12 生きる屍の噂
ラーラの魔法により焼かれたソファーが火に包まれていく。そしてその火は徐々に燃え広がり部屋の中が赤く染まっていく。
だがそんな周囲の状況など気にする事態に無いのか益荒男は左目を抑えたまま床にうずくまったまま立ち上がる事が出来ない。
その表情を確認する事が出来ないが、顔を抑える手からは黒い炎口が漏れ、そして痛みに耐えるかのような苦痛の声が絶え間なく聞こえてくる。
「ぐぅッ!ぐッ…!!」
その姿を横目にラーラは心配そうに、しかも慌てた表情でラニエロに話し掛ける。
「ラニエロッ、大丈夫か!?」
「はぁ、はぁ、はぁ、…あ、あぁ、たぶんな」
ラニエロは肩を抑え膝を付いているが、ラーラが心配しているのは傷では無いようだ。先ほどから肩で呼吸をし、その漏れ出る呼吸音からも必死に酸素を取り込もうとしている事が分かる。
「…意識は?頭痛は?」
「はぁ、はぁ、はぁ、…意識、は問題ねぇ…頭は、割れるほど…痛ぇ…!」
ただ魔法を使っただけでここまで疲労するものだろうか。ラーラはラニエロの肩を取って支えるように立ち上がる。部屋の延焼は大きくなり始めており、急いで脱出しようと言うのだろう。だがその際に益荒男に視線を移すと怪訝な表情をする。
「…?なんで燃えてねぇ…?」
しかしこの台詞は少しおかしい。益荒男の左目周辺は黒い炎で未だに焼かれており、まるで勢いを失ってはいない。だがその炎は手に触れているものの、炎が移る様子は無く、その事を言っているのだろうか。
「おい…どうした…?」
ラーラが立ち止まった事に気づいたのか、ラニエロが疑問の声を上げる。
「見ろ…黒炎が広がって無い…こんな事あるのか?」
「何…?…ッ!?な、何だ!?これは…ッ!?」
ラニエロが驚愕するような声を上げる。だがラーラにはその驚き様が異様に感じた。一体どうしたのかとラニエロに問おうとした時、視界の横でいつの間にか益荒男が立ち上がっているのが視界に入った。
咄嗟に呪文を唱え、掌に炎を生み出す。
だが次の瞬間、炎がラーラの周囲に広がった。益荒男の手には酒瓶が蓋を開けた状態であり、その中身をラーラに目掛けて撒いたのだ。炎が中空で発生し、まるで質量があるかのように床へと落ちる。
度数の高い酒はそのアルコールの濃度の高さ故にすぐに揮発し大気に舞う。それにより引火し易くなる。ラーラの生み出した炎を起点に火が燃え広がったのだ。だが撒いた酒の量が少なかったのかそれほど大きな火では無い。
だがラーラは突然の事に慌てて火を消そうと手で払うが簡単には消えない。だがそうしている内にすぐ傍まで益荒男が駆け寄っており、手に持った酒瓶を掲げ、ラーラの頭に振り下ろした。
火を消す事に気を取られていたラーラはそれに気づくのが遅れ、まともに酒瓶の直撃を受ける。すると酒瓶は砕け散り、中に入っていた酒が周囲に飛び散った。
ラーラとラニエロの周囲は一斉に燃え上がり、その身体を焼こうと大いにうねり始める。
しかし、ラーラとラニエロの服は一見燃えているように見えるが、実際には付着したアルコールだけが燃えているのだろう。大きく燃え盛る様子は無く耐火性の服だと推察される。だが頭部に受けた強い衝撃により、大きな隙が生じた。
顔を上げると同時にその場から跳び離れようとする。
だがそれよりも僅かに早く益荒男が動いた。
手に持った短刀が横一直線に振り抜かれる。
そして次の瞬間、鮮血が舞う。
ラーラの喉元が上下に開き、激しく血飛沫が上がる。
大きく目を見開いたまま床に倒れ落ちる。
それを見たラニエロは唖然としていたが、すぐにその場を離れようと身体に力を籠める。だが疲労困憊の状態では満足に身体を動かす事は叶わず、まるで老人のような怠慢な動作であった。
