6 コルブラン一家
翌朝、益荒男は仕事について聞くため、あの老人へ会いに向かっていた。待ち合わせ場所は助けられた直後に寝せられていたあの部屋だ。どうやらあの建物はこの近辺の住民達の溜まり場のような場所らしく、共同体に属していれば好きに使って良いらしい。
共同体とはこの辺一帯の集まりで、つまるところ互助会のようなものと理解していれば問題ないだろう。そして益荒男はここの使用を許可されている。いつの間にかここの共同体に属する事になっていたらしい。勝手に決めるなと言いたいところではあるが、正直有難い話だった。
あの建物のある場所まで歩いて移動していると、一階部分のかつては何かの店舗だったのだろうか、大きく開けた、よく見ればガラス面が全て無くなっていて、部屋の体を成していない随分開放的なスペースがあった。そして、そこに並んでいる椅子の一つに腰かけている白髭の老人を見つけた。
「おぉ~、じーさん、イイ朝だなぁ。待ったかー?」
一切年配者に敬意を払わないような軽い挨拶に、老人は気にならないのだろうか、一切動じる事もなく返事を返してくる。
「ん?おぉ~来たか。うむ、良い朝じゃ。儂は大体ここにいつもおるでの。全然待っとりゃせんわい」
そう笑いながら話す老人に益荒男は昨日マリーに会った事を話す。
「おぉ、そうか。マリーに会ったか。良い娘じゃったろう?お前さん感謝せんといかんぞ?この辺じゃ野垂れ死になんて日常茶飯事じゃからの。みんなわざわざ助ける事なんてせん。自分の事で精いっぱいじゃからのぉ…」
薄々感じてはいたが、廃墟の街では、いやもしかするとこの世界では、命というものの価値が低いように思う。これも平和ボケしているせいだろうか。
「あぁ、感謝しねーとな。あとじーさん!アンタにも感謝してる。あの部屋、悪くなかったぜ?」
ほっほっほ、と朗らかに笑う老人。そういえばまだ名前を聞いていなかった。
「そういや、まだ自己紹介してなかったよな?…はは、悪ぃ悪ぃ!俺は益荒男健。マスラオとでも呼んでくれ」
なぜ苗字で呼ばせるか?日本人ならそれが普通だろう。
「そういえばそうじゃったな!全く忘れとったのぉ~!そうか、マスラオか…。うむ、不思議な響きじゃ…。なるほど、それがあの森の先住民の名の響きというわけか。うむうむ良い名じゃ。…儂はカルロじゃ、カルロじい様とでも呼んでくれ」
「あぁ分かったよ、じーさん」
受け入れて良いものか非常に悩ましいが、どうやら益荒男はこの廃墟の街で、"禁忌の森の先住民"として生きる事に決まったらしい。果たしてこのまま受け入れて良いものか、今ここで訂正しておくべきでは無いか。益荒男の脳内では肯定派と否定派で激しい攻防が繰り広げられていた。
「それで、早速なんじゃが、仕事の話じゃ。上手く話が付いての、とりあえずまずは簡単な仕事からやってもらおうかと思ってな。ほれ、ここに地図を書いておいたから、ここの"マルコ"という男を訪ねてみてくれ。この辺で仕事の斡旋をしとる男じゃ」
「お?おぉ…うん…、いや、そうだな、…悪ぃな!じーさん、色々と!」
完全に訂正する機会を逃したが、どうせ脳内の討論も決着は付いていない。
そう言えばもう一つ聞いておかなければならない事がある。
「そういや、じーさん。昨日マリーに聞いたンだけどよ。サリエリ一家っていうマフィアには関わるなって言われたンだけど、この仕事って大丈夫なンだろうな?」
カルロはそれを聞いてほっほっほと笑う。
「サリエルか、大丈夫じゃよ。マルコはコルブラン一家じゃからな」
「…はっ?…いや、ちょっと待ってくれ!マフィアなのかよッ!?」
だが慌てる益荒男をよそにカルロはポカンとした表情である。
「そりゃそうじゃろう…?仕事の斡旋なんじゃから…。別に大丈夫じゃぞ、マルコは気の良い奴じゃし、儂も昔は世話してやった事もあるし、お前さんの事を無碍にはせんはずじゃ、安心せい」
