第19話 『反逆への軌跡』
キーファンスとの試合から2週間ほどが経過していた。
つまりジュンたちがこのユーレスマリアにやってきてから、3週間ほどが経っていたそんなある日。
ホログラフォンの電池が切れてしまい――この携帯は、大気中のアルゴンを吸収する事で電気量を確保していたが、異世界では大気中にアルゴンは存在していなかったのだ。
あの時のケンジの発狂具合は、大変なものだった。
その顛末が、これだ。
ジュンが熟睡していたら、いきなり部屋のドアが乱暴に叩く音が聞こえてきた。
こんな夜更けに来るか普通……。そんな礼儀知らずはどこのどいつだと思い、シカトを決め込んだ。休みの明日は図書館司書のバイトで朝から忙しいので、かまってなどいられなかった。
しかしドンドンと何度も何度も打ってくる。あまりにうるさいので仕方なく起き上がり、渋々ドアへ近付き「誰だ?」と尋ねたところ、「ケンジだ!」と大きな声で叫んできた。
声の質で、彼がトランスフォームしているのはすぐに分かった。
余計に開けたくなくなったが、このままでは近所迷惑だろうと思い、ドアを開いた。
開けた瞬間を見計らったかのように、ケンジが勢いよく飛び込んできて。
「どうした?」
ジュンは寝惚ける頭を振り、そうケンジに尋ねながら、時計を見た。
時計の針は3時半を示している。
ケンジならどうせ会うのだし、明日でもいいだろう。それなのにこんな夜更けになんだ、と思いながらベッドソファに座った。
「それが、それがぁ!」
慌てており中々本題に入ろうとしない暴走ケンジに、「落ち着けよ」と一言述べ、欠伸を1つした。
頭を振ろうが関係ないほど、とても眠い。冗談無く眠い。目がしょぼしょぼしている。
明日が休みなだけが、少しの救いだ。ああでもバイトがあったっけ……。
――あぁ、眠い……。
「これが落ち着けるわけがないだろ!」
とても眠かったものの、このケンジの至近距離からの叫び声で完全に目が覚めてしまい。
「びっくしたぁー」
いきなり耳元で大声をあげられたため、ビクッと体が反応してしまうジュン。
その際に体の半分がソファから転がり落ち、それを立て直しながら尋ねる。
「……んで、どうしたんだ?」
「これだよ、コレ!」
興奮したケンジが何かを見せてきたので、ジュンはそれを覗き込んだ。
彼の汗ばんだ手には、ホログラフォンがしっかりと握られており。しかし画面には触っていないところは、何ともケンジらしい。
「ホログラフォンがどした?」
とまあ、ケンジが手に持っているものは間違いなくホログラフォンであるのだが、いつもと何かが違う。
(……なるほど。ケンジのホログラフォンは常時稼働中のはず。しかしその証明となる光が、今は点っていないのか。つまり……)
ジュンはケンジがホログラフォンを持ち始めてから今までにおいて、彼がホログラフォンの電源を落としたところを見たことがなかった。
「ふむふむ。こりゃあ、電池切れだな」
ジュンが前にホログラフォンの機能でユーレスマリアの大気状態を調べた結果、この世界にはホログラフォンの電気供給に必須であるアルゴンが欠如していることが分かり。
そのため、いずれ電池が切れるだろうな、と思っていたのだ。
冷静に分析していたジュンと違い、ケンジは非常に切羽詰った表情をしていた。
「何が『電池切れだな』だよ! どうしてそんなに冷静でいられるんだ君は! このホログラフォンが電池切れなんだぞ! この人類の英知を集めに集めた結晶が、機能していないんだぞ! これが落ち着いていられるものか!」
