第6話 『不器用な人(ヤツ)』
「やっと、見つけた。心配したんだぞ、シャーリー」
飛び出していった彼女の姿を、視界に完全に捉えると、ジュンは心からの安寧を感じていた。
もしも彼女に何かあったらという不安から、やっと解放されたからだ。安堵のため息が自然と洩れる。
「ジュン……レオンとケンジは?」
とても落ち着いた声でシャーリーは言った。
てっきり彼らはジュンの後ろにいるかと思っていたが、姿が見えないので自然に聞いてしまっていたのだ。
「ここにはいないよ。みんなで手分けして探してたから、あのピアッツァのテーブルで集合ってことにしてある……」
ジュンは噛み締めるように吟味しながら、一語一語を口にする。
それから――
「ごめん……シャーリー」
深く頭を下げた。今まで言ってきたことを本当に悔いているからだ。単なる自己満足でしかないのかもしれないが、謝らずにはいられなかった。
これからは彼女が料理をするのを、可能な限り応援しようと思うし、手伝ってあげたいと思う。
そういった意志も篭めたつもりだ
「ちょっと、ジュン。やめてよ。私別に怒ってないから……」
怒ってなどいない――これは正直な自分の気持ちだ。
もちろんジュンが謝っている意味は、理解している。
きっと彼の事だから自分が傷つけたと、後悔の念を感じているのだろう。普段はヘラヘラしているくせに、ふとした時に優しかったり、敏感だったり、鈍感だったり……そういう人なのである。
もう随分に長い付き合いになるが、自身の気持ちに気付いてしまうと、なんだかいつもと違った風に見えてしまう。
だから同時に分かってしまった。彼の様子が『ピース』にいたときと少しだけ違っている事に。
(ジュンのフィーナへの態度はやっぱり、そういうことなんだよね……)
思えば、彼はフィーナの近くで動揺しているような、狼狽しているような態度をしていることが多かった。
しかし嫌っているからという類ではないことは、表情から一目瞭然だ。
気持ちと記憶を整理しながらなら、きっとそういうことなのだ、と思う。
だけど、たとえそうであっても、まだまだそう簡単には諦められそうもなかった。
「仮にそうだとしても、シャーリーを傷つけたのは事実だから……ごめん」
一度頭を上げ、それからまた下げる。
彼女が怒ってはいないことは、表情でも語調の面においても、すでにジュンにも分かっていた。
だけど、彼女を泣かせてしまったのは自分の至らなさのせいだ。そのことについては、いくら親しいとはいえ、しっかりと謝罪をしなければならないと今一度思う。
どこかでけじめを着けなければ、どこまでも人間はその人の優しさだとか譲歩というものに甘えてしまう生き物だから。
「もう! ほんとに分かったから。顔を上げてよ……ジュンの気持ちはもう、分かったから……」
そう言って朗らかな声を上げた。
ジュンを見ると、まだ納得していない様子だったので、彼にゆっくりと近づいてゆく。
一歩、また一歩彼に近づくたびに心臓がドクンドクン激しく鳴っているのが分かった。 その鼓動がこのまま臓器を破裂させてしまうかもしれないと思うほどに力強く胸を圧迫している。
それでも一歩一歩、着実に距離を縮めていった。
至近距離で目と目が合う。ジュンは、シャーリーの紫の瞳に自分の姿を見つけた。
その時に頭をよぎったのは、今朝方にもこんな場面があったなということだ。まるでアメジストを散りばめたかのように光るそれは、やはり以前と変わらず、吸い込まれそうな魔力を醸し出していた。
だけど、この瞳に吸い込まれるのは自分ではないと思った。
自分ではなく――レオンだと。彼はシャーリーのことが本当に好きだった。小さい頃からレオンは彼女にだけは甘く、優しかったから、幼いながらにすぐに理解してしまった。
そこには、ただの女の子として以上の感情があったはずだということを。
