満月を探して
りんごの七十五時間はあっという間に過ぎた。
あまり気にしなくなっていたとはいえ、三日目の夜はかぐやにまくらを並べてもらった。
改めて考えると、突然死の理由は謎でもなんでもなくって、血管が詰まってしまうとかそういうことじゃないかと思えた。
冷凍睡眠だったのだから、血が凍ってるとか、どろどろだとか、血管が縮んでいるとか。
それが脳とか心臓とかで起こって、急に倒れるのだ。
健康番組の知識が蘇って、ぴたりとはまって、正体が分かった気になれば心配していたのが、なんだかバカらしくなったのだった。
ハカセは本当は知っていたのではないだろうか、という気もしたけど、あの人のことはよく分からない。
ちなみに、あれだけ偉そうなことを言っていたカリトは、様子を見に来すらしなかった。
彼はあの日、フライパンの一撃を受けたあと、半泣きになりながらも謝り、かつ「暴力はいけないぞ」とめざめを諭していた。
こっぴどくやられた割には怒鳴ったり手をあげる様子もなかったので、りんごはようやくそこで彼に加点してやった。
原始人にしては平和的な解決だ。
まあ、まだ追試必至のスコアだったけれど。
さすがにかぐやも心配をして、彼をハカセのもとへと連れて行ったので、それで晴れて自由の身となったわけだ。
りんごは静かの丘でおこなわれている仕事をひと通り見て回った。
うざったくてもカリトの仕事も見学してやった。
毛玉ニワトリの捕獲や羽根むしり、血抜きだって、可哀想だとは思ったけど、彼に張り合う意味もこめてやってのけた。
さすがに首を落とすのはやらせてもらえなかったけれど。
みらいびとたちの持っている技術のほとんどは、りんごの知識の内側にあったから、おおむねなんでもできそうに思える。
なんなら、廃材の新しい使いかたや、道具の改善などにも手を出せそうだ。
例えば、適した材料さえあれば水を吸い上げる手動ポンプくらいなら作れそうだし、かぐやがいうには竹林はどこかにあるものの、竹が活用されてる様子がないのはもったいないだろう。
もっとも、これらは思っているだけで、実際にできるかどうかは別だけれど。
とはいえ、りんごはやっぱり、他人の役割を侵害しない範囲で自分の役目を見つけたかった。
カリトへの反発もあったが、ハカセやかぐやもあえてそうしている節があったからだ。
わたし、ここでは何になれるのかな。
りんごは昔を思う。
「夢」というほどではなかったけど、彼女はファンタジー作家になりたいなんて考えていた。
けれど、父親が“宮沢賢治”なのに法律屋、母親は雑誌編集兼、書評家。
姉は考古学者の卵で、「仮説の上の推論は無意味!」なんて言っていたし、同じ文系でもがちがちで、なんとなくでやってるりんごとは違った。
家族が自分の意思を否定することは考えられなかったけど、口にすることはできず、ふわふわした希望は試されることもなく文明は崩壊ときた。
それに、今ここにあるのは、暮らしや生きることに根差した仕事ばかりだ。
探して見つかるのはアンニュイなため息だけ。
そんな悩みを、かぐやを夜の散歩に誘って相談しようと考えていた矢先のことだ。
普段は早くに寝室に引っこむみんなが、出掛ける相談をしていた。
「さぁ、月を探しに行こう」
月を探す? りんごは笑ってしまいそうになったが、みんなは大まじめだ。
かぐやはもちろん興奮気味に「りんごちゃんも行くよね?」と誘ったし、ハカセも賛成した。
