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七十五時間と七年リンゴ

 りんごは目覚めた部屋のベッドに突っ伏していた。

 今、彼女の頭上には「いきなり死ぬかもしれない」という巨大な月が迫ってきている。

 ファンタジーに現れる死神の顔を持った月だ。満月ではなく、鎌のような切れ味の。


 ハカセはどうして、りんごが不安になるようなことをわざわざ言ったのだろう。

 これは医者が余命告知をするのと似たことなのだろうか。

 りんごはまだ高校一年生の未成年だ。

 余命だなんて、先に両親に知らせるべきでは? いや、高校も無ければ、両親ももういないかもしれないのだ。


 意識がはっきりとしているのが憎らしい。

 泣き疲れて、あるいは発作とやらでそのまま眠ることができれば、目覚めたときには元の時代かもしれなかったのに。


 まさか。これは現実だよ。現実、なんだ。


 さっきはハカセの前で取り乱してしまい、りんごはいまさら申しわけなくなった。

 自室のベッドとは違うから、涙は出ても大声で思い切り泣くわけにもいかなかった。

 ハカセは突然死には運動とこまめな水分補給を推奨していた。

 そんなことが予防になるのだろうか。

 なるとしても、貴重な水分はりんごの身体からぼろぼろと逃げてしまうし、ベッドから離れる気だって起きない。


「ついてきちゃったの?」

 ハカセの部屋にいた子……かどうかは分からないけど、白い毛玉がまくらもとに転がっていた。


 ニワトリを抱えて、持ち上げる。

 変なやつだ。お月様のようにまんまるな鳥。


 りんごは、悲しいことやつらいことがあった日の夜は、ベランダに出て月を見上げたものだ。

 そういうときは月齢や季節なんて考えないから、満月が高く上がっているときもあれば、新月か高度の問題かで見えない日もあった。

 一番、気持ちのいいときは凍った空に満月が高くのぼっているとき。

 一番、嫌な気持ちになるパターンは、月は綺麗なのに電信柱の行進にさえぎられて見づらくなっているときだ。


 今のりんごも最低な気持ちで、ただ自分が鼻をすする音と、心臓がドッテテと早鐘を打つのを聞いている。


 そういうとき、ベランダの扉がきゅるきゅると開き、温かくて甘酸っぱい香りがやってきてくれたものだ。

『トルコでは何千年もの昔にリンゴの栽培がおこなわれていたんだよ』

 なんて、どうでもいい考古学うんちくと一緒に。


 ことり、音がする。


 りんごは、はっとして身体を起こす。

 古びた床頭台の上に、青くて小さなリンゴが置かれていた。

 嗅いでみたけど、香りはしなかった。

 それから、入り口のほうを見ると、ついたての陰に慌てて駆けこむ女の子の姿を見つけた。

 サイズの合わないぼろ靴を鳴らして、腰にはフライパンを挿して。


「……豊かの城で貰ったリンゴです。めざめも今からおてつだいに行きたいですが、カリトとかぐやが料理で忙しいので行けないです」


 こんな世界だし、ここには二十人くらいしかない。みんな役目とやらがある。

 それに、めざめはりんごの自己紹介や質問の時間、誰のそばにいるわけでもなかった気がする。


 学校と同じだ。自分より大変でつらい目に遭っている人はたくさんいる。

 七十五時間ではないにしろ、りんごの時代と比べて平均寿命というものも下がっているはずだ。


 まだ鼻水をすすらないといけなかったけれど、りんごはベッドから抜け出た。


 果樹園があるという豊かの城は、静かの丘から少し離れていて、一度くだってからのぼり、丘よりもさらに高い位置にあった。

