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月がすっぽん

 すっぽーん! と月が軌道から外れて、どこかへ飛んでってしまった。


 あの頃の人類は、ブルーマーブルを知り尽くし、宇宙(そら)に足を踏み入れ、繁栄の限界を悟ってからは均衡に舵を切り、ごく平和で、ごくのんびりとやっていた。

 そこに突きつけられた離婚届は原因不明で、初めての月面着陸も目じゃない大パニックに陥った。


 だって、月が離れるといっても毎年数センチとかそういう話じゃなくって、ロケットのようにどんどんと加速していって、あっという間に幾千幾万、ひかり百万の彼方へ行ってしまったのだから。


 そうなると、地球自身も身の置きかたを変えなければならなくなる。

 まず、潮の満ち引きが消えてしまって、一気に水が押し寄せて地図が塗り替えられ、自転の速度がどうしたとかで、一日の長さまで延び始めてしまった。


 海洋環境がおかしくなると、サンゴやカニ、カメなんかは大量発生をしてみたり絶滅をしてみたりしたし、クジラたちは狂ったようにダンスを踊って浜に打ち上げられた。

 森ではオオカミは丸いものを見つけては手当たり次第に遠吠えをしてみたけれど、しっくりこなかったらしくて尻尾がぐにゃりとしっぱなしだったし、空を行く渡り鳥はみんな引きこもりになった。


 それから風は吹き荒れ花は散り、つぼみは開かず枝葉も枯れ。ついでに野菜もマズくなった。


 もちろん、人間だってずいぶんやられた。

 最初の大津波からずっと大地震が頻発して瓦礫が積み上がるし、なんだかヘンな宗教がたくさん興ったし、自殺者が増えて代わりに殺人鬼が減った。

 月が影響することが否定されたはずの迷信たちは、それを覆して生理周期が乱れたし、睡眠不足は続出だし、占いはひとつも当たらなくなった。


 まさにルナティック。そこで立ち上がったのは、やっぱり地球人類、科学の子。

 頑張れ、我らがサイエンティスト。彼らはなんとか月を蘇らせようと試みた。


 激論のすえに打ちだされた計画は……「空にホログラムの月を投影する」という案。


 そりゃあ、やっと月に住みこみの仕事を見つけたばかりの人類に逃げたパートナーを連れ戻す甲斐性なんてないし、代わりをどうにかできる勇気だってない。


 ところが、完全にお茶を濁した作戦だったのに、実際に電子の月が空へ映し出されたら、動物たちの異常行動は治まってしまった。

 案外、それらしいものがあればなんでもいいのかな、なんて笑い話に……。


 なるわけがなし。


 動物がよくっても人類が困る。

 ご存知の通り、資源は月で採掘、培養されるものに頼り始めていたし、月の洞窟に試験移住していた数万人の消息も不明。

 宇宙ステーションや人工衛星も月と同じくどこかへ行ったか、地上に落ちた。

 天変地異も治まる様子はなく、ムーン・エスケープからたった半年で、人類はみずからを維持することができなくなっていた。

 少し前の人類だったら、最終戦争にでもなっていたんじゃないかな。


 いのちと比べたら些細なことかもしれないけれど、文化にだって大打撃だ。

 文化の世界では、お月様はあの太陽よりも大切にされていたのだから。

 月を歌った音楽や文学、名画なんかは数えきれないほどにあるし、日本人はお月見団子やハンバーガーだって食べなくちゃいけない。

 嘘っぱちの電子の月なんか、誰も見上げたりはしなかった。


 さよなら花鳥風月。


 ずっと昔からずっと未来まで。

 いなくなってから再確認。人類は月に恋をしてきたのだ。


 だから、些細なことだなんて言ったのは撤回しようと思う。


 ザ・日本人の“彼女”だってその一人だ。

 読み漁った文学やファンタジーにはもちろん、好きな歌の歌詞にも月はいたし、百人一首の影響で月で一句、歌でも詠んでみようかな、なんて考えていた。

 月夜のベランダで甘いアップルティーの入ったカップを片手に、姉の話す考古学に耳を傾けるのが大好きだったのだから、なおさら。


 そんな彼女は制服を着て、教室であくびをして、部活をやって、自分なりのレゾンデートルを哲学したりする、いわゆる普通の女子高生だった。

 両親が欠けておらず、姉もいて、まだ十五歳で、健康で大きな病歴もなく、文系で、未来に希望を持っていた。


 そういうわけで、彼女は「眠るほう」を選んだわけだ。


 もしかしたらこれは悪い夢で、目覚めたら夜空に月が浮かんでいて、何事もなかったかのように二十九日半周期で満ち欠けをしているかもしれないし、そうでなくとも、問題のほとんどが解決していて、また元のように暮らせるのかもと期待していたのだから。

 

 仮にダメだったとしても、もう自分を“すっぽん”だなんて思わなくて済むのだと、信じていたのだから。



 ところが、冷凍睡眠から目覚めた彼女が最初に目にしたまんまるは、月でもすっぽんでもなく、フライパンだった。



***

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