第5話 『願いの料理、本当の気持ち』
「ほんとに美味いな、このピアッツァ! 『ピース』でもこんなに美味いピザを食ったことねぇよ」
いろいろな意味で一山も二山も乗り越えたジュンは、満足そうにピアッツァを頬張っている。
彼らは今、オスカーの店のテーブルで、念願のピアッツァを食している真っ最中だった。
周囲の人々も、最初はそんな彼らを興味深げに観察していたが、もうすでに自分たちの昼食を満喫している。その様子を見るに、彼らはジュンたちが異世界人だということを分かっていないようだ。
おそらくそれは、この王都には他の都市からも、大勢の人々が訪れるためだと推測された。
「ほんとに、美味しい。私にもこれぐらい作れたら……」
食べるのを止め、こと料理に関してはパウリ効果を遺憾なく発揮するシャーリーが、不吉なことを言っていた。
しかし生憎、夢中で食事を摂っている三人には聴こえていなくて。平気な顔をしていたレオンも、実はかなり腹が減っていたようで、彼にしてはガサツに食している。
そうなるとその中で一番綺麗に、そして落ち着いた態度でピアッツァを齧っているフィーナが反応するのは、当然の流れだろう。
「よかったら、今度一緒に作ってみる?」
陽気な笑顔で訊くフィーナ。
実は彼女は大の料理好きで、自分の朝食はもちろんのこと、昼食のためのお弁当も一人で作っており。そしていつか、友達と一緒に作ってみたいと密かに思っていたのだ。
むろん彼女にも友達はいるが、自分がプリンセスなのが理由で断る人が多かった。
さらに悲しい事に、親友と呼べるたった一人の友は全く料理には興味がないようで――まさに、機会が得れずにいたところの幸運だったのである。
本当に、それだけのつもりでフィーナは言っていた。
「え? いいの? でも私、料理あまり得意じゃないんだけど……」
『あまり』の部分を強調するシャーリーに、そこだけは譲れないという断固たる意志を感じる。
彼女にしてみては、料理は家事の中でも最もレベルの高いものであり、そして最も上手になりたいと思い続けてきたことでもあるのだ。
おいしい料理を作って、ジュンたちに褒めてもらいたかったし、家庭的なところを見せ付けたかった。
だからこそ料理の本をいくつも読み漁り、母に教えてもらいながら作ったが、全く上達が見られずに今に至っている。
これはそんなシャーリーにとっても魅力的な提案だったが、一応自分が得意でないことを言って置かねばフィーナに悪いと感じ聞き返したのだ。
後はフィーナが『それでもいいよ』と言ってくれることを、心底祈るばかりである。
「うん、大丈夫だよ! 私あのオスカーの学園食堂の喫茶タイムにウェイトレスとして働いてるんだけど、その時に料理も見てもらったりもしてるの。だから、それなりに料理は得意なのよ。心配しないで」
グラスに入った水を呷った後で、フィーナは未だせっせと仕事をしているオスカーを指差す。彼の浅黒い肌が竈の熱気でより一層、黒く際立って見えた。
プリンセスではあるが、自分のお小遣いは自分で稼ぐものと教えられて育ったため。フィーナは、学園が終わってからの数時間運営される喫茶店としての『フローリアン』で、ほぼ毎日、ウェイトレスのアルバイトしているのである。
オスカーによると――せっせと働く彼女の、ウェイトレスとしての姿を見に来る学園生も結構な数がいるとかで、営業にかなり貢献しているそうであった。
それにしてもフィーナは体が熱いと感じた。ふわふわした気分になって、まるで自分が空を飛んでいるかのような感覚である。
これはきっと、自分の念願が叶いそうだからだと思い、今は気にも留めなかった。
「ありがとう、フィーナ! 私もなんだか上手くできそうな気がしてきたよ!」
いつもは仲間内から、料理というか、家事全般に関して腫れ物のように扱われているシャーリーには、願ったとおりのフィーナの言葉はまるで、慈悲深い天使の啓示にも等しく感じられたのだろう。
纏うオーラがいつになく、ものすごいやる気に満ち満ちている。
しかしさすがにそんな大声で、叫ぶようにして会話をしていたら、いくら食べることに夢中になっている三人といっても、自然とその内容が耳に届いているわけで。
だから――
「……ごほっごホッごほっ!」
ジュンが思いっきり咳き込んで――
「……うっ!」
ケンジが思わず喉にピアッツァを詰まらせて――
「…………」
レオンが苦虫を食べたかのような微妙な顔をした。
「ちょっと二人とも、大丈夫?」
そんな彼らを心配したフィーナは声をかけるが、シャーリーは厳しい光を瞳に宿しながら冷ややかな視線を送っている。
ピンクのポニーが逆立っており、紫電の瞳は稲妻を放出しているかのようだ。
「あ、ありがとう。フィーナ」
「サンキュー」
激しく咳き込んだので、背中をさすってもらったケンジとジュンは感謝の言葉を口にした。
「……そこの三人。なに? なんか言いたいことがあるわけ?」
ピンク色のポニーをした少女が、ひどく刺々しい言葉を乱暴に投げつける。
目も据わっていて、恐ろしい。
まるで鬼のようだと、ジュンは内心で思った。
「……ええと、それはその。僕らいつも言ってると思うけど――」
ドゴンッ!