 建物が少ないとすぐそばのように見えるのに、実際に歩くとかなりの距離があるようだ。

 何分くらい掛かりそうだろうかと思ったとき、無意識にスカートのポケットをまさぐっているのに気づいた。

 スマホは持ち越せていないのに。


 なんだか手が落ち着かない。


 りんごは、めざめちゃんに「手を繋ぐ?」と訊ねたが、彼女は「どうして繋ぐですか?」と首を傾げた。

 かぐやとは自然に手を繋いでいたので、こちらも首を傾げることになったし、気を遣って出てきてあげたという気持ちもあったから、少し腹も立った。

 けれど、子ども相手だ。りんごはこらえた。


 ピンクの空のもとに出ても、欠け始めた七十五時間の月はしっかりとついてきた。


 どうせ死んじゃうんだからと思えば、道ばたにバナナくらいの大きさのピンク色のバッタがいても、ニクダマが何匹も重なってる光景を見ても、どうでもいいと思えた。

 こうした、くさくさした気持ちといらだちが、りんごに意地悪な質問をさせた。


「めざめちゃんのお父さんとかお母さんは?」


 めざめちゃんは「ん……」とだけ言うと、フライパンをスウィングした。

 ちょうど跳ねたバッタがそれに打たれて吹っ飛んでいき、バッタはぴくぴくと痙攣して動かなくなった。

 りんごは首を縮め、怒らせたかなと黙ると、「毒バッタです」とめざめちゃんが言った。


「お父さんは知らないです。“ねむり”はお昼のあいだは寝てます」

「ねむり、さん?」

「ねむりはめざめを産んだ人、らしいです。夜にお空を眺めることしかしません。だから、代わりにめざめがたくさん役割をします」


 病気だろうか。それとも、ネグレクトってやつだろうか。


「ねむりは月が帰ってくるのを待っているです。月が帰ってくるまで、ねむりは何もしたくないそうです」


 めざめは空を見上げる。

 なんて答えたらいいだろうか。

 寂しいね? むかつくね? 頑張ってるね?


「たまに、寝てばかりのねむりを怒る人がいます。だから、りんごも何か仕事をするといいです」 


 めざめは月のいない空に背を向けて、歩き出した。

 彼女がどういう顔をしているのか、分からない。

 結局、りんごは返事をしなかった。



 見掛けよりも遠い果樹園。

 道路っぽい道をまっすぐ進むものの、ときおり地割れや瓦礫、車だった物体が塞いでいて、たびたび迂回しなければならなかった。

 ときにはりんごの腰丈ほどの瓦礫をよじ登る必要が出たけど、めざめは助けを求めてこなかった。


 めざめは手をついて跳ね上がり、コンクリートブロックをのぼる。

 なんてことのないように。

 りんごは自重で手のひらがコンクリートの角に食いこむのも痛くて気になった。


 めざめはたくさん質問をした。

 食べ物とか動物、畑。りんごの時代にもあることばかりを聞いてきた。

 それには大抵、「めざめも何々を手伝っています」との主張がくっついた。

 果樹園には他の集落から、同じ年頃の子たちが来ていてお手伝いをしているのだけど、めざめが一番の働き者らしい。


 ここでは、子どももただ守られるだけのか弱い存在じゃないらしい。

 それに比べてわたしはダメだ。

 本当は頑張らなきゃいけない。

 けれど、りんごが見上げると、七十五時間の月がお父さんやお母さんに似た顔をして、嫌な目つきでこちらを睨んでいた。


 たった七十五時間なんて、無意味。


 果樹園につくと、土と緑のいいにおいがした。

 植物のつるやつたに包まれた大学の建物は上部が崩れてまさに廃虚だったけれど、大きな木が生えて一体化しているらしく、いつかどこかで見た綺麗なイラストのそのままだった。


