昔話① 『発端』
ピースランドにおいて最高の学校である、統立学校アカデメイア。快楽の名を冠するこのアカデメイアの校門には、『The person who doesn’t eager to learn the world should not enter this gate.』――世界を知ろうとしない者、この門を入るべからず――との額が掲げられている。
そんな内容の事を掲げているくせに、アカデメイアは毎年ピースランドで行われる統一模試において成績が優秀だった子供を、政府が強制的に入学させることで成立していた。さらにこの学校は全寮制であるため、子供はわずか7歳において寮の1人部屋に押し込まれた。そこで子供達は自主性を養い、勉学に打ち込むことを余儀なくされる。
そして15歳になると、学校での進学テストが行われ、ここでもまた成績が優秀だった者だけが、上は24歳、下は15歳までで構成されるアカデメイア上級学校に進学させられる。
俺たちは皆、このアカデメイアに通っていた。
入学してすぐ僕は6歳の時に出会ったあの少女の事を探した。しかし容姿すらほとんど覚えていないだけに、全く見当たらず、1ヶ月が過ぎた頃には諦めていた。
そしてやはり当時の俺は積極的に友達を作ろうともしなかったし、関わろうともしていなかった。しかし、困っている人がいたら、すぐさま駆け付けようと心に刻んでいたのは確かだ。歩み寄りの大切さは、あの時に知っていたから。
3年が過ぎた頃には、ほとんどの子供達の位置が確定していた。
アカデメイアでは常に、成績は白昼の下に晒される。そのため、子供達は自分よりも上のヤツと、劣っているヤツ。この区分を明確にしていた。
これは上級学校でも同じであったが、違いといえば、10位以内の生徒に褒賞が与えられることぐらいだろう。
そんな学校で当時10歳だった僕の居場所は、決まってあそこだった。校門の裏手にある庭園だ。
季節ごとに色とりどりの花々が咲き誇り、花壇に彩を与える庭園。そこには小さな人工の池がある。
そして池の畔には1本のとても大きな木が立っており、僕はその木に背を預けながら、空想をするのが好きだった。考える内容は意味もなく、且つ他愛もない事だ。
しかしそれでも時間の流れを感じながら、小鳥の囀り聞きながら、花々の良い匂いを嗅ぎながら、僕はゆっくりと自由な時間を過ごした。
1日中、勉強、勉強な日々に飽き飽きしていた僕にとって、この時間だけが唯一の慰めだったんだ。
そしてここを僕が気に入っていたのには、もう1つ理由があった。この庭園にはほとんど人がいなかったのだ。というか3年経っても、未だに僕は1人しか見たことがない。
来るのは、決まって1人の少女。
長いピンク色の髪を風になびかせながらやって来ては、花々の手入れをやっていた。
僕は彼女の容姿に見覚えがあり、名前やその成績すら知っていたが、敢えて声を掛けなかったし、その少女もこちらに声を掛けてくる事はなかった。
ゆったりと僕は、彼女が花に水をあげている様子を眺める。
――どうしてあんなにも楽しげに花の世話をしているのだろうか。もしかしたら、彼女は鈍そうだから、あまり深く物事を考えないのかもしれない。そんな事を考えた。
――正直彼女の成績は良いとは言い難いものだったため、幼い俺自身、心のどこかで彼女のことを蔑んでいたのかもしれない。今にして思うと、吐き気がする思いだ。
僕は、少女が去るのを見届けてから、また空想の中に戻った。僕の成績は常に上位。勉強に勤しむ必要性はまるでない。
しばし瞳を閉じていると、いつの間にか眠ってしまった。
僕は慌てて寮へ帰るが、すでに寮の門は閉まっていた。事務員に訳を話して入れてもらうことも出来たが、そんなことをすれば自由な時間を削られ、反省文やら、よりいっそう多い課題などを出されることが目に見えていた。
だから僕は仕方なく、あの畔に戻り、星を見上げながら眠りについた。ちょうどその季節はピースランドの統制上、夏であったので、外に寝ても十分に暖かだったし、虫除けスプレーは花壇の倉庫に置いてあったので、それで事足りた。
次の日の朝、喧騒のせいで、目が覚めた。ポケットに入っている携帯で時刻を確認すると、まだ6時半だった。
学校が始まるのは、8時半のため僕はいつも7時半頃に起きていた。いつもより起きるのに時間が早いし、強制的に起こされたため、すこぶる機嫌が悪かった。意識的に目を細め、辺りを眺める。
すぐにこの喧騒の原因を突き止めた。
僕の視線の先には、いつもここに来ている少女がいた。彼女は朝もここに来ていたようだ。
しかし今日はいつもと違い、少女は1人ではなかった。5人の少年と少女が彼女のことを取り囲んでいる。
僕は記憶を模索する。すぐに少年少女たちの名前を記憶の海で発見した。5人とも、彼女の成績より上位の者たちばかりだ。
まったく……。ため息の出る思いだった。こんなことのために、僕の睡眠が妨げられたのだ。
こんなものとは即ち、イジメである。
