8 スラムの命の重さ
あれからひと月が過ぎようとしていた。
毎日マルコから仕事を貰ってはその日の稼ぎで暮らすという生活にも徐々に慣れ始めていた。
最初の仕事がアレだった事からどんな仕事を回されるのかと思っていたが、渡される仕事はどれも普通のものばかりで拍子抜けしていた。てっきり血生臭い仕事を押し付けられるものとばかり考えていたのだ。
あれからいくつかの仕事を経験した。
老朽化した住居の修繕作業から、狩猟を生業とする者から仕留めた鹿などの動物を受け取り、その肉の解体を行う仕事。
他には廃墟の街で起こる喧嘩の仲裁やら、食材を卸市場のような場所まで運ぶ際の護衛など様々だ。
どの仕事も一人で行う事はなく必ず複数人で行っていた。
当然経験の無い益荒男は教えて貰いながらになるため、正直どこまで役になったのかは分からない。
唯一問題なく出来た仕事は、一切中身は不明だがマルコに渡される荷物の配達で、これは例外的に一人で行っていた。
どの仕事もその日の食費で消えるような微々たる賃金で、とても貯蓄出来るような金額では無かった。もちろん貯め込んだところで盗みや強盗に遭う可能性もあり、この廃墟の街では宵越しの銭は持たない事が正解なのかもしれない。
そして今日も仕事を貰いせっせと汗を流すため、同じように仕事の現場まで向かう。行けば分かると仕事の内容は教えて貰っていないがいつもの事だ。
どこの仕事場にも現場監督者のような者がおり、その者の指示で言われるがまま作業を行うのだ。
だが今日の仕事は何時もとは様子が違った。
何やら現場に行くと人だかりが出来ており、その中を掻き分けて奥へと進む。
するとそこには、複数の遺体があった。
どの遺体も服が焼けており大きな火傷の痕がある。少なくとも病気で倒れたといった雰囲気ではない。
それを見た益荒男は初めて見る人間の遺体に思わず吐き気を催す。
だが既の所で耐えて持ち直す。
周りを見渡してみると誰もが顔を顰めたり隣の者同士で話をしているが、体調を崩すような者はどこにも見当たらず、まるで益荒男だけが違う世界へ取り残されたかのような錯覚を起こす。
そこへ呑気な声が聞こえてきた。
「あ!マスラオさぁん、この間はど~も助かりました~!マスラオさんも今日はここで仕事っすか?」
「ん…?あぁトニオか。"も"って事はお前も?」
そうっす、とトニオと呼ばれた男はそのボリュームのある茶色のもじゃもじゃ頭を揺らしながら軽い感じで返事をする。
このトニオとはこの前一緒に仕事をした仲で、食材を運ぶ際の護衛をやっていた時に知り合った。途中数人のギャングに襲われ共に協力して撃退したのだ。
「いや~酷いっすね~!俺も気をつけねーと」
そう言うトニオだがやはり慣れた様子で遺体を眺めている。
受け入れがたい事だが、これがこの廃墟の街の日常だ。
いつもどこかで誰かが死んでいる。
決して珍しい事では無い。
この廃墟の街では命は指で摘まめるほど軽く、常に死と隣り合わせだ。
「…。…で、今日はどんな仕事何だ?聞いてるか?」
慣れない死体を前に視線をトニオに移してそう聞く。
「まぁ、たぶん、十中八九この遺体の処理でしょーね、俺も何度もやった事ありますけど、大体いつもこんな感じっすよ。マスラオさんはこの辺来たばっかで知らないでしょうけど」
周りにいる野次馬を見ながらそう言うと、知った顔を見つけたのか言葉を続ける。
「あっ!ほら、あの人。たぶんあの人が今日のリーダーっすよ、いつもいるから間違いねーっす」
行きましょうと言って歩き出すトニオに黙って着いていく。
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「いち、に、さん、し…。良し、四人全員来たな。今日はこの遺体を処理するからこの荷車に乗せて火葬場まで運ぶぞ」
そこには二台の荷車があり、馬が引くような大型のものではなく、人が引くような小さいものであった。昔日本でも使われていた大八車のような見た目である。それぞれに遺体を三体載せて、二人一組となり荷車を引く。
トニオが率先し荷車を引こうと前に出ると、益荒男はそれを後ろから支えるような形となり、もう一台も準備が出来たところで現場監督者の合図で出発する。
「なぁ、トニオ。こいつ等誰に殺されたと思う?よくあるンだろ?犯人は捕まるもんなンかよ?」