だから――後ろを振り返った。
突然の行動に釣られるようにシャーリーと、少し下がっていたフィーナも後ろを振り向く。
向いた先には、金色の髪を風でくしゃくしゃにして立っているレオンがいた。
いつもはブスッと冷静な朱色の瞳が今や安堵の色に染まり、表情はどこか、はにかんだようになっている。
「よぉ、レオン。遅かった、な!」
テンポ良くレオンの元へ歩いていき、バトンタッチとばかりに彼の背中をシャーリーの方へ押し出してやる。
こうでもしてやらないと、この金色の青年はシャイだから動こうとしない。
おそらく、放っておいたら何時間もこのまま突っ立っている事だろう。
相も変わらず不器用なヤツだと思う。
ドタバタと勢いを懸命に殺そうとするレオンだが、いつものような文句は言うことも、ギロリと朱眼で射ることもしてはこなかった。
そしてジュンはそのまま無言でフィーナの手を掴む。彼女も察したようで、彼の手を握り返し、レオンとシャーリーから少し離れる。
その時に見たフィーナの顔が火照っている事が少しだけ気がかりだった。
「お、やっぱりケンジもいたのか」
レオンより後ろの建物の影に、隠れるかのように佇む栗色の癖毛をしたメガネの少年に声を掛ける。
大方、自分と同じ考えでここで待っているだと思われた。
「うん、僕も久しぶりに頑張って走ったからね……」
運動を滅多にしない彼も言葉通りかなり走り回ったのだろう、額に浮かんだ汗を制服の袖でせっせと拭っていた。
メガネが体内から体外へ放出される流動的な熱気で少し曇っている。
昔のケンジだったらこんな風に走り回る日が来るなんて、予想もできなかっただろう。
息切れを起こし横っ腹がキリキリと痛むことも知らずにいて、汗を掻くことがこんなにも苦しく、そして清々しいモノだとも感じることがなかったはずだ。
苦しいのに、今の自分の顔は笑っているだろうなと思った。
「だろうな……」
ニッと唇の端を上げ、イタズラを思いついた子供のような顔をするジュン。
何となくケンジ考えていうことが分かってしまい、可笑しくなったのだ。
「ケンジ、これをよかったら使って」
フィーナがジュンから手を離し、セーラー服のような服のポケットから一枚のハンカチを取り出してケンジへ差し出した。
これで拭いていいと言っているようだ。
「ありがとう、フィーナ」
お礼を言ってからケンジはハンカチを受け取った。
しかし、その綺麗な刺繍の入ったハンカチを見たジュンが彼女に尋ねる。
「いいのか、フィーナ? なんかアレ、すっごく高そうなんだけど……」
すると、彼女もニッと桜色の唇を吊り上げ、ジュンとそっくりの表情をした。
ひんやりとした涼しさを感じさせる蒼色の瞳が、怪しげな光を宿す。
「いいの。だって、今度ジュンが代わりに買ってくれる。でしょ?」
「え? いや、俺はほら、お金がないし……。第一貸してもらったのは、ケンジだろ?」
自分にはさして関係がないと思っていた矢先、突然思いもよらぬ話を振られ、困ったように疑問を疑問で返してしまった。
じっと彼女の顔色を窺う。
「あははっ、冗談だよ。冗談」
「だよなぁ、ははは」
「うん。だって、ジュン一文無し。だもんね♪」
ニッコリと笑顔を浮かべながらリズミカルに言うフィーナ。
そんな彼女の様子になんとなく嫌な予感を抱いたジュンは彼女から視線を外し、よろよろとした足取りで一歩後ろへと下がった。
(なんだ、この感じは……?)
ジュンの空間把握能力の一部がガンガンと警鐘を打ち鳴らす。
案の定、自分は下がっているはずなのに、なぜだかフィーナとの距離が変化しない……。
それもそのはずである。
彼が一方後ろへ下がれば、彼女が一歩前へ足を出す。これではイタチごっこだ。
「な、何故にフィーナ様は付いて来られる……?」
「ジュン。様付けはやめてと言ったでしょ?」
そう言って今度は、明らかに大きい一歩でこちらへ近づいてきた!
