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電子の月に恋をして

 りんごを弔って数日後、エクリプスたちと共にハカセは去っていった。

 みんなは別れを惜しんだけど、同時に張り切ってもいた。

 ハカセの月の復活計画を聞いて、そのための準備をしなくてはいけなかったからだ。


 静かの丘のオンガクはより一層やかましくなったし、楽器を始めとしたさまざまな道具が考案された。

 これまで食べるものばかりを育ててきた畑だったのが、観賞用の花も植えるようになったし、ただのぼろの重ね着もちゃんとした服らしいものへと変わった。


 もちろん、りこのアイディアもたくさん入っている。

 りこはりこなりの方法で、みんなの暮らしを少しでも素敵なものにしようと考えていた。


 この世界で生きるのは大変だ。

 食べられそうなものならなんでも食べてみなくちゃいけないし、そのせいでお腹を壊したり、死ぬような思いをすることだって多い。

 それが本当に食べ物のせいかどうかも怪しくって、何かの毒や病原菌が原因かもしれないけれど、大抵は調べようもないことだ。


 ケガだって多い。何かを手に入れるには、やっぱり危険が付きまとう。

 瓦礫だらけの世界はちょっとした地震が起こるだけでぺしゃんこにされる恐怖にさらされるし、草木が生い茂る場所では、人間を獲物として見る生き物がたくさんいる。


 見たことのない奇妙な生物に出くわすのだって珍しくないし、空をUFOが横切ることだってある。

 このあたりを縄張りにしているイルカは駆除されたけれど、別のイルカが来ない保証だってない。


 そんな世界だから、知り合いの数が減ってしまうことだって珍しくない。


 つらくて悲しいとき、誰かがいてくれればいい。

 けれど、誰かがいない人や、その誰かを失ったり、ケンカをしてしまうこともあるだろう。


 そんなときにすがれるものが、あればいい。



 体感でひと月くらいだろうか。

 嵐の大洋に再び蒸気仕掛けの小型艇がやってきた。

 赤いコートを着た集団と、まっしろな白衣を身に着けた男の人。

 白衣は新品みたいだったけど、眼鏡は相変わらずずれていた。


 月の投影施設の再起動に挑む日が決まったのだ。


 この近辺の月を制御している施設は、嵐の大洋の向こう側にある。

 あいにく、海はいつものように大荒れだ。

 何事も記録につけるエクリプスたちは、海の天気が落ち着くタイミングをおおよそ予測することができるという。

 本当はもう少し待てば、晴れる確率は高いらしい。


「今夜決行する。満月なんだ。晴れるかどうかは五分五分だけど、ぼくらはあえてリスクを取ろうと思う」


 記念すべき始まりの月は、月が失われる前の月齢で満ちるその日を選びたい。

 エクリプスたちは反対したけれど、かこびとたちが強く推したことで決まったのだそうだ。

 赤コートの集団の中には、りこを見て「女子高生だ」と大喜びするお姉さんや、「娘を思い出す」なんて涙ぐむおじさんもいた。


 けれど、りこは今日だけは制服を脱いでしまう。

 この日のために仕度していた衣装で、月の復活を待たなければいけないから。


 家庭科の授業くらいしか裁縫のできないりこでも、帯で留めるタイプの服ならそう難しくない。

 りこたちの時代にも、それよりもずっと前からもあった和装。

 細かな構造を知らなくっても、それっぽく見えればオーケーだ。


 y字に重なった胸元。

 瓦礫と狩猟の世界じゃ邪魔にしかならない白い大袖(おおそで)に、一番苦労させられた赤い(はかま)のプリーツ。

 腰の帯のむすび目は、親友が何度も練習して綺麗に見えるようにしてくれた。


 りこは、神道や仏教についてはさっぱりで、せいぜい考古学者の卵から聞きかじっただけだ。

 神社仏閣も初詣や旅行をするための場所くらいにしか思っていない。


 けれど、この紅白の衣装を作ったのは、今のこの時代の人たちに必要なものだと思ったからだ。



 静かの丘、病院の庭に付近の集落の人たちがみんな集まった。

 大きな火を焚きそれを囲って、月のお出迎えのために花を飾り、おのおのに楽器やとっておきの食事を持ち寄って。


 その中に一人、欠けている者がいた。

 彼のことが好きな女の子は、胸が張り裂けんばかりといった表情で、りこにくっついて座っている。