 敷地内にはたくさんの草木が生えていて、土のむき出しの土地では畑をやっているようだ。

 ぼろを重ね着したみらいびとたちが額に汗をしながら、柔らかな土から飛び出したあおあおとした葉っぱを調べたり、手で何かを取り除いて捨てたりしている。

 太くて大きなきゅうり……瓜だろうか? が生っているのは分かったけれど、トマトやナスのような鮮やかな野菜は見当たらなかった。


 りんごは仕事に励んでいる人の中に、おじいちゃんやおばあちゃんを探した。

 彼女のイメージでは、農家はみんなお年寄りだ。

 りんごの住んでいた地域は少し田舎の住宅地で、電信柱もたくさん残っていたし、空いた土地で畑をやっているところもあった。

 無人の野菜販売所なんかもあって、百円玉を入れるためにふたに穴のあけられた瓶と、まだ土のついたままの野菜がそのまま置かれていた。

 りんごの家では「そういうの」は食べなかったけれど、姉は小さな屋根付きの販売所を見るたびに「何かの神様をまつる(ほこら)みたい」と言っていた。


 やはり、お年寄りはいないようだった。


 めざめは畑には目もくれず、まっすぐに大学の講堂内へと進んでいる。

 内部は外から見たよりもひどく荒れていて、壁すらない部屋も多い。

 どうして、わざわざこの半屋内を選んだのかは分からないけれど、ここが果樹園になっているらしい。

 剪定ばさみのようなものを持った人や、白く変色したプラスチックのコンテナを抱えた人とすれ違う。


 彼らはみんな、りんごのことを見た。


 自信を持って持ち越し品に選んだはずのセーラー服が、酷くヘンなもののように思える。

 スカートの丈はいじってなかったけど、ぼろを着た人たちで膝を出してる人なんてひとりもいなくて、ついスカートの先を引っぱって伸ばそうとした。


「りんごの服が素敵だから、みんな見てます!」

 めざめはちょっと自慢げだった。


 等間隔に木々の植えられたひときわ広い空間に出ると、管理人である“ウエノ”さんに引きあわされた。


「名前の通り、植えるのが得意だった者だよ。だけど、大人になって背が伸びたら腰にくるようになって、やめたよ。今は顔が上にあってみんなが見上げるからウエノ、かな」

 ずいぶんと背の高い男の人で、他の人よりも高いところにある果実を踏み台も無しにもいでいた。

 しゃべりかたからして、おおらかそうだ。


 彼に仕事のやり方を教わった。

 日当たりのいい果実がもっとよく育つように、育ちの悪い実を取り除く「摘果」という作業だ。

 ペンチに似たハサミを渡されて、たんたんと悪い実を切り、コンテナに入れていく。

 いくつか、これも切ってしまってもいいのかなという疑問の沸いた実もあったけど、りんごは構わずに刈り取ってやった。


「これでいいですか」


 ウエノを見上げて訊ねる。彼は腰を曲げてコンテナを覗きこむと「大体、いいね」と言った。


「でも、このあたりは多分、大きくなれた」


 彼はいくつかのリンゴをぐるっと指差す。

 こっちは初めてだ。文句を言うのなら、ちゃんと様子を見ていてくれたよかったのに。


「きみ、かこびとなんでしょ? 嵐の大洋にカプセルが着いたって、噂だったから。昔は、水も食べ物も、たくさんあったんだよね?」


 のっぽの男は、にこにこしていた。後出しで仕事の注意をしたのも、今の言葉も、きっと彼の性格。

 りんごはそれを見抜いていたのに、バカにされたんだと感じた。

 彼はのんびりと木々のあいだを闊歩し、枝に触れ果実に触れる。

 エゾンスなその姿は厭味に思えた。原始人のくせに、なんて思った。


「引いた実はジュースにするから、あとでごちそうするね」


 りんごは今度はちゃんとやれると思ったので、ほかにも仕事はないかと訊ねた。

 けれどもウエノは首を振り、「ありがとう、見学するといいよ」と答えた。


 仕方なく人口の林をうろつくことにする。