「お、おい、ケンジ! そのハンカチを返せ! 今すぐに!」
大声でケンジにそう指示を飛ばす。しかし――
「ちょっと待ってやがれ! 今、僕はホログラフォンに付着した汗を完全滅殺してるとこだ、邪魔すんな!」
いつの間にか暴走ケンジへトランスフォームしたヤツは、念入りに、丁寧に、そして完璧になるまで、ホログラフォンを拭き拭きしていた。
こんな時に限って、ケンジマジックの再来である。
「――なぁっ!!」
これには開いた口が塞がらなかった。
今夜はアンニュイな気分になりそうだ……。
(いや、落ち着け、夜の事を考えている場合ではない! 俺は誰だ? 次席であるジューンバルトだ! なら、考えろ。お前のその頭脳は、今を考えるためにあるんだ! 想定されるパターンは合計で21通り……各々の解決方法の模索……よしっ、読みき――)
ガシ……この表現が一番適切だと思われる。
フィーナに両肩を掴まれ思考が、ほぼ強制的に中断された。
彼が好きな柑橘系の甘い香りが彼女の髪から漂い、鼻腔を刺激する。それによりなんだか、『ふわふわ』した気分になってきたジュン。
「ジュン……覚えてる?」
芳しい銀髪と同じぐらい甘ったるい声音をもってして、耳元で囁かれる。
互いの微かな息遣いが聞こえるのではなく、感じられるほどの至近距離だ。
黒髪の少年には目の前の少女が、急に小悪魔のように見えてならなかった。
「覚えてないな」
反射的に『なにを?』と聞き返すのは危険と判断し、否定の言葉を口にする。
「そう? なら、もう一度見せ付けちゃえばいいんじゃない?」
「……」
冷や汗をかいていることが、少し冷たくなった制服から分かった。それは留めるところをしらず、次から次へとダラダラと溢れてくる。
「……私たちキス……したよね?」
やはり甘えるような声に、まるで洗脳されたかのように、黙って首を縦に振ってしまった。
今の彼女の顔は火照っていて、頬は蒸気しているかのように熱気を放ち、艶やかなる薄桃色の唇は喘ぐかのように狭い空間を上と下で構築している。
視線がそこへ釘で打ち付けられたかのように、全く動かせない。
「なんだ、ちゃんと覚えてるじゃない。ね、今度はジュンからキス……して?」
そして蕩ける様な声色で語ってから、フィーナは蒼穹に澄んだ瞳をゆっくりと閉じてゆく。
ゴクリ――唾を飲み込んだ音が鼓膜を刺激する。
「うっ……俺はどうすれば……」
心の中で考えていたつもりだったが、ただ漏れしてしまう。
毎度思うが、目に少し垂れる黒髪が鬱陶しい。だけど、切りたくない。
そんなどうでもいいことを思っていると、ふらふらぁーっとフィーナが倒れこんできた。
咄嗟にそれを抱きとめる。
「お、おいっ! フィーナ! どうしたんだ!」
何度呼んでも返事がない。ヤバイ――そう思ったとき、すぅすぅと微かな寝息が聴こえてきた。
「なんだ、寝てるのか……ってそれよりもフィーナのヤツ、酒くせぇ」
寝込んでしまった彼女の口から、それなりのお酒の臭いがしてきた。
つまり、どうやら彼女は酔っ払っていたようだ。
(どうも、様子が変だと思ったんだよ。走る前からフィーナ、ずっと顔が赤かったから。それにしてもフィーナのヤツ、いつ酒なんか飲んだんだ?)
