同盟暦512年・脱出行9
一礼したベアトリスは青ざめた顔でふらついた。
アーネストは肩を支える。
「姫様!どうぞ馬車にお戻りを!お身体が!」
「だいじょうぶ……だから……おねがい……」
涙を流して懇願するベアトリス。
アグラオニケは殺意を静め、ベアトリスに歩み寄る。
「よせ!」
「待ちなさい」
アグラオニケを止めようとしたポーをテュルパンが呼び止めた。
「でも!」
「様子が変わりました」
アグラオニケは睨みつけるアーネストを無視し、そっとベアトリスの頬に手を添えた。
魔力がベアトリスに流れていく。
おぞましい体験がアグラオニケの頭の中で鮮明に再現されていく。
「おぉ…おぉ…なんということ……」
ベアトリスの記憶を読み取るアグラオニケは嘆きだした。
「享楽と退廃と破滅の信徒め!」
アグラオニケは怒りの表情でここにいない誰かに叫んだ。
「許さぬ…許さぬぞ!妾を愚弄したものと思え!」
一通りの怒りを吐き出して、アグラオニケはベアトリスを抱き締めた。
「愛し子よ。その方の心臓は奪えぬ。穢れた魂は妾は触れられぬ」
「…………わたくしの魂は……穢れているのですね……」
「然り。妾は偽らぬ」
アグラオニケの胸に抱かれたベアトリスは空虚な声で呟き、アグラオニケは肯定した。
「……愛し子よ。苦しみの日より眠っておらぬな?」
「…………いえ………」
「欺くな。妾は欺けぬ」
ベアトリスはこくりと頷いた。
「眠れないんです…夢が……わたくしを……追いかけてくるのです……」
「妾が眠りを贈ってやろう」
「眠りを?」
「夢に邪魔はさせぬ。夜の神が、愛し子を守るであろう」
アグラオニケは甘い香りのする声色でベアトリスの耳元で眠りの呪文を囁いた。
ベアトリスは瞼を閉じ、脱力して意識を失った。
アグラオニケはベアトリスの額にキスをする。
テュルパン、それを見て眉をひそめた。
「下女よ。主人を休ませよ」
「は、はいっ!」
アーネストはアグラオニケからベアトリスを渡される。
そこにポーが手伝いに入り、二人でベアトリスを馬車に運び込んで寝かせた。
「新教の司祭よ」
「なんでしょう」
「あの愛し子の心を癒してやれ」
「無論です。我が神は"傷つく者に寄り添う神"。私はその忠実な僕です」
「よい。では無断で森に踏み入った償いをせよ」
アグラオニケは背後に目を向けた。
そこにはゴドルドとその配下50人の姿があった。
「今すぐ貴奴らの首を刎ね、血を捧げよ。森もまた喜ぼうぞ」