2.初恋を思い出す
「……ああっ! 思い出したぁ!」
「ビクッ! うるせえなぁ! 事故るだろ」
送迎係の兄が運転中、助手席で大声上げた好実はあんぐりと口を開けたまま。
驚かされたばかりの兄は訝しい横目を向ける。ついでにネクタイも罰ゲーム並みにダサいまま。
「何だよ……何思い出したの?」
「……お兄ちゃん、今日は私アパート帰らない」
「え? うちに泊まるってこと? やめろよー。それでなくても狭いのに」
「うっさい。ちょっと確かめたいことがあるの」
とりあえず兄を黙らせた好実は、今夜は兄家族も暮らす実家に帰ることに。
けれどわざわざ実家に帰り確かめずとも、好実の中ですでに確信していた。
「やっぱり……私、バカ?」
背後から五歳のヤンチャ甥にヘッドロックをかけられながらも、四歳のヤンチャ甥から新聞紙の刀で頭をバシバシされようとも、好実はただ呆然としたまま卒業アルバムを開き続けた。
実家の押し入れにしまい込んでいた中学時代のそれを引き出し、そこから見つけ出したのは、今日の昼間コンビニを訪れた男性客。
なぜか好実の名前を確認した、あのやけに美形なサラリーマンだった。
彼に見覚えがある気がして、結局は彼の存在がモヤモヤと頭から離れず、仕事終わりの兄の車でやっと思い出したのだ。
そしてまっすぐ実家へ行き卒業アルバムを確認した今、しっかり確定した。あの美形サラリーマンは同中出身だと。
そして――――
「うあー、これが老化現象? ヤバいヤバい。私まだ二十五だぞ? アホすぎんか?」
「アーホ、アホ」
「バーカ」
好実がさっきから自虐するせいで、普段から好実に散々な扱いをする甥二人はここぞとばかりにアホバカ攻撃。
確かに、今日は自他共に認めるアホバカな好実。
なぜなら今日偶然再会し、見覚えはあるものの中々思い出せなかったあの彼は、好実の初恋相手だったから。
十年ぶりといっても偶然再会した初恋相手を中々思い出せなかったって……ヤバすぎんか? 初恋ってそんなもの?
ほら、初恋って淡いからね? 初恋相手もいずれボヤーッとしちゃうよね?
「はあ……高城君か」
自分の記憶力のなさに落胆しながら、好実は今日初めて彼の名前も呟いた。
彼を初恋の相手にした中学時代だって、一度も口にしたことはなかったのに。
本当に、好実にとっては淡すぎる初恋だったのだ。
そして中学を卒業すれば、心の奥底に固く封印してしまった。
彼への後悔をもう思い出したくなくて。
少女漫画では、昔からよくある話かもしれない。
中学時代、学校一の美形と騒がれ絶大に人気があった彼は、好実とはクラスも離れていて、廊下でのすれ違いすらなかった。
しかし、それより遡った小学生時代のたった一年間だけ、好実は彼と書道教室が一緒だった。
一度だって喋ったこともなかったし、ただ本当に同じ書道教室に通っていただけ。
その時の彼は繊細な印象で、外国の女の子のように綺麗な顔立ちをしていた。
なので中学に進学し、中学校が彼と一緒になっても全然気付かなかったのだ。
中学に進学してから、彼はあっという間に長身と逞しさを手に入れ、変わらず美形でもすっかり男の子になっていたから。
中学校で絶大な人気を得ていたその彼が、書道教室で一年間一緒だった彼なのだと、好実はいつまでも気付けないままだった。
しかしその全く大したことない二人の共通点が、彼にとっては他の女子より好実を特別にしたのかもしれない。
中学二年生の冬休み、彼は突然好実の目の前に現れた。
本当は再会であったのに、好実はやはりこの時点でも気付いていなかった。突然目の前に現れた彼が書道教室で一緒だった彼と同一人物なんて。
学校で凄く人気があることくらいは知っていたその彼が、なぜか好実の家まで訪ねてきたのだ。好実目当てで。
