2 見知らぬ世界
益荒男がマングローブのような木の上で赤い果実を食べていると湖に何かが見えた。それを見て思わず手に持った食べ掛けの果実を落としてしまった。
「ンン…!?」
見間違いだろうか、湖の中央で何かが跳ねた。跳ねたは良いがその影が妙だった。魚にしては大きく、1メートルから2メートルくらいの大きさだったろうか、だが決しておかしな程大きいわけでは無い。問題はその形だった。
「え…?今、手が無かったか…!?」
跳ねた瞬間を見たわけでは無かったため、一瞬ではあったが確かに手があったよう見えた。魚というよりは人のようだ。
「…いや、マジか。舐めてたわ…。凝ってンなぁ~!そこまで仕込むか普通ッ!?」
一体どれだけの高さを跳んだのかここからでは分からないが、数メートルは跳んでいただろう。益荒男はしっかりとその姿を見ることは出来なかったが、タイミング良く見れた事に内心ほっとしていた。
(あぶねーッ!今の俺のリアルな表情はちゃんとカメラに抑えただろうなッ!?)
想定を超えるどっきりを仕掛けてくる。益荒男は暫くぶりの食事で気を抜いていたものの、それが逆に功を奏した事に喜んだ。どこまで上手くどっきりに嵌まるか、これは今後を左右する重要な事だった。もしかするとネットなどで話題になって思ってもみない未来が開けるかもしれない、すでにそこまで考えていた。
「そういや、ここで仕掛けて来たってことは、この道で合ってたってことか?ヒヤヒヤさせやがるぜッ」
そう言うと木を下りて、先へ進もうとする。とここで益荒男の目にある物が飛び込んで来た。恐らくこのマングローブらしき木の葉だろうか、大きな葉がいくつも落ちていた。
「おッ、こりゃイイな!ここらで文明人らしく服を作るってのもサバイバルっぽくて面白いなッ!」
すっかり慣れてしまったが益荒男は現在裸である。葉を拾うと表裏を確認しながら土を払い、どのような造りにするか考える。ふと辺りに視線を移すと紐として使えそうなツルまで落ちていた。これもマングローブらしき木のものだろうか。食事に服の材料と随分万能な木である。
葉にいくつか小さな穴を開けると、そこに先ほどのツルを通す、これを腰に回してツルを結べば立派な腰ミノの完成である。少し簡素な造りではあるが、何処となく原始の香りも感じて満足そうに頷いた。後は木の棍棒でもあればより完成度が高まるのだが、生憎と辺りに良さそうな木の枝は落ちていなかった。
「さ~て、どっちに進もうか…?」
全く目的地へのヒントのようなものが無い。そういう設定なのだろうか?もしかするとある程度の絵が撮れればそこでどっきりでしたのお披露目という事なのかもしれない。そうであれば別にどこへ向かおうと関係無いだろう。
湖に来た事でようやくはっきりと見えた太陽から、それとは逆の方角、つまり北を目指す事にした。意味は無い、何となくである。
・
・
・
先ほどの湖から二時間は歩いたか。だが一向に次のどっきりらしきイベントに遭遇しない。もしかして気づかず見逃してしまったかと内心焦っていると、視線の先に動物らしき姿が見えてきた。益荒男はその場で立ち止まる。
「…。仕込みか…?もし関係無かったら近づくのはヤバいよな…。何の動物だ?」
まだ少し距離があるせいか動物の姿がはっきりとしない。やむを得ずもう少し近づく事にする。まだ動物の方はこちらには気づいていない様子だ。木に隠れながら少しずつ近づいていく。
「オオカミ…?何か食ってんな…。何だ?」