アカデメイアは子供達に明確なランク付けを行っているため、子供達は自然と相互の間に自分との優劣を付ける癖があった。
そうなると必然、これを基にしたイジメが起こってくる。自分よりも下の者だから、イジメても構わないだとか、自分よりも上だからムカつくだとか――この場合は滅多にないが――理由は様々だ。
また子供達は皆、娯楽に飢えていた。この勉強漬けの毎日に退屈している者が多かった。上級学校に上がれば、それなりに自由を持てるが、この初級学校ではほとんど自由は存在しないからだ。
そしてこれが一番大きな理由かもしれないが、この学校自体が成績の上位者にしか興味がなかったのだ。そのため上位の子供が下位の子供をイジメたとしても、学校側は不干渉を貫いていた。
つまり退屈しのぎのために、イジメを行うものが現れるのは必然だろう。年齢的にも有り得る。
巷では日常茶飯事だと謂われているイジメだったが、実際にこの目で見るのは初めてだった。
「きゃっ」
僕がそんなことを考えているうちに、彼女が少年に突き飛ばされていた。彼女は木にぶつかって、そのまま少年に押さえつけられている。
「うっ……」
少女が苦しげな声をあげた。それを見て、少年少女は笑っている。彼らはこの自由がなく、そのくせ自主性と成果ばかりを求める学校生活において、心を歪まされていた。
――腐っている。僕はそう思いながら、物影から出て行った。
「おい!」
僕が声をあげると、連中は一斉にこちらを振り返った。そしてジロジロと値踏みするような視線で僕を嘗め回した。
貴様らなど、僕の成績の足元にも及ばないんだよ。
「ジロジロ見るな。僕はジューンバルト・ソリドールだ。お前の名前はジロウ・サトウに、ジャック・リーパー、ウィレット・オッズ。それからシンシア・クレオに、メイ・ヤンだな」
僕が彼らの名前を言い当ててやると、彼らはビクッと体を強張らせ、一斉に一歩下がった。
おそらく僕の名前に聞き覚えがあったのだろう。上位の者に下位の者が危害を加えれば、学校側が介入してくる。それを恐れているようだ。
だから僕はヤツらに言ってやった。
「失せろ。さっさとその子を離して、僕の前から消えろ!」
怒りの感情に身を任せたまま、キツい言葉を紡ぐ。
しばし剣幕に圧倒されたのか動けずにいた彼らは、僕が最後にキッと睨みつけてやると、そそくさと散っていった。
後には、すすり泣く少女と僕だけが取り残される。
僕は無言で彼女に近付いていって、そっと頭を撫でた。すると少女は顔を上げて、じっと見つめてきた。紫色の瞳はどこか神秘的で、どこか吸い込まれそうな印象を受ける。
そういえば、こんなに誰かの顔を間近で見たのは、あの時以来かもしれない。
どのくらいの時間かは分からなかったが、そんなに長くはないと思う時間、僕と彼女はじっと見つめあった。僕は人からの視線など、慣れていたからどうってことはなかった。しかし彼女からの視線は、なんとなくいつも感じている視線の類とは違うように感じた。
突然少女はビクッと体を強張らせ、僕から離れた。その頬が赤くなっていたが、先ほど殴られでもしたのだろうと思い、保健室に行くように少女へ声を掛けようとする。
「怪我をしたなら、保健室へ――」
「あ! あ、あ、あ……」
少女が大声を出したので、最後まで言い終える事はできなかった。
それに何と言っているのだか、全く分からない。
「落ち着けって。僕は君の敵じゃない。僕の名前はジューンバルト。君は?」
本当は名前など知っていたが、落ち着かせるために優しく名前を尋ねた。
「…………しゃ、シャーリー……です」
なんとも歯切れの悪い返事しか返っては来なかったが、僕はそれほど気にしなかった。
僕はモジモジしている彼女の手を取り、半分引っ張るようにして保健室へ向かった。
それからというもの、シャーリーは僕に話しかけてくるようになったんだ。もちろんあの庭園にいる時のみであるが。
その会話の中で、最初のうち僕は何を話せばいいのだか分からなかった。だからほとんどが彼女の話を聞くだけとなった。
――しかしその時間は独りで空想の世界へ旅立っている時よりも、ずっと楽しかったことを俺は覚えている。
僕とシャーリーが少しの触れ合いを開始してから、数週間が過ぎた頃、ある事件が起こった。
その日、僕が庭園に行くと、シャーリーが呆然とした様子で立ち尽くすのが目に入った。何をしているのかと思いながら、覗き込んで見る。
そこには荒れ果てた花壇があった。つい昨日までは美しい色彩をこの庭園に与えていた花々は、見るも無残に踏みにじられていた。
「シャーリー……」
声を掛けると途端に、シャーリーが泣き出してしまった。
その姿を見て、僕は思ったんだ。
――許さないと。
すでに犯人の目星は付いていた。こんなことをするのは、前にやって来た彼らに決まっている。
次の日、僕はさっそく彼らの教室へ向かった。いや乗り込んで行った。
「おい! お前ら、やったな?」
入ってまず言った言葉が、これだ。僕は最初から喧嘩腰だったし、まともに話すつもりもなかったし、話す必要も感じなかったから。
「は? 何のこと?」
