第8話 『貴族のタブー』
この国――アトラティカ王国において魔装士や魔法使、それに機工魔導師の為の学園はたった1つだけだ。他は通常の学園だった。
そしてそのたった1つが、王立魔法魔装学園エルデリア――通称エルデである。
エルデは総生徒数5,000を超える大規模な学園で、闘技場やら、工房やら、たくさんの施設を完備している。
その施設の中に学生寮もあった。
元々多くの生徒が王都以外の場所から来るため、この学園は全寮制を採用しており、今日からジュンたちが寝床として使わせてもらう場所でもある。
そして学生寮には、男子寮と女子寮でそれぞれ別の名前が存在する。
男子寮が『サンタ・カドーロ』、略して『カドーロ』。女子寮が『サンタ・ソフィア』、略して『ソフィア』だ。
今ジュンたちは、そこへ向かっていた。
学園を出るところでゴンドリアを使いゴンドラを呼び出し、それに乗って王都の中へ戻る。
それから水路をそのまま北の方向へ進んでゆくと、目的地に到着するのだ。
もちろん魔方陣を使って学園から出た場合も、徒歩による街道がしっかりと整備されてある。
学園からゴンドラに乗り、ジュンたちが王都へくりだすと、王都はこの夕時であってもそれなりの活気に満ちていて、店屋には多くの学生たちが溢れていた。
学生寮には、バイキング形式の朝食しか用意されていない。
そのため、夕食は外で済ませる生徒が大半、残りの少数が食材を買い自分で料理する生徒である。
なぜ外食が人気なのかというと、学生は格安の値段で食にありつけるという特権みたいなものがあるからだ。
しかし元々、学生寮の一部屋ごとにキッチンがちゃんと用意してあるため、料理が好きなフィーナは普段から自分で夕食は作っていた。
明日は文無しであるジュンたちを自分の部屋に招待して、夕食を振舞う手はずになっている。今日は準備の時間がない。
シャーリーは自分もできることがあれば、手伝うと言ってくれていたが、明日のところは遠慮してもらうつもりだ。
なぜなら明日は、フィーナからささやかな歓迎の意を込めて、自身の手料理をご馳走しようと思っているからである。
「やっぱ活気あるなぁ、王都は」
ゴンドラを漕ぎながらジュンは辺りから立ち昇る食べ物のいい匂いを嗅ぎ、人の様子をじっくりと観察していた。
「当然だな。王都なのだから」
至極当然とばかりにレオンが言い切る。彼の漕ぐオールが一定のリズムで水しぶきを上げていた。
フッと息をつきながら、後ろでペラペラと本のページを捲る音に耳を澄ませる。
ケンジが今日工房でリリアからもらった本を読書しているのだ。器用に片手でオールを回しながら、もう片方の手で本を持つと同時にページも捲っていた。
「そういえば言ってなかったけど、男子が勝手にソフィアへ入る事はできないからね」
後ろにいるフィーナが思い出したように付け加えてきた。
明日の夜に男組が、フィーナとシャーリーが泊ることになっている女子寮へ行く事になっているので、そのことについてだろう。正確にはフィーナの部屋だが。
リリアも誘ってみたのだが、「そういうの苦手だから、いい」と言われたので、メンバーはここにいる5人だ。
「なんで?」
「ジュン。アンタそんなことも分かんないの?」
呆れたとばかりに突っ込んでくるシャーリー。
「は? 分かるわけないだろ。寮なんて初めてなんだから」
「そういうことじゃないでしょ……はぁ、お子チャマはこれだから」
「悪かったな! どうせ俺はお子チャマ、だよ!」
ワザとらしくため息を深くつきヤレヤレと振舞うシャーリーに、少しムキになって言い返した。
そんなやり取りが、可笑しくてフィーナは少し笑ってしまう。
「シャーリー。そんなにジュンを苛めてはダメ。そこが可愛くもあるんだよ」
男としては可愛いといわれるのは癪だったが、後ろで顔を見合わせて笑いあっている女子に言うと、何やら嫌なことが起こりそうな予感がしたので止めておくジュン。
だが、自然と顔が仏頂面になっていたのだろうか、優しい声でフィーナが話を付け足した。
「それでね。何でか、というとね……」
何やら、何も言ってないはずなのに、嫌な気配が後ろからバンバン漂ってくる。
そして不意に耳元へ暖かな吐息が掛けられた。もちろんその主はフィーナであろう、見なくても分かった。
やはりいつもと同じように鼓動が速くなってゆく。
シャーリーのジトーとした視線を感じるが、今はそれどころではない。
「可愛い女の子が、狼に食べられないようにするため――だよっ」
その言葉はジュンの耳元で囁かれ、確かに耳の中へ入ってきたが、脳が理解をする前に反対の耳から外へと流れ出てしまった。