 カリトが修理隊の船に乗ってしまったのだ。

 エクリプスから貸し出されたトランシーバーのテストをしたときに、彼の声が聞こえて発覚した。


「お願い、お父さん。カリトのことを守って」


 かぐやが祈っている。りこも同じ気持ちだった。


 船旅は最初のうちは順調だった。

 トランシーバーから雨の音や波の音はしたけれど、ハカセやカリトたちの声もよく拾えていた。

 赤コートのかこびとのおじさんが言うには、「俺たちの時代でこんな通信機を使ったら、即お縄だな」とのことだ。


 大した情報も入って来ず、到着にもまだ時間が掛かるとのことだったから、りこはみんなに昔の話を聞かせた。

 りんごの力を借りて古代を語り、りこの好きだった古典の時代を話す。

 分からない部分は、りこのファンタジーで埋めた。


 通信機が、エクリプスにもこの“おはなし”を聞かせてしまったらしく、彼らは笑ったし、それを聞きつけたみらいびとは怒ったけど、りこは落ち着いてみんなを宥めた。


 幻想から科学へ。

 りこの語りは、りことりんごの生まれた時代を通り、月と地球が離れ離れになった日へとシフトする。


 そして、ハカセがエクリプスから聞いて、りこへと伝えた、文明のサヨナラへ。



 きゅーーん、きゅいーーん、ほわーーん。

 きゅーーん、きゅいーーん、ほわーーん。



 ふいに、トランシーバーの音が、不気味なほどに大きく鮮明になった。

 みんなは立ち上がったり身構えたりし、音をよく聞こうと耳をすませる。


 空からじゃない。通信機から、イルカの声。


『奴らの背中が見えた! ちくしょう、イルカだ! ちくしょう!』

 カリトが叫んでいる。

 りこの手の中の通信機に向かって、かぐやが「逃げて!」と呼びかける。


 イルカの群れが小型艇に並走しているそうだ。

 雨の中では火薬の武器は使えない。荒波の中には空気銃なんて役に立たない。

 イルカはイルカで、あの呪いと呼ばれる電子レンジ攻撃は水中では使えないという。

 けれど、エクリプスの船はイルカに体当たりをされて沈められた経験があるらしく、通信機の向こうからは不安と緊張が伝わってきた。


 みんな、静まり返ってしまう。

 トランシーバーを理解していない人も多く、イルカの鳴き声が聞こえるたびに、不安げに空を見上げている。

 緑の風が強くなり、せっかく飾った花を激しく揺らし、囲う炎を猛らせた。


『ちくしょう! ぶつかってきやがった!』


 トブンと音がして、水が流れこむ音が続く。

 ノイズ、かぷかぷと笑う、ノイズ。

 かぐやが小さく悲鳴をあげ、目をぎゅっと閉じて耳を塞いだ。


 りこは呼びかける。聞こえますか、聞こえますか。

 返事が無い。

 それでも諦めずに呼び掛ける。どうか、応答願います。


 電波の嵐の中にカリトの声が聞こえた。いつもの、あの調子乗りボウイの声だ。


 りこは胸をなでおろす。かぐやに一言お願い。そう言い、トランシーバーをかぐやに向けた。


『おれの槍は鉄砲よりも強いみたいだ。かぐや、絶対に帰るよ。おれがおまえに月を見せてやるからな』


 イルカたちは体当たりをやめたけれども、まだ波の隙間から見張っている。

 蒸気船よりも速く泳ぎ、波濤(はとう)をものともせず、衛星のようにぐるぐると回って。


 きゅいん、ほわんとイルカたちの鳴き声が聞こえる。

 可愛くて恐ろしい、死へのいざないの唄。


『このまま陸地までついてくる気か』

『もう、どうしようもない』

『白紙のひとびとよ。妻に伝えてくれないか、愛していると』

 くやしそうなエクリプスたちの声。


 わたしたちには何もできることがないの?


 りこは両手を握り合わせてただ祈る。

 みんなもまねして、同じポーズをとる。


 ポーズなんて所詮ポーズに過ぎない。


 日本人は形から入る、なんて言ったっけ。

 りこの巫女装束はでたらめで、月は電子仕掛けで、神様なんてホントはいない。

 届くのは不安ばかりで、祈りなんて無意味なのかもしれない。



 どーーん!



 お腹を震わせるような音が響いた。


「俺はそういう、しょぼくれた顔が嫌いなんだ!」

 満月頭のストロングさんが、怒った顔で太鼓を叩く。


 どーん! どーん! イルカの歌よりも、どーーん!


