Happiness
「あ、そういえば」
ふと、青年が何かに気づいた。
「バタバタしててすっかり言い忘れてたけど……お疲れ様でした、ソラさん」
「ああ、ありがとう」
「今すぐ出る必要はなくなったから……また日を置いて迎えに来ますよ」
ああ。そうだった。
「それ、だけど」
「隕石が来ないから約束はナシ、なんて言いませんよね?」
言い淀む私の意図を、先回りして潰すかのように青年はかぶせた。
「そんなことは言わないさ。けれど、ね」
「なんです?」
私は即答できず、少し黙り込んだ。
仕事を終える直前、二人で星を見上げていて。
確かに私は、旅立とうと決めていた。
いや、旅立つことを楽しみにしていた、と思う。
けれども。
「さっきさ、倒れたろう、私」
「ええ……まさか、やっぱり具合が良くないとか?」
「いや、そうじゃなくてさ。あれ、来たんだよね、天啓が」
「ならいいんですが……それで、その内容は?」
この律儀な、約束を守り通してくれた血統を前に、私は伝えることが本当に憚られた。
正直、生きてきて初めてかもしれないくらいの逡巡だ。けれども、言わないわけにもいかない。
「もう一回、なんだってさ」
「何が……えっ!?」
自身の言葉を終わらせる前に気づいたのか、青年は夜空を仰ぎ見た。
「次に北極星が移り変わるまで、私は星を観測しないといけない」
「いや、嘘でしょ……」
疲れ果てた声を出し、青年も私と同じように地面に寝そべった。というか、脱力のあまり倒れ込んだ。
「なんというか、すまない」
私にはそれ以外の言葉はなかった。
「いや、僕は……いえ僕もよくはありませんが、それより」
半ば独り言のように吐き出した青年の視線を感じ、私は顔を横に向けた。果たして青年はじっと、私の顔を見つめている。そのまま1分ほど、沈黙が続く。
「なんだい? 恋に落ちた?」
「それはひいひいひい……祖父さんですよ。多分ね。そうじゃなくて……驚いてるんです」
「あまりの愛らしさに?」
「……ソラさんが、あまりに落ち着いているからですよ」
「おかしいかい?」
「だってそうでしょう? 3500年の束縛が解けたと思ったら、それがまた始まるんですよ? 絶望するのが普通でしょう?」
「あー、次は2000年後らしいよ。結構短いね」
「ソラさん……」
絶句する青年。言わんとすることはわかる。けれど虚勢を張るわけでもなく、私は本当に、絶望なんて微塵も感じてはいなかった。
「多分、見解の相違だね」
「どういうことです?」
「私はさ、この3500年の間、一度も嫌だ、なんて思ったことはないんだ。退屈だともね」
「ソラさん……」
「その一方で、楽しいことはまあ、ちょいちょいはあったよ。キミのご先祖なんかそうだね」
口に出してみてわかる。私は、きっととても恵まれているのだろう。
「……でも、幸せなんですか?」
「幸せ……」
「ええ。辛いことはなく、時々楽しくて……でもずっとここにいて、気が遠くなるほどの年月が流れて……ずっと孤独で。隕石を呼んでしまうくらいに」
「私じゃないってば! ……いやまあ、キミの説に賛同したんだっけか……ううん」
「僕には、それがわからない……」
幸せ、か。
流石に青年というべきか、いかにも青年らしい疑問だ。まあ、私の答えは明瞭だけど。
「幸せだよ」
その言葉と一緒に、笑顔を見せた。
「どうして……そんなに曇りなく言えるんですか」
「だってさ」
それは、すごく当然の理由だった。
「キミが来たじゃないか」
「僕……?」
「2000年も前の約束を守ってくれて、一緒に行こうと言ってくれて、そうやって身の上を案じてくれてる……これを僥倖と言わずしてなんと言おう」
「そう……なんですか?」
「そうだよ。だから私は幸せさ。隕石が嫉妬してどこかに行ってしまう程度にはね」
こんなことを口走ったのは生涯初だ。私はどんな顔をしているのだろうか。
青年は少し驚いた顔を見せ、しばし沈黙して、やがて大きく息を吐いた。
「わかりました。じゃ、また来ます」
そう言うと、さっさと起き上がって、体の埃を払い出す。
「そっか」
私も立ち上がる。特に示し合わせることもないまま、そうするのが自然とばかりに、二人でエアモービルのところまで歩いた。