彼らの中の1人が抜け抜けとしらばっくれてきた。だがコレは予想の範疇だ。シラをきることは最初から分かっていた。
最初の言葉で一応カマをかけておいたが、さすがにこんな初歩的なものに引っかかりはしなかったか。まぁいいが。
「花壇だよ。花壇。お前らが荒らしたんだろ?」
「花壇? そんなものあったっけ?」
「知らない」などと言う声が教室の中から湧き上がった。
それは当然だろう。ここの連中は皆、あの庭園に足を運ぶようなことは時間の浪費だと考えているような奴らだからな。
これも彼らがやったと僕が思う要因の1つだ。
「やっていない」
少しだけ視線を右上方向へ逸らしながら、すぐさまリーダー格の少年が言ってきた。僕は彼のことをじっと睨み付けていたので、それがよく分かった。
人間は嘘を付く時、無意識に右を見る傾向がある。これは必然ではないが、いくつかの条件が重なったとき、非常にその信憑性を増す。
条件1:答えが早い。
条件2:答えが短い。
条件3:目を合わせない。
これらの条件において、さらに3に被るが、右を見た場合、その人物は高い確率で嘘を言っている。逆に左を見れば、記憶を探っているということになる。
だから僕は一息つく。
「ではお前らは、昨日の放課後は何をしていたんだ?」
それからゆっくりと尋ねる。
「図書室で勉強をしていたが、それが何か?」
今度は、メガネを掛けた小賢しいガキ(ジロウ)が言ってきた。
「時間は何時から、何時まで?」
「放課後の初めから、終わりまでだ」
「では、何の勉強をしていたんだ?」
「それを君に言う必要性はないね」
クイッとブリッジを持ち上げながら、生意気に言い返してくる。
僕は笑いを零しながら、言葉を続けた。
「ふふっ、確かに……」
「何が可笑しい!」
他のバカそうなヤツ(ジャック)が声を荒げた。つくづく愚かしいと思うばかりだ。
たかが笑ったぐらいで、そんなに取り乱すなんて。
「別に……ただ笑ってみただけだよ。それで、お前らは全員がその図書室でお勉強とやらをしていたのか?」
「そうだ!」
「おい」
ジャックが勢いよく肯定したが、それをジロウは何やら止めようとしていた。そのまま後ろへ引っ張ってゆく。
まったくこれでは余計に怪しまれるだけだと分かっているのだろうか。
まぁ、僕にはそんなこと全く関係ないが。
「ふむ。なるほどね。お前らは全員が仲良く放課後の図書室で勉学に勤しんでいたと。○と」
「もう話は終わりでいいな」
偉そうな口調でジロウが言ってきた。でも、偉そうとは、僕自身にも言えることかもしれないな。
「いや、よくないな」
ニッと唇を歪め、嗤った。
「何故なら、お前らは嘘を付いているからだ」
「はっ! 何が嘘だって言うんだ!」
「ん。それは花壇を荒らしたのがお前らではないということが、嘘。やったんだろ? お前ら」
「シツコイぞ、ジューンバルト! ちょっと成績がいいからって調子に乗りやがって!」
ジャックは声を荒げる事で、威嚇でもしているつもりなのだろうか。
「ふっ、なら僕が証拠を提示してあげよう」
内心でほくそ笑みながらそう言って、僕はポケットの中から携帯電話を取り出した。
携帯で遠隔操作をする。操作するのは、図書館のメインPCだ。潜り込んで、パスワードを入力してゆく。パスの内容は、かなり前から有事のためにと調べてあったので、問題ない。情報は力だ。
一気に管制フロアまで入り込み、そのまま図書館の防犯カメラ――いや、ここの場合監視カメラの方が正しいか――の映像を携帯の画面でモニタリングした。
そして目ぼしいモノを見つけ、それを携帯に落とし、立体的表示をする。
「うっ……これは……」
うめき声を上げたのはジャックだ。本当に愚かなヤツだ。
「そう、これは皆さんもご存知の通り、図書室です」
敢えて敬語で言ってやる。人はこれをムカつくと思うことだろう。
「そしてこれは昨日の図書室の映像なのですが、ここに君たちは映っているね、確かに」
指をさすと、そこには確かにジロウの姿が映っていた。しかし他の4人は存在しない。
「ふむ、ジロウ君だけか……」
考え込むような仕草をして、僕は俯く。
すると慌てたようにジロウが取り繕ってきた。
「こいつらはその時間、ちょうど抜けてたんだ。それにカメラの死角だったかもしれない」
「なぜ抜けていたのかは、興味深いことであるが、どうでもいいか。それよりも、ジロウ、お前は間違っている。カメラの死角は存在しない。僕はすでに確認してある」
僕は学校から抜け出すことがいつでも可能なように、監視カメラの位置、範囲を全てチェックしてあった。結果、死角はなかったわけだが。
それを忌々しいと思っていたが、今日ばかりは感謝しやらなくもない。
「くっ……あっ、図書館にみんなで行ったのは昨日じゃなくて、一昨日だったかもしれない」
すっごく怪しい言い草だ。もうグダグダである。
「ああ、そうだったそうだった。確かにあれは一昨日だった」
ジャックも付け加えている。
バカかコイツら……。本当にこの学校の入るレベルに達していたのだろうか?