「いや~?どうっすかねぇ…。やっぱ可能性としては"魔法を使う者"が犯人じゃないっすかねぇ~。まぁ後はこの人数だとギャングの抗争か、マフィアが絡んだ殺人ってとこっすか?まぁ犯人が捕まるなんて話は聞いた事ないっすねぇ、そもそも誰が捕まえるんだって話で。…もしかしたらこいつ等は昔誰かを殺してて、今回はその報復で殺られたって可能性もあるんじゃねーっすか!おっそろしい話ですよ、まったく…」
質問を受けてトニオは自身の推測を話す。だがその中に気になる言葉があった。
「…"魔法を使う者"…?」
「はい?魔法を使う者っすか?そりゃ文字通り魔法を使う人間の事っすよ!きっとこの火傷は火の魔法に間違いねーっす!」
そう話を思い思いに巡らせていると、もう一台の荷車を押していた男が話に加わってきた。
「実はよぉ…、俺はこいつ等の何人かの顔に見覚えがあるんだ。たぶん、二番街のギャングだぜ…!大方この三番街と二番街のギャング同士の抗争で殺されたに違いねぇ」
なるほど、ギャング同士の抗争か。するとそれを聞いた益荒男はトニオに問い掛ける。
「二番街…?おい、トニオ。この廃墟の街にも区画があンのか?」
「へ…?いや、そりゃあるっすよ!一番街から四番街まであって、俺らのいるここは三番街っす。一番街は南のほうで、新区画と隣り合わせになってて、四番街が一番北側。…まぁ四番街のさらに北に貧民街って呼ばれてる場所もありますけどね…。あそこはマジで危ねぇって話っすから絶対近寄んない方がいいっすよ」
さすがに住民だけあって詳しい。
いやもしかすると常識レベルの話なのかもしれないが。
益荒男はその話に頷くと、そろそろ見えてきた火葬場を見て愕然とした。
「…おいおい、火葬場ってこれかよ…」
そこには火葬場とは名ばかりのただの空き地のような場所で、適当に木材を積み上げその上に遺体を載せて燃やしている姿があった。
だがそれも仕方あるまいと納得する。
衛生観念が乏しいこの場所では、火葬して遺体を処理しているだけでも十分なものだろう。遺体をそのまま放置していないだけマシである。
火葬場に到着すると現場監督者の声が響く。
「よーっし!じゃあ遺体を降ろしてくれ!順番に運んで燃やすぞ!」
どうやらここまで運んで終わりというわけでは無いらしく、火葬までの一連の作業を行うようだ。その事実にげんなりする益荒男であった。
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火葬を無事終えて今日の賃金を貰うと、トニオと共に屋台の並ぶ場所から程近い所にある酒場へと足を運ぶ。トニオの行き付けらしく、相変わらずぼろぼろではあるが店内は盛況な様子だ。席に着くなり酒を注文すると、程無くして僅かなつまみと一緒に酒が運ばれてくる。どうやらつまみが一緒にやって来る仕組みらしい。
「っぷはぁ!染み渡る~」
「…まっず、なンだこれ」
味は薄くアルコール度数も低い。トニオは果たして美味いと思って飲んでいるのか。出てきたつまみも味が薄く物足りない。
「なぁ、マスラオさん…、マスラオさんの"夢"ってなんすか?」
「はぁ…?夢?」
突然何を言い出すのか、トニオは少し酔ったのか顔を赤くしている。この度数が低いアルコール水で酔うとは酒に弱いのかもしれない。
「俺はね、いつか新区画に行きたいって思ってるんすよ…!あそこにどうやって行けるか知ってますか?…結局は金なんすよ、金。…まぁ今はまだまだ全然足りないんすけどね、ちょっとずつ貯めてて、まとまった金が出来たら行こうと思ってるんす」
ここよりよほど良い場所なのだろう。この"オミハ"と言えば当然のように新区画の事を指すらしく、栄華を極めた大都市という話だ。
「新区画か…どンな所なんだ?」
「知らないっすけど、凄いって話っすよ」
知らないのか…。だが夢がある事は日々の生きる糧にもなるだろう。もしかすると今この場にいる大勢の者達も、同じように夢を持ちそれを追い求め日々汗水流して働いているのかもしれない。まだここに来たばかりで右も左も分からない益荒男には夢を持つなど、それこそ夢の話だ。
この後新区画が如何に凄いのかを延々と聞かれ続け、げっそりとする益荒男だった。
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翌日同じように仕事を貰いにマルコの元を訪れる。
