第二章 光と影のあいだで
王都フィレスタは、山脈の裾に築かれた石の都市だった。
白い城壁に囲まれ、鋭く尖った塔の数々が朝霧の中に浮かぶ。かつて栄華を極めた王都も、今はその威厳を翳らせていた。城壁の外には避難民の列、内部では騎士団と神殿の兵が慌ただしく走り回る。
リサとカイルは馬を降り、門前の検問を通って城下町へと足を踏み入れた。
「……ずいぶん、荒れてるね」
リサが呟く。
「民衆は不安なんだ。黒炎が上がった夜から、街に笑顔がなくなった」
カイルの声も重い。
通りを歩く人々の視線が、リサに向く。
フードを深く被っていても、蒼い瞳は隠しきれない。
どこかで「あれは…蒼の…」という囁きが聞こえ、リサは立ち止まりそうになった。
だが、カイルがそっと彼女の手を取る。
「気にするな。噂なんて風と同じ。強く吹いても、すぐに消える」
リサは微かに頷き、そのまま歩き出した。
不思議と、彼の手は冷たくなかった。
王都の中央にある大聖堂の前で、二人は足を止めた。
白銀の扉の前には、騎士団長と数名の聖職者が待っていた。
「リサ・ヴァレンタインか……本当に来てくれたのだな」
騎士団長は深く頭を下げた。
「陛下は城に避難されており、王都の防衛は我らに委ねられている。しかし、黒の魔導師の力は想定を超えている。蒼の魔法の力を……どうか、貸してほしい」
リサは視線を伏せたまま、そっと言葉を紡ぐ。
「私は、自分の魔法が正しいものか分からない。でも……誰かの命を守れるのなら、使いたいと思ってる」
その言葉に、騎士団長は静かに頷いた。
その夜、王都の塔にて待機していたリサは、静まり返った空を見上げていた。
蒼い月が雲間から覗く。
街の灯りは、遠く小さくまたたいている。
ふいに扉が開いた。
「……眠れないのか?」
振り向くと、そこにいたのはカイルだった。手には小さな燭台と、布に包まれた温かいパン。
「どうせ何も喉を通らないけど、焼きたてだって言うから」
照れたように笑いながら近づいてくる。
リサは笑い返し、受け取ると、指先を少しだけ彼の手に触れさせた。
カイルは目を伏せて、すぐに窓辺に立つ。
「……昔、お前が泣いてた夜を思い出す」
「え?」
「村を出ていく前、丘の上で、一人で魔法の光を灯してた。誰にも見せないように。でも、俺は見てた。あのとき、声をかけられなかったのが、ずっと悔しくてさ」
リサは一瞬、何も言えなかった。
「今も、同じだ。何か言いたいのに、何て言っていいか分からない。ただ……お前がどこに行こうと、何を背負おうと、俺は……」
彼の声が、わずかに震えていた。
リサも、言葉を探した。
何か、伝えなければいけない気がした。
けれどそのとき、遠くから鐘の音が響いた。
不吉な、冷たい、警戒の音。
「……来たのね」
リサの声が、低く、静かに響いた。
王都の北門に、黒炎が立ち上っていた。
黒の魔導師が、ついに姿を現したのだった。