14 懸念の解消
男に促され建物の中に入ると、埃の匂いを感じる。
以前は酒場だったのだろう、テーブルがいくつも見える。
だが建物内は薄暗く、椅子などは散乱しており営業している雰囲気では無い。これではただの廃墟のようである。だが廃墟にしては人の気配が多い。ここへ案内した男を含め三人いる。
「で…、ライモンドさんに何の用だ?用件を聞こうか」
そう言われわざとらしく周りを見渡し惚けた表情をする。
「何だ?何だ?俺、これから何されるンだ?」
そのふざけた態度に腹を立てたらしく舌打ちの音が聞こえる。それを聞いて満足したのか質問に答えようと口を開く。
「いやぁ、実はよぉ?ライモンドって野郎に命狙われてるみてぇでよ、ただ狙われる理由が分かンなくてよぉ?聞きに来たンだよ」
その言葉を意味が分からないと言った風に聞いていた男だが、他の男が何かに気づいたように慌てて外へ出ていく。それを見た益荒男は何となく察したが、何も言わず黙って見送る。
「あぁ…?なんだ?…おい、アイツ何で出て行ったんだ?」
その言葉に分からないと周りの男達も口にする。
どうやらこの男達は事情を知らないようだ。
「まぁいいか、とりあえずそんな訳分かんねぇ話でライモンドさんに会える訳ねぇだろ?…もし本当にお前が命狙われてるってんなら、俺らが殺したって良い訳だ。なぁ?」
ニヤニヤと笑いながら懐からナイフを取り出すと、それを見せ付けるように顔の横に着け頬を叩いてくる。
「そう言えばてめぇらは何なンだ?あッ、もしかしてライモンドの金魚の糞かぁッ?」
その馬鹿にしたような物言いに気分を害したのかナイフで横に流し、頬を切ろうとする。その躊躇の無さはさすが廃墟の街だろう。ましてや今の益荒男は顔の左側に大きな火傷痕と左目は灰色と不気味な風貌となっており、それにも関わらずたじろぐ様子が一切無い。
この廃墟の街ではこの風貌でも大して物珍しい訳では無い。そこに期待しても無駄という事だろう。多少箔が付いたくらいか。とりあえずここでの生活に支障は出ない。
すると男は困惑しているようだった。
ナイフで切ったにも関わらず一切頬に傷が無いためだろう。
その困惑する男の顔に拳がめり込んだ。
その衝撃によりテーブルを倒しながら大きな音を立てて倒れ込む。
それを見ていたもう一人の男が怒り声を出し殴り掛かって来るが、それを見て避けると上段蹴りで男を床に沈める。空手経験者の片鱗が見えた。
たがまだ二人が立ち上がろうとするのを視界に入れると、脇腹を大きく蹴り上げて追い討ちを忘れない。そのまますぐ傍にあった椅子を持ち上げ、それを叩きつける。
「…うぅ…ぐ…ぅ…」「あ…ぐぅ…」
床にうずくまり苦痛の声を上げているのを余所に二人に聞く。
「それで、てめぇらは何なンだ?サリエリ一家って事でイイのかよ?」
「う、うぅ…俺らは、準構成員だ…まだ、正式にサリエリ一家には、入って無い…」
顔だけ上げて答える。
「あぁ、じーさんが言ってた奴かッ、ってことはてめぇらはタダのチンピラか」
そう言って先ほど殴るのに使った椅子を立て直しそこに座る。
「それでライモンドって奴はタダの構成員か?それとも幹部だったりすンのか?」
「…構成員だ、幹部じゃない」
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完全に勢いを失い委縮した二人が端で大人しく立っている。
沈黙が支配する中、内心妙な事になったと気まずく時間だけが経過していた。
「なぁ、どっかにサリエリ一家の事務所があンのか?こっから遠いのかよ?ライモンドを呼びに行ったンだよなぁ?」
一向に戻らないもう一人の男を待っているが後どれくらい待てば良いのかと、いい加減帰ろうかと思った時だった。扉が開きぞろぞろと柄の悪い男達が入って来た。
「…!やっぱりてめぇか…何で俺を探してる?」
以前絡んできた男だ。
眉毛が薄く、目は大きい。唇は少し厚い。肌は白く髪は短い金色。間違いない。この男がライモンドだろう。
「やっと会えたぜぇ…随分待ったよ、ライモンドくぅん」
「てめぇ、どこで俺の名前を知った…?」
そう言って背に隠していた矢をライモンドの前に転がす。カランと音が響く。
「…?何だ?これは…」
どうやらサービルが弓矢を使っている事を知らない様子だ。この矢を見て殺しを依頼したサービルが殺されたと誤解し唇を嚙む様子を見たかったのだが、完全に見誤ってしまった。無言でその矢を拾う。