仕事を斡旋する者は各地にいるらしく、掛かりつけの医者よろしく、掛かりつけの斡旋人が各個人にいるらしい。
しかもどうやらその斡旋人はマフィアと限った事でも無いらしい。
カルロはまるで当然と云わんばかりだったが、益荒男は上手く丸め込まれたのだろうか。あるいはカルロとコルブラン一家には何か繋がりがあるのかもしれない。
「よぉ~!今日も何か仕事くれぇ」
「お!来たな。待ってたぜ~?」
おや、と益荒男は思う。待ってたなどこれまで滅多に言われる事は無かった。以前そのように待ちわびた態度を取られたのは、確か荷物の配達を頼まれた時依頼だったか。
「…ン?何だよ、待たせたつもりはねぇけど?」
「いやぁ、ちょうどお前に任せたい仕事が入ってよ!ちょっと面倒な奴だ。やってくれるか?」
面倒とはどういう事か。まさか最初にやった仕事のような類だろうか。
「まぁ内容次第だな。今回はちゃんと説明してくれンだろーな?」
「あぁ、実はな…」
話を聞くと、どうやらギャング絡みの話らしい。
ここ最近活発に活動しているギャングがいるらしく、コルブラン一家の縄張りを荒らす等、目に余るようになっているようでその静粛をという話のようだ。だがこの話を聞き疑問に思う。
「待て待て…何で俺なンだ?そンなのお前等コルブラン一家の仕事だろうがッ。お前等の面子が潰されてるって話だろ?何でそんな仕事を俺に回そうとしてンだぁ…!?」
マルコは煙草に火を点ける。
煙草を吸いながら湖畔を見つめると、頭を掻きながら話し出す。
「まぁお前の言う通りだよ…。本来なら俺らコルブラン一家でどうにかする類の話だ。…ただちょっと困った事によぉ…情けねぇ話だが、そっちに人を割く余裕がねぇんだ、今コルブラン一家にはよ」
「…なンでだよ?」
深刻そうにそう話すマルコに益荒男も勢いを失う。
「サリエリ一家って聞いた事あるか?この三番街に拠点を置くマフィアだ。こいつらが厄介でなぁ…、結構長いこと抗争が続いてる。うちの構成員も結構な数を殺られててよ。ギャング相手に戦力を割けねぇんだ」
「おいおい、大丈夫なのかよ、コルブラン一家はよぉ」
まだそれほど世話になっている訳では無いがマルコ個人には多少感謝の気持ちもある。コルブラン一家がどうなろうと益荒男にはほとんど関心は無かったが。
そしてマルコはまるで語り掛けるように喋りだす。
「…ダメ、かもなぁ。ウチは結構前から続いててな?それこそ廃墟の街がまだそう呼ばれてなかった時代からよ。もう五十年以上か、俺も生まれてねぇな~。俺がコルブラン一家に入った頃はイケイケでよぉ!そりゃこの辺のマフィアって言えばコルブランってなもんだったんだぜ?廃墟の街を統一だなんて言ってよぉ。それが今じゃどうだよ…三番街に追いやられて随分とこぢんまりしちまった」
過去の情景を思い浮かべているのだろうか。益荒男からはマルコの横顔しか見えないが、その顔には哀愁が漂っているように見えた。
「…情けねぇ話だが、お前になら任せられると思ってな」
そう言うと益荒男の瞳を見て、どうだと言わんばかりの間を取る。
「…静粛ってのは具体的には何をやンだよ?」
まだ付き合いが短いとは言え世話になっている。ここまで言われれば出来れば断りたくは無い。だが静粛という言葉が頭に引っ掛かる。
「…ん~、まぁ、殺しだよ」
「…本気で言ってンのか?俺はマフィアじゃねぇんだぞ?いくら何でも無茶苦茶だ」
やはりそうかと心の中で思う。
はっきり言ってマルコは大きな誤解をしている。
益荒男の事をまるで殺しにも慣れた戦士のように扱う事がある。言葉の節々にそう思わせる発言が度々あったのだ。否定して来なかった益荒男がもちろん悪いのだが、やはりこの廃墟の街では命の扱いが軽すぎる。関係無い人間に殺しを頼むなど有り得ないと思うのだが、恐らくマルコはその事をあまり疑問にも思っていない。
「悪ぃな…やっぱ無しだ。俺にはそこまでする理由が無ねぇ」
マルコの目を見てはっきりと断ると、マルコの溜息が聞こえてくる。
「はぁ…まぁ仕方ないか。…あぁ悪いが今日はこれしか用意してねぇから他の仕事はないぞ」
断った途端にこの突き放すような態度に少し腹が立つが、仕事を断った手前あまり強気には出にくい。今日はこのひと月で少しだけ蓄えた貯金を切り崩しかないかと苦い顔をする。