姿が確認出来る所まで近づくとその姿は狼のように見える。地面に顔を近づけその顔を上下に動いており、どうやら食事中のようだ。よく見ると地面にあるのは何かの動物のようで赤い肉が見えていた。狼が狩ったのだろうか。
「…いや、やっぱりこれ以上近づくのはヤバい。もし本物のオオカミだったら死んでしまうッ」
そう言ってその場を離れようとするが、ふとある事に気が付いた。
「ンっ…あ、あれはッ!」
目を見開いて見つめる先にあるのは狼の額である。額には"目"があった。昨日どっきりで襲われた黒豹と同じである。
なるほどと閃く。つまりあの額の目が今回のどっきりの仕込みであるという目印というわけか。わざわざこちらに気付かせるような目印にしているという事は、もしかするとこのどっきりがバレる前提で準備をしているのだろうか。
だが何にせよ制作者のメッセージに気付けた事に安堵した。
「さて、安全は確認出来た…。どうするッ…?どう動くッ?」
考えを巡らせていると、ある物が目に飛び込んできた。
「おッ!イイのがあるじゃねぇか!まさかこれも仕込みだなんて言わねーよな…」
一本の棒を手に取るとそう呟く。持ち手部分は程よく細く手に馴染み、棒の先にいくにつれ徐々に太くなる姿はまさに益荒男がイメージする棍棒そのものであった。制作者の影を感じずにはいられない。
その棍棒を右手に持って構えると、忍び足で狼へとゆっくり近づいていく。そこでふとある事に気が付いた。
(いや待てよ?このままこの棍棒であのオオカミをブン殴っても大丈夫なのか?さすがにマズイよな)
中に人が入っているとすると不味い事になるかもしれない。見た限り中に人が入っているようには思えないが、あるいは訓練された犬なのかもしれない。今思うと昨日の黒豹も実は犬だったのかもしれないと思い当たる。だが、犬だとしてこの棍棒で殴ろうものなら死んでもおかしくは無い。
(よしッ…!初手は上手く空振りで終わらせて、その後はあのイヌの出方を見て決めるとするか!空振った直後の顔も上手く作ンねぇーとな…)
少しずつ近づく益荒男にまだ狼は気づいていない。どうやら食事に夢中のようだ。腰を低くし足音を立てないよう注意を払いながら前へと進む。もうあと僅かという所まで来た時、足元にあった小枝を踏み、パキッと割れる音が小さく響いた。次の瞬間、益荒男は大きく振りかぶった棍棒を、狼の少し横辺りに狙いを定めて振り下ろす。
だが小枝の割れる音で益荒男に気づいた狼は咄嗟に横に飛び跳ねたため、なんとわざと外すように振り下ろした棍棒の直撃を受けてしまう。
「しまッッ…ぐッ!?」
ゴンッと鈍い音が響いたと同時に持っていた棍棒から金属でも叩いたかのような衝撃が返って来る。思わず声が出てしまった。
「ッ痛てぇ~!…ったく金属の板でも仕込んでやがったのかよッ、チクショーッ!」
やはり安全対策を取っていたのだ。無駄に気にして損したとばかりに文句を言う益荒男。
そしてここである意味予想通りの流れが起こった。狼の姿が一瞬ブレたと思った次の瞬間益荒男の身体は地面に叩きつけられ、まるで昨日の黒豹の時と同じく、狼の顎が大きく開かれ、口の中の牙をこれ見よがしとばかりに見せつけてきたのだ。昨日と違う事と言えば、景色の流れがいつも通りでスロウでは無いない事か。気づいた時には喉元に狼の牙があり、唸りながら顔を左右に揺らして嚙み千切ろうかという仕草をしていた。
(うおおぉッ!さすがに二回目と言え怖えぇッー!!なんて絶妙な力加減で噛んで来やがるッ!絶対ケガさせンじゃねぇぞ!!)
