9 殺し屋との邂逅
マルコからの仕事を断った益荒男は自分の部屋へと帰る。
今回の件で改めて分かったが、この廃墟の街の常識は自分の常識と大きく乖離している。それを理解はするが、納得が出来ないのはやはり益荒男が只の一般人だからなのだろうか。このひと月で大分この廃墟の街に慣れたつもりでいた。だが本当の意味で慣れるにはもっと時間が必要そうだ。
まだ時刻は午前中という事もあり、住民達は忙しく仕事に勤しんでいる。偶に部屋の外にある椅子に座るだけで何もやっていない者を見掛けるが、どうやって生きているのだろうか。純粋に気になるのだが、自分の常識がここでは全く通用しないと改めて理解した所だ。今は気にしない事にした。
長屋風の集合住宅に戻ろうと、階段を登ると、その途中で見慣れない男と擦れ違う。一瞬こちらに驚いたような表情をしたようにも見えたが、この集合住宅にも大勢が住んでおり、顔を知らない者も多いだろうと特に気にも留めなかった。
部屋に入ろうと扉のドアノブを回すと、カチリと音が聞こえた。一瞬その聞きなれない音に疑問を感じたものの、特に気にする事無く扉を開けて中に入る。
すると何かが益荒男の額に激しく衝突し、頭が大きく後ろへと仰け反る。その直後、カランと何かが床に落ちる音がした。
「~ッ!?」
強い衝撃に一体何事かと混乱する。身体に異常は無い。床に落ちたらしい何かを、額を摩りながら拾い上げると、それは金属製の矢であった。それを見て驚愕する。
「…ッ嘘だろッ…!?」
振り返り部屋の中を見ると、扉から直線上の先にボーガンのようなものがあった。見るとボーガンから壁、扉、そしてドアノブへと紐のような物が繋がっており、ドアノブを回すとボーガンの矢が発射される仕掛けが施されていた。
「マジかよ…ッ」
命を狙われた、つまりそういう事だろう。再び外に視線を向けると階段の方向に誰かがいることに気づく。先ほど擦れ違った男だ。何やら驚愕した表情をしてこちらを見ている。益荒男と目があった瞬間、男は踵を返して走り出す。それを見た益荒男は考える間も無く男を追って走り出す。
「待てこらァッ!!!」
集合住宅を出ると男の姿はどこにも無く、どうやら逃げられてしまったらしい。
「くそッ!誰だあいつッ!?」
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益荒男は部屋のベッドに腰掛け考える。命を狙われるなんて初めての経験である。その事実に戦慄する。
だがマルコから断った仕事とはわけが違う。
殺られたら殺り返す。理由があれば躊躇はしない。
そう考えを巡らせていると、どこかで少しだけ心躍らせる自分がいる事に気づいた。
やはりこのひと月ばかりの廃墟の街生活で徐々に馴染んできていたのか。いや、それともこの不思議な身体を手に入れた事で、まるでゲームでもプレイしているつもりになっているのか、そう自問自答するが、頭を横に振ってそんなはずは無いと言い聞かせるように強く否定する。
ただ今生きているのは間違い無くこの身体のお陰である。あの樹海で迷っていた頃からもう何度助けられた事か。その事に誰にともなく感謝をする。するとどこからか言葉ではない声で何かが聞こえた気がした。
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「はぁ、はぁ、はぁ…、…よし、追っては来ていないな…」
先ほどの男が建物の影で、体重を掛けるようにして壁に寄り掛かっている。息が乱れているが徐々に整えると恐れるように呟く。
「なんだ…何なんだあの男…。確かに矢が頭に刺さったはず…!」
確かに見た。狙い通りに矢が額に当たり、頭が大きく仰け反ったのを。
あのボーガンを仕掛けた後、撤退しようとした時に標的と擦れ違ったのには驚いたが、逆に都合が良かった。自分の目で結果を確認出来ると、あの後階段の影に隠れて事の成り行きを見ていたのだ。
「くそっ、こんなのは予定外だ…!どうするっ…?このままこの事を報告するかっ?いや、ダメだ…、話してもきっと信じない…失敗した言い訳と取られる可能性がある…」
男は親指の爪を噛み、どうすると呟きながら、大量の汗を掻く。
「…いや、まさか、バレていた?この襲撃が…。いや、あるいは予想していた可能性は…?確かに失敗しないだろうと高を括っていたのは事実…。扉を開けた瞬間を狙うというのも実に古典的…。相手が素人と思い込んで甘くみたか…、くそ」
それに、と続ける。
「あの男、まさか魔法を使っていたのか…?いや、そうとしか考えられない。矢は間違いなく当たっていた…ならばそれをどうやって防いだか…。あの状況でそれが可能なのは魔法しか無い…!そう言えば防御魔法と呼ばれるものがあると聞いた事がある…!」
ならば、と続ける。