いきなりケンジが喚きだしたので、急いで止めに入るジュン。
この男子寮は石造りのため、ただでさえ声がよく響くのだ。加えて今は夜更け。辺りが静かなので、異常なほど大きな音にケンジの声が聞こえてしまう。
案の定、コンコンとノックがあった。
こんなに早いということはおそらく隣室のレオンだろうと思ったので、ジュンは「開いてる」とだけ言って、そのままケンジの口を手でしっかりと塞ぐ。
「うるさいぞ。いったいどうしたんだ?」
レオンは最初こそムスッとしながらも、ケンジの手に握られた携帯を一瞥してすぐに状況を理解したようで。
「ホログラフォンのことか?」と訊いてきた。
その問いに、ジュンは無言で頷き返す。
「はぁ。そろそろ電池切れになる頃だから、か」
ため息を洩らしながら、レオンが言った。
彼もすでにアルゴンのことは了解していたようだ。
「まったく、その通り。どうする?」
「そうだな。このままじゃ他の生徒に迷惑だろうから、気絶させるか」
相変わらず極端で手っ取り早い事が好きなヤツだなと感じながら、ジュンは首を振った。
「……それだと、また気を取り戻したら、暴れだすだろ」
「なら、お前が落ち着くまでそうしていろ」
そう言い残し、部屋を去ろうとする薄情者の肩をジュンはガシッと掴んだ。
自分だけ残して帰ろうなどと……ふざけるな!
「てめぇだけ逃がすわけねぇだろ」
しかしレオンの肩を両手で掴んだため、その際にケンジの口を塞ぐものは何もなくなり――。
「ジュン、レオン! 僕のホログラフォンが電池切れになっちゃったんだ! ヤバイんだ! このままだと僕らは潰される! 科学の神であるアルキメデスに! エンピヌスに! 第3の眼保持者にして、絶対神のシヴァに! あぁ! うぅ! 腕がぁ、腕が疼くんだぁ!」
何やら意味不明な内容の言葉を、機関銃のように連射し始めるケンジ。
当然のことながら、どでかい声で。
また慌てて手でその機関坊の口を塞ぐジュン。彼の顔には「駄目だコイツ。早く何とかしないと」と書いてあった。
そして「マジでどうする?」との意を目でレオンに尋ねるが、彼もどうすればこのバカが治まるかを考えあぐねている様子だ。
「と、取り敢えず俺のホログラフォンはまだ電池あるから、それ渡してみるか」
赤子などが泣いている場合、なにかカランコロンなどのオモチャを渡してやると、ピタッと泣き止む。 ……という話を聞いたことがある。
それをケンジにもやろうと言う事だった。
「そだな。レオン、スタンドの上に置いてあるから取ってきてくれ」
ジュンが指示を飛ばし、了解したレオンがそのままホログラフォンをケンジの暴れる手に握らせてやる。
「フォン――起動」
すぐさまジュンがホログラフォン起動の音声を入力した。
『認識しました。こんばんは、マスター。そろそろ就寝になられた方がよろしいですよ』
女性の声でアナウンスが流れ、ホログラフォンが起動する。
起動に伴って、パッと光が点き。
そしてその光源に反応するかのように、ケンジの暴走もパッタリと治まった。
「ホログラフォン。僕だよ、ケンジだよ」
涙を流しながら機械に語りかけるケンジの姿は、はっきりいって異常者以外の何者でもなかったが、大人しくなったのでひとまずよしとする。
取り敢えず、これなら話を聞いてくれそうだ。
「ケンジ。いいか?」
「うん、いいよ。何、どうしたの?」
「実は――」
――こ、コイツ……何とも都合のいい記憶障害に陥ってやがる!