テーブルに拳が叩きつけられた音。
「ひっ、ごめんさささい」
あえなくケンジ撃沈。
「いや、シャーリー。落ち着いて聞いて欲しいんだ。これは非常に重要で、もしかしたら命に関わることかもしれないんだよ。だからさ、ここは1つ穏便に事を運ばないかい?」
恐ろしすぎるので、婉曲的に、且つ優しく諭すように言うジュン。
メキッ! これはテーブルが軋む音。
さすがはいつも、ジュンを殴っていることだけのことはある。女の子でさえ恐ろしいほどの破壊力を備えているようだ。
「なんでもありません、はい」
すぐさま訂正した。
あっけなくジュン轟沈。
「……レオンは?」
紫色のジトッとした視線がレオンを捉えて離さない。
普段なら、自分だけを映すその水晶は大歓迎だが、今は全く完全無欠なまでに事情が違っていた。
少し青く変色しているだろう自分の顔には、うっすらと冷や汗が浮かんでいるのを感じる。
そして絞りだすような掠れた声を、精一杯吐き出した。
「……楽しみにしている」
「てめぇ、レオン! なに言ってんだよ! あんなの食ったら今度こそ死ぬぞ!」
「そうだよ! それに一人だけ裏切らないでよ! レオンなら何とかしてくれるって思ってたのに!」
最後の望みだったレオンの裏切りに、思わず本音を暴露してしまう二人。
ダンッ! シャーリーが席を立った音。
「あ……いや、これはその……」
「うん、え~とね……」
ヤバイと本能が警鐘を鳴らす。
なんとか言い繕おうと必死だったが、思い浮かばない。ジュンは覚悟を決め少しでも衝撃が和らぐように手を額に当てた。
次の瞬間には殴られると思っていたが、いきなりシャーリーは踵を返すと、テーブルから走り去ってしまう。
目に付くその頬を、涙で濡らしながら……。
「お、おいっ! シャーリー!」
必ずいつもみたい1発殴った後、逃げる自分を怒って追いかけてくると思っていただけに、思いもよらない行動だった。
薄く開いていただけの漆黒の瞳を大きく見開き、たまらず声を張り上げるジュンだったが、すぐに彼女の姿は人ごみの中へ紛れ消えていってしまう。
急いで自分も席を起ってシャーリーの後を追いかけ、そのすぐ後ろにレオン、ケンジ、フィーナと続いてくるのが靴の足音で分かった。
彼らがいなくなった後、取り残されたピアッツァの欠片だけが、いい匂いを放っていた。
「どうしたんだ、シャーリーのヤツ。いつもはあんな風にはならないのに……」
走りながら、どうしてだ、どうしてだと疑問を口にするジュンに、フィーナが怒った。
顔色が怒りからか、雪のように白い肌を今は赤く染めている。
「ジュンたちが悪いに決まってるじゃない! 男の子にあんな風に言われたら、誰だって悲しくなって泣いちゃうよ!」
本気で怒っているフィーナに言われ三人は、確かに自分たちの言葉が彼女を苦しめたのだと悟った。
別に悪気がなかったとしても、言われたらやはり悲しいことはあるものだ。
いつの間にか、シャーリーならあれぐらい言っても大丈夫。という間違った安心感を、勝手に抱いていたのだと思い知らされた。
彼女は人一倍頑張り屋で。クッキングの本を一生懸命に、暇さえあれば読んでいたことを走馬灯のように思い出す三人。
(くっ! なんてザマだ。そりゃあシャーリーだって、男の俺たちだけならまだしも……同じ女の子の、フィーナの前であんなこと言われたら泣きたくなるよな)
だけどジュンは、その思いを頭から追い出す。今はそんなことを思考している場合ではなく、考えるべきはシャーリーを探すことだけだと自分に言い聞かせた。
ホログラフォンの通信機能は、あの『雨』以来、使用できないでいる。
そうならば、地道に探すしか手はなかった。
迅速に見つけ出すためにはどうすべきか……その答えはひどく原始的だが、もうすでに用意してあり。
「みんな、さっきのテーブルの場所は覚えているな?」
そう声をかけると、四人ともがしっかりと首を縦に振る。
「よし。それなら、手分けして探そう。集音機能はホログラフォンに健在で半径100メートルほどは集音可能だから、レオンとケンジは細かくチェックしながら探してくれ。上手くすれば、シャーリーの声を拾えるかもしれない。あと、レオンとケンジはこの都市の大まかなマッピングは済んでいるか?」
一息に話しきり、二人の反応を見る。二人ともしっかりと頷いた。
ジュンがピアッツァの匂いに釣られて行ってしまった後、彼らはゆっくりとあちこちマッピングをしながらやって来ていたのだ。