「ごほんッ、…まぁ…、てめぇッ!サービルって殺し屋に俺を殺すよう依頼したよなぁ?知ねぇとは言わせねぇぞッ!?」
咳払いをし誤魔化し、本題に入る。
「…チッ!やっぱりあの野郎しくじりやがったか!…あぁそうだよ、俺がてめぇを殺すよう依頼したんだよ…マスラオ、だったか?」
そう言ってニヤリと口元を歪める。
「分かンねぇな…なンで俺を殺そうとしたンだよ?」
いきなり殴られただけの関係でしかも益荒男は被害者だ。ちょっと睨んだだけで殺すというのがサリエリ一家の常識だと言うのか。
「サリエリ一家が舐められたままで引き下がりゃ沽券に関わるんだよ!…それに、てめぇコルブラン一家に出入りしてんだろ?あぁ?十分なんだよぉ、てめぇを殺す理由はな!」
そう言うと周りの連中が剣を抜く。この世界ではマフィアは西洋剣を使うらしい。鍔が大きく持ち運ぶ際には邪魔になりそうだ。端で立っていた二人もどうやら戦意が戻ってきたらしく拳を上げて臨戦態勢になっている。
先ほどからずっと火傷痕が弱く痛んでおり、こうなる事は予想済みだ。
こちらはと言うと先ほどのチンピラから奪ったナイフが一本。
「くッくッくッ!イイじゃねぇか…!…てめぇら全員死ンだぞッ!!」
その啖呵を合図に乱戦が始まった。
目の前の男が剣を水平にし突き出して来るのを辛うじて横に避けると、その後方にいた別の男が剣を振り下ろし、腕の服のみを斬られる。だがそれを無視して先ほどの男の喉元を一瞬で切ると、足で蹴り飛ばし周囲にいる者の態勢を崩す。
血吹雪が舞った事で動揺したのか後ろへ下がる男の胸をナイフで一突きすると、すぐ近くにいたライモンドを足で蹴る。すると背中から衝撃があり、見ると椅子で背中を叩かれていた。その場に倒れると次々と剣で斬られるが、腕だけを必死に動かして、近くの相手の足元をナイフで切り刻む。
そのままその場を転がり何とか脱出すると、すでに何人かはその場にうずくまり倒れていた。
「くッ!お前ら!何してるッ!?早く殺せぇッ!!」
益荒男に蹴られ床に倒れていたライモンドが大きく叫ぶ。
そう言ったライモンドも誰かが持っていたであろう剣を拾うと構えを取って応戦しようとしている。
「う、うおおぉぉぉっ!!!」
大きく雄叫びを上げて男の一人が益荒男目掛けて突進してくる。避ける事が出来ずにそのまま押し倒されると、思い切り顔を殴りつけてくる。その衝撃で顔が左右に振れるが、気にせずに手に持ったナイフで男の背を何度も刺す。
男の悲痛な叫びと共に身体が解放された益荒男は唖然としているライモンドの足元に飛び掛かる。ライモンドは必至に益荒男の背に剣を突き刺そうとするが、刺さらない事に焦り叫び声を上げる。
「くそッ!何で刺さんねぇんだ!?くそぉッ!!」
そうする内に容赦なく足をナイフで切り付け、ライモンドがその場に崩れると、ナイフを逆手持ちにして、頭の額に力任せに刺す。すると思いの外すんなりとナイフが額に吸い込まれ、ライモンドは額から血を吹いて絶命する。
「なっなんだこいつ…っ!?」
まだもう一人無傷の男が残っている。
だがその顔は恐怖で染まっており、もはや戦意は無い。
益荒男は立ち上がるとゆっくりとその男に近づき、それを見た男は首を横に振りながら後退りをする。
「ひぃっ!ま、待ってくれ!許して!殺さないでくれ…!」
瞳に涙を浮かべ震えながら命乞いをするが、それを無視してナイフを持った手を横に一閃し、首を掻っ切る。
後ろを眺めると、先ほど胸を突き刺した男と足を切りつけた男が二人、床に転がっていたが、身体を引きずるようにして扉から逃げようとしていた。だが後ろから髪を引っ張り顔を上に持ち上げると、やはりナイフを使い、喉元を切って殺す。
こうしてこの場にいたサリエリ一家の関係者は六人全てが絶命した。
いつの間にか火傷痕の痛みも感じなくなっていた。
益荒男は自分の身体を見て服が血で盛大に濡れている事を確認すると、先ほど殺した連中の服を物色し、比較的綺麗な服を奪って着替えをする。
さすがに血に濡れた恰好で外を歩くのには躊躇した。
落ちている西洋剣を広い眺める。
所謂ロングソードという剣だろう。長さは100センチは無いようで、振ってみると割と扱いやすそうな印象を受ける。鞘と一緒に一本だけ貰い受ける事にした。
そしてこの惨状が広がる光景を改めて眺めると一言呟く。
