第27話 『警告』
嬉しそうなフィーナと話していると、ふと、ジュンは誰かの視線を感じた。それはとても鋭く威圧的だ。
――この感じ。前にもどっかで……。
(そうか。あの時だ。初めてドゥガーレ城を訪れて、属性判別をした時。あの時に感じたものだ)
明らかに誰かに後を追跡されている。人ごみのせいで正確な位置までは分からないが、一定のリズムでこちらに向かっている者がずっと前からいたを知っていた。確信は無かったが、今の鋭い視線で間違いない。そしてこの感覚がドゥガーレ城で感じたという事は、おそらく城内の人間によるもの。
すなわち、フィーナの後をつけているのが可能性として最も高いだろう。
――さて、どうするか……。
ジュンはレオンの様子を横目で確認してみる。すると、彼も気配を感じていたのだろう、こちらへ同じようにサインを送ってきた。
「悪りぃ、みんな。ちょっと先に行っててくれないか?」
急な路地を曲がった瞬間に、ジュンはそう言った。路地に入った瞬間ならば、追跡者に可能な限りこちらの情報を与えないで済む。
「え? どうして?」
「どうかしたの?」
フィーナとシャーリーが訝しんでいる。ここは誤魔化すしかないだろう。
二人に、特にフィーナに知られるわけにはいかない。彼女のことだ。きっと気にするに決まっているから。
「いやぁ、ちょっと鐘楼の管理人さんにお礼言うの忘れてたからさ。ちょっくら挨拶してこようと思って」
「じゃあ、私も行くわ。一応、この国の王女だから。礼を忘れるなんて、王女失格だね」
「それじゃあ私も行く! お礼は大切だもの」
「いやいや、いいっていいって。今日は、この前の償いなんだから、ほら遠足は帰るまでが遠足って言うだろ? だからここは俺には任せて、行った行った」
シッシと手でジェスチャーする。それでも駄々をこねる2人に、いざとなればレオンに連れて行ってもらえばいいかなどと思っていると、察したレオンが先に言ってくれた。
「二人とも。今日はメイカーのアイツやらせてやってくれ。そうじゃないと、ジュンも気が済まないだろうからな」
「うぅ~、レオンがそう言うなら、しょうがないか」
「レオンさんの言うことももっともだし。じゃあジュン、管理人さんによろしくね」
「オーケー。分かったよ」
本当に頼りになるヤツだ。ジュンは目で、感謝の意を彼に伝えた。
レオンは微かに頷いて、「気を付けろよ」。と、口だけ動かした。読唇術なんてものを使えるのは、おそらく自分とジュンだけだろうと思ったから。
「あらあら、穏やかじゃありませんね……」
だからこんなことをセレスに言われた時は、ドキッとしてレオンらしくもなく飛び上がりそうになってしまった。しかしセレスが同様に唇の動きだけで、「大丈夫ですよ」と言ってきたので、まぁしょうがないと割り切ることにする。
本当に底が見えない人だと、レオンは思った。
「んじゃ、ちょっと行ってくる。レオン、頼んだぞ」
「ああ、任せておけ」
レオンとすれ違いざまに、その旨を伝えるジュン。そのまま彼は若干早足になりながら、路地の先端の追跡者からは見えないギリギリの角度がある場所まで行った。
誰かが見ているということは間違いない。だがどこにいるのかまでは、はっきりと分からなかった。おそらくそれほど離れているとは、思えないが。
ジュンとしては、本当はグループのまま行動しながら罠に嵌める方が、追跡者を誰なのか判別させるのには都合が良かった。だって自分があのグループから抜け出したことは、いくら路地に入ったばかりだと言えど、追跡者にも余裕があるのだから対応できてしまう。
明らかに相手の精神は尋常ではない。それもおそらく敵意ある追跡。
――休みの日だってのにずっとつけるか普通?
けれど皆で待ち伏せることは出来ない。それをやるということは、おそらくフィーナの知るところとなり、彼女が自分を責めるかもしれないからだ。
今日という日を彼女に楽しい気分のまま終えてもらうには、こうやってジュンが動くしかなかった。
――さて、どうしたものか。
このままここで待っていても、ヤツは現れるだろうか……。可能性としてはないわけではない。むしろ追跡しているなら、必然的にここには来る。
しかし油断ならないのも、また事実。追跡者の技量はけっこうなもの。気配などは今ではすっかりない。あの時に視線が漏れてしまったのは、おそらくフィーナが自分にくっついて話そうとしていたからだと思う。足音もごく小さい。ずっと同じ音を聞いていなければ、例えば途中で靴を変えられたりすれば、ジュンにも分からなかっただろう。
――ふむ。ならここにいても、来る可能性はないかな。
例の足音は確かにまだある。しかしリズムがさっきよりも遅くなっているような印象だ。もしかしたらすでに足音を誤魔化されているかもしれない。
けれど、それを考えても詮無いこと。
(じゃあ、ちょっとこの上で待つとしますか)
ジュンは誰も近くにいないことを確認し、左右の家の壁を利用して、身軽に上へよじ登って行った。
この水の国の一般民家のほとんどにはダクトが付いているので、それに掴まってヤツが通るのも観察した。あまり長い時間このままでいるのは大変だし、何より通行人にバレてしまうだろう。だから早く来いと心の中で祈っておく。
神さまなんて普段は信じていないのに、こういう時だけ非常に都合良いなと我ながらに思った。
1分とちょっとぐらいじっとしていると、不意に見知った顔が路地に入ってきた。この寮に通じる路地を通るという事は、ほとんどの場合が学生であるはず。通った人物ももちろん学生であった。
しかしそんじょそこらの学生とはわけが違う。
この学生はこの国の王子。フィーナの兄である――クリス・フォン・アトラティカその人だった。
ドゥガーレ城で泊まらせてもらった日の朝食の時に話しただけだったが、ものすごい憎悪の視線をビシビシこちらへ送っていたので、ジュンも彼のことは鮮明に覚えていた。
(あの王子が付けていた? あのフィーナのことを嫌ってるはずのヤツが?)
