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フライパンがんがん

 元気のいい「おはよーございまーす!」の声と共に、何かががんがんと打ち鳴らされる。

 コールドスリープ明けの頭痛と、よるべないおぼろげな記憶の中、それはあまりにも彼女の頭をさいなんだ。


 黒くて丸くてちょっと曲がった取っ手のついた何かを木の棒で叩く小さな女の子。

 それを白衣を着た人がなだめて、目の前に一本の細い棒のようなものを突きだして振ってみせた。


「これが何本か分かるかい?」

「……三本」


 彼女が回答すると、白衣を着た人が「まだ、もうろうとしてるみたいだね」と言った。

 どうやら彼は男性で、眼鏡を掛けている。医者だろうか。

 けれども、彼の診断の直後にまた「おはよーございまーす!」と流星群のような音が鳴り響いて、今度こそ意識と視界がはっきりとした。

 女の子が叩いているのはフライパンだった。それから見せられた棒は鉛筆。


「こら、やめないか“めざめ”」

「でも、起こすのが私の仕事ですよ」

「彼女はもう目覚めてるよ」

 ちょっと呆れたように男性が続けると、めざめと呼ばれた子は「じゃあ、みんなに知らせますよ」と言い、フライパンを棒で打ち鳴らしながら遠ざかっていった。


 身体は冷え切っており、頭痛はもちろん、お腹の中がずきずきと痛んだ。

 自分がいよいよ冷凍睡眠から目覚めたということを思いだし、それから、起き上がって周囲を見回せば、この状況が自分の想像していた中でも、「もっとも悪い状況」だということに思い至った。


 頼りになる灯りは電気ではなく、金属バケツの中で燃えてる火で、それが映しだすのは剥げて骨組みの見える天井と、病院の古ぼけたストレッチャー。

 窓は無いのか、廃材のようなもので打ちつけられているのか部屋は暗い。とにかく、ぼろぼろの病室だ。

 それを見てまっさきに出たかすれた言葉は「滅びちゃったの?」で、白衣の男性は静かにうなずいた。


「わたしのほかには?」

 彼は首を振った。「今回、流れ着いたのはきみのカプセルだけだよ」。

 それから彼はストレッチャーを指差す。見覚えのある大きな学生カバン。未来への持ち越しを許された品を詰めこんだものだ。


「動けるかい? 私物に着替えがあるなら、手早く着替えを済ませてホールに来てくれ。ぼくは連中を食い止めておくから」

 そう言って彼は腰をあげて背を向けた。


「あの!」


 振り返る彼に尋ねる。あなたの名前は?

 もっと聞くことがあっただろう。けれども、滅亡を教えてくれた彼に感謝をしたくなって、大きな声で聞いてしまった。

 その声はなんだか、自分の声じゃないような不思議な感覚だった。


「ぼくは、“ハカセ”。みんなからはそう呼ばれてるよ」


 擦り切れた白衣をひるがえして、眼鏡の奥の目をちょっと細めて。


 ちょっと待って。「連中を食い止める」って何?


