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お酒になったのはやまなしか?

 カプセルはみんなの集会場である本棟のホールに運びこまれていた。

 “カプセル”なんて呼びかただと、流線形のボディで表はガラスか何かで透き通っていて、眠ってる人が見えるものを想像するかもしれない。

 けれど、これは三メートル程度の長方形の金属の箱で、完全に密封されていて、外部モニター無しに中身の状態は把握できない代物だ。

 施設に接続されていたときには小部屋か掃除用具箱かといった感じに思ったけれど、こうして見ると棺桶みたいにも思える。


「な、赤いのがちかちかしてるだろ?」


 カリトはランプを得意げに指差す。

 ハカセがカプセルに向かって屈みこんで、「青、緑、黄、赤で内臓電源の残量を示してるんだ。まだ動くはずだ。故障が無ければ解凍処置がおこなわれる」と言った。


「中に入ってるのは誰ですか?」

 めざめが首を傾げる。

「開けてみるまでは分からない。例によって外に貼られた管理シールは剥がれてるようだし」

 そう言ってハカセは、りんごのほうを見た。


 りんごはもちろん、家族だったらいいなと思う。

 お父さんやお母さんでもいいけど、一番はやっぱりお姉ちゃん。


 りんごの胸が弾む。もしもここに姉が加わってくれたら、どんなに素晴らしいだろうか。

 考古学者の卵が、自分の生きた時代が研究対象になりうる環境にやって来たときは、どんなリアクションをするのだろう?


「本当に状態がいいな。りんごくんのときは、解除ボタンが潰れていて開けるのに苦労したんだよ」


 ナオシの宝物のドライバーが活躍したと聞かされている。

 今度は、誰かの指のひと押しによって開けられることになるのだ。


 さて、ハカセも周りのみんなも、りんごのことを見ていた。


「パスコードは憶えてるね?」


 もちろん、憶えている。りんごはうなずいた。

 言語や数字は不要。子どもでも覚えられるものだ。


「ぶしゅーってなりますか?」

 めざめが訊ねる。

「おっと、そうだったね。解凍開始時にガスが出るから気をつけよう。浴びてもなんともないけどね」


 りんごはハカセが開けてくれたカバーの中に並ぶ三つのボタンを見つめる。

 太陽と、三日月と、星のマークだ。


「開けるね」


 りんごは三日月へ指を重ねる。


 パスコードは、月がみっつ。


 ムーン・ムーン・ムーン。


 三度ボタンを押しこむと、カプセルの中から、がちんという金属音がした。



「おかしい」

 ハカセが言った。ガスが出てこない。



 りんごは反射的にカプセルに覆いかぶさるようにした。

 解凍もせずに開いたら、中の人が死んじゃう!