「ストロングさんが以前に見つけたという施設が気になってね。りんごくんが見てくれれば、正体が分かるかもしれない。もしかしたら、投影機があるかも」
さすがに期待を掛けすぎだとも思ったけれど、水を差すのもちょっと違う。
まあ、自分の知ってる時代の建物くらい、その手の設備と関係があるかどうかくらいは分かるだろう。
それに、みんなで遠足というのも悪くない。
「どんな月が見つかるかな?」
「三日月とか半分の月とかがあるんだろ?」
「十六夜なんていうのも聞いたことがあるぜ」
月を知らない人たちが楽しげに話す。
やっぱり行きつく先は、「満月を見つけよう」。
みんなそろって上を向いて歩いて首を疲れさせ、ときおり転びそうになりながら進んだ。
「なあ、りんご。月ってどんなところだ?」
ストロングさんが訊ねた。
「それ、ハカセにも聞いてたじゃないの」
ミズモリがそう言って笑った。
「俺はりんごから聞きてえんだよ。ハカセの言ってることはチンパンジーだ」
「ちんぷんかんぷんな」
「じゃあ、チンパンジーってのはなんだ?」
「さあ? 知らないよ」
「まあいいや。なあ、りんご。月には大砲ってやつで行ってたんだよな?」
「た、大砲!?」
りんごは咳払いをしつつ、初日の質問になかったかな、なんて思うも、改めて話してやった。
月には空気が無くて息ができないことや、太陽が当たると水が沸騰するくらいに熱いこと、逆に凍るほど寒い場所があることなど。
「つまり、地獄ってやつか? あいつはテキトー抜かしてたわけじゃねえのか」
ストロングさんは片眉を上げて振り返った。
その先にいるのは、手を繋いだ親子だ。
めざめの片手にはフライパン、もういっぽうの手にはお母さんの手。
めざめはしきりに何かを話していて、ねむりもときおり娘のほうを見て口を動かしている。
ねむりは、普段は決して静かの丘を離れようとしないそうだ。
けれども月を探しにいく話が聞こえたらしく、珍しく重い腰を上げたわけだ。
満月を探す遠足は、思ったよりも退屈にならなかった。
星明りで景色くらいは見えるものの、瓦礫を蹴飛ばしてつま先を傷めるし、ニクダマに気づかなくて危うく近づいてしまうところだったし、これまでに見たこともない生き物にも出くわした。
りんごの腕ほどの大きさのミミズに、背中に子どもをびっしりと乗せた人の頭ほどの大きさの甲虫、それから巨大ダンゴムシ。
どれもこれも可愛くないビジュアルの生物ばかりで、せっかくピンクの空と緑の風のエトランジェな世界でも、これでは台無しだ。
極めつけはこちら。
建物の残骸のあいだを通過する謎の巨大生物だ。
それはシルエットになっていてよく分からなかったけど、首のないキリンのようなものだった。
何匹も連れだって、長い脚でしゃくとり虫みたいな感じにぎこちなく歩き、彼らが動くたびに「てぃろーん、てぃらーん」と不思議な音が聞こえた。
誰かがあれを「ゾウだ」と言ったけれど、大きさ以外は似ていない。
「いやいや、タコだ」と言ったけれど、言われてみればそうかもしれない。
りんごは疲れてきた。
みらいびとはそういう奇妙なものを見慣れているようだったけれど、りんごはそれらが急に飛び掛かって来やしないかと気が気じゃない。
そんな中、今の自分にとって確かで大事なこと、かぐやに自分の役目についてどう相談したものかと考えていた。
「あっ、空を見て!」
かぐやが指を差す。何かが空を横切った。
鳥? それとも流星? まさか飛行機?
