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4 樹海からの脱出



「…お、おぉ…やっと見えた…!」


視線の先にはこれまでとは異なる景色が広がっている。樹木の幹に覆い尽くされた景色の先から淡い光が漏れていた。樹海の終わりである。益荒男(ますらお)は逸る気持ちを抑えきれず走り出す。その顔からは喜色が隠しきれておらず、疲れも忘れ足が軽くなる。驚くほどの健脚振りである。


木々の間を抜けると青く広がる空からの強い日差しに思わず目を細める。突然の眩しい光で身体を驚かせてしまったのだろう、目から入った情報が脳へと渡るが、最初に見た光景は白く眩いものであった。


「くぅ~ッ、眩しぃ~ッ!」


そろそろ足を止めてもいいだろうと力を抜こうとした時、地面の感触が消えた。まるで重力から解放されたかのように身体が宙を浮いた。


「…はッ!?」


落ちる。だが滞空時間が極めて短かった。

ザバンッと音がすると瞬間身体が冷たさを感じた。だがそれよりも何かに掴まろうと手足を動かす何も掴むことが出来ず、遅れてようやく川に落ちたのだと状況を理解した。


「ごぼぉッ、がはッ!ッハ!クソッ!ぐぼッ…ダメだッ流されるッ!」


辛うじて水面から顔を出す事ができ、周囲を見渡して見るが、すでに岸から離れてしまっており、さらに川幅も大きい。川の流れに逆らい泳ぐための体力がもう残っていなかった。


益荒男(ますらお)の姿が水の中に消えた。




--




セイクリイドと呼ばれる土地がある。


レナウン王国の領土の一つに過ぎないが、神が眠ると言われる霊峰ボウチと、精霊が住まうとされる神樹ヴァシラの二つを有しており、周辺国を含めた各地から信仰を集める比類なき聖地であった。


この地は北と西でそれぞれ二つの国家に挟まれるように隣接しているが、周囲を雄大な山脈で閉ざされており、容易に攻め入る事が出来ず、過去には天然の要塞とも呼ばれ地理的な要所でもあった。


だがこれまで何度かの争いを経て、現在では周辺国家共通の神聖な土地としてこの地に対する不可侵条約が三カ国で結ばれ、宗教的にも政治的にも中立の立場を取る特別な場所となっていた。


政治の中心はオミハと呼ばれる(みやこ)であり、レナウン王国でも有数の大都市である。

大きな湖に面した宗教都市で、歴史も古く、数多くの巡礼者が訪れるこの(みやこ)は、宗教だけでは無く、国の争いとは無縁な中立な立場により商業都市としても栄えていた。さらにこの地には質の高い鉄鉱石を排出する鉱山がいくつもあり金属産業も盛んであった。宗教、商業、工業が揃ったこの都市はまさに栄華を極めんとしていた。


ある者は巡礼に、神に身を捧げようと。

ある者は商いに、成り上がろうと。

ある者は稼ぎに、仕事にありつこうと。

様々な思惑を胸にこの地を目指した。


肥大化する都市の人口に伴い、今から五十年前に新たな区画が整備された。

政治に商業、工業と住居に至るまであらゆる基盤をそれまでの区画から新区画へ移した。そのため現在では旧区画は利用されておらず廃墟同然なのだが、とある問題を抱えておりこの存在はこの都市最大のタブーとされていた。



--



「…んん…、ン…?…どこだ…ここ?」


目を開くと薄暗い景色の中で天井が目に映った。身体の方に目を向けると、どうやらベッドで寝ていたらしく、薄手の布が掛けられていた。益荒男(ますらお)は布を払って起き上がり、ベッドから立ち上がる。首や手を動かし身体の調子を確認するが、どこも悪くはなさそうで調子はすこぶる良い。


確か川に流され、その後記憶は無いが溺れたはずだと、つい先ほどの出来事を思い出す。室内に視線を移すと、殺風景な景色が広がっており、ベッド以外には椅子があるのみで、他には何も見当たらない。窓の近くまで歩こうとすると床がミシミシと音を立てた。随分老朽化の進んだ建物のようだが、よく見ると、壁などには無数のひび割れが見られ、汚れも目立つ。


窓から外を眺めると景色の位置が高い。どうやら四階か五階辺りの部屋のようだ。外には同じような高さの建物が並んでおり、どれも老朽化が進んでいるように見える。もしや人が住んでいないのではという印象すら受けるが、下を見下ろすと人が歩いており、どうやらただ古いだけで人は住んでいるらしい。どこかの街だろうか?