それを眺めるかのようにゆっくりと追う益荒男だが、未だに顔の半分を覆う黒い炎が覆っている。しかしそれを無視するようにラニエロに狙いを見定めると、ラニエロの頭上から垂直に短刀を突き刺す。
短刀から手から離すと、頭に短刀が刺さったままラニエロが床に倒れた。
呆気なくラーラとラニエロが死ぬ。
それを見届けた益荒男は、急速に勢いを失う黒炎をよそに、足元に見えた燃え盛る本を拾い上げると階段の方へ投げる。すると階段から大きな炎があがり一気に建物全体へと広がっていった。
それを確認すると、意識を失いその場に倒れた。
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"レッド・コープス"の拠点である建物が勢い良く燃えている。
まだ空は暗く、炎が明るく周囲を照らしていた。
アルトゥーロはその様子を唖然とし眺めていた。益荒男が建物へ侵入し一時間程度しか経っていない。炎が立ち昇り始めたのに気付いてからすでに二十分は経っている。現在アルトゥーロは建物のすぐ近くまで来ていた。
アルトゥーロは懐から一本のナイフを取り出し、建物の方向へ向かって投げる。するとそこには人の姿があり、眉間にナイフが刺さり倒れる。見れば建物の出入口付近にもう一体の死体が転がっていた。この死体にも眉間の位置にナイフが刺さっている。
燃え盛る建物から脱出しようとした"レッド・コープス"の構成員だろう。
そのまま暫く様子を伺っていたアルトゥーロだったが、もう誰も出てくる気配は無かった。残りの"レッド・コープス"の構成員は炎に焼かれて死んだか、あるいは未だに出てこない益荒男に殺されたかのどちらかだろう。
だがラーラ・ソリアーノとラニエロ・ソリアーノの二人も出てこない所を見ると、恐らく上手く行ったのだろうと理解した。
「…お前まで死んでしまったら意味が無いだろう。マスラオ…」
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夜が明け、辺りが太陽に明るく照らされ始めた頃、"レッド・コープス"の拠点であった建物は完全に燃え尽きていた。
燃え盛っている時に気づいたのだろう人々が野次馬のように集まっており、そこからさらに時間が進んだ昼頃、死体処理の現場監督者がやって来る。
目的は焼けて炭化した人だったモノと、付近で倒れ死んでいる二体の遺体の回収である。さらに時間が進んだ昼過ぎ、荷車に遺体が載せられていき、そこには益荒男の遺体もあった。
ほとんど傷の無い益荒男の遺体に荷車に積んだ者も怪訝な顔をするが、特に気にする事もなく火葬場へと移動した。
火葬場で遺体がいつものように炎に焼かれている。
だが、今日だけは何時もの様子が違っていた。
この日の出来事はこの火葬場の奇跡として後々まで語り継がれる事になる。
炎の中から小さく何かの音が聞こえた。
遺体や木の焼ける音では無い。
「…。…ッ?」
その奇妙な音に遺体を燃やしていた者達に動揺が走る。
赤く燃え盛る炎の中で黒い影が見えた。
「…ッ、ッ!?ッなンだッ!?おぉッ!?」
同時に明確に人だと分かる声が響いた。
固唾を吞んでその声が聞こえる炎を見つめていると、炎の中から裸の男が出てくる。
辺りに騒めきが起こり、一斉にその場から離れる。
「あぁッ?何で燃やされてる…ッ?」
辺りを見渡しここが火葬場だと気づくと自分が焼却されている事に気づく。
「ひっ!?ひぃぃっ!?い、生き返った!?」
「死んでねーッての!勝手に燃やすなッ!…いや、勝手に殺すな、か…?」
そう言って燃やされる前の遺体を見つけ容赦無く服を剥ぎ取ると、何事も無くその場を後にする。
その姿を唖然と見送ると誰かが小さく呟いた。
生きる屍と。