「いいだろう…確実に仕留めてやる…!このままおめおめと逃げるなど…殺し屋としての矜持が許さない…!」
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結局、部屋の中にいると窓の外から矢で狙われているのではと疑心暗鬼に陥り、全く気が休まらないため外へ出る事にした益荒男。
ちょうど昼前だった事もあり昼食でも取ろうと屋台街に出ることにした。
相変わらずの混み具合だが、一体この廃墟の街にはどれだけの人間が住んでいるのか気になってくる。しかもあくまで三番街のみでこの有様であれば廃墟の街全体ではどれ程になるのか。
「むッ…?あれは…ッ!」
何かを見つけ駆け出そうとするが、人の壁に阻まれる。だが関係無いとばかりに手をズボンのポケットへ突っ込み突き進む。肩がいくら接触しようと構うものか。そうして行き着いた先にあったのはとある屋台。大きな鍋を振り、その中に細かく刻んだ野菜や肉を入れて炒めている。そして白く小さな粒の集合体をその中に放り込み、混ぜて炒める。手慣れた様子で鍋を振る店主が作っているのは、まさしく炒飯であった。
「おぉ…、米があったのかよッ…!主食を見つけたぜぇ!…オヤジぃッ!一つ頼まぁ!」
皿にこんもり盛られた炒飯を口の中へ搔き込む。とその瞬間、益荒男の頭が横に大きく仰け反る。
「ッ!」
遅れてカランと地面から音がする。炒飯店の店主が驚いたように益荒男と地面に落ちた"矢"を交互に見て大きく声を上げる。
「っおい!大丈夫かぁっ!?」
その声に周りにいた人々も何事かとこちらを見る。だがその時にはすでに益荒男の頭は元の位置に戻っており、そのまま口に含んだ炒飯を噛んで飲み込むと、一言呟く。
「…あんま旨くねぇな…」
そのまま皿の中の炒飯を平らげると、空になった皿を店主に返す。
「オヤジ、また来るから今度は油と塩を奮発してくれよ」
「あ…?あ、あぁ。ってお前、大丈夫なのか…?」
大丈夫だと一言返すと、地面に落ちた矢を拾い、それを暫く眺めて矢が飛んできたであろう方向に目を向ける。視線の先には矢を放てそうな位置にいくつか建物があるが、そこに人影はなく、結局この矢を放った人間を見つける事は出来なかった。
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「はぁ、はぁ、はぁ…、な、何なんだアイツは!?」
殺し屋は矢を放った後、確かに頭に命中したのを見た。そして今度も矢が防がれてしまった事を確認した。だが、今回はそうなる可能性を十分に考慮していたため前回よりも驚きは無かった。しかし今殺し屋が驚愕しているのは、矢を受けた後に一切こちらを気にする事無く食事を完食した事だ。しかもわざわざ皿を返してからこちらを探り始めた。
「どう考えても普通じゃない…!…だが面白い…!必ず仕留めてみせる…!」
殺し屋は決意を新たにする。
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益荒男は市場に来ていた。屋台街に程近い場所に、肉や野菜、果物に雑貨等を売っている露店が集まり市場を成している一角があるのをこのひと月で把握していた。すでに何度も足を運んでおり、入用な物は色々と購入済だ。現在部屋は最初の頃とは見違えるほど充実している。
この市場にある露店では、前の世界でもあったような食材もあれば、見た事も無いような物まで選り取り見取りだった。肉に至っては動物肉だけでは無く、なんと魔獣の肉を取り扱う店まであった。店頭には魔獣らしき小さな生き物が毛が毟られた状態で一匹丸ごと吊るされており、その頭の額にはあの"目"があった。
思わぬ所で謎の一つが解けてしまった。
聞くと露店に並ぶ魔獣の肉はこのオミハの周辺で獲られたものらしく、ハンターなる存在が仕留めたものらしい。別段珍しいものではないようで、道行く人々も誰も気にしていない。中には目の前で魔獣の肉を物色し購入していく客もいた。
さて、今回益荒男がここにやって来た理由は只の暇潰しではなく、この状況で役に立つかもしれないとある物を探しに来たのである。
「えーっと確かこの辺だったか…?前に見たんだがなぁ」
きょろきょろと辺りを見渡しながら市場の中を練り歩く。すると目的の物を見つけたのか一つの露店の前へと近づく。
「へい、らっしゃい!ゆっくり見ていってくれ!」
店主がそう言うと、地面に広げられた絨毯の上に並べてある刃物を、見せつけるように両手を広げる。
目の前には十本ほどの所謂ナイフが並べられている。部屋に戻れば棍棒があるが、あれは持ち運びが大変であるし、邪魔でもある。携帯しやすく殺傷力も期待出来るナイフが適任だと考えたのだ。
「なぁ?この中でお薦めはあるか?切れ味がイイのが欲しいンだけどよぉ」
