11 殺しの覚悟
時刻が0時を回った事を確認すると益荒男は短刀を腰に差し部屋を出る。アルトゥーロに教えてもらった“レッド・コープス“の拠点まではここから少し時間は掛かるが、少しは歩いた方が身体も温まるというものだろう。
この廃墟の街の夜は驚くほど暗い。月明かりのみが唯一の灯りで、その治安の悪さから夜に出歩く者などどこにもいない。もしいるとすれば、それは良からぬ事を企む者だと相場が決まっている。今の益荒男も例の漏れず良からぬ事を企んでいると言って間違い無いだろう。
拠点の建物が見える位置まで来るとそこに一人の男がいた。アルトゥーロだ。
「アルトゥーロ…?何してンだよ、こんなとこでよぉ」
こちらに気づいたアルトゥーロは小さく手を挙げる。
「コルブラン一家の者がいないというもの面子が立たないのでな。ここで奴らの様子を監視していた。…今拠点にいるのは十人前後といったところだ。…曖昧ですまないが、少なくともソリアーノ兄妹が中にいるのは確認出来た。それと話していたようにこの時刻でも何人かは起きて見張りをやっている。見つかるなよ」
面子か。確かに益荒男もそれは思っていた。とは言えアルトゥーロも案外真面目な男だ。一体何時からここにいたのだろうか。
「あぁ、分かった」
"レッド・コープス"
問題は"レッド・コープス"の要でもある二人のトップの存在。
――兄のラニエロ・ソリアーノ
――妹のラーラ・ソリアーノ
妹の方がボスらしい。何か訳ありか。
アルトゥーロ曰く兄弟揃って魔法を使うため、簡単に対処が出来ず今に至っているらしい。魔法を使う者は限られており、誰でも扱う事が出来るわけでは無く貴重な存在のようだ。
だからこそ廃墟の街では魔法を使う者は誰かの下には付かず、成り上がろうと自ら立ち上がる者が多いという。
「…そういえば聞いていなかったが…。魔法の対策は問題ないのか?奴らは火の魔法を使うぞ…」
「あぁ分かってる。けど別に対策なんて必要ねぇよ」
実は予め自身の身体が火に対しても有効なのか確認していた。
火、熱ともに益荒男の身体へ火傷を負わせる事は無く問題は無かった。
必要なのは覚悟だ。
益荒男は腰に差した短刀にそっと触れると、"レッド・コープス"の拠点へ向かう。
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腰の短刀を抜くとその刃が月明かりに照らされきらりと光る。
緊張からか柄を握る手がぐっと強くなる。
建物の中に足を踏み入れ壁に身を隠し先を伺うが、素人が見よう見まねでそれらしい事をやってどこまで通用するかは不明だ。幸い相手は建物内の見回りを行っているわけでは無さそうだ。
もし誰かに見つかろうものなら仲間を起こすのは必然。
いくらこの身体があるとは言え、捕まってしまえばどうなるか分からない。土に埋められでもしたらさすがに死ぬだろう。
部屋で休んでいる際に散々脳内で予行練習は行った。物陰から素早く敵の背後に回り、相手の口元を手で塞いで、喉元を手にした短刀で滑らかに切る。脳内では実に円滑に事が運び、さながら暗殺者のようだ。
果たして脳内通りに完遂出来るのか。もし失敗すれば戦闘になるだろう。
だが戦