同盟暦512年・旅立ち、ロブホーク編13(過去編)
過去の悪夢が記憶の底から鮮明に浮かび上がるのはいつも唐突だった。
八年前。
24歳を目前にした23歳のフロレンティナは、いつものように畑仕事を終え家路についた。
家に入るなり、ピアレジーナが投げた薄汚れた皿がフロレンティナの額に当たる。
「この恥知らずめ!賤しい娘よ!ああ!妾の娘はどうしてこうも愚かなのか!ああ!神よ!どうして妾にこのような惨めな運命を与えるのです!妾は王の妻なのに!」
ピアレジーナは役者のように大仰に悲しみ、自らの不幸を嘆く。
「(働かなければ食べられないからよ…。母上はそんなこともわからないのね…)」
すでにピアレジーナに期待などしないフロレンティナは冷めた感情のまま額に触れる。
指先に血の跡がついた。
「母上、もう休みましょう」
兄のセオドレド(28歳・男)が嘆き喚くピアレジーナを支えながら寝室へと連れて行った。
水で濡らした布で額を拭う。
走る痛みが妙に心地よく思うフロレンティナ。
この村に連れて来られて何年経ったのかフロレンティナには分からない。
分かりたくない、覚える気もなかった。
「フロレンティナ。怪我は平気か?」
寝室から居間に戻ってきたセオドレドの問い掛けに、フロレンティナは頷いた。
「母上の病状は悪化するばかりだ…」
「兄上、少し休まれては?顔色が悪いよう見えます」
「そうもいかない。ハンニガンを説得しないと…時間が無い」
頭をかきむしり苦悩の色を見せるセオドレド。
ピアレジーナが精神的異常を見せ始めながらも、静かに暮らしていたフロレンティナ達の生活はある出来事で一変した。
亡国の断頭台国の元貴族、ハンニガン・デイル(57歳・男)率いる残党が接触してきた時からだ。
彼等は事ある事に執拗に残党軍の指導者、旗頭となり、祖国を取り戻すべきだと説いた。
セオドレドは拒否したが、ハンニガンはピアレジーナに会い話を持ちかけると、ピアレジーナは喜び自らを女王だと宣言してしまった。
それからはピアレジーナはハンニガンの言うなり、操り人形と化した。
「故郷の土地は西夏国の領土になった。つまり十二同盟諸国に連なる土地ということだ。十二の国を敵に回す事になる。それが分からないはずかないだろうに…」
「………私はデイル侯を信用できません」
「僕もだ。奴は開戦直後に姿をくらました男だぞ。にもかかわらず、のうのうと僕たちの前に顔を出した恥知らずだ」
本人曰く、「外交交渉を行っていた」と説明したが、嘘だろうとフロレンティナは考えている。
「…………兄上……やはり……」
「また身を隠すか?…無理だ。ここの暮らしもシデ・ペネンヘリの支援あればこそだ。僕達だけでは何も出来ない」
思い出すのは美しい森林と湖の景色。
フロレンティナは覚えていないが、セオドレドはそれらが戦火に包まれ灰と化した記憶が鮮明に刻まれている。
二度と故郷の土地を戦火に晒したくなかった。
「何としても説得する。必ず」
「(……でも彼らは兄上を軽んじている。私達を…利用して…何かを企んでいる…そんな気がする…)」
フロレンティナは胸に渦巻く強烈な不安感を抱いた。




