第24話 『服装チェック 男子編』
ゴンドラを途中で降りて、徒歩でサン・マルコ広場の裏通りを抜け、ある店にジュンたちは到着していた。この店は表の賑やかな参道から外れており、さながら裏参道の隠れた名店的な雰囲気を醸し出している。またかの店の入り口はとても小さく、大人数を目的とした造りをしていない。
現に、裏通りの通行人のほとんど誰にも気付いてもらえていないほどだ。
しかし大食いであり同時に食通でもあるレックスが、「ここの料理はマジで美味い!」と絶賛していただけに、その期待値はかなり高いものだと推測された。
「まずはレックス御用達のレストラン。『リストランテ・ダ・フィオーレ』で軽くランチにしましょうか、お嬢様方」
ジュンはすっと皆から離れ、仰々しく手を前に回しながらお辞儀をする。本人は執事みたいなカッコいい職業を思い浮かべながら、この所作を行ったのだが――。
生憎と、皆の反応はチグハグで。
やれやれと呆れているパツキン1名。豪快に笑っている暴食1名。不思議な微笑を浮かべ「あらあら」と言っている占い師1名。何やら話し込んでいてシカトするマニア2名。はっきりと――「ぷっ、似合わないわよ」と言うピンクポニー1名。そして顔を輝かせながら「なら、エスコートしてくださいね。ジュン」と笑いかけてくるプリンセス1名。
――計7名の反応。
「さすがはフィーナお嬢様、ノリがよくていらっしゃる」
ニッと口の端を持ち上げながらジュンは、フィーナに笑いかけた。
「うん。だって面白そうだもん。でもジュンにはそういうの! あまり似合ってない気がするけど。ね?」
「ね? と、の! のとこだけ強調するなよ。ていうか何故に疑問系?」
ジュンがそう言うと、3名を除く皆が意地悪く笑っていた。
――まぁ、こういう笑いも有りかな……と思う。
これはジュンの勝手な価値観だが――やはり人は笑顔こそが、最も魅力的になれる部分だと思う。
滅多に笑わない者が笑った時などは、感動モノだ――主にパツキン。
そんなこんなで頃合を見てから、ジュンたちは店の中へ入っていった。
「それにしても美味しかったねぇー、あそこのパスタ」
シャーリーの話し声はどこか弾んだ調子がある。
そして昼食を終えたことで、今度はどこに行くのかと期待をしているようだ。満足してくれたようで、良かったとジュンも胸を撫で下ろした。
「うん。アルデンテがソースと絶妙なハーモニーを奏でてたよね」
隣を歩くフィーナもシャーリーに同意している。レックス御用達の隠れた名店だけあって、その味は美味しい! の一言に収束していたと思う。
昼間から酔うわけにはいかないので、ワインなどのアルコール類は飲まなかったが、それでもあのコースには大満足だった。
「でも、あんなに美味しいと、つい食べ過ぎてしまって、太ってしまうかもしれませんよ?」
セレスがどことなく面白そうな笑みを浮かべ、シャーリーとフィーナのことを下から覗き込んだ。
言われた2人は、自分が太った様子を鮮明に想像してしまい、2人同時にうげぇーという顔つきになった。
「大丈夫、2人とも。あそこはコースだったから、食べ過ぎるってことは、おそらくないから」
手にハンドサイズの本を持ち、それを歩きながら読んでいたリリアがそう付け加えた。
シャーリーとフィーナは彼女の言葉に「ああ、そっか」と呟きを洩らし、セレスは「もう、リリア。教えてしまうのが、早すぎです」と言った。
「あ、ごめ……」
リリアがセレスに答えようとする声を、シャーリーは遮った。
「もう、セレス先輩!」
そのままシャーリーが頬を膨らませると、セレスは微笑を洩らしながら「ごめんなさい、つい……」とだけ残した。フィーナがサドなら、セレス先輩はドサドだと思う。
ひとしきり皆で笑いあった後、フィーナが口を開く。
「そういえばさっき服装のこと話したけど、男の子たちってすっごいラカジュアルだよね」