「まさか、戻ってきた…?…いや、はは…そうか、そうだよッ!夢か!」


まるで現実としか思えないような夢だった。益荒男(ますらお)はそう安堵すると共に、急に現実に戻ってきたような錯覚を覚えた。なぜベッドで寝ているのかは分からないが、目的地へ着いたのだろうか。とするとここはどこかの外国か?そう言われると、どう見ても外から見える景色は日本では無く、下を歩く人々を見ても髪色が日本人らしくは無い。日本であれば黒髪がほとんどで、居ても精々が茶髪で、偶に金髪がいるくらいだろうか。暫く観察してみたが目に入ってくる髪色と言えば、黒色が少なく茶色が多い。赤みがかった色や藍色もちらほら見える。だがこれは数が少なく単に染めているだけだろう。抽出サンプルとしてはその他に分類だ。


「はぁ~…ってことは、これから強制労働か?最悪だぜ…。大体、…ン?ンンッ!?」


益荒男(ますらお)は何かに気づいたという風に驚いている。自分の身体を見ているが何かあったのか。


「何で裸なンだ…ッ?いやッ、そ、それより、何で葉っぱの腰ミノを着てんだよッ!?」


唖然とした表情で葉で出来た腰ミノを見ている益荒男(ますらお)だったが、今度はベッドの方へ歩くと、辺りを見渡しある物に気づく。それを手に取り、やっぱりと呟く。


「あるじゃねぇか…棍棒…はは、会いたく無かったぜ…」


その時、後ろから扉の開く音がした。それに気づき振り向くと、そこには一人の老人が居た。老人はみすぼらしい恰好をしており、布で出来たシンプルな服を着ていた。日に焼けた肌に皺くちゃの肌。髪は無く代わりに長く白い髭がある。


「おぉ、起きとったか。もしかしたら目が覚めんかと心配しとったが…、ふむ、大丈夫そうじゃな」


老人がそう日本語(・・・)で喋ると、この部屋に唯一あった一脚の椅子にゆっくりと座った。


「あ、あぁ、今目が覚めたとこだ。…じーさんが助けてくれたのか?」


「いや、儂では無い。仲間がの。お前さん川辺に倒れとったらしいが…」


老人はそう言うと経緯を説明してくれる。どうやらこの老人の仲間という人物が、川に洗濯をしに行ったところ川辺に倒れていた益荒男(ますらお)を見つけて、この部屋まで連れてきて介抱してくれたらしい。ここが何階かは分からないが、わざわざここまで運ぶのはさぞ大変だったろう。益荒男(ますらお)は礼をしておかなければと心の中で思った。


「まぁ、儂は暇ですることも無いからの、ちょっとお前さんの様子を見に来たというわけじゃ」


確かに見たところだいぶ歳を取っているように見えるし、その歳で忙しいという事もあるまい。そりゃ暇だろうなとぼんやりと失礼な事を考えていた。


「ところでお前さん、どこから来たんじゃ?確か川の上流に集落があると聞いた事があるが、そこからかの?」


「いや…、ちょっと訳ありでな、正直この辺りには全然詳しくねぇンだ。まぁ上流から来たのは間違いねぇーだろうけどな。森で迷ってて何とかそこを抜けれたンだけど、そのすぐ後に川に落ッちまってよ…」


益荒男(ますらお)は自分が別世界から来た事は言わずに事情を説明する。なぜ別世界から来た事を言わなかったのかと言われれば、この老人にその事を話しても事態が好転するとも思えなかったし、安易にその事を話さない方が良いだろうと漠然と考えたからである。


「森…?あの川の上流で森と言ったら、"禁忌の森"の事かの…?お前さん、なんちゅーところから来たんじゃ…。いや、待て、待つんじゃ!もしかしてお前さん…実はあの森の先住民かの…?」


