同盟暦512年・旅立ち、ロブホーク編5
「私はイスマテル卿に言われて......」
「僕もそう聞いた。でもどうしても信じられないんだ。僕はイスマイル卿の事は詳しく知らない。でもこんな無謀な提案をする方じゃない」
イスマイルは真意を見せない慎重な人物だとポーは聞き及んでいた。
そんな人物が無謀な提案をするとは考えられなかった。
「考えたんだ。ヘアが旅立つ事を一番望んでいるのは誰なんだろうかって。答えは…ヘア、君自身だと思った」
ベアトリスは右手の親指を噛み始めた。
「だとしたら…それは何のためなのか。苦しみを乗り越える為にヘアは戦っていると信じてる。でももし、別の目的で旅に着いてきたんだとしたら、その目的は?。……僕は君が自殺するためにこの旅に着いてきたんじゃないかと疑った」
親指を何度も噛み、皮膚が裂けて血が流れ出す。
ポーはベアトリスの手を掴み、口から引き剥がす。
「痛い痛い痛い痛い痛い……」
「ヘア?」
「ずっと……痛いんです……身体が……痛いんです……気持ち悪いんです……肌をいつまでも触れている……あの男が…………あぁ……吐きたい……身体の中の全てを吐き出したい……」
空虚感を滲ませた双眸。
ベアトリスは呼吸困難となり、苦しげにしゃがみ込むと口から唾液を垂れ流す。
「ポー……覚えていますか…? 幼い頃…私を守ると誓ってくれたことを……」
「……覚えてる」
「ふふ……貴方は覚えていてくれると信じてました……」
「でも‼あなたは‼守ってくれなかった‼私を守ると誓ったのに‼命を懸けて守り続けると言ったのに‼私を愛してるくせに!!!!!」
ベアトリスは呪詛のような叫び声でポーの首を絞めた。
「ポーは知らないでしょう……見てないでしょう……悪魔が嗤いながら私にした劇を………絶望の舞台を……!」
両手で耳を塞ぎ、膝から崩れ落ちたベアトリスは泣きながら訴えた。
「もう終わったのに……悪魔の声が聞こえるの……ずっと……ずっと聞こえるの……囁くの……私が穢れていく姿を可笑しそうに嗤うの……………」
ベアトリスは涙を流しながら笑顔を見せた。
「ねぇポー。見たいですか?触れたいですか?この傷だらけで穢れた身体を心を私を?私は…!」
ポーはベアトリスにそれ以上話しをさせなかった。
首筋を叩いて失神させたベアトリスをポーは抱き留める。
「アーネスト、いるんだろう?」
「ーーーごめん。見るつもりじゃ…」
アーネストは辛そうな表情。
「ヘアを頼む」
「……うん」
アーネストはベアトリスを背中に背負うと家に入っていった。
入れ替わるようにレオリックスとクーリーが外へ出てきた。
「ん」
湯気立ち上る木杯をポーに渡すクーリー。
樹液を溶かして蓮の水を加えて煮込んだロータス茶。
北の民がよく飲む一般的な飲み物だ。
「姫様…大丈夫なのか?」
「……わからない」
ポーは本心を告げた。
「イレーネ前女官長が前もって教えてくれたおかげだ。……姫様の心は残酷に切り裂かれたと」
「あんな精神状態の姫様を連れて旅をしろってか。しかも自殺願望ありときてる」
「ヘア。怖い。可哀想」
「送り返すか?」
「いや…一緒に旅をする。……僕はもう、ヘアを一人にはしない」