ところがどっこい。それは逆さまのピラミッドな形をしていた。
「UFOだ……」
りんごの声がなわなわと震える。
これまたどっこい。
みんなは「なんだUFOかよ」とガッカリして、大げさにするなよと、かぐやに苦言をていした。
「へへへ、退屈だからちょっといたずらしちゃった。ねえ、りんごちゃん。ホントのところ、お月様は見つかると思う?」
かぐやが声を潜めて訊ねる。りんごは残念ながらと苦笑と共に首を振った。
ガッカリされるかと思ったけれど、意外な反応が返ってきた。
「やっぱり? 無いものを探すのも、面白いよね」
無いものを探す……。
りんごは気づく。これだ。
こっちの時代でも必要だけど、まだ存在してない役割。
そういうものもあるかも知れない。
相談ではなかったけれど、かぐやといっしょに出てきてよかったと思った。
無いものを探しての長い旅。
その折り返し地点では、無いもの……というか、無いことが見つかった。
というのも、ストロングさんが目星をつけていた施設は正門がかろうじて残っており、ご丁寧に『神酒山浄水場』なんて表札までついていたのだ。
りんごはハカセに目配せをした。
彼も表札が読めたようだったけれど、彼は人差し指を立てて口元にあててみせた。
「よっしゃ、月のなんとかとお宝探しだ!」
月みたいな頭をした大男がはしゃいで駆けていく。
「おれも、りんごにいいもん見つけて来てやるから!」
カリトもこちらをふり返ってそう言うと、ストロングさんに続いて行ってしまった。
ほかのメンバーもその気らしく、缶詰があったらおもしろいなとか、宝石があるかも知れないよ、なんて言っている。
みんな楽しそうだ。「ここ、浄水場だけど」と言い出すわけにもいかず、りんごはもう一度、ハカセを見た。
「数少ない娯楽なのさ。ときどき付きあってるけど、こういう遺跡は見ていて飽きないから、ぼくも好きだ」
ハカセまで眼鏡を袖でぬぐって掛け直して、準備万端の様子。
「危なくないんですか? 誰かが住んでたり、それが悪い人や危ない生き物だったり……」
りんごは本当に心配で訊ねたけれど、「そういうこともあるかもね」なんて、そっけなく返されてしまう。
めざめやねむりまでもが敷地に入っていき、とうとうりんごとかぐやの二人だけになってしまった。
「かぐやちゃんは行かないの?」
「りんごちゃんのほうこそ。私は、あなたについていくのが一番面白そうだって思うから」
かぐやはそう言うと、青錆びた表札を指でなぞった。
「ここ、月とは関係ないんだよね?」
「うん。浄水場っていって、汚れた水を綺麗にする施設だよ」
「それはそれで、すごくない? もしもここが使えたら、お水が使いたい放題だよ!」
「無理じゃないかな。電気も通ってないし、水道管もダメそうだし」
かぐやは「電気ね、電気」と呟き、りんごの手を握った。
つまりは行こう、ということらしい。
「危ないかも。正直言って、中に入るのは怖い」
「じゃあ、建物の外を見て回ろうよ。じつは、怖いのは私も同じ。りんごちゃんが怖いのは私も怖い!」
笑顔を向けてくるかぐや。
どうせ、入り口に突っ立っていても虫やらタコやらゾウやらが来るかもしれないし、なんならキャトルミューティレーションもあるかも知れない。
りんごも観念して探検を始めることにした。
といっても、浄水場の廃虚に面白いものがあるわけでもない。
ハカセは「遺跡」だなんて言ったけど。
コンクリートの世界には建物のガイコツといくつかの壊れた小屋、それから、からっぽになった六つの縦穴。
「この穴って何?」
「浄化槽、だったかな。ここに水を入れて、水が下を通ってゴミを取り除いて、次の層に送って、もっと小さなゴミを取ってって感じでやって、水が綺麗になっていくの」
だったろうか。小学校のころに社会科見学で説明して貰ったはずだけど、おぼろげだ。
「こんな広いところに水が溜まってたらすごいね。まるで海みたい!」
「海はもっと大きいよ。嵐の大洋、だっけ? 静かの丘の向こうにも海があるんでしょ?」
「でも、あっちは危ないから。ここにたっぷりと水を入れられたら、泳いだりもできるかな? 波も、嵐も無いんだし。ふたりだけでこっそりと!」
それは面白そうかも。
けれど、考えてみれば、水着なんてものもないわけで。りんごは頬がぽっと熱くなるのを感じる。
倫理観も逆行してしまっているのなら、人前で肌を晒すのも気にしないのだろうか。