考えてみたが、思い当たる節は1つしかない。
「あんの、『おっちゃん』しかいねぇ……」
髭を生やした豪気な彼ならば、フィーナ様には特別と、食前用のお酒を渡していたかもしれないと思い至った。
ジュンたちがあんなことになっているのと同じ頃、レオンとシャーリーの二人は静かに見詰め合っていた。
どちらも相手の出方を窺っているかのようにも見える。
「……シャーリー。無事でよかった」
ついにレオンが話を切り出した。
といっても、それだけを言い終えるとまた黙ってしまう。
「うん。ありがと……」
そんなレオンの反応にどうすればいいのか考えあぐねいている様子のシャーリーが、とりあえず、お礼を言った。
時計の長針が一周ほどしてから、静かにレオンが彼女の方へ近づいていった。
「……」
「……レオン?」
無言で近づいてくる彼に思わずと言った感じで尋ねてしまう。
その言葉を聴いたレオンがピタッと歩みを止めてしまった。
「……抱きしめてもいいだろうか……?」
掠れたようで厳かな音色の疑問が彼の口から奏でられる。金色の髪がまるで彼の気持ちを代弁するかのように、不安げな様子で揺れていた。
レオンの脳裏にあの『雨』の時に感じた後悔が甦ってくる。
だからきっと、素直に言えたと思う。
「……いいよ」
ピンクのポニーをした少女は、青年の言葉にゆっくりと頷く。
それを見届けたレオンはまた歩みを再開し、そのままの勢いでシャーリーの体を抱きすくめた。
「……シャーリー。すまなかった……」
「え?」
彼があまりにも痛々しい声を出すので、堪らずに聞き返してしまう。ぎゅっと、自分の体をきつく抱きしめるレオンの暖かさだけが感じられた。
彼の男にしては少し長めの金髪が、頬を撫でて少しだけくすぐったい。
「俺は……いや、俺たちはお前が頑張っているのを知っていたのに……」
ひどく後悔し、それを懺悔するかのように言うレオン。
「いいの、そうじゃないの。私もちょっと意固地になっていたというか、なんというか……とにかくレオンたちが悪いわけじゃないのよ。それにレオンはなにも言ってなかったよ?」
「いや、お前を泣かせたのは俺たちだ」
相変わらず頑固だなあと思った。
だけど、そんなレオンだからシャーリーは好きだった。
彼がいつも淡白な印象をかもし出しているのは、元々多くを語らない性格だが、それ以上に相手のことを考えた上で行動しているからだ。
相手のことをよく観察してから、自分の言動に移るから、面と向かった相手は何とも気まずい間を感じてしまう。
その結果、あまり親しくない人たちには、彼が冷めた人間だと思えてならないのだ。
(なんとも、不器用なのよね、レオンは。……主席のくせに)
そんな『不器用な人』に送ってあげられる言葉、今はコレしか思い浮かばない――
「じゃあ今度……食べてくれる?」
何をとは言わない。
全て分かっている相手には無用の言葉だ。
「ああ、もちろんだ」
グッと先ほどよりも力強く、抱きしめられる。
思わず、息が詰まりそうになる。
「ちょ、レオン。ちょっと苦しい……」
「す、すまない……」
だけど、結局最後まで、シャーリーの方からレオンを抱きしめることはなかった……。
その後、結局仲直りをしたピース組とフィーナはみんなでピアッツァ屋に戻り、熱いピアッツァを食べた。
何故に熱いピアッツァかというと、髭面のオスカー曰く――
『ここはお酒が入ったほうが、なにかといいと思った次第でして、フィーナ様そんなに怒らないでくだせぇよ!』
――だそうで、飲み水のグラスにアルコールが入っていたそうだ。フィーナにだけ……。
そんなこんなで、ご機嫌直しのためにと、熱々のピアッツァをフィーナが好きだという『ピアッツァ・アッラ・パーラ風』で頂いたのだ。
それからあと、シャーリーが、『まだ、フラフラして歩けないぃ』と酔って駄々をこねるフィーナをおぶったジュンに、『変態!』と彼にしてみれば謂われなき中傷を浴びせていたのは、また別の話である。
今日は、英語の前置詞の『in』と『to』の使い分けが、いまひとつ分からない一日でした。
『in』は方角を示せ、『to』は方向と見分けるのですが、その修飾される語が『北』とか『南』のようなものの時は、両方が使用できるのです。
テスト近いのに、納得いきませんでしたヽ(д`ヽ)。。オロオロ。。(ノ´д)ノ