どうやらあの樹海は禁忌の森と言うらしい。そして何やら勘違いをしている。先住民とはどういう事か。


老人は益荒男(ますらお)の身体を下から上まで眺めると、合点がいったとばかりに何度も頷き、何も言うな、儂に任せておけと優しく声を掛ける。そしてその様子にまた益荒男(ますらお)も合点がいき、内心どうしようかと考えていた。あえて否定せず、だが肯定もせずに曖昧な態度を取り、上手くこの状況を利用してこの世界の情報と生活基盤を得るという作戦はどうだろうか。突然の話の展開だったが、悪くない案のように思えてくる。どうせ行く当ても無いのだ。考えても仕方が無い。


「…その事はあまり触れないで欲しい。まぁなんだ、その、ちょっと事情がな…な?分かるだろ?…まぁそういう訳でよッ!この辺の事も良く知らねぇし、行く当てもないンだけど、助けてくンねぇか?じーさん」




--




じーさんは俺の願いを聞き入れてくれ、その後部屋から服まで色々と手配をしてくれた、全く人のイイじーさんだ、だがお陰で助かった。


あぁそれと、ここの家賃は誰が払うのかと真っ先に頭に浮かんだんだが、じーさんの男気を前に野暮な事は聞くべきじゃねぇと心の奥底に放り込んでおいた。なぜか壁にさっきまで着てた葉っぱの腰ミノと棍棒が掛けらてるんだが、あのじーさん曰く大事なものじゃろうから、と言う事らしい。もちろん否定はしないでおいたが、じーさんの中で俺は原始人に格落ちしたのは間違い無い。


今の俺は麻布で出来たシンプルな服に着替えて、どっからどう見ても現地人だろう。顔は知らん。まだあのじーさんしか見てないからな。だがまぁ着心地が最悪で、下着がねーもんだからチクチクしてしょーがねぇ。しかもちょっと破れてる。まぁ文句は言うまい、さすがの俺もここまで世話になっておいてそんな態度は取れねぇ。


じーさんは仕事の手配もしてくれるみたいで願ったり叶ったりだ。まさかこんなに順調に行くとは思ってもみなかったが、これで生活基盤は整ったと言えるだろう。ついこの間までの信じられねぇほどの森の生活が嘘みてーだ。


未だにこの街の名前も知らないんだが、まぁいいだろう。追々分かれば良い。この短期間で色んな事があり過ぎた。落ち着く時間も無かったし正直まだ心の整理が出来てねぇ…。俺にこの世界で生きていくっていう覚悟が出来んのか。今はまだ分からねぇ。




  

  ・ 

  ・

  ・




「へぇ~、何か思ったより色んな人種がいんなぁ…実は結構グローバルな世界だったりすンのか?…あッ!あの家、ちょっと崩れかかってねぇか…!?おいおい、大丈夫なのかよ、ここ…」


まだ日が明るい事もあり益荒男(ますらお)は街を散策する事にした。日本を一度も出た事が無かったため、生で見る異国の風景に心を躍らせていた。道沿いには市場のような露店が見られ、人の姿もそれなりに多く活気もある。少し気になるのは路上のゴミだろうか、日本に慣れているせいかもしれないが、ゴミの回収くらいして欲しい。


人が住んでいるであろう建物を見ると、とにかく老朽化が目立ち、窓や壁には木の板で穴を隠しているのかあるいは補強なのか、何らかの手が施されており、とにかく見た目がよろしく無い。だが、代わりに人々の生きる生活感を肌で感じる事ができ、これまで感じたことが無いような不思議な感覚に陥る。


暫く歩き街の様子を観察をしていたが、総じて廃れたような雰囲気があり、とても行政の管理下にあるようには見えない。これではまるで廃墟のようだと益荒男(ますらお)は心の中で思っていた。


