第21話 『パラダイス・ロスト! ②』
ところで少し時間を遡ると、そんな男たちの行動を露知らない乙女たちは、ゆっくりとした時間を浴場の中で過ごしていた。
大浴場はそれ自体が大規模なドームのような場所であり、円形の直径40メートルほどもある。学園の女生徒の数は2000人ほどいるが、その全てを納めるだけの広さを持っているのだ。
また大浴場は、湯船から立ち上る微かな香水の良い匂いで満たされていて。その香りはアロマさながらに、花も恥らう乙女たちに、より快適なリラックス効果を与えていた。
こんな贅沢な浴場の中で、フィーナとシャーリーはすでに体を洗い終え、壁にもたれるようにして湯船につかっている。
皆が密集している風景から察するに、他の生徒たちもこの浴場の中では、フィーナがいても気にしないようだ。それもこの浴場がもたらす開放感のようなものの御蔭かもしれない。
「はぁ、気持ちいいぃ~」
シャーリーが色っぽい嬌声をあげる。
今の彼女はいつもと違い、長いピンクのポニーをゴムの紐でアップして結わえているが、とてもよく似合っていた。
「ホントだねぇ~」
フィーナの相槌を打つ声も、心底心地よさそうな印象を受ける。
そんな彼女は銀の髪を櫛で止め、その雪のように白い頬を朱に染めながら、湯の中につかっていた。
時折、フィーナは湯を手で掬っては放ち、掬っては放ちを繰り返して遊んでみた。
そしてそれによってできた波紋が、浴槽に広がってゆく様をぼんやりと眺める。
ただこれだけの事が楽しく、心を許せる友達と入るお風呂は本当に気持ちがよかった。
ふと誰かに背中を突かれたので、ビクッとして後ろを振り返る。そこにはバスタオルを体に巻きつけたリリアが佇んでいた。
「隣、いい?」
相変わらず短いリリアの言葉だが、慣れてしまえば気にならない。
それどころか、彼女がこうやって話しかけてくれることに、とても嬉しくなる。
「もちろんいいよ」
すぐに返答をする。
シャーリーも全然気にしてなさそうだから、構わないだろう。
「ありがと」
お礼を言ってリリアがフィーナの隣に腰を降ろした。彼女が入った衝撃で、湯の波が押し寄せてフィーナの肩にかかる。
「そういえば、リリア。ケンジとはどんな感じなの?」
シャーリーはリリアに顔を向けながら尋ねた。工房ではいつもケンジといるはずだ。彼がそう話していたから。
そうなればシャーリーとしては当然、気になってくるのは恋愛ごとである。
ケンジがリリアを気にしているのは、彼の態度からも明らかだったので、何かしらの進展はあったのだろうか。
「え? どんな感じって……何が?」
しかし訊かれたリリアとしては質問が突飛過ぎて、何のことだかさっぱり分からなかった。
機工魔導師としての、ケンジの腕前の上達振りのことを言っているのだろうか……。
「え、それは、その……進展よ。進展」
こっちもこっちで、言葉にするのが何だか妙に恥ずかしく、無理やり誤魔化すシャーリー。
だからその言葉に対し、またしてもリリアは首を傾げるだけだった。
「リリア。シャーリーはね。こう言ってるのよ。……あなたとケンジとの仲が恋みたいに進展したのかって」
リリアにはこういうことは、はっきりと言わなければ伝わらないと、去年からの付き合いで知っていたため、フィーナはそう付け加えてあげた。
するとリリアは少しモジモジし始め、小さな声で言う。
「何も、ないよ」
妙に縮こまってしまったリリアに、不謹慎ながら『からかいがい』を感じてしまったフィーナはさらに言い募る。
「本当に? 本当に何もなかったの?」
「う、うん。何も無かった……よ」
リリアの返事の調子がいつもと違っていた。
歯切れが悪く、その顔はトマトのように真っ赤だ。これはきっと湯につかっているせいだけではないだろう。
「……フィーナってさ。意外とSっ気があるよね……」
自分が振ったにもかかわらずフィーナに途中からバトンタッチしたシャーリーは、そんなフィーナの言動にこう言うしかなかった。
それから少し辺りを見渡すと、セレス先輩の姿が目に入ってきた。彼女はここへと繋がる階段を、ゆっくりと優雅な足取りで下ってきている。豊かな金髪と、豊かな胸を惜しげもなく晒している姿は、何だかとても神秘的だった。
階段を降り切り、セレス先輩はこちらへ向かってきた。
「こんばんは、皆さん」
どこか上品な印象を受ける声で、セレスは前にいる3人に挨拶をした。
「こんばんは。セレス先輩」
「あ、セレス先輩。こんばんは」
「こんばんは」
上からシャーリー、フィーナ、リリアである。
本当に返事は……以下略。
「皆さんは、まだしばらく湯につかっていますか?」
何かを思いついたかのようにセレスが言った。
話すときは大抵相手の顔を見ながら話すセレスだったが、今の彼女は視線を壁に固定しており、その唇には確かな笑みが刻まれている。