つまり、ジュンは全く内容を聞いていなかった――いや、聞こえていなかった。
そんな時――
「おーい、ジュンー!」
誰かが自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
コレ幸いと返事をする。
「ん? 誰だぁー?」
「ここだぜ、ココ!」
声のする方を見てみると緑色の髪が目に映った。
「お、レックスじゃん!」
数人の学生たちと食べ歩きをしていたレックスは、他の生徒に「またな」と言ってからジュンたちのゴンドラの近くへ寄ってきた。
それに合わせてジュンたちもゴンドラを水路の端に寄せる。
「よっ、フィーナ様やみんなも。こんばんは」
ジュンの後ろの席でオールを漕いでいるフィーナへ、レックスは夜の挨拶を述べる。ちゃんと様付けである。
自由奔放そうな彼でも、一応は貴族である『クロノ家』の嫡子なので最低限の礼儀は身につけているようだ。
フィーナやシャーリーたちも、それにならって「こんばんは」と返した。
「レックス、何か用か?」
近づいてきたという事は、自分に何らかの用事があったのではないかと、ジュンは推測している。
しかし、本人のレックスは問いには答えず、手に持っていた焼き鳥みたいなものを差し出してきた。
「食うか?」
いい匂いが鼻腔をくすぐる。少し焦げ臭いような炭の香りも漂っている。
「おお、サンキュ」
堪らず涎が口内に満ちてゆくのを感じた。
お礼を言ってから、棒に突き刺さったそれを1つもらう。
レックスは他のメンバーにも1つずつ手渡していった。
「ウマ! コレめっちゃ美味いよ」
口の周りが汚れるのもお構いなしに、ジュンは焼き鳥を噛り付くように引き千切った。
焼き鳥は口の中において、ジューシーな肉質と甘辛なタレが絶妙のハーモニーを奏でている。
「……おいしい」
ジュンの感想を聞いてから、自分も食べてみたフィーナはパッと顔を輝かせた。
彼女はジュンみたいにこそ噛り付いてはいないが、いつもよりガサツで素早い動作をもって鶏肉を口に放り込んでいる。
他の三人も同様においしそうに頬張っていた。
「そうだろ、そうだろ。あそこの焼き鳥は格別なんだよ」
ジュンたちの反応に得意げな顔をしたレックスは、店前で串に刺した鳥を焼いている焼鳥屋を指差しながら言った。
その店はそれなりに混んでいて、隠れた名店っぽい印象がある。
「レックス様。もう1本くだされ」
あまりにおいしいので、追加を注文するジュン。
「無理だぜ。これ以上やったら、俺の分が足りなくなる。コレは俺の晩飯なんだよ」
「え~、レックスのケチが!」
「しょうがねぇだろ。俺は大喰らいなんだ」
そういえばと、レックスが食堂でバカみたいに大きなカツ丼を1人で食していた光景が脳裏に浮かんできた。
「まあ、そういうことなら……しょうがない……わけねぇだろ!」
油断をさせてから、不意を突いて奪い取ろうとしたが、レックスはそれを上回る反応速度で食物を守りきった。
伸ばした手が空を掴み取る。
「甘いぜ、ジュン! 俺は食べ物がらみだと素早さ200倍なんだぜ!」
「ちっ! しょうがない。もう1つクレー、レックスー、クレよー」
思わず舌打ちをしてしまったが、急遽作戦変更。
駄々をこねてみる。
「やらねぇよ」
「くっ、このケチ。緑頭!」
「うっせぇーよ! 俺の中で食いもんは至高なんだよ。1つやっただけでも奇跡なんだぜ」
「そうだよ、ジュン。あまり駄々をこねないの」
「くぅぅ、だってフィーナ。あれメッチャうまかったし」
フィーナの介在にもめげずに渋るジュン。
それを見たレックスは急いで、残りの焼き鳥を口に頬張った。
――完食。
「がーん!」
なんとも古臭い擬音が口から飛び出してしまった。
「ははっ、また今度一緒に食いに行こうぜ!」
緑頭が何かを言っているような気がした。
しかし、全く気にしてはならないし、気にもならない。
なぜならば、ヤツはにっくき肉の仇なのだから……。
「おいおい、シカトかよ……」
レックスがあまりにも変な顔をしているので、ジュンは噴出すのを止める事ができなかった。
「……くっははっ。じょーだんだよ、冗談。レックス、今度連れてってくれよ」
「ああ、もちだぜ。ところで、お前らはどこに向かってんの?」
「一応、寮に向かってるかな」
「なら、俺が男子は案内してやるよ」
「お、いいのか。サンキュ。フィーナは女子寮へ行くから、助かる」
「いいってことよ」
鼻を擦りながらレックスは照れくさそうな表情をしている。
「そうだ……」
後ろのフィーナが何やら思いついたらしく、両の手をポンと鳴らした。
「どうした、フィーナ?」
「うん、えとね。明日みんなで、夕食を私の部屋で食べるんだけど、よかったらレックス君も夕食に来る?」