前を談笑しながら歩くジュンたちを、無遠慮に指差す。
この王都アトラティカは水の加護があるせいか、かなりの厚手をしても大して暑さを感じない。いつも適度な涼しさをその身に与えてくれている。
つまりどんな洋服でも着られるというのに、ジュンたち男衆は服装がどれも似たり寄ったりだった。
「……だね。ほんっとに男どもは、分かっちゃいないわ」
シャーリーも釣られて見てみたが、正直に言って、この言葉しか浮かんでこなかった。それほどになっちゃいない。
「ですね。皆さん、ほとんど同じ格好のような気がします」
シャーリー以外にもやはりセレスもそう評し、リリアもコクコクとしきりに頷いた。どうやら満場一致で可決されたようだ。
「では、これよりなっていない男どものファッションチェックといきますか」
そこで意地の悪い笑みを口元に浮かべたシャーリーが元気良く宣言した。もちろんこれは、ジュンたちには聞こえない大きさの声だ。聞こえてしまったら、意味がない。
女子一同はシャーリーの提案に、すぐさま賛成の意を示した。やはり女の子は、男の子のファッションが何かと気になるようだ。
「まずは、あの黒髪からね」
ずいぶんな物言いをして、もう一度シャーリーは指差す。男の皆さんは髪の色が違っているので、この言い方でも十分に他の3人にも伝わったようだ。
ちなみにヒーロー戦隊も作れます。
「うーん、ジュンはー。上はBDシャツの、下はジーンズっぽいね」
フィーナが言ったとおり、ジュンの服装は上が薄い水色のシャツで、下がこれぞ定番って感じのジーンズだった。
まぁ、普通の組み合わせではあるが、着こなし方が半端なく悪い。
上のシャツはかなりシワが目立っており、かなり着崩れをしている。やはりジュンの部屋の汚い事と、この服装の乱れはかなり密接な関係にあるようだ。
そこでシャーリーは(しょうがないなぁ、もう)と心の中で思いながら、ジュンのところへ駆け寄って行った。
「ん? シャーリー、どした?」
いきなり目の前に現れたシャーリーに、ジュンは若干驚いているようだ。漆黒の瞳を少しだけ見開いて、シャーリーのことを凝視している。
「ちょっと、じっとしてて」
「は? だからどして?」
ジュンの質問には答えず、シャーリーは素早くジュンの襟元を直し、服を出来る限り見栄えをよくするために手直しを加えた。
その様子を見たフィーナは「あっ、先を越された!」というような表情をしている。きっと今までも何度かこういったことがあったのだろうと思い、今度見つけたら自分がやってやるんだ! とフィーナは内心で意気込んだ。
「はい、これでよし!」
「あ、ああ。サンキュ」
「まったくアンタはいっつも、着方最悪なんだか。私が直してあげなきゃ、ダメダメね」
そう言いながらも、ジュンの感謝の言葉に内心気をよくしたシャーリーは、ウキウキとした様子で女子の列へ戻って行く。
ジュンは彼女の浮かれる様子を見て、(なんだったんだ……)と思ったが、自分の服装の乱れが軽減している事に気付いた。そういえばと思い起こしてみれば、今までに何度もシャーリーに直されてきた気がしてくる。
しかしジュンといえばこういったことに無頓着なので、(そんなに俺の着方悪いのか……)と思うだけで、シャーリーの行動の本当の意味を理解している様子はなかったのだった。
そして気も取り直して、次のチェックに移ってみる。
「じゃあ次はレオンさんにいってみましょうか」
何だかいつもより落ち着いた様子のフィーナがそう提案した。
「そだね。え~と、レオンは下がジュンと同じくジーンズで、上が真っ白なTシャツにローゲージニットを羽織ってるって感じね!」
フィーナの提案に反応して、戻ってすぐのシャーリーは張り切った声をあげた。本当に気分がいいようだ。
「レオンさんはあの中では一番のおしゃれさんですね」
顎に手を当てたセレスがレオンのことを評し、それに対しシャーリーたちも頷く。