 もっとも悪い状況。この景色に似た世界でのお約束。映画やゲームでありがちのゾンビもの。

 でも、そうじゃないらしい。

 白衣の彼は肩をびくりとさせると、慌てて扉がわりらしいパーテーションに回りこみ、「まだ入ってきちゃダメだ、彼女はあとからそっちに行くから」と言った。

 会話の相手は「かこびと」がどうとか、「早く会って話を聞きたい」とか言っていて、ずいぶんと楽しそうだ。


 本当に滅びちゃったのかな、世界。


 ハカセが野次馬を諭して去るのを待ってから、胸に抱いていた薄汚れたシーツを手放す。

 とたんに恥ずかしくなった。

 コールドスリープ用のスーツはあまりにも身体にぴったりで、白一色というだけで裸と同じようなものだった。

 冷凍前に立ちあってくれた係員の人は若い女性だったけれど、彼女は眠らずに残ると言っていたから、もうきっと生きていないんだろうな、などと思った。


 まだ手足の指先がじんじんと痛んだけど、なんとか身体を起こしてベッドに腰掛け、おそるおそる立ち上がり、カバンへ向かって歩く。

 身体の一挙一動がぎしぎしして、油の足りないぽんこつロボットになった気分だ。

 カバンは重たく、今の自分では持ち上げられないようだった。

 ファスナーを開き、持ち越し品の中からセーラー服を見つけだす。


『なんでセーラー服? もしも目覚めたときに世界が滅亡していたら困るよ。サバイバルに向いた服じゃなきゃ』

『サバイバルに向いた服って?』

『えっと、ジャージとか?』

『カッコ悪い! やっぱり、この時代のこの年頃の女の子らしいものを入れなくっちゃ』


 なんて話をしながら、ふたりで笑い合った。

 姉だって、考古学の分厚くて高額な本とか、教授からもらったとかいう大昔の土偶を入れていた。

 貴重な持ち越し品のひとつに制服を選んだのは、高校を選んだ決め手も制服だったからで、まだ半年も着られていなかったからだ。

 目覚めたときの世界がどういうファッションをしているか分からないし、どうせならこれがいいと思った。

 着替えのほかはお気に入りの紙の本とか、旅行のおみやげのキーホルダーとか、プレゼントで貰ったマフラーとか、わざわざ印刷した写真とか、そういうものだ。

 冷凍のシステムの都合上、電子機器は持ちこめなかったから。


 死んじゃったのかな。お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも。


 家族写真を差しこんだ手帳を見つめる。仲のよかった家族。保存して未来に送る価値のある、すてきな家族。


 その家族の中の、わたしはすっぽん。


 文学趣味を切っ掛けに仲良くなった両親がつけてくれた名前は、可愛くて好きだったけれど、やっぱりすっぽん。

 父が“賢治”で母が“智恵子”。

 おあつらえ向きの名前で優秀なふたりから生まれたわたしはすっぽん。そうでなくとも、カニかもしれない。


 でも、わたしは生きている。


 冷凍睡眠の蘇生率は百パーセントではないと説明されていたし、冷凍中に事故や天災でダメになる可能性だって高かった。

 世界が滅亡してしまったらしいとはいえ、こうやってまた自分の下着やタイツ、制服をまとうことができるのはワンス・イン・ザ・ブルームーンにほかならないのだろう。


 わたしひとり。こうなったら破れかぶれだ。悲しみもあったけれど、いっそすがすがしさのほうが強い。

 ほら、廊下の向こうで「かこびと」を待ち望む声や、フライパンを叩く音が歓迎してくれているよ。


 制服のカラーやスカートのひだをチェックし、手鏡とブラシで髪を軽く整える。

 靴は履いていてもいいのだろうか? とりあえず履いておこう。

 ガラス片とかは落ちていないけど、床は汚い。


 まだ凍えの抜けない脚でぎこちなく歩き、「みらいびと」たちのところへと向かった。


 もちろん、みらいびとたちはぼろぼろの服を着ていて、ちょっと薄汚れていて、錆びたパイプ椅子やガラクタに腰掛けて待っていた。

 さっきのめざめという女の子やハカセ、それから自分と同い年くらいの女の子や男の子、年上の女の人、大学生くらいの年齢の男の人や、むきむきのおじさん。

 ほかにも何人かがいて、姿を見せたとたん、くちぐちに質問を浴びせてきた。


 また頭痛の治まらない頭にはつらい。

 ハカセが声を張って「順番に!」と言ってくれたけど、みんなはやめないで、結局またフライパンががんがんと鳴らされなければいけなかった。


「失礼したね。まずは名前からお願いするよ」

 ハカセが促す。けれど、「宮沢……」と苗字まで言ったところでまたみんなが騒がしくなる。

 宮沢、どういう意味だ? 何をする人なんだろう? さすがかこびと、名前もカッコいいじゃねえか。


「今のは苗字だよね? 下の名前は?」

 そう言ったのはハカセ。するとやっぱり、みんなは苗字だってよ、下の名前って? と盛り上がる。


 自己紹介だけでこんなふうに騒がれることなんてない。

 初めての経験だ。大抵そうやって取沙汰にされることは悪目立ちが多いものだから、彼女の頬は熱くなった。

 めざめは「リンゴみたいです」と言って、うっとりとした視線まで向けてくる。


 りんご。


 アップルティーの香りと、姉の顔がよぎる。


「わたしの名前は、宮沢。……宮沢苹果(りんご)です。その、苗字は飛ばして、“りんご”って呼んでください」


 暗い廃病院に響く、りんごコール。

 今ここでは、りんごはすっぽんではなく、月だった。

 それは電子仕掛けのにせものの月じゃなくって、本当にここにいる、月。


 さようなら、お父さん、お母さん。……それから梨子(りこ)


 こうしてりんごはたったひとり、未来に降り立った。


***

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