しかしぼやいていても始まらないので、まずはホログラフォンが電池切れになった事実と、その理由を説明し、次にこの携帯をケンジが使ってもいいからとジュンは言った。
携帯としての機能であるメールやら電話の通話記録再生など以外を使用可能に設定を変更し、仮マスターとしてケンジを登録する。
「いいか、ケンジ。俺のホログラフォンもいずれは電池切れになるが、その時は暴れたりするんじゃないぞ」
念を押すようにジュンは言った。
またこんなような事になっては堪らない。
「うん!」
どこまでも晴れやかな笑みでケンジが言ったが、いま1つ信用ならないなと思ってしまうジュン。
そしてやはり思うところは同じようで、レオンもジュンと同様苦渋の色に顔をしかめしていた。
結局、ジュンたちが就寝したのは、5時過ぎであった。
しかしそんなことなどお構いなしに、次の日もバイトであるわけで。
バイトがあるのだが、圧倒的寝不足により仕事になりそうになく。そこで同じ図書館司書の男子生徒に「休む」とだけ言うため、朝一番でレオンと共に彼に会いに行った。連絡手段の限られていることが、どれだけ不便なことか。それを知った瞬間であった。
かれこれこんな風に疲れきっていたジュンたちとは正反対に、ケンジは元気溌剌で工房へ向かったとさ。
しかし顛末は、これだけで終わらない。
いや、これから本題というところだろうか。
午後になると、ジュンたちの休みの知らせをどこからか仕入れたらしいフィーナとシャーリーが、ジュンの部屋までやってきた。
が、ベッド上のジュンも、ソファベッドに寝ていたレオンも、熟睡のためまったく気付かなかったのだ。
これこそが大事件への幕開けだということは、この時の誰もが知りもしなかった……。
ようやく彼女らが来たことに気が付いたのは、当然ながらジュンとレオンが起きた時で。
食事が丸テーブルの上に置かれており、その付近に置き手紙を見つけたからだった。
手紙には『夕食にでもどうぞ』とフィーナの字で書かれており、『鏡を見ろ!』とシャーリーの字で書いてあった。
生憎と鏡は部屋にはなかったので、2人で部屋から出て鏡のある広間へ向かい――。
(……ん? 何やら視線を感じるが)
通り過ぎる人々がことごとく自分たちの顔を見て笑っている事から、一抹の不安を覚えたジュンとレオン。
もしや! と思った彼らは早足に鏡のところまで行き、そのまま鏡を覗き込んだ。
すると、ジュンの額には『ダマ男!(黙っていればカッコいい男の略)』と書かれていて、レオンの額には『微ヘタレ!』と書かれていた。
開いた口が塞がらないジュンとレオンのところに、ちょうどタイミングよくレックスがやってきて。
「おーい、ジュンとレオン。今度の水曜日に、何か食いに――ぶっ!」
声に気付いて後ろを振り向いたジュンとレオンの顔を、はっきりと見たレックスは言葉の途中で噴出した。
無論、彼の指はジュンとレオンの額を指している。
「アッハハハハハ! ヤバイって、それ! アハハッ、腹が、腹がいてぇ! じぬぅ!」
そんなレックスへ共にエルボーをキメ、ジュンとレオンの2人は床に蹲る彼を遠慮なく引きずりながら、仲良くジュンの部屋に戻っていった。
この際、変に隠すと余計に恥ずかしいので、堂々とした態度で廊下を歩く――はずがなく。
誰にも見られないように、必死で額を隠しながら歩き。
そしてレックスには、これ以上誰にも言わないようにと部屋で脅し。
急ぎスイデリア(水の出るラルクリア)で水を出して、顔を綺麗に洗った。
幸い油性ではないようで、洗うと簡単に字は落ちたが、ジュンとレオンが受けた心の傷は消えるわけもなく。
ジュンは「括弧まで書くなよ! あんにゃろうども、許すまじ!」と叫ぶと同時にあることを心に決め、レオンは「微ヘタレ、微ヘタレ……以下略」とエンドレスに呟いたのだった。
やがて静まり返った自らの部屋で、ジュンは厳かに、そして盛大に宣言する。
「これはもはや、反逆を起こすしかない!」
と。
こうして反逆の火種が、誰も知らないところで上がった瞬間だった。