同盟暦512年・旅立ち、ロブホーク編17(過去編)
暖炉にかけた大釜から湯気が立つ。
中は幾つもの香辛料を加えたお湯。
シデは鉄の柄杓でそれをすくい、木杯に注ぐとテーブルに置く。
「飲みな。うまくはないが、身体を温める」
尋ね人ことフロレンティナは外套もフードも取らず椅子に座り無言だった。
「セオドレドのことは聞いたよ」
「森でならず者に襲われて殺されたとね」
ピクリとフロレンティナは肩を震わせた。
「(……やはり嘘かい)」
シデはフロレンティナの双眸を見て、異変を悟った。
元より絶望の色が滲んでいたが、今は深い深い闇が宿っている。
「…………私は兄上と交わりました」
虚ろな声だ。
「純血の王が欲しい。そんな理由で、母上は…ハンニガンは…私と兄に交わることを強いたんです」
「兄上の自害を見ました。死んだ兄上を背負って家に帰りました。母上は私達を見て、激しく罵倒しました。『フロレンティナが孕んでいなければどうするんだ⁉』と喚き散らして、兄を何度も何度も足蹴にしました。…………殺してやりたかった…………」
声色は淡々としているも、強い憎しみ情念は隠しきれず。
「神は……母上達を祝福しているようです。私は…どうやら子を宿したようです」
「そんなことまだわからないだろうよ」
「わかるんです。おかしいけど…わかるんです」
フロレンティナは立ち上がると暖炉に向かい、薪を摑んで放り込んだ。
「シデ殿」
「あん?」
「あなたは私達に負い目があるんでしょう。なら償って下さい」
「……どうやってだい?」
「私は復讐します」
木杯を持ち上げ喉を潤したシデはトントンとテーブルを指で叩く。
「誰に、と聞くべきかい」
「母上とハンニガン一派に」
「やめときな。ろくでもない」
葡萄酒の瓶を手に取り、栓を開けて木杯に注ぐ。
「復讐は血で血を洗うようなもんだ。両手だけじゃすまない。頭のてっぺんからつま先までどっぷり浸かって身体に染みこんでいくんだよ。そうなれば、後は悪夢の日々だ」
「構わない。もとより…生き地獄の中にいたんです」
フロレンティナはナイフを握ると、一息にもう一方の手のひらを切りつけた。
血が滴る手を強く握り締めて、手を開いて自分の顔に擦り付けた。
「私は…一人でもやります」
「(…………これも…宿命かね……。アタシは心のどこかで、わかってたのかもしれないねぇ……)」
シデは嘆息しつつも、すでに多くの事態を想定するべく頭を巡らせていた。
フロレンティナの背負うものを減らす。
そのために力を貸すべきだろうとシデは決意した。
シデはフロレンティナの手を取り、木杯に滴る血を加えるとそれを一気に飲み干した。
「手を貸そう。あんただけじゃ心許ないからね」
シデとフロレンティナは密約を交わした。