「…誰だよ、やったのは」
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サリエリ一家とのいざこざから一週間が経っていた。
この一週間はサリエリ一家からも特に音沙汰無く平和な日々だった。
もしかすると下手人が益荒男だとバレていないのかもしれない。
前回の仕事で思わぬ大金を得たためこの一週間はこれと言って日雇いの仕事もしていなかった。生活にゆとりが出来たため、この廃墟の街の事を知ろうとフィールドワークに出た訳だ。
一番街から四番街まではその間に壁がある訳でも無く素通りが出来るため、容易に廃墟の街を一周する事が出来る。その結果新区画は周囲を壁に囲まれているようで、廃墟の街との境界には大きな壁が反り立っている事を知った。その壁沿いにスン湖まで歩くと、なんと湖の途中まで壁が続いており、廃墟の街からは中の様子が一切分からなかった。
それはまるで拒絶されているかのようで、旧区画である廃墟の街がオミハとは呼ばれない理由が分かった気がした。
今いるのが何番街なのか分からないが大きな通りに出る。
大金を手に入れゆとりが出来ると廃墟の街の景色がまた違って見える。おそらく目に映る人々のほぼ全てはその日その日をやっとの思いで生きているのだろう。どこか覇気の無い表情で働いている。まるで昔の自分のようだと感じた。
大人に交じって子供の姿も多数見える。
この苦しい環境下で子供がこれだけいることにも驚くが、その子供達すら必死に働いている。日雇いで得られる収入はかなり少なく、一人の収入で家族を養うなど到底不可能だろう。子供は貴重な労働力なのだと推察出来る。
人気の少ない裏通りに回るとすぐに声を掛けられる。この場合話し掛けて来る人間の多くは二種類に分けられる。
一つは薬物の売人。
至る所に生息しており、怪しい雰囲気を纏っている。
大抵は歯が欠けており、歯が無い事がこの職に就く条件なのだろうか。
恐らく背後にはギャングか、あるいはマフィアがいるのかもしれない。
そしてもう一つは売春を持ち掛ける女。
中には一食分程度の金額で誘う者もおり、病気を移されないかが非常に気に掛かる所だ。もしこの身体が病気に対しても力を発揮するのなら一度くらい試してみたい。
だがもし病気にでもなってしまったら自然治癒以外で回復する見込みは無い。廃墟の街には当然病院などは無く、風邪ですら死に至る危険な病気なのだ。病気こそがこの廃墟の街で最も恐れるべきものなのかもしれない。
そして何と言っても目に付くのがマフィアだ。
マフィアは他と違い比較的マシな恰好をしているため見れば分かる。数はそこまで多くないはずなのだが明らかに態度が大きく覇気がある。
そのマフィアを見る目も様々だ。
恐れる目で見る者、羨望の眼差しで見る者、一切目を合わせまいとする者。だがまだ若い男達はほとんどが憧れるような目で見ている。この貧しい廃墟の街で豊かになるためにはマフィアになる事が最も近道なのだ。マフィアに近づき媚を売る者が絶えない。
すると大通りだというのにチンピラに対し土下座をする男がいた。耳を傾けるとどうやら肩がぶつかったと金をたかっているようだ。土下座する男は見るからにみすぼらしく、金を持っているようにはとても見えないのだが、一体何を目的にそんな事をやっているのか理解に苦しむ。
かと言って助けに入るような事もしない。似たような光景は良く見る。
百害あって一利無しだ。一々気にしていたら廃墟の街では生きていけない。
「…おい?何だぁ?何見てやがる…お?」
軽く眺めているつもりが、どうやら見入ってしまっていたようだ。男が如何にもなガラの悪さで詰め寄って来る。
「てめぇ金持ってそぼごっ…!」
話を聞くだけ無駄である。
ここには警察などいない。よって躊躇する理由も無い。
治安が悪いのに一人だけ良い子を演じる必要など無いのだ。
土下座をしていた男が何やら礼を言うが無視して歩き始める。
何にも縛られる事なく自由に生きるとは何と素晴らしい事か。
大金を手にすると全てが許せる心の広さを手に入れる事が出来る。
マフィアは皆このような気持ちで日々生きているのだろうか。
一方でマルコの誘いからすでに二週間が経っており、そろそろ返事をしなければと思っていた所に良い知らせが届く。
あの殺し屋に頼んでいた探し物が見つかった。