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火葬場で燃やされる前の遺体を見つけ容赦無く服を剥ぎ取ると、とりあえずマルコの元へ向かう。
強烈な痛みにより気を失ってしまったが、ラーラとラニエロの二人は始末出来たはずである。つまりあの後どうなったかは定かでは無いが、仕事としては無事完遂出来たはずである。
湖岸の倉庫へ到着すると、そこにはマルコとアルトゥーロの姿が見えた。
「よぉ!無事仕事は終わらせたぜ」
そう言って声を掛けると二人が目を丸くしている。
「…!?あれっ?お、お前、生きてたのか!?」
「マスラオ…!生きてたのか!!」
マルコとアルトゥーロの驚く声が返ってくる。
「へへ…まぁな。けどさすがに今回は危なかったぜぇ…でもこの通りだ」
そう言って両手を広げる。
「…い、いや、この通りって…お前鏡見たのかよ?」
マルコの言葉にアルトゥーロも同感だと言わんばかりに頷く。
マルコはちょっと待ってろと言うと倉庫の中へ入って行く。
「マスラオ、お前どうやって生き延びた?あの建物は燃え尽きたはずだ。俺が駆けつける前にすでに脱出してたのか?」
「あ~、まぁな!そンなとこだ!」
さすがに建物と一緒に燃えていた等言える訳が無い。とりあえずアルトゥーロの言葉に乗っかってみる。
「そうだったのか…なら何故俺に報告に来ない?」
返す言葉も無い。だが何か返す必要があるだろう。
「えーっと…そう!脱出した後にな、離れたところまで避難したンだけどな、意識を失っちまってよぉ」
避難はしていないが意識を失ったのは本当だ。
「…そうか、そうだったのか…。すまない、俺が探すべきだった…てっきりもうお前は炎に飲まれ死んでしまったものだと…」
どうやらアルトゥーロは気を失った益荒男を探さなかった事を悔やんでいる様子だ。やはりこの男、かなり真面目なようだ。
すると倉庫に入って行ったマルコが何かを手に持ち戻って来た。
「ほら、鏡だ。見てみろよ、とんでもねーぞお前。よくここまでそれで歩いて来たな」
渡された鏡を手にして自分の顔を確認してみる。
「…うぉ…えぇ…?」
顔は一様に黒く、さらに全面ではないものの赤い。
恐らく焼けた建物の炭と、返り血だろう。
「ん…?」
だがもう一つ気になる点がある。
顔の左側、特に左目付近に火傷の跡があった。
そして瞳が灰色に濁っている。
指でその付近を触れてみると見た目通りに荒れている事が分かる。だが痛みは一切無い。それに目も見えている。やはり痛みは無い。
内心驚いた。
そして同時にあの黒い炎の魔法を受けた時の事を思い出した。
この身体は一切の痛みも傷も受けないものだと考えていたが決してそこまで万能では無かったようだ。それにあの時の痛みは凄まじかった。その後気を失った程だ。
今後のためにも避けるという事を覚える必要がある。
「…まぁ、ちょっと男前になったかな…?」
「…まぁ平気ってんなら良いけどよ…ほら」
そう言うとマルコは濡れたタオルを差し出してくる。意外と優しいところがある。
顔の汚れを一通り落とすとマルコへタオルを返す。するとその代わりとばかりに何かを手渡してきた。
「ほら、今回の報酬だ、受け取ってくれ」
そう言われかなりの大金が手渡される。
初めてやった仕事もかなりの金額だったのだが、今回はそれで十倍はある。
「い、いいのか…?こんなに?」
「…あたりめーだ。正直、これでもかなり少ねぇよ」
この金額なら廃墟の街で軽く一年は過ごせるのではないか。かなり豪遊出来るだろう。いやもしかしたら新区画にも行けるのではないか。確かトニオがそう言っていたはずだ。そう思いに耽っているとマルコが真面目な顔で話す。