レオンの服装はきっちり整っていて、キレイ系で統一されている。白色のシャツは、まさしく読んで字の如く真っ白だし、その上に羽織っているニットも皺1つ見当たらない。またジーンズもしっかりと手入れされているようだ。
確かにあの男の衆の中では一番のキレイ好きであり、またしっかり者のレオンらしいといえば、らしかった。
「まったく、ジュンもあれぐらいキチンとできないのかしら……」
呆れた声をあげるシャーリーの様に、セレスがイタズラを思いついたかのような顔をした。最近、彼女はよくこういった顔をするようになった。
トテトテと地面を踏みしめるセレスは、シャーリーの方へ歩いてゆき――
「でも、ジュンさんがキチンとしていないから、直せるんですよ?」
と、シャーリーの耳元で囁いた。
その言葉にシャーリーは一瞬ポカンと口を開けていたが、すぐにその意味に気が付いて大慌てで言い返そうとする。
「そ、そんなんじゃないですって! 私はただ、アイツがだらしないから、仕方なく……」
しかし最初こそ勢いがあったものの、後半はどんどん音量が小さくなっていってしまっていた。
セレスはそんな彼女を見て、「ふふふ、青春ですね」とやはり悪魔的に微笑んだ。
今のセレスの様子をじっくりと見ていたフィーナは、セレスのことが最近悪魔に見えて仕方がないのだと、後で告白している。
「次は茶色にいってみましょう……」
ずいぶんと生気を失ったような張りのない声でシャーリーは言う。先ほどまでとは大違いである。
「ケンジはポロシャツにチノパンだけ……」
すばやく、しかも短く答えたのはリリアだ。彼女の見据える先には、自分と同じように、読書をしながら歩くケンジの姿が映っていた。
「だね。それにケンジはすっごい特徴のない着こなしだよね」
フィーナもリリアに相槌を打ち、こんなことを言った。
確かにケンジの格好は、それほど乱れてもいないし、かといって整っているかと言われれば違うと返さざるを得ないような格好をしている。
結局のところ、特徴があまりないのが特徴だ。
「でも、それがケンジっぽい……」
しかしリリアが短く言い切った。この『ぽい』には明らかな好意的な印象がある。
そんな彼女に、フィーナは「そうだね」と言ったが、内心では少し驚いていた。
(あのリリアが、あんなこと言い出すなんて)
昔のリリアはあまり人には関心が無いようで、自分から敢えて物申す事は滅多に無かったのだが……。今はどうだ。リリア自身からせっせと言葉を紡いでいるではないか。その事がとてもフィーナには驚きで、それでいて嬉しくもあった。
――なぜならば、それはリリアがケンジに対し、その心を開いてきている証拠だろうと思えたから。親友としてこれを喜ばずして、何を喜んだらいいのだろうか。
「んじゃ、最後に緑ね」
未だ完全には回復していないシャーリーが、すっごくぶっきら棒な言い方をした。せめて暴食と言ってやってほしい。緑では野菜と森しか思い浮かばない。
「そうですね……取り敢えずレックスさんは、あの大量の昼食の行方が気になります」
しかしそんなぞんざいな言い方でも、意味はしっかり伝わるようで。シャーリーの隣にいるセレスが相変わらず微笑んでおり、彼女は自分のお腹と、レックスのそれを見比べていた。
結果セレスには、とてもあの量の食料が、あのお腹の中に入りきるとは思えない。
「た、確かに……」
やっと回復してきたシャーリーも、セレスに続き頷いた。
シャーリーの目から見ても、あれだけの量を食べているはずなのに、レックスのお腹は膨らんでいないし、彼自身太った体型でもない。それならばいったい、あの果てしないほどの食料はどこに消えてしまったのだろうか……。
「言われてみれば不思議……」
科学者系であるリリアにも、まったく理解できないようだ。
皆で不思議がっていたそんな時――ポンと音が1つ鳴った。