ちょうど冬休み中の昼間、二人は家の前の道路で佇んだ。
突然好実に会いに来た彼は、好実と向かい合い始めてもしばらく口を開かなかった。
握りこぶしを作った手が震えていた。
なかなか勇気が出ず、目も合わせられないといったその表情。
好実はいつまでも戸惑いながら、そんな彼と向かい合うしかなかった。
それでもやっと勇気を振り絞った様子の彼が口にしたのは、好実への告白だった。
好実にとって彼からの告白は一層戸惑いを与えられるだけだった。中学生にして、初恋もまだだった。
彼のことも、彼の告白に書道教室という言葉が含まれていて、やっと気付いたくらいだ。好実の記憶にも残っていたあの繊細で綺麗な男の子が、目の前の彼なのだと。
それだけは驚き、あとは戸惑うばかりで、好実はただごめんなさいと言ってしまった。
初恋すらまだで、当然彼の告白には応えられなかった。
好実の前から彼が去る時、彼の青白い表情も見てしまった。
好実は彼を傷つけたことに、自分もショックを受けた。
同時に、好実は初めて彼を気になる男子にしてしまったのだ。
それが初恋の感情に変わるのは、まだまだ先のこと――――
「あっ、好実ちゃん、今日はトンカツだよ。好きでしょ?」
「翠さん……」
元は兄の同級生で、早い結婚をして今や四児を抱えるまだ二十八歳の義姉。その名も翠さん。
毎年のように子供を生んでいるかのようなパワフルさで、今もトンカツを揚げながらその背中に末っ子をおんぶしている。
今日は好実がお邪魔したせいで、トンカツですみません。絶対気を遣わせてしまいましたよね。
いつもは豚のカツじゃなくて、はんぺんのカツだということも、兄の嘆きから知ってます。
「翠さん……今日は豚のカツですみません」
「え? 何言ってるの? トンカツっていったら豚じゃない」
「ははは、そうですね」
「ごめんねー。いつもへばりついちゃって。この子達、好実ちゃん大好きだから」
翠さんなりに申し訳なく思い、豚のカツだったらしい。
確かにいつも好実に散々な扱いをしながらもへばりついてくる甥二人が、今も背中と足にへばりついている。
背中にへばりつく五歳の甥よ。まだ五歳だからって、無邪気に好実のおっぱいまで掴むのはやめておくれ。
「あっ、こら! あんたわざとでしょ!」
お母さんに怒られた五歳の甥は逃げていった。
ということは好実のおっぱいわざと触ってたんだね。今時の子はませてる……好実は五才甥の将来が怖ろしいぞ。
いや、もしかしたら女の子大好きな兄にそっくりなだけ?
「あれ? そういえばお兄ちゃんは?」
「あーさっき出掛けたよ。先輩に呼び出されたからって」
……怪しい。兄が先輩に呼び出されたと言う時は、たいていキャバクラなんだよな。
外面も内面もいい兄だから、翠さんはまだ騙されてくれてるけど……兄よ、絶対浮気だけはするなよ。
この人のいい翠さんを泣かせたら許さん。
兄の隠れ問題行動は置いといて、好実が時々帰る実家は今日も平和だ。
父も母もすっかりおじいちゃんとおばあちゃんになり、いつも孫の世話をしながら仲良くしている。
娘の好実が今さらアルバイトに戻っても、人生長いからで済ませてしまった。
おおらかというより、きっともう娘に構っている暇はないんだろうな。
この実家にもう好実の居場所がすっかりなくなったように。
(卒アル、持って帰るか……)
あの偶然再会した彼がきっかけで、実家の押し入れから引き出した卒業アルバム。
でもそれ以外は好実の荷物など残っていなかった。
それほどまでに昔の自分はあのアルバムなんて押入れの奥底に封印したかったのだろうか。
もう二度と思い出さないために。