 彼が拍子をとると、誰からともなく楽器の音が響き始めた。

 缶や箱状のガラクタを使った、打楽器ばかりのプリミティブな音色。

 本当は月をお迎えしたときに演奏する予定だった、お祭り用の楽曲だ。


 トランシーバーからは、相変わらず大音量でイルカの歌が聞こえてくる。

 けれども、それは次第にみんなの激しくがちゃがちゃした演奏に掻き消されて、りこの耳にも途切れ途切れになってきた。


 負けるな、負けるな、イルカに負けるな。


 ドッテテ、ドッテテ、トォテテテ。


『おい、奴らがうしろの方に流れていくぞ!』


 イルカたちは諦めたのか、はたまたこのオンガクに気圧されたのか。

 連中は、きゅーん……と哀れっぽく鳴いて退散していった。


 そうして、戻ってくる様子が無いことが確認されると、あっちとこっちで歓声が起こった。


『りこくん、エクリプスのみんなからアンコールが来てる』

「またイルカ!?」


『違うようだ。何か聞いていた方が気がまぎれるんだろうさ』

 ハカセは声を潜めていたが得意げだ。

 りこも同じく「やりましたね、ハカセ」とささやく。


 二曲目は静かな曲だ。

 弦楽器や笛を中心とした、なんちゃって雅楽。

 りこも、金属片を使った鈴の音色に似た音が出る楽器を振って参加する。


「見てください、何か飛んでます! わあ、可愛いですよ!」

 めざめがはしゃいで指さす先、木の枝に名もしれぬ小鳥のつがいが舞い降りた。

 彼らは演奏に加わるかのように、小さくさえずった。


 曲が佳境に入るころ、修理隊は岸にたどり着いた。

 投影施設はそのすぐそばだ。


 イルカが去り、距離も離れたせいか、修理隊との通信は雑音まじりになっていた。

 あちらは天気の方は少しマシになったようだけど、建物に入れば通信は途絶えてしまうという。

 月はたまに空に現れることから、故障原因は接触不良だと予想されている。

 その程度なら、専門家でなくとも修理できるかもしれないし、隊には電気電子に詳しいかこびとも加わっている。


 彼らを信じよう。

 あとは、りこはりこの役目を果たすだけ。


 鈴を手に祭壇へあがり、空を見上げて。


 桜色の空は今宵も咲きほこっている。

 ちらちらと散るような星たちもまた、夜空のあるじの帰りを待っているのだろうか。


 りこの眼下では、みんながおのおのの役目のために、楽器を構えたり、喉や胸に手を当てたりしている。

 集められた満開の花、風に揺れる木々、小鳥は肩を寄せ合って。



 そして、空にはおぼろ月。



 一同がどよめく。

 その月は空を右に左に行ったり来たりしながら、まるで水面に揺らぐように、溺れ苦しんでいるように見えた。

 迷い月はノイズに沈み、三日月に切れ、新月に還り、血のような雲に邪魔をされる。


 風が強い。花が騒ぎ、遠くから嵐のにおいが漂ってくる。


 頑張れ、頑張れ。


 りこは腕を振り上げる。

 鈴の音色が、しゃん。


 去れよ叢雲(むらくも)、負けるな花。


 袖を振り、袴揺らして、赤と白とをないまぜに、りこが舞う。

 かぐやが歌い、めざめが叩き、ねむりが静かに立ち上がった。


 誰も空を見なかった。

 誰もが自分の役割に一所懸命だったから。

 だから、それがいつ起こったのかは分からない。


 曲の終わりと共に、巫女が腕を天高くつき上げた。


 満月の帰還。

 一瞬だけぶるりと震えたそれは鮮明になり、こうこうと優しい光を放ち始めた。

 りこにはそれが、父にも母にも、姉にも、そしてわたし自身のようにも思えた。


 誰も何も言わなかった。

 誰もが見上げて、頬をリンゴに染めて、呆けてしまったかのように、ぽかんとまんまるに口を開けている。

 ただ一人、ねむりだけは見向きもせずに、月に似た顔をしながら、娘の頭を撫でていた。



 りこがトランシーバーを手にする。

 そして、こちらを見てほほえみ、こう語りかけた。



 みなさん、そちらから月が見えますか?

 こちらの月も、とっても綺麗です。



***


おわり


***

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