クリスがフィーナのことを嫌っているのは、ほぼ間違いなかった。彼は王族という身分を最大限に利用し、且つそれに誇りを持っていた。
つまり、普通であることを望むフィーナとは正反対だ。
だからだろうか、クリスと学園で何度かすれ違うことはあったが、彼はいつも数人のボディガードと取り巻きを従え、自分たちのことはほぼシカトだった。
平民などとは話たくもない、そういうオーラがいつも全身から滲み出ていた。
(でもアイツしか有り得ないよな。ドゥガーレ城で感じたあの視線も、王子が主なら説明がつくし……)
しかし分からない。
フィーナのことを嫌っているはずのクリスが、何故に彼女のことを追跡しているのか。しかも休日という大切な日を、丸一日費やしてまで。
だが今は取り敢えず、それは放っておこう。まずはクリスを問いただすのが先決だ。
だからジュンはクリスの歩くすぐ後ろ目掛けて、飛び降りた――。
高さ10メートルほどの所から、飛び降りるのでけっこう気合を入れて衝撃に備える。鍛え抜かれたしなやかな肢体が、鳥さながらに堕ちてゆく。
そして見事にストンと音もなく着地に成功。昔にジュンが見本に練習していたスタントマン顔負けである。
すぐさまジュンは動く。クリスへ急接近し、彼が気付いて振り向くより早く、ジュンはクリスへ言葉を投げかけた。行動をするのには、ちと早急すぎだ。まだ彼で確定というわけではないし、だいたい付けていた理由もわからないのだから。
「どうして俺たちの後を付けるんです?」
敢えてフィーナとは言わずに、『俺たち』と言う。
「私は付けてなどいない。たまたまここを通っていただけだ」
しかしあくまで存ぜぬを通すクリス。しかし咄嗟の反応までは誤魔化せていない。嘘を言うときは総じて、人間は口早になる。それは予め用意してあったかのような台詞を口早に言うのだ。
だがジュンの注意はそこではなかった。クリスの目にはとても大きな覚悟が映っているように、ジュンは感じたのだ。ジュンが普段クリスに対して感じていたムカつくあの傲慢な態度ではなく、ただカッコいいまでの覚悟だった。それが力強い瞳から伝わってきた。
――俺への敵意付きでだけどな。
「嘘ですね。それは嘘だ。あなたは絶対に、間違いなく俺たちを――いや、フィーナを付けていた」
だからこそ、ジュンもここで引かない。
覚悟には、覚悟で応えるしかないのだ。
「…………」
無言を貫くクリス。しかし彼の表情が、フィーナと言われた時に変化していたことをジュンは見逃してはいなかった。
「…………あぁ、そうだ。私は、妹のことを観察していた」
「どうして?」
「ただ、平民と一緒に戯れるのが、苛立たしかったからだ」
「苛立たしいのなら、見なければいいんじゃないですか」
「ふっ、お前には一生分からんことだな」
それは嫌味ではなく、確信に満ちた言葉だった。
「平民の俺とこうして話すの、初めてですよね」
「随分と強引な展開だな。……しかし質問の答えはイエスだ」
「じゃあ、フィーナのことを付けていたのは、何故ですか?」
「くどいぞ、平民。何度も言うほど、私は暇ではない」
「……そうですか。分かりましたよ」
もうこれ以上、クリスに訊いても無駄だと、ジュンは思った。彼は絶対にこの件について話す気はないのだろう。そう、感じた。
しばし無言で、クリスとジュンは見つめあった。
「…………一つだけ」
「はい?」
「一つだけ言っておくことがある」
「なんです?」
「これ以上、私の妹に――フィーナに近付くな。いいか、コレは忠告ではない。警告だ」
「どうしてですか?」
「理由は、貴様が、貴様たちがそう――良かれと思いすることで、必ず貴様らも、そしてフィーナも後悔するからだ」
そう言って、クリスはジュンの前から姿を消した。おそらく寮に帰ったのだろう。彼の動きは非常に緩慢なものだったが、その背中がどうしてかジュンに言葉の真意を尋ねることを許してはくれなかった。
「夕日って、こんなに眩しかったっけか……」
ジュンの呟きは、黄昏の空へ吸い込まれて消えていった。
結局ジュンが帰ると、寮の前で皆が待っていた。
そして互いに別れる時、女子たちは皆が感謝の言葉と、満足そうな表情を浮かべ。男子たちもそれを見聞きして、同じく大満足で。
とても実りのある1日であったと、皆が感じたのだった。
しかしジュンだけはクリスに言われた言葉の意味を、しばらく真剣に思案していた。彼が嘘を言っているようには、正直、見えなかったから。
そしてまた、意味の無い、どうやってクリスは寮へ入ったのだろうかとも考えた。これははっきり言って、気分転換だった。ジュンはクリスの言葉を考えると、何故か、どうしても嫌な気分になるのであった……。
久しぶりに登場フィーナ兄。2章の2話以来でございます><
忘れてしまった方も大勢いると思います。
自分も名前を忘れておりました(;・∀・)