「うーん、そうだな。これなんかどうだ?見た目はシンプルだが、この中じゃ切れ味は一番良い。値段も安くしとくがどうだ?」
店主が薦めたのは刃渡り30センチ程度の短刀であった。欲しかったのはもう少し短いナイフだったが、この程度の長さなら大して変わらないだろう。短すぎても戦闘では素人には扱い辛そうな気もするため、この程良い長さの短刀で良いかもしれない。
手に取ってその刃の波紋を眺めていると、またしても頭に衝撃が走った。
益荒男の頭は横に大きく仰け反り、やはり遅れてカランと地面から音がする。
「はっ!?おい!?どうしたっ!!」
店主の声が周囲に轟く。益荒男はその声を無視して、今度はすぐに地面に落ちた矢を拾うと、先ほど手に入れたもう一本の矢と合わせて二本の矢を店主に見せる。
「なぁ?これ買い取ってくんねぇーか?結構上物の矢だぜ?これでその短刀安くしてくれよ!な?」
「…いや、良いけど、アンタ大丈夫なのか…?…それに上物って言うが、それ受けてピンピンしてるような矢に値段なんて付けれないと思うけどな…」
そう言いながら矢を受け取ってそれを眺め始める店主だったが、その矢が金属製だった事に気づくと驚いたように声を上げた。
「ってこれ金属矢じゃないか!?えっ…!?おい、アンタなんで平気なんだ…!?」
矢の価値など全く知らない益荒男だったが、思ったより矢に値段が付いたため、短刀を安く買う事が出来た。心の中で僅かばかり見知らぬ何者かに感謝をする。
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物陰に隠れ様子を見ていた殺し屋は苦々しい表情で震えながら何やら呟いている。
「あの男…!今度はこちらを見向きもしなかった…!しかも俺の矢を売り払うなどフザけた事をしやがって…っ!挑発のつもりか!?」
殺し屋の矜持が酷く傷つけれ、歯軋りをする。
「許さん…!許さんぞ…!」
殺し屋は決意をより固くする。
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用事も済んで部屋に戻ろうかと歩みを進める益荒男だったが、その途中で声を掛けられる。声のほうへと振り向くと、そこにはマリーがいた。
「やっほ~、マスラオ!こんな時間に珍しいね~!今日は仕事休みだったの?」
マリーとはこのひと月の間に何度か会っている。最初は助けてもらった礼にと食事をご馳走したのだ。その時は最初の仕事を終えてマルコより金を貰ったばかりで、その額がどの程度なのか今一つ分かっていなかったが、今の日々の稼ぎからすると驚くほどの大金であった。それを知らぬまま大盤振舞をしてしまい、その後酷く後悔したものだ。だが代わりにマリーからの信頼を勝ち取ったと思えば少しは気が紛れるというものだ。
マリーは手にした大きな桶に大量の洗濯物を入れて運んでいる最中であった。マリーは洗濯屋と呼ばれる職に就いているらしく、このように毎日大量の洗濯物を川辺に行って洗濯を行っている。わざわざ川辺まで行く理由を問うと、程近いスン湖の湖畔よりも上流の川辺の方が水が綺麗だからという事らしい。
洗濯屋の仲間と一緒だったらしく、見てみると皆一様に若い女だった。女達は色めき立って益荒男を見ながらマリーへ一体誰なのかと厳しく追及しているようだった。
状況が状況のため、さすがに知人がいる場は危険だと判断し、すぐにこの場を離れようとした益荒男だったが、一歩遅かったようで頭に衝撃が走った。
その瞬間を女達は見ていたらしく大きな悲鳴が上がる。
益荒男はそんな女達を心配させまいと、気丈に振舞う。
「オイオイ!そんなデカい声出すんじゃねぇって、びっくりしちまうだろ?この程度、全然問題ねーよッ!」
そう言うと女達から口々に賞賛の声が上がる。
「嘘っ!信じらんない!どうして平気なの!?」
「凄いっ…強いんですね…!」
「えぇー!?なに今の?もしかして魔法!?」
益荒男は満更でもない様子で、手をぱたぱたさせていると、マリーが心配そうに声を掛けてくる。
「ね、ねぇ、マスラオ…。ホントに大丈夫なの?今の矢だよね?なんで矢が…?」
そう言いながら桶の中に手を入れ手ぬぐいを差し出してくる。一体誰の物なのか分からず受け取るのに少し躊躇して困ったように頬を搔きながら答える。
「いや、ちょっと仕事でな…まぁ大丈夫だ」
そう言うと手ぬぐいを受け取り足早に去って行く。
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やはり物陰に隠れ様子を見ていた殺し屋は悔し気に呟いている。
「なんて奴だ…!まさかこの俺をダシに女共との会話に利用するとは…!」
すでに殺し屋の矜持はぼろぼろになりつつある。
「良いだろう…!こうなれば根比べだ…!」
殺し屋は長期戦の覚悟を決める。