自分は17年の人生を基本的に本能へ忠実に生きてきたが、そのことを少しだけ後悔する。
これからはもっと、後々の事や、もしもの時のことを想定して、あらゆる状況に対応できる備えを整えておこうと思った。
「なら、フィーナは俺に付いてきて。都市の造りが分からないから、とにかく居そうな場所とかに案内してくれ」
「わかったわ」
「よしっ! じゃあレオンにケンジ、またあのテーブルで落ち合おう」
「ああ!」
「わかったよ!」
返事と共にジュンとフィーナは東のブロックへ。
そしてレオンは西ブロック、ケンジは北へと散開していった。
「はぁはぁはぁ……ちょ、ちょっとジュン、待って! はぁ……速いすぎ」
かなりのスピードでフィーナが示した方向へ走っていたジュンは、自分がいつの間にか彼女を引き離してしまっていたことに気が付いた。
これでも抑えていたつもりなのだが、鍛え抜けれており、しかも男であるジュンと、プリンセスであるフィーナとでは、やはり比べるまでもなかったようで。
急いで走るスピードを落とすジュン。
肩で大きく息をしている彼女は、追いつけないと分かっていても、それなりの距離を走破するまでしっかり付いてきていたのだ。
相当な無理をしていただろうと、容易に推測できた。
「ご、ごめん。気が付かなかった……少し歩こうか」
こんなにも頑張ってくれた彼女に、自分はこれでも抑えていたや急いでいるなどとは、決して言ってはならない。
そんなことより先に、今は少しでも彼女を休ませてやりたいという思いになった。
「だ、大丈夫だよ。まだ走れるから……行こ?」
明らかに無理をしているのが顔色から分かる。足元を見るに、走る歩幅が一歩一歩全然違っていて。フラフラとした足取りでさえあった。
このままではすぐに転んでしまう。
ジュンはこれ以上彼女の努力に甘えてはいけないと感じた。
だがそんな風に事を話すと、彼女はまた『大丈夫』と言うだろうから、自分から走るのを止める。
これでは彼女も、一旦は自身の足を止めるほかにないだろう。もちろん一人でも行く可能性はあったが、そうしたら力ずくでも引き止めるつもりだった。
「……ジュン?」
「少しだけでも休もう。俺もホログラフォンで集音してみる時間が欲しいから」
止まってくれた彼女に、安心した。
本当はホログラフォンに集音させ、それを聞き分けながら走ることもできるが、何かしらの理由を言わなければフィーナは納得してくれないと思う。
まだ出会ってそれほど経ってはいなかったが、それでも彼女がとてもいい娘で。シャーリーと似てとても頑張り屋だということが、ジュンにはちゃんと分かっていた。
「……でも――」
「歩きながらじゃないと、上手く聞き取れないんだ。だから、少しだけ歩こう」
まだ何か言い募ろうとしている彼女を、最大限の笑顔で制す。
それを見たフィーナが、素直に自分の隣に並び歩き出した。
しかしその表情が、すまなそうなモノをしている。
だから、そっと、彼女のやり場がないように宙を往復している手をとり、緩やかに指を絡めた。
「あっ……」
彼女の呟きが耳に入ってきたが、かまうものかと思う。
嫌がっていないのなら、フィーナが少しでも楽なようにエスコートしてあげたかったのだ。
こうするだけでも、大分楽なはずである。
「……嫌か?」
「ううん! 嫌じゃない」
首を思いっきり、ブンブンと音がするほど激しく横へ振った。
そんなに勢いよく振りまくったら痛いはずだが、フィーナはそのことについては平気そうな顔をしている。
「なら、いいかな?」
「うん……いいよ」
急にしおらしくなったフィーナ。その顔は俯きがちで、やはり頬は少しだけ熱っぽい。
それからしばらくゆっくりとしたペースで指を絡めながら歩く二人の姿を、通り過ぎてゆく都市の住民たちは微笑ましそうに見つめていた。
「ところで、今どこに向かってるんだ?」
初めはとても焦っていたので、彼女が示す方角しか理解していなかったし、知ろうともしなかった。
それは考えなしもいいところで、常なら有り得ないことである。
改めて、余裕を持つことの大切さを教えられた気がした。
「カンナ・レージョン地区よ。あそこはとても静かで綺麗な場所なの。今のシャーリーは人ごみには居たくないだろうから……」
「なるほど……」
彼女の冷静な判断に、確かに行きそうな場所だと思うと同時に、自分よりもよほどちゃんと考えていてくれたことに胸が熱を放ち始める。
