそうで避けたのに、高城君はそんな好実が好都合とばかりに向き合ってしまう。再び手が繋がったついでに、距離まで狭めてしまった。
好実は長身の彼にすっかり隠され、他の乗客には抱きしめられているように見えるかも。
「俺のことだけ見て」
近すぎて見えないと心の中で教えると、それでも伝わったのか、彼の顔が耳元まで近づいた。
「……じゃあ、俺のことだけ考えて」
さっきは真っ赤なトマトにまでなったのに、今の彼はどうしてこんなにたらしなのだろう。
耳に吹き込む囁き声には甘さが存分に含まれていて、艶めかしくもあるせいで、好実の顔をしっかり女にさせてしまう。
まるで彼の魔力で、本当に周りを忘れさせられた。
まだ抱きしめている甘栗もすっかり忘れるまま、うっとりと見つめてしまう。
よかった。彼の顔も同じ。
電車内でも互いにうっとりするばかりになれば、二人は時間すら止まってしまった。ここがどこかも思い出せない。
彼と繋がる手に性の刺激まで受けて、好実は本当に彼が欲しいままになった。
せめてキスしてほしいと、その目が望む。
好実の誘惑に、彼の喉仏が動く。
そのまま二人の距離がなくなる前に、タイミングよく車内アナウンスが流れた。二人一緒に我に返ってしまう。
……危ない。人目もはばからず、電車内でキスするところだったなんて。
好実は今さら怖さでドキドキしながら、彼と一緒に電車に乗るのは危険とさえ思わされる。
いや、これは単純に、恋の魔力には敵わないということ?
自分が思っているよりずっと、彼との恋に溺れているのだろうか。
「……甘栗、食べよっかな」
「うん」
今は電車に揺られている以上、二人揃って甘栗で誤魔化すしかない。
改めて、高城君ありがとう。甘栗買ってくれて。
「一緒食べる?」
「ううん、お腹いっぱい」
昨夜は共に夕食を四分の一ほど食べて放棄したのに、好実と一緒にいる高城君はいつも腹が満たされている。
好実そっくりの雲なら食べたがってたのにな。
「私そっくりの甘栗見つけた」
「えっ」
「食べたい?」
「うん」
即答の高城君が単純すぎて、ヤバいほど可愛い。
「好実ちゃんそっくりの甘栗、見せて」
「はい」
「……あんまり似てない」
「じゃあ、私だと思って食べて」
別に深い意味はなかったのだが、また彼をトマトに戻らせた好実はそのまま口に入れてしまう。
甘栗を食べる彼もやっぱり可愛かった。