 リンゴやモモ、カキ、それから種類は分からないけど、ミカン系の柑橘。

 これらの実る季節はいつだっただろうか。

 果物は種類どころか、個体ごとに若葉だったり、蕾をつけていたり、実りはじめたり、成長の速度がまちまちだった。


 りんごはある果物を探した。

 けれども、色とりどりの世界の中にその果物は見当たらなかった。

 白い羽を持って花の中をくすぐる作業をしている男女がいたので、訊ねてみることにした。


「ここにナシはありますか?」


 ふたりに首を傾げられてしまう。

 反応からして、ナシそのものが認知されていない様子だ。


 この世界に梨子(りこ)はいないのかな……。


 りんごは「ナシ」と言ったけれど、彼女の探しているナシは、ナシはナシでも、小ぶりなヤマナシだ。

 ナシの原種で、奈良時代ごろに中国大陸から渡ってきたものらしい。

 旅行先の山奥で姉といっしょに野生のヤマナシ探しをしたことを思い出す。

 ヤマナシが入ってきたのと同時期にリンゴの原種も渡ってきたらしいけど、それは苹果(りんご)ではなく、林檎(りんご)と書く和リンゴのほうで、りんごの苹果はどちらかというと西洋リンゴを指すらしい。


 さっきのリンゴは、なんてリンゴだったのだろうか。

 ふじ、つがる、王林? ジョナゴールドにシナノスイート。紅玉なんていうものあるんだっけ。


 ふわふわとリンゴの品種名を頭の中で挙げていると、何かが足に当たった。

 よくある青いゴムホースだ。

 ゴムホースはあっちこっちに伸びていて、その辺に張りめぐらされている感じだった。


 邪魔だな、と思っていると、ホースの胴体のあちらこちらから、急に水滴がたくさん吹きだして跳ねた。

 どうやらわざと穴をあけてそれで水やりをしているらしくて、女の人がホースの繋がれたタンクに水を注いでいた。


「こらー、水を流す前は声を掛けてくれって、言っただろー」

 間延びした声でウエノが呼びかけている。女の人は「ごめんなさーい」と言った。


 水が跳ねると、濡れた草や葉っぱ、そして空気もきらきらと光った。

 世界が滅びても生きのびている人がいる。新しい生き物がいる。

 リンゴはりんごの知っているリンゴだ。植物の寿命はいくつなのだろうか。

 杉の木には何千歳も生きているものもあるようだから、もしかしたらどこかに、りんごの生まれた時代のものも残っているかもしれない。


 かこもみらいも飛び越えて、縄文杉の時代に想いを馳せていると、聞き覚えのある音がりんごを現実に引き戻した。


「こらっ! これはめざめのリンゴの木です! めざめがするっていつも言ってるです!」


 輝くしぶきの中で、めざめちゃんがフライパンを打ち鳴らしている。

 追っ払ってるのはバッタやニクダマではなく、ほかの子どもたちだ。

 めざめちゃんはバッタを叩いたときは無表情だったのに、今は顔をまっかにして怒っていた。


 彼女はお邪魔虫がいなくなったのを確認すると、まだ頼りなく、蕾も付けていない木にそっと抱きついた。



 そっちに行きたい。りんごはなんとなく、そう思った。



 少しだけ迷った。

 けれど、気づくと駆け出していて、水を出すホースを飛び越えていた。

 靴下や内腿が濡れたのがはっきりと分かったけど、構わなかった。


「これはめざめちゃんの木なの?」

「そうです。これは、めざめが生まれた日に植えたって、ねむりに聞きました。七年リンゴの木です」

「めざめちゃんはいくつ?」


 訊ねると彼女はしおれたような顔をして「知りません」と言った。


「でも、これに実がなれば、めざめは七歳です!」


 ぱっと返り咲き、歯を見せ笑うめざめ。



 りんごは見上げた。

 頭上には壊れた天井とピンクの空。

 光るのは見知らぬ大木の木漏れ日だけで、そこに月はもう、いなかった。


***

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