狼の激し過ぎる演技に内心ビビるまくる益荒男。適度に狼の身体を掴まえて離すような仕草をしてみせるが、そんな互いに遠慮するような拮抗した状態が数分続いた所で、狼がそれまでの演技を止めて後ろへ下がる。
益荒男も苦しそうな演技で九死に一生を得たかのような表情を魅せる。
「ハァッ…!ハァッ…!ハァッ…!ハァッ…!」
息を切らしているのは演技では無く本当である。狼の顔があまりに間近にあったためまともに呼吸が出来なかったのだ。
横に転がっている棍棒を拾い上げ、よろよろと立ち上がると、棍棒をまるで刀に見立てたように正眼の構えで狼に向き直る。
益荒男と狼の距離は3メートル程。互いに出方を窺い身動きが取れないのか固まっていると、業を煮やした益荒男が叫ぶ。
「ッシャッオラアァッーッ!!!」
すると狼はそれを聞き、後方へ退きそのままどこかへと走っていった。
--
「ふぅ~、疲れたわぁ~」
狼との一戦を終え、その場に倒れ込むように座った益荒男は暫くの間休憩を取っていた。
「さっきのは相当イイ絵が撮れたろ!こりゃ反響が楽しみだ…ククク…」
ニヤニヤと笑う益荒男は近くにあった狼が食事していた動物の死体を見る。わざわざこんな物まで用意するとは相当手の込んだどっきりだ。本当にテレビで放送出来るのか心配になってくる。
「いや、もしかするとテレビじゃなくてネットか…?」
最近はテレビも規制が厳しいと聞く。何かあればすぐに苦情だ。だがネットではそんな事は無い。そう考えるとこのどっきりはネット番組か何かだろうか。もしかすると海外からの視聴者も期待出来るかもしれないとますます胸を膨らませる益荒男であった。
「にしてもこんなのまで用意するなんてなぁ…何の動物だ?…うへぇ~、さすがに気持ち悪ぃな!」
何の動物か確認しようと顔を見ようとする。何やら角が生えているようだ。ヤギか?そう思いながら回り込んで見ると、その顔に少し驚いた。
「ン…?何だよ、このヤギにも額の目を作ったのか?手が込んでるなぁ~。って事はこの死体全部がニセモンって事か…!?」
ここまで作り込む必要があるのだろうか?その徹底振りに驚くが、少し違和感がある事に気づく。
「…、いや、ニセモンにしちゃ臭いがすげぇな…。いくら何でもリアル過ぎねぇか?この額の目だってホンモンみてぇだ…」
そう感想を述べながら、落ちていた手頃な枝で額の目を突いていると、突然その目がギョロっと益荒男の顔を見た。
「…ッひッ!?」
驚きのあまり思わず後ろに倒れる益荒男だったが、次の瞬間さらなる衝撃を受ける。
「ギィ…」
ヤギのように見えた動物が小さく声を出しながら体を動かし立ち上がろうとする。すでに腹の内臓辺りは先ほどの狼に食べられてしまったのか無くなっており、首元は嚙み切られているのか血が噴き出している。
「…ッな、な、なんでッ…!?」
益荒男は倒れた状態のまま必死に後ろへ下がろうと足をばたつかせる。だが目の前のナニカが思いの外ふらふらと小刻みに震え、満身創痍に見えた。それを見ると直ぐに立ち上がり、棍棒を手にし正眼の構えを取ってこの得体の知れない動物に向き直る。だが身体は小刻みに震え、それに伴い棍棒の位置が定まらず小さく揺れている。よく見ればその顔は恐怖に染まっていた。
「ギィッ…!」
ゆっくりとした動作で何とか立ち上がると、前足を出して益荒男のいる方へと進もうとする。そして僅かに頭を下げ、二本の角を前に突き出すような仕草をする。
何をやろうとしているのか予想が付いた益荒男は咄嗟に棍棒をその頭へ叩き落す。すると効果があったのか、目の前のナニカはその衝撃を受け再びその場へと倒れた。
「ハァ、ハァ、ハァ、…に、逃げねぇとッ…!」
益荒男は倒れたナニカには脇目も振らずに走った。何が何だか分からなかったが、とにかく理解を超えた事が起こったという事だけは分かった。
「ハァッ!ハァッ!ハァッ!あの目!生きてたッ!動いてたッ!何だアレッ!?何なンだよッ!?どっきりじゃねーのかッ!?」
走りながら叫ぶ。顔には恐怖の色がありありと見て取れる。もう随分と離れたがそれでも走り続けていると、疲労のためか、それとも地面にある石のせいか、足がもつれ転んでしまう。地面は岩場となっており、そこに盛大に膝を打ち付けてしまう。
「ハァッ!ハァッ!ハァッ!ハァッ!…何だよ、こりゃ…ハァ、ハァ、何で、ハァ、何で、痛くねぇッ!?いま膝を岩に打ったってのに、何で痛くねぇんだよッ!?」
見ると膝からは血が出ておらず、かすり傷すら付いていない。このような混乱状態で興奮もしていれば、もしかしたら痛みを感じないという事もあるかもしれない。だが、かすり傷すら付かないという事が有り得るだろうか?
益荒男はこれがどっきり等では無く、何か想像を超えた事態が自分の身に起こっているのではないかという考えに思い至る。突然、森の中で裸で目覚め、額に目のある怪物に三度も襲われ、何をされても痛みを感じず怪我もしない。どう考えても普通ではない。湖で見た人のような影も思い返してみれば怪物だったのではないか。
「何なンだよ…どこなんだ、ここは…!」