「え!? 良いんですか、フィーナ様?」
プリンセスからの突然の申し出に、ビックリした様子のレックス。
彼の驚きを表すように、緑の毛髪がぴょこぴょこ飛び跳ねている。
だが、食べ物のことだったので、彼は無意識のうちに肯定の聞き方になってた。
「うん。みんなも、いいでしょ?」
そう答えながらもフィーナは一応、ゴンドラに乗っている他の皆にも確認を取る。
答えは最初から分かってはいたが、念のためだ。
「もちろん、いいよー」
「ああ、レックスも来いよ」
「うん。全然、いいよ」
上からシャーリー、ジュン、ケンジで、レオンはゆっくりと頷く仕草を見せた。
本当に、返事にはたとえ同じ意味でも、人柄が出ていると感じる。
「あ、いや、うーん、でもなー……」
全員が快諾したにもかかわらず、いくらか冷静になったレックスは何か渋っている様子だ。
「ん? レックス、何か用事でもあんのか?」
「いや、そうじゃなくて……。ほら、俺の家――クロノ家はこれでも一応、貴族だからさ。親にフィーナ様には無礼がないようにって言いつけられててさ……」
「私は! 別にそういうの全然気にしないけど……」
最初こそ、力強く言い放ったものの、最後の方になるに連れて蚊の鳴くような声になってしまうフィーナ。
その顔色はすこぶる悪い。
彼女は、こういったようなことが、嫌だったのか……と、ジュンは今更ながらに理解した。
「ホント、すいません。露天に行くのぐらいはいいと思うんですが、流石に部屋にまでおじゃまするのはちょっと……」
「いいじゃんか、レックス。フィーナがいいって言ってんだしさ」
フォローを入れているが、あまり効果はないようだ。
尚も唸るようにレックスは頭を振った。
「ジュン、いいの。レックスは貴族だもんね。ちゃんとした場所じゃないと、中々ダメなんだよ……」
彼女は顔を曇らせ、残念さを滲ませた声を、絞り出すようにして口にしている。
なんとかしてやりたいと、思った。笑顔にさせたいと。
でも、貴族という未知の階級制度を前に、思いつく手が無かった。
悔しさで、胸が痛み、手をきつく握り締める。
トン――と、誰かに肩を叩かれた。見るとレオンの仕業だった……なんだよという視線を向ける。
すると彼はぼそっと「フィーナの部屋」とだけ、呟きを洩らした。
その瞬間、ビビッときた。こんなにも単純な事だったのに、すぐに気が付かないなんて……と思う。それほどまでに、余裕をなくしていたのだろう。
(サンキュ。レオン。助かった)
心の内で金色の青年に感謝を述べる。
「なら、フィーナの部屋じゃなくて、俺の部屋でならいいのか?」
レックスが拒む理由の大きな1つとして、フィーナの部屋――つまり、プリンセスの部屋で非公式におじゃまするというのが貴族としては問題なはずだ。食事を共にするのは問題ではない事は、露天ならばいいという台詞で証明されている。
それならば、ジュンの部屋という事にすれば、その問題は解決である。
「お、それならいいかもしれん。ちょっと待ってくれ……」
そう言ってレックスは鞄を漁りだした。
そして1冊のメモ帳みたいな物を取り出す。
「え~と……」
「それは、なんだ?」
メモ帳がすごく気になったので訊いてみる。
「ああ、コレ? コレは貴族として、やってはいけないこと集だぜ」
このレックスの貴族らしからぬ性格は今に始まった事ではなく、学園に入学する際に親が心配して『貴族のタブー』について記されたメモ帳を渡されていたのだ。
そこには先ほどの問題である『姫君の部屋へは入るな』ともあった。
「よしっ! ないっぽいぜ」
レックスは笑い顔になりながら、メモ帳を広げて見せてきた。
確かに、『姫君と食を共にしてはならない』とも、『一緒の部屋にいてはいけない』とも記されてはいない。
「よっしゃ! なら条件はクリアだな!」
「おうとも。フィーナ様、そういうわけで、やはりご相伴に預からせていただいてもよろしいでしょうか?」
恭しい口調でフィーナに尋ねるレックス。
流暢な敬語は、彼が長年積み重ねてきた努力の跡のようにも感じられた。
「はい! よろこんで」
蒼き瞳を輝かせたフィーナが、声高らかに答えた。銀色の美しい髪が、さらさらと流れる。
それを見てジュンは、とても満たされた気持ちになった。
ガラス彫刻のエッチングを午前中に学校でやり終え、午後から塾で勉強していたのですが、最近やたらとインフルエンザが流行っていまして、殺菌用のプッシュ式霧吹きが多量にトイレの出入り口に設置してあった事にビビリました。
あの数は半端なかったォォオオー!!ヽ(゜д゜ヽ)(ノ゜д゜)ノ オオォォー!!