「はい、もう少しいるつもりですが……それがどうかしたんですか?」
気になって、セレスの見ている方向をシャーリーも見てみたが、そこは何の変哲も無いただの壁があるだけだ。
「いえ、それならば、面白いものが見れるかもしれませんよ」
微笑を浮かべたセレスが何やら意味深なことを言い残し、そのまま鏡のある場所へ向かった。おそらく、体や髪の毛を洗ってから湯につかるつもりなのだろう。
セレスの言葉を聴いたシャーリーたち3人は、その言葉がとても気にかかったので、もうしばらく浴場にいる決心をした。
フィーナは少し上がらないと、このままではのぼせてしまうと感じたため、立ち上がってバスタオルを体に巻き、浴槽の壁の上に腰を下ろした。
下ろした拍子に、彼女の大きめの胸がたゆんと揺れる。
その際に、シャーリーはフィーナの胸と自分のそれを見比べて、思わずため息を洩らしてしまったが、フィーナに気が付いた様子は無い。
気付かないフィーナがぼーっとした頭で考えるのは、やはりジュンのことである。
ずっと昔に会ったことがあり、夢にもよく見ていた少年の姿に似ている彼。
この世界に突然やってきて、自分と仲良くしてくれた彼。
一緒にいると胸の奥が甘く痛んでしまう、どうしようもない彼。
彼に対し抱く気持ちが、初めて出合った時に助けられた恩から来ているのか、それとも自分と友達になってくれたからなのかは、まだぼんやりと霞が掛かっているようによく分からない。
それでもフィーナはジュンといる時間がとても素敵に思え、どうにもとても幸せだと感じていることだけははっきりと分かっていた。
しかし最近、ジュンの様子が変なのである。
いや、別段変になってしまったというわけではないのだけれど。
ただ……。ちょっと前までは朝学園に通う時も、手を握ってゴンドラに乗せてくれていたのに、最近はほとんど触れるぐらいの接触しかしてくれない。勇気を出して、『どうして?』と尋ねたのだけれど、ジュンは「もう、慣れてきたんじゃないか」とぶっきら棒に言うだけだった。
さらにジュンはクラスの女子や、他のクラスの女子のところへまでよく話をしに行っているようなのだ。これにはシャーリーもムカムカしていた。
話をするのなら、自分にすればいいのに、とフィーナは思うわけだ。
しかも今は髪を洗っているセレス先輩のところにも、しょっちゅう通っているようなのである。
(もしかして、私のこと嫌いになっちゃったのかな)
少し前にシャーリーと、ジュンの額に落書きをしたことがあった。
思えば、それから態度がおかしくなったような気もしてくる。
(あの落書きで、嫌いになっちゃった……のかな)
――そんなことはない!
(お弁当はいつも美味しいって言ってくれるし、夕食もほとんど一緒に食べてるもん!)
だから仲良しなのだと、フィーナはそう思いたいのだが、願望とは別に、思考はどんどんマイナスの方向へ行ってしまう。
「フィーナ、お風呂に入りなよ。体が震えてるよ?」
まだまだのぼせる気配すらないシャーリーは、浴槽の上で体をブルブルと震わせているフィーナに気が付いた。
湯冷めでもしてしまったのだろうと思ったのでそう声を掛けたのだが、フィーナには聞こえていないようだ。
「ねぇ、フィーナ? 聞いてる?」
心配で仕方がないので、フィーナの体をツンツンと突っついてやった。
すると彼女はビクッと体を強張らせて、ものすごい勢いでこちらに振り向いてきた。薄く桜のような唇も、今では色素が抜け落ち、なんだかヤバそうである。
「な、なに、シャーリー?」
「どうかしたの? 震えてるよ、湯冷めしちゃったんじゃない?」
シャーリーの心配そうな声を聞き、フィーナはそこで初めて自分の体が震えていたことに気が付いた。
どうにも寒いので、急いで湯につかった。
飛び込むようにして浴槽に入ったプリンセスの姿を見た多くの女生徒たちが、目を真ん丸くしている。
「本当にどうしたの? フィーナ?」
すぐ隣にいたリリアは湯を被る形になったが、それ以上に今はフィーナのことが気がかりだった。
フィーナにとってリリアが親友であると同時に、リリアにとってもフィーナはとても大切な親友なのだから。
しかしフィーナはそれに「大丈夫」とだけ返し、風呂の中に顔を埋め、『ぶくぶく』をやりだしてしまう。
そんな中――。
「心配ないですよ、フィーナ様」
良く通る声が浴槽に響いた。
3人は、一斉に声のした方向へ顔を動かした。そこにはバスタオルで体を隠したセレスの姿があった。
セレスは「ここ、いいですか?」と訊いた後、3人が頷くのを確認してから、彼女らのすぐ横に体を沈ませていった。
「どういうことですかセレス先輩?」
ぶくぶくをやめたフィーナが、セレスに質問をする。
するとセレスは本当に淡い微笑を浮かべて、こう言った――
「もうすぐ分かりますよ」
と。