事もなげにそう言うカルロは相変わらずほっほっほと朗らかに笑う。
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カルロに渡された地図を見ながら目的地である"マルコ"を目指す益荒男は、湖岸へと向かっていた。
暫く歩くと視線の先に輝くものが見えた。太陽の光を湖面が眩しく反射している。近づいてみても湖の全貌がはっきり分からないほど大きい。カルロが"禁忌の森"と呼ぶあの森で見た湖とは比べ物にならない。
そう言えば昨日、マリーがこの湖の事を自慢げに話していた事を思い出した。確か"スン湖"と言っていたか。大層綺麗な湖だと言っていたが、確かに美しい。左の方に視線を移すと何やら巨大な建造物が見えた。一体何だろうか。
辺りを見渡してみると、この湖で魚を採っているのか小舟や網が置かれているのが見える。だが湖を見ても近くに舟は見当たらない。見えないほど遠くに行っているのか、それともこの時間帯は舟を出していないのだろうか。
湖に満足した益荒男は、再度地図に目をやり目的地の位置を確認すると、湖の岸に沿って歩き、その先に見える倉庫に近づいた。
「えーっと…ここ、だよな?…おーいッ!誰かいるかー!」
いきなり訪れた場所に誰かいるかとは何事かと思うが、この廃墟の街で生き抜くにはちょうど良いのかもしれない。すると声が聞こえたのか、奥から人影が出てくるのが見えた。
「…何だよ聞こえてるって。ん~?誰だ?…、…ん?誰だ?ホントに」
奥から出てきたのは四十歳くらいだろうか、髭面で顔は濃く背が高い。妙に色気のある良い男だ。益荒男を見て少し戸惑っているような様子に見える。カルロの言っていた"マルコ"では無いのか。
「カルロじーさんに聞いてここに来たマスラオってモンだけど。仕事があるって聞いてな、マルコって奴はいるか?」
「マルコってのは俺だが…。あぁなるほど、お前がカルロさんが言ってた奴か!何だ、まだ小僧じゃねぇか」
やはりこの男がマルコだったようだ。それにしても小僧とは失礼な奴だと益荒男は自分の事を棚に上げて思う。
「なンだと?小僧ぅ?小僧なんて歳じゃねぇんだが?歳取ると目が悪くなっていうのは本当らしいな、くくく」
この男がマフィアだと知っているはずだが、随分と好戦的な態度を取る益荒男。
「お、おぉ?くっくっく!仕事貰いに来たワリに偉そうな奴だな!お前まだ十代だろ?十分小僧だと思うがなぁ?」
「はぁ?何言ってやがる、二十五だよッ!十代なワケねぇーだろッ!ったくよぉ」
カルロが気の良い奴と言っていた通り、このマルコという男かなり懐が深いようだ。マフィアは舐められたら終わりという考えはもしかしてこの世界には無いのだろうか。
「何ッ、にじゅう~ご~?…見えねぇな、ホントに二十五なのか?おい」
日本人は若く見られるという事を聞いたことがある。だが、もしかすると、この廃墟の街においてはこれまで借金返済以外に碌に苦労した事が無いぬるま湯で育った益荒男の顔は、若く見られるのかもしれない。
「フーン…なるほど、な。まぁ聞いてはいたが見るのは初めてだよ。まさか生きてる内に会えるなんてなぁ~。若けぇんだな、"禁忌の森の先住民"って」
「…、え?今なんつった?アポ…何?」
何やら聞きなれない言葉があった。聞きなれない言葉ばかりでも不思議では無いのだが、捨て置くわけにはいかないと勘が言っている。
「"禁忌の森の先住民"だよ。違うのか?カロスさんがそう言ってたが…。いや、そうか!まさか自分達でそう呼ぶワケねーか!お前ら自分達のこと何て言ってんだ?」