「なぁ、マスラオ。今回の件はマジで助かったぜ。…礼を言う」
そう言って頭を下げる。横ではアルトゥーロも同じく頭を下げていた。
「…お、おぅ。まぁ、なんつーか、自分のためでもあったしな…いいよ、別によぉ」
「…。そうか。それでな、どうだ?廃墟の街はよ、このままここで暮らしていくつもりか?」
一体何を聞くのか。
廃墟の街の生活は確かに厳しい。治安はすこぶる悪く、衛生状態も劣悪だ。食事だって決して良くは無い。良いところを探そうとも正直難しい。
だが妙な安心感がある。
益荒男は気づいていなかったが、それはかつて、社会の最底辺にいた事で心に生じていた屈辱や劣等感が、ここにいると忘れる事が出来るからであった。自分以下の人間が周りにいる事で相対的に自分の立場が上がるという暗い感情であった。
「どうかな…、まだ分かんねぇな…」
だが正直な所、一生をここで過ごすとは考えていない。だがすぐにどこかへ移動するというのも考えていない。とりあえず暫くは廃墟の街にいるだろうか。そう言うとマルコは続ける。
「"禁忌の森"には帰らねぇのか?それにお前が森を出た理由。詮索はしねぇが、ここに居ても良いもんなのか?」
先ほどからやけに突っ込んだ質問を投げ掛けて来る。一体何なんだと疑問に思う。しかもその質問は正直止めてほしい。回答に困るのだ。
「ったく何なンだよ?さっきからよぉ…?"禁忌の森"には戻らねぇし、別にどこに居ようが俺には関係ねぇよ」
そう言うとどういう訳かマルコは笑みを浮かべる。
「…よし!マスラオ。ウチに来い!コルブラン一家によ!」
驚いた表情をする益荒男を無視してマルコは続ける。
「お前はその辺にうろついてて良い人間じゃねぇ。まぁ最初は下っ端だけどよぉ…お前なら上を目指せる」
するとアルトゥーロもコルブラン一家に入るメリットを説明する。
「その日暮らしもしなくて良い。ずっとマシな生活が手に入る…それにデカい顔も出来る」
「そうそう!一緒に甘い汁を吸おうぜッ」
マフィアに入る時にはこのように勧誘を受けるものだろうか。甘い話で騙そうとする詐欺師に見えなくも無い。
「…で、デメリットは?」
何事にもメリットがあればデメリットがある。メリットが大きければデメリットも大きい。詐欺師はそこを上手く隠すが、果たしてどうか。
「そりゃあ、暴力と危険よ!」
さも当然のようにそう言う。なるほど隠すつもりは無く、言うまでも無いという事か。この場合は詐欺か?只の勧誘か?
「…この金で新区画に行く事も出来ンじゃねぇか?」
言わんとする所が伝わったのだろう。暫く沈黙が続くが痛い所を突いてしまったか。するとアルトゥーロが言い難いのか悩みむ様子で口を開く。
「…ここだけの話、新区画にも縄張りがある。新区画に入るルートも持っている」
「ただあっちは厳しくてよぉ~?俺らみたいなのが堂々としてりゃ、速攻で捕まるってもんよ。だから細々とバレねぇようにやってんのよ。まぁ観光なら問題ねぇけどな」
トニオのように新区画に夢を持っている訳では無い。ただいずれは新区画のような場所で上級な生活を送りたいと漠然とした思いがあった。
空を見上げる。今日は晴天で風が気持ち良い。ふと湖岸を見渡すと釣りをしている者がちらほらと見えた。子供達が湖に向かって石を投げている姿も見える。水切りだろう。水面を平らな石を跳ねさせて遊んでいるのだろう、益荒男も子供の頃やった記憶がある。
「まぁ返事は今すぐじゃなくても良いからよ。考えといてくれよ」
そうマルコが言うと踵を返し倉庫へ戻ろうとする。それにアルトゥーロも続き去り際に一言小さく行った。
「…俺はお前と仕事がしたい」
それを聞きニクい演出をすると思わず笑いそうになるが、黙って二人を見送った。
良ければ評価お願いします。