シャーリーが音のした方を見やると、そこには案の定フィーナがいた。どうやら彼女の癖である――『ポンポン』が行われたようだ。相変わらず良い音で。
「分かっちゃったよ、私」
呆然とした様子でフィーナは呟いた。そしてもう一度両の手をポンと叩いた。とても良い音が響いている。さすが叩き慣れているだけのことはあった。
「……なにが分かっちゃったの?」
シャーリーがそう訊くと、得意げな顔つきのフィーナは大きな胸を張って言い放つ。その際にフィーナの大きな胸を見てしまい、ちょっぴりシャーリーは悲しくなった。
「きっとレックスは、出しちゃったんだよっ!」
「……は? 出した? 何を?」
『出しちゃった』なる台詞に対し、シャーリーは嫌な予感を覚えつつ、一応フィーナに尋ねた。ありえない、あり得ない、有り得ないと心の中で念仏のように何度も唱えながら、フィーナの答えを待つ。
「何って、その……あれだよ。だからトイレでするやつ……」
やはり声に出すのは恥ずかしいようで、フィーナはすごく言葉を濁しながら言う。
しかしシャーリーとしては、やっぱりか! という思いでならなかった。
いったい誰がこの純正培養のプリンセスに、そんなことを言ったのだろう……。フィーナ自身がこんなことを言うとは考えにくい。きっと誰かにこういったことに近しい事を吹き込まれたに違いない!
そうなると誰が吹き込んだのか、この類のことを。
考えてみると、思い当たる人物は1人しかいない。シャーリーは大股を持ってして、その人物に接近してゆく。
そしてその人物の頭部を、宣戦布告なしに殴った。もちろんグーで。
「アンタはなんてことフィーナに教えてんのよっ!」
「イタ! 痛いってシャーリー! いきなりなんなんだよっ!」
未だにポカポカ叩いてくるシャーリーパンチから頭を両手でしっかりガードしながら、ジュンは怒ったように尋ねる。どんなに理不尽でも反撃しないだけ偉い。
「アンタってヤツは、アンタってヤツはぁ!」
ジュンはとても大きな声で言ったが、聞く耳持たずのシャーリーには叩くのを止める気配が全くない。
するとレオンがそっと寄ってきて、冷静に言った。それから彼女の手を掴んで、落ち着かせる。
「シャーリー。落ち着け。何のことを言っているのだか、全く分からない」
「あ、ごめん。つい……」
レオンに諭され、なんとも言えない複雑な表情になるシャーリー。
やっとのことで冷静になってゆく。
「まったく、いってぇーな。いったいなんなんだよ、シャーリー?」
ジュンは目尻に涙を浮かべ、頭をさすられながら訊いた。さすっている動作主は、もちろんフィーナ様だ。
だからジュンは、彼女の手のヒンヤリとして柔っこい感触に、至福の安らぎを噛み締めていた。これぐらいの役得があってもバチは当たらない。
「だって、フィーナに――」
シャーリーの説明が終わると、最初に否定の言葉が飛んできた。
それはフィーナからの言葉で、内容はこんなものだ。
「たくさん食べると、その……大きいのが出るって言ったのは、ジュンじゃなくて、お城の衛兵さんだよ。前に、立ったまま色々な物を食べていたから、動かないと牛さんになっちゃうよって言ったら――『姫様、いいんですよ。これは。たくさん食べて、まったく動かなければ、それはこの後ろの穴から出ちゃいますから』。『ええ、そうですとも、だから姫様は心配なさらなくてもいいんですよ。それよりも、この事を女王様には言ってはいけませんよ。はい、この飴をあげますから。約束ですよ?』。『うん♪ わかった、ありがとう!』――といった遣り取りがあったんです」
これには皆さん方、開いた口が塞がらなかった。
中でも特にシャーリーは――プリンセスは恐ろしい! という教訓をしかと胸に刻み込んで、同時にこう思った。
(ごめん、ジュン。……でも、いっつも紛らわしいことばかりやってるアンタだって、充分悪いんだからね!)