感謝の気持ちで溢れ、微弱な苦しさを感じた。
それを封印し、自分もシャーリーのことを考える。
(シャーリーはけっこう気が強いから、泣いているところなど人に見られたくはないだろう)
彼女がレオンやケンジのようにマッピングを済ませていたとするならば、熱反応のない場所へ行っているはずだ。泣いているところは、誰であっても見られたくないはずだ。
そして金色の青年やメガネの少年たちも、自身に割り振られたエリアを散策した後、高確率でそこへ向かって行った気がする。
自分たちはゆったりと歩きながら歩を進めているので、案外、彼らの方が先に着いているのではないかと思った。
『……登録声紋に一致する音声を集音しました。再生します』
整然と、どこか機械的な女性の声がホログラフォンから聞こえてきた。
どうやらシャーリーの声らしきものを感知したらしい。
「確認した。どこからだ?」
ホログラフォンから聞こえる集録音は、確かにシャーリーの声だとジュンにも分かった。
『方角はここより東北へ70メートルほどです』
音源ナビによるとかなり近い場所にシャーリーがいるようだ。そう思うと自然と勇み足になってゆく。
そんなジュンの横顔を、疲れてきつい筈なのだが、口元を綻ばせたフィーナは優しい瞳で眺めていた。
気持ちの赴くまま考えもなしにピアッツァ屋を飛び出してしまった彼女は今、橋の手摺にお尻を乗っけて、両足をブラブラやっていた。
もう泣いてはいなかったが、どことない悲しみと、深い後悔が顔に滲んでいる。
(はぁ、どうしよ。いきなり飛び出して来ちゃったよ、私。みんな心配してるよね……。ううん、もしかしたら怒ってるかもしれない。でも、私だって怒って…………ないか)
そう、シャーリーは怒ってなんかいなかった。
家事について言われた時は、いつも怒ったようにジュンを追い回していたが、実はそれほど怒ってなどなくて。ただ必死に逃げる彼を追いかけるのが楽しかっただけなのだ。
でも、あの時――いつもと同じようなシチュエーションだったはずなのに、湧いてきた感情は今まで感じたことのないもので。
あの時はただ、ただただ悲しみと苦しさ、そして激しい悔しさを感じ――。
(……悔しい?)
いつもバカにされていたから、今度こそ成功してみせると本を読んでいたことや、母に教えを請うたこともあったけれど、あれは悔しさからの行動ではなかった。
成功したときの喜びを思い浮かべながら、楽しくやっていたことだ。
(私は、なにが悔しかったのだろう……?)
その答えを思考することは、唐突に中断を余儀なくされる。
「おーい、シャーリー!」
大きく手を振る黒髪黒眼の少年が、こちらへ向かってきている。その光景が目に映りこんだ一瞬で、胸の中が確かな暖かさで満たされていくのを、シャーリーは実感した。
だが隣へ目を向けると、途端にその心地よさは霧散してしまう。
隣――そこには微笑みを湛えたフィーナの姿があって。
(……そっか。そうだったんだ)
彼女の姿を認めた時、今までの疑問の、それこそ何もかもが了解の海へ溶けてゆく。
何とあっさりとした解答だと、我ながらに思う。
しかし、この海に間違いはなく、不自然な印象も全くなく。
(そうだ……私は嫉妬してたんだ――フィーナに)
いきなり現れて。
すぐにジュンと親しくなって。
彼の隣に居て。
料理ができて。
プリンセスで……次々とその理由が思い浮かんだ。
それから……いつもなら、自分がいた場所なのにな……と思った。
「そっか、そっか。そうだったのか、私……」
溜息をつくかのように、ゆっくりと静かに。
そして誰にも聞こえないような小さな声で、シャーリーは言葉を零した。
全部が綺麗さっぱり分かってしまい。その分かった事に対し、何だか果てしない馬鹿馬鹿しさを感じてならなかった。
なんたって、ずっと前から一緒にいたのに、フィーナという存在が現れた今頃になって気付くのだから――これが鈍感と呼ばれるものなのだろうか。
学校での私生活などから鑑みてもである自分は、それなりに鋭いほうだと自負していたが、全然そんなことはなかったようだ。
なぜなら、自らの、しかもこんな単純な気持ちにも気が付かなかったのだから……。
すいませんが、中間テスト週間のため、その勉強に勤しむので、更新が遅くなると思われます。
今日も7時まで塾の個別ブースターで缶詰状態でした><