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第一曲

 鏡越しに子供を探した。


 薄汚れた子供だ。

 荒れた長い髪も、幼い顔も、短い手足も、痩せた身体も、どこもかしこも土やそれ以外の汚れが酷く、可愛げのない荒んだ目も相まって、誰も彼もが目を背ける、そんな子供を。

 だけど子供はどこにもいなかった。いくら鏡を見ても、濃いめの化粧を施され、派手に着飾る女しかそこにはいない。


「──アンナさん、出番ですよ!」


 控え室の扉が開けられ、声を掛けられる。その姿は鏡には映らなかった。


「……分かった」


 私が声を出すと、鏡に移る女の口が動き、私が立ち上がれば、女も立ち上がる。

 フリルがふんだんにあしらわれたドレスは熟れた林檎のように赤く、生まれながらの黒髪は盛りに盛られて、本当にこの女は私なのかと、鏡で見るたび思い、未だに慣れなかった。

 鏡のすぐ傍に置かれた花瓶、そこに差してある一本の白薔薇を忘れずに手に取ると、踵の高いヒールを鳴らし、舞台へ。

 劇場お抱えの楽団が既に仕事をしているようで、柔らかく温かなメロディが耳に届く。

 楽団員は揃いも揃って大柄で、腕っ節も強く、黙っていると恐ろしい人ばかりなのに、彼らは皆、お花やお菓子が大好きで、穏やかな内面がメロディにはちゃんと表れていた。

 舞台に躍り出るまでの数秒、袖で彼らの音楽を聴いている一時が何よりの楽しみで、目蓋を閉じて、私の出番なんて忘れて、このままずっと彼らの音楽に身を任せていたいけれど……そういうわけにもいかない。

 私は、歌わないといけないから。


「────」


 彼らの音楽の邪魔にならないよう、メロディに合わせてラララと言いながら、踊るように舞台の真ん中へ近付き、ガツンと、足音を高く鳴らして立ち止まる。

 ──それまで明るかった場内は一瞬で暗くなり、舞台の上から注がれる白い光は、私だけを照らした。

 観客の視線が全身に刺さる。歓喜・興奮・期待・色々。暗くなる前にざっと見た感じ、席は全て埋まっていた。誰も彼もが私を見ている。

 この私を──歌姫アンナを。

 白薔薇を両手に構え、お望み通りに歌い出す。悲しげな、でもどこか温かみのある、愛する誰かを心から求める歌。私を歌姫にした歌だ。

 歌姫アンナ、アンナ・ローズウッド。

 私は誰でもなかったはずなのに、今やこの街一番の歌姫だ。そうなれるように、できるだけのことをしてきた。


 ──それなのに、どうして貴方は会ってくれないの?


 三曲ほど歌えばそれで終わり。白薔薇を客席に投げて、誰が受け取ったかも見ずに袖へ引っ込む。

 労いと称賛の言葉に適当に頷いて、足早に控え室に戻った。私が欲しいのはそんな物じゃない。扉を閉めてすぐに、ある物を探した。

 あるべきはずなのに、いつもない物を。

 今日こそはあってほしいと願いながら、鏡の前に近付くと──控え室を出る前にはなかった物がそこにある。

 一通の手紙。

 赤い蝋で封のされた白い封筒。瞬きしてもなくならない。近付いても遠ざからない。震える手で掴み取り、乱暴に、でも中身に被害が出ないよう気を付けながら、封を開ける。


『午前二時に、舞台でお待ちください』


 簡潔に書かれたその一文を、私は何度も指でなぞった。文字は消えない。なのに、だんだんぼやけてきて……。

 そっと、手紙を胸に抱き締めた。


「……やっと……やっと、会えるのね」

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