「では君たちは何をしていた?」
「そ、それは……」
ほら、また視線が泳いだ。
ジャックは口ごもっているが、関係ない。僕は言葉を続けた。
「次に、ジロウがいた図書館の時間は放課後の初めからではない。およそ16分の空白が存在している。これはどうみる?」
「そ、それは掃除! 掃除をしていて遅くなったんだ」
「どこで?」
「と、トイレで」
「そうか。ではどこのトイレか教えてくれるか? 確認を取って来る」
「う……くぁ」
終わったな。呆気ないものだ。
僕が一息つくと、静かな空間に音が響いた。
パチパチパチ――誰かが拍手をする音だ。
「いやぁ、お見事お見事。ジューンバルト」
「?」
後ろから声が聞こえたので、振り返った。そこには、子供にしては十分に大柄な男が立っていた。165センチはあるんじゃないか? というか、コイツは本当に僕と同じ10歳か? という顔つき。
コイツにはすぐに該当する人物名があった。コイツは有名だ。何せこの学校で、僕より成績が優秀な2人のうちの1人だからな。
名前はライアン・ブリリアント。親も政府の高官をしていて、はっきり言ってあまり素行のいい者ではない。親の威光を借る息子といったところだ。
まぁ、実際に成績は優秀。表面上も優等生を演じている。しかしヤツには何かと黒い噂が絶えないのも、また事実。
とどの詰まりはやはり、とても同い年だと思えない。
「何か用かな? ライアン・ブリリアント」
「ほお、俺の名前を知っているとは、けっこうなことだ」
偉そうに……。
「アンタは有名だからな」
「だろうな。俺は貴様よりランクが上だからな」
あっそと言ってやりたいが、グッと堪える。ここでヤツに喧嘩を売る必要性は皆無。
「そうだな。だから、何か用ですか? ライアンさん」
僕が言葉を変えたことに、優越感を覚えたのか、ライアンはひどくイラつく表情を作った。
「ここは俺のクラスなんだよ。お前のクラスじゃない」
何が俺のクラスだ! と言ってやりたい。
正直嫌いなタイプだ。
「ですね。それが?」
「ハハッ、お前調子に乗ってるだろ? 俺の事、ムカつくとか内心で思っているだろう?」
気色の悪い笑いをするのは止めてもらいたい。
「いいえ、思ってないですよ」
ニッコリと笑ってやる。あまり人前で笑った事がないから、上手に笑えたかは知らない。
しかし前にいるライアンが青筋を立てて、顔を赤黒くしているので、どうやら僕はひどく失敗したようだ。
辺りの空気が僕を捕らえ、周りを囲む生徒が現れた。僕は昔から人の気配やら、空間の構造やらを正確に捉えることができた。それは人の視線を常に観察し、空想の世界に浸ることで、その中に含まれる曖昧さを補う事ができたからかもしれない。
なるほど、僕はどうやらヤラれるようだ。
「ふっ、もういい。やっちまえ」
その言葉と共に、取り囲んでいた数人の生徒が僕に押し寄せてきた。時間的に昼休みはまだまだ終わりそうにない。つまり教師は来ない。それに来たとしても、僕より成績が上であるライアンの指示だと分かれば、途端に興味をなくすだろう。
当てにできるのは、結局のところ自分だけだ。
まず一瞬で敵の位置取りを頭の中に叩き込み、囲まれた時は手薄な方向を抜けることがよいと判断する。
……なら、狙いはヤツだ!
この昔話は③で完結する予定ですが、若干のズレが生じるかもしれません。あしからず。
イジメはオーソドックスですが、これ以外思いつきませんでした><
己の想像力のなさが腹立たしい!
ではでは~