今のところ、そういった現場は見ていないし、ぼろの重ね着は露出が少ないけど、単に寒いからというだけかもしれない。
りんごが押し黙っていると、かぐやは「危なくないんだよ、ここが海なら」とくり返した。
実際、浄化槽が安全だとは思えないけれど、かぐやの瞳がからっぽのプールのように見えて、りんごは息をのむ。
「お父さんはね。舟を作って、嵐の大洋の向こうに行ってみようとしたの」
そういうことなのだ。りんごは察しつつ、「なんのために?」と訊ねる。
「宝物を探すため。りんごちゃんがかぐや姫の話をしてくれたとき、思い出しちゃった」
姫に求婚した大伴御行に出された条件は、龍の頸の玉を探してくることだった。
彼はその五色に輝く玉を求めてみずから海に出て、嵐に巻きこまれてしまい、酷い目に遭うのだ。
「お父さんが戻ってこなかった次の日から、カリトがお父さんの代わりに私を守ってくれるって約束したの。なんでも教えてくれたし、私もお兄ちゃんなんて呼んでたりしてね。それが、今じゃ狩り以外は私のほうが上手だし、りんごちゃんには迷惑を掛けるし……」
かぐやは笑っていた。いつものような晴れの太陽じゃなく、静かな満月のように。
「バカだけど、ホントは優しいの。だから、りんごちゃんもあんまり嫌いにならないでくれたら、嬉しいな」
りんごが「膝にフライパンを受けても怒らなかったしね」と同意すると、「ありがとう」が返された。
「できれば、カリトには海には狩りへ行かないで欲しいの。丘のあたりじゃニワトリやネズミくらいしか獲れないからしょうがないけど」
龍の玉なんかより、ただのネズミの衣でいいのにね。
りんごはカリトたちのいる建屋のほうへ行こうと提案した。
宝物なんて見つからないだろうし、彼のことを好きにはなれそうもなかったけれど、そうするほうが、きっといいから。
かぐやに聞いてみたいことができた。
ひょっとしたら、カリトのことが好きなんじゃないだろうか、なんて。
正直なところ、「そういうの」は要らないなんて思っていた。
でも、みんなのことを知っていけば、少しづつ変わってくる。
当事者になるのはまだまだ御免だったけれど、お隣さんのロマンスになら、月下氷人だってやぶさかじゃないな、なんて。
そんな勝手なことを考えて歩いていたら、物陰から何かが飛び出してきて、ふたりは抱きあって悲鳴をあげる羽目になった。
そいつは素早かった。これまで見かけた生き物はどれものんびりしているか、遠くにいるかだった。
りんごはこれまた勝手に、いつもは付きまとっている男の子がいないことを呪った。
りんごが逃げようとすると、かぐやが強く抱きついてきて足止めされてしまう。
「待って! 私、この子知ってる!」
かぐやの声はなぜか弾んでいた。
「“にゃー”だよ!」
にゃー。
りんごはぎゅっと閉じていた目を片方だけ開けた。
まっくろで、すらりとしていて、ちょっと短くなった尻尾が伸びていて。
それからふたつの満月がぱっちりと。
「ネコだ……」
「知ってるの?」
「昔はたくさんいたよ」
「そっか、残念。この子、私が知ってるものの中で、一番可愛い生き物。何度か見たことがあるんだけど、みんなには内緒にしてるの」
かぐやは「よーし、今日こそ捕まえるぞ!」と走りだす。
りんごも、追いかけるのはちょっと可哀想だけど、飼ったりできたらいいな、なんて思う。
黒猫は建物の残骸の中へと飛びこんだ。
ふたりもそろって壁を回りこむも、途端に計画はがらがらと音を立てて崩れた。
さっきの黒猫は、背を丸めて尻尾を立て、りんごたちに向かって牙をむいている。
その向こうにはいくつかの模様のまじりあった雑種のネコが横たわっていて、彼女のお腹には小さな仔猫が四匹もかじりついていたのだ。
りんごとかぐやは顔を見合わせて笑い、そっとその場を離れた。
月は見つからなかったけど、いいものが見られた。
小さな、小さな宝物。ふたりだけの秘密だ。
自分もよく知っている生き物が懸命に生きているのを知れて、嬉しかった。
りんごは明るい気持ちになり、明日からも頑張ろうと思った。
それから、あくびをひとつし、何気なく空を見上げる。
「えっ……?」
疑問の声はどちらがあげたか分からない。
けれど、かぐやの手は痛いくらいに強くセーラー服の袖をつかんでいた。
星の海に浮かぶは、フルムーン。
***