意味は理解出来ないが、何を言いたいのかは理解した。つまりあの禁忌の森という場所に住む者の事を言っているのだろう。まさか初対面の者にまで先住民扱いをされるとは夢にも思わなかった。
「…いや、そうだな…うん。えーっと、アレだ、何だっけ?…そう、日本人、かな…」
もはや否定すべきなのか肯定すべきなのか分からない。こういう時はやはり初心に戻り、否定も肯定もしないという方針しかないだろう。そう考えとりあえず間違い無い言葉を返した。
「ニホンジン?へ~。でもあれだなぁ、お前やっぱ顔つきとか俺らとは違うよな、へ~」
(ンッ?今なんか違和感感じたような…あれ、なんだっけ?何か抜けてるような忘れてるような…)
「あぁそうだ、ワリぃ、話が逸れちまった。そうだ、仕事の話だったな。まぁ改めて、俺はマルコ、コルブラン一家のモンだ。ここらの仕事の斡旋を取り仕切ってる。まぁお前もこっちには慣れてねぇだろうって事でまずは簡単な仕事からやってもらう事にした。いいな?」
はたしてマフィアから仕事を貰うのは良いのだろうかと思わなくもないが、やむを得ないだろう。マリーの言うサリエリ一家でさえ無ければ問題ないだろう。
「おうッ。金がねぇーから、即金の奴で頼むぜ」
「大丈夫だって!終わったら日給が出るから」
なるほど日給という事は日雇い労働のようなものか。最終的には定職に就きたいが、今はそれで十分だ。とにかく早く現金が欲しい。
「まだ廃墟の街にも慣れてねーだろうからな、ここいらの勉強つーことで、おつかい頼まぁ」
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マルコに渡された地図を見る。意外と精巧な地図で驚く。だがまさか手書きではないだろう。先ほどカルロに渡された地図は明らかな手書きだったが、おそらくこの地図はいわゆる活版印刷と呼ばれる技術で作られたものだろう。この廃墟の街でもそういったものが使われているのだろうか。あるいはマフィアだからこそ使える技術なのかもしれない。
地図には手書きで丸印が一つだけしてあり、ここへ行って来いという事だろう。
マルコが言っていたおつかいとは、返済金の集金、つまり借金の取り立ての事だった。まさか取り立てられる側にいた自分が今度は取り立てる側になるとは考えても見なかった。
だがそもそも今日から初めて仕事をする人間に、しかもマフィアでも無い無関係の人間に普通こんな仕事を斡旋するだろうか?意味が分からない。まさかこれが廃墟の街では普通なのか。
だが全く自慢では無いが、取り立てのやり方だけには詳しかった。
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「ん~、ここか?」
人気の少ない路地裏に入ると一軒の酒場があった。太陽の陽があまり差し込まず少し薄暗い。だが店の中からは光が漏れておりどうやら営業中らしい。近づいてみると話し声が聞こえ、時折笑い声も響く。
中を覗いてみると、十人程の客が入っており、どうやらまだ昼間だというのに酒を飲んでいるようだった。手前にはいくつかのテーブル席があり、奥にはカウンターがある。店はそれほど広くなくこぢんまりとしている。
客層は若者が多いようで、どことなく街のチンピラといった雰囲気を醸し出している。益荒男は意を決して中へと踏み込み、扉を開くとカランと音が鳴り、その音で気づいた客がこちらを見てくる。
「…。この中にベニーニョって奴はいるか?」
するとそれを聞いた何人かが後ろを振り向き、カウンターに背を向けて座る一人の男に目を向けた。すると益荒男の声が聞こえていたのか、こちらを見ずに声を返してくる。
「ベニーニョってのは俺だが?」
そう言って、座っている椅子を回転させこちらに振り向く。やはり廃墟の街に相応しいぼろぼろの服装ではあるが、他の人間と違いコートを着込んでいる。外は春のような陽気だが、寒がりなのだろうか。金髪のぼさぼさ頭が特徴の頬のこけた男だ。