暫くそんな雰囲気を肌に感じながら散策しているとすると、益荒男(ますらお)へと近づいてくる影が見えた。


ぼさぼさで色素の薄い茶髪が肩まで伸びている男。服は薄汚れてひょろっと線が細い身体だ。

間近に迫った男が話し掛けようと口を開くと、顔色が悪い顔に歯が何本か欠けているのが見えた。


「おーい、ニィちゃん!見ねー顔だな~、新顔かい?…ここだけの話だけどよ、ちょっと良いモンがあんだけどどーよ?安くしとくぜぇ?」


何やら危ない匂いを感じる。何か後ろめたい事でもあるのか後半は小声になっており、どう考えてもそっちの関係だろう。どちらにせよ、いくら安かろうが益荒男(ますらお)は一銭も持っておらず客にはなり得ない。その事を伝えると、男は舌打ちをして去っていく。


散策を再開しようと歩き出したところで、そこでふと気づいた。


――視線を感じる。



周りを見回すと益荒男(ますらお)を見る者が何人かおり、まるで観察するかのような視線を向けていた。恐らく先ほどの男同様に新顔だと言う事が分かっているのだろう。余所者へ厳しいのか、あるいは自分の利になる人間なのかを見極めようと言うのか、残念ながら視線だけではその狙いまでは分かるはずも無かった。


日本に居る頃の自分だったら恐怖のあまりこの場を逃げ出していたかもしれない。だがこの短い期間でそんな事が可愛く思える程の恐怖を経験した。あの森の中と比べればこの街は守られている。恐れる事はない、ここは安全なのだ。


とは思ったものの見知らぬ街で知り合いもいない心細さからか、それとも単に飽きたためか、そろそろ戻ろうかと踵を返し、元来た道を引き返す事にした。


するとその様子を見た者の中に小馬鹿にするような笑いを起こす者がいた。わざと聞こえるようにしているのか声が大きい。この場所が怖くなり引き返すように見えたのだろうか。


益荒男(ますらお)は睨むわけでも観察するわけでもなく、まるで興味の無さそうな表情で相手を見る。


と、男は笑う事を止め、不機嫌そうな表情をした。


――近づいて来る。



「てめぇ…何だその(ツラ)は?ここがどこだか分かってんのか?あん?調子に乗ってっと死ぬぞ…?」


見るからにガラの悪そうな男が睨みを利かせながら益荒男(ますらお)に脅しを掛ける。先ほどの男と比べるとがっしりした身体をしており、顔色も悪くない。何より歯が揃っている。


益荒男(ますらお)は男の台詞を聞いてどうするか悩む。

右も左も分からぬ土地で来てそうそう事件(トラブル)でも起こそうものならこれからの生活に影響するかもしれない。それに現在進行形で世話になっているあの老人に迷惑が及ぶ可能性だってある。


考えが決まったのか、僅かにその顔に笑みを浮かべて優しい声色で答える。


「いや、実はここがどこか知らねぇんだよ。悪ぃケドさ、教えてくれねぇか?」


「…はぁ?…ッてめぇ…本気で言ってんだろーな?あぁッ!?」


道を尋ねるかのように優しく答えたつもりだったのだが、何故か男は激高し脅しを掛けるように声を荒げる。益荒男(ますらお)は何もおかしな事は言っていない。街の名前も国の名前も、ここがどこなのか何も知らない。


「あぁ。知らん。どこなんだここ?名前は?」


男の反応に少し腹を立てたのか、先ほどのような優しい声ではなく少しぶっきらぼうに答える。


「ッこの野郎ッ!舐めやがってッ!」


そう言うと男は左手で益荒男(ますらお)の胸元を掴み上げ、右拳を振りかぶって顔を殴る。


「ッ!」


益荒男(ますらお)は小さく声を漏らし、殴られた衝撃で顔を横に仰け反ったが、ゆっくりと男の方へ向き直すと一言だけ小さく、そして低く、呟くように言葉を発した。


「…痛ぇな」


「ッ!」


男は顔を引きつらせ声を震わせ言う。


「こ、ここはッ、サリエリ一家の縄張り(シマ)だぞッ!て、てめぇ顔は覚えたからなッ!」


そう言って男は走り去る。


それを目で追う益荒男(ますらお)だったが追うような事はせず、男が見えなくなるまで無言でその姿を眺め続けた。そして親指を顎へと持っていき唸るように呟いた。


「サリエリ一家…?」





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