 けれど、ハッチは一人の女の子なんて屁でもないというように押しのけた。


 りんごは床に伏せたまま動けない。

 みんなが何か言ったけど、それも耳を素通りした。


 りんごの頭の中で、コールドスリープの説明がぐるぐると回り始めた。


 冷凍前の入眠時には必ず、手足を伸ばした気をつけの姿勢でいること。

 解凍後のマッサージ講座。誰かにしてやったり、自分でやったり。

 そういえば、自分のときはすっかり忘れていた。ハカセがしてくれたのかな。

 ハカセが、「解凍はすでに済んでいたのか」なんて言っている。

 ああ、心臓マッサージのやりかたも教わったけど、思い出せない。


 ねえ、やめて。聞きたくない。

 若い女の人だとか、誰かに似ているだなんて、言わないで。


 そうだ、なんとかのネコって言葉がある。

 箱の中に入ったネコが生きてるか死んでるかは見てみなくちゃ分からない、なんてやつ。


「おい、りんご、大丈夫か?」

 カリトがりんごを助け起こす。

 ハカセの白衣がちらっと見えたけれど、彼は何も言わない。


 見たくない。けれど、箱はもう開かれてしまっている。

 事実は変わらない。



 だから、りんごは見てしまった。そうするほかに、なかった。



 箱の中にいたのは若い女性。

 くちびるは紫で、眼窩は落ちくぼんでいたけれど、それは確かに姉だった。

 どうしてだか、彼女は背を丸めていて、胎児のような格好になっている。

 それから、全身を覆うスリープスーツのこぶしの部分が破れていて、赤黒い血の塊がこびりついていた。 


 お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん。

 彼女は姉にすがりつき、大きな声で泣いた。

 固くて、冷たい。大好きな姉の身体の中からは、何も音がしない。


 ずっと、ずっと泣いた。

 確率的には、死んでいても当たり前だったのだ。

 けれど、今ようやく、はっきりと分かった。

 姉は死んでしまったのだ。

 本当に、独りぼっちになったのだ。


 かぐやも、カリトも、ハカセも、誰も抱きしめてくれない。


 喉が枯れても涙は枯れない。

 泣き声が小さくなると、別の音がけたたましく鳴り響いていることに気づいた。


 がんがん、がんがん。


 その音を知っている。目覚めのときに打ち鳴らされる、黒い月の音色。

 それを聞いているうちに、少しだけ落ち着いてきた。


「めざめ、もうやめなさい」

 聞いたことのない声だ。声に従いフライパンの音は止まった。

「月はもう、見られないのね」


 顔を上げると、声の主は遺体をじっと見つめていた。

 いつもの虚ろな顔ではなく、ちゃんと生気の宿った顔で。


 それから、こちらの顔をまっすぐと見て「彼女は眠ったわ」と告げ、いつものぼんやりとした表情に戻ると、ふらふらと外へ向かって歩いていった。


「お悔み申し上げるよ」

 ハカセが言った。

「カプセルに不具合があったんだと思う。解凍は正常にされたけど、扉が開かなかったんだろう」


 持ち越し品は床面のボードを外せば出てくる、書類はハッチの裏側のポケットだ。

 ハカセの説明は素通りした。


 少女の瞳の中には、虚空だけがあり続ける。


「散らばっちまってるな。おれが集めといてやるよ」

 カリトが何か言い、紙がめくられるような音が続く。


 りんごは姉の書類を勝手に触られたくなかった。

 立ち上がろうとしたけど、酔ってしまったかのように、ふらふらとくずれ落ちてしまう。


 カリトはこう言った。


「なんでりんごの名前が書いてあるんだ? りんごの姉さんは、りんごの姉って名前だったのか?」


 りんごは凍りついた。

 身体がすーっと冷たくなり、目の前の死にも焦点が合わなくなった。


「なあ、かぐや。これっておまえが教えてくれた、りんごの名前の漢字だよな?」



 りんご。


 宮沢苹果。



 わたしが借りた、わたしのお姉ちゃんの名前。



 すっぽんなんて、大嫌いだったから。

 月のほうがいいに決まっているから。



 みんながざわついている。

 どういうこと?

 名前が間違ってたの?


 りんごは、嘘をついていたの?


「みんな、違うの!」


 何が違うんだろう。

 “彼女”の居場所が、がらがらと音を立てて崩れるのが聞こえる。


 違う、違う!


 そう言ったのは“彼女”じゃなかった。


「りんごちゃんは、みんなを騙そうとか、嘘をつこうとか思ってない!」


 かぐやだ。かぐやが“彼女”のことをかばってくれている。

 温かかった。腕が、背中が。


 大丈夫だよ。大丈夫だから。


 耳から身体の中へと入りこんでくるささやきが、“彼女”の中で凍りついていた女の子を解凍していく。


「誰もそんなこと思っちゃいないよ。りんごは、姉さんの名前を貰ったのか?」

 カリトが問う。


「……少し、借りてただけ」

 返すつもりは、なかったけれど。


「そうなのか? おれは親父が死んだときからカリトだけどな。それまではカリトの息子って呼ばれてたし」

 カリトはなんてことのないように言った。


 ハカセを見ると、優しく微笑んでいるように思えた。


「だったら、りんごの本当の名前はなんなんだ?」

 カリトが首を傾げる。



 わたし、わたしの名前は――。


 ――宮沢梨子(みやざわりこ)



「これからは、“りこ”って呼んでください」


 りこが名乗ると、ホールは最初に自己紹介したときのように盛り上がった。

 「短いほうが呼びやすくていいな」と言ったのはストロングさんだ。

 カリトも姫がどうしたとか、また歯の浮くようなことを言う。

 ハカセもいつものちょっと眠そうな顔で、拍手をしていた。


「りこちゃん、これからもよろしくね」


 かぐやとは握手をした。

 ぎゅっと、強く強く。

 本当は「ありがとう」を言いたかったけれど、その代わりにもっと強く握った。

 そのほうが、りこらしいから。

 なんだか競争するように握り合ってしまって、離すタイミングも分からなくなり、ふたりいっしょに小さく笑ってしまう。


 一方で、めざめちゃんは「りんごのほうがよかったです」と勝手なことを言っている。

 だから、りこはハカセからお絵描きボードを借りて、自分の名前の漢字を書き、ナシという果物があることや、リンゴと似ていること、けれど、りこの梨子はそのナシじゃなくって、“やまなし”の方のナシだとか講釈を垂れた。


 めざめはふくれっ面をしたり、片眉を上げたりしながら、頑張って理解しようとしてくれた。

 りこがボードにやまなしの絵を描いてみせるとようやく目を輝かせ、「それ、豊かの城で見ました。今度、めざめが案内します!」と言った。



 それから、誰かが「りんごさんのお葬式をしよう」と言った。



 穴を掘り、そこに遺体を入れ、荼毘(だび)にふす。

 みんなはそれを囲って、死者の生前の思い出話を語るのだ。


 けれど、りんごのことは、りこだけが知っている。

 りこはりんごとの思い出をみんなにも分かるように説明しながら話して聞かせた。


 みらいびとの影が()になって集って、かこびとの火を囲い、じっといつまでもいつまでも、耳を傾け続けた。


 もったいないという声も上がったけど、りこは姉の持ち越し品を、いくつかの小さな土偶や旅の思い出だけを残して燃やしてしまった。

 さすがに、ジャージが出てきたときには大笑いしてしまい、みんなに心配までされた。


 この時代でも、焼け残った骨を集めて、とっておきの容器に入れるという。

 こんな瓦礫だらけの世界だから、墓地なんて無いけれど、今度、作ってみてもいいかなと、りこは思う。


 見上げれば月の無い空。

 炎の照らす中、緑色の風が吹く。


 さようなら、お姉ちゃん。

 わたしはここで、生きていきます。


***

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