「お前がべニーニョか。借金の取り立てだよ、コルブラン一家に金借りてンだろ?」
近づきながらそう言うと、べニーニョは怪訝そうな表情をする。
「確かにコルブラン一家に金は借りてるけどよ?何でテメェに金をやんねーといけねぇんだ?大体誰だよテメェ、見ねぇ面だが新人か?」
「違ぇよ。コルブラン一家のマルコに頼まれてな。って事だから貰うモン貰わねぇと帰れねぇんだ。さっさと出しやがれ」
そう話すと店内からどっと笑い声が響いた。驚いた益荒男は周りを見渡す。一体何が可笑しいのかさっぱり分からない。何もおかしな事は言っていないハズだ。
「くはははッ!オイオイ!何でコルブラン一家じゃねぇ奴が取り立てに来てんだ!堅気の野郎がマフィアの真似事かぁ?ちゃんと仕事は選ばねぇーとダメじゃねぇかッ!払うワケねぇーだろうがッ!くははは!」
ぐうの音も出ない、その通りだ。益荒男自身が同じ事を思っている。なんで取り立てなんてしてるんだと自問自答するが、答えは変わらない。どんな仕事だろうと初仕事に失敗するわけにはいかない。
「…まぁそう言うなよ。こっちもこれが仕事なんだ。金を貰ったらすぐ帰るからよぉ」
まずは優しく。それでもダメなら厳しく。以前散々見てきた借金の取り立ては飴と鞭が激しかった。返済が滞らない内は優しかったが、返済が滞ってくると一転した。だが偶に優しい。緩急が大事なのだ。普段鞭ばかりのところに急に飴を貰うと、その優しさについつい金を渡しそうになった経験がある。もちろん渡す金が無く、すぐに鞭がやって来るのだが。
「バァーカ、払わねぇって言ってんだろうが!…あ~そうだ!そういや、勘違いしてたけどよぉ、金は借りてんじゃ無くて貰ってたんだわ、忘れてた。そうそう、そうだ、何で忘れてたんだ?なぁテメェ等、そうだったよな?」
「おぉ!そうだった、確か貰ってた!間違いねぇ!」
べニーニョがそう言うと周りの者達がそれに呼応するように同意の声を上げる。どうやら店にいる者達は仲間だったらしい。さてどうしようかと頭の中で考える。目の前にいるべニーニョはそれほど背も高くなければ、身体も細い。あまり強そうには見えない。周りにいる者達が仲間だとすれば喧嘩になるのは不味いか。もう少し粘ってみるか?
「…まぁそう言うなって。金は借りてンだろ?大体俺がコルブラン一家のモンじゃねぇからって、俺はその代理で来てンだぜ?お前もそんな事言ってっとヤべぇんじゃねぇか?あん?」
いくら益荒男がコルブラン一家に属しておらずただの使いだったとして、そんな相手でも舐めた態度を取れば後々問題になるなんて子供でも分かるだろう。それとも金を持っておらず、何とかこの場を切り抜けようとする策か?それならいくらでも経験があるし、分からないでも無い。ただそれにしては態度の悪さが目に付く、そういう時は相手を怒らせないよう細心の注意を払い、顔色を窺いながら許しを請わなければならない。先輩として教えてやった方が良いだろうか。
「くくくくッ…!てめぇ、その様子じゃ、さては聞いてねぇな?」
何の事だろうか。だが間違いなく聞いてない。マルコは益荒男に碌に何も伝えなかった。代わりに教えて欲しい。
「何でコルブラン一家は自分達じゃなくてテメェみてーな野郎を寄越したんだぁ~?分かるか?分かんねぇだろうなぁ~可哀そうに…くくくくッ!」
そう訳の分からない事を口にするべニーニョだったが、右手を少し前にかざすと手がぼんやりと光を帯びてきた。それを見て益荒男は目を丸くする。
「ほら、見せてやるよぉ~!俺がコルブラン一家を散々痛めつけてやった方法をよぉッ!」
そう言うと光る手を突き出し何かを呟く。
次の瞬間、益荒男の身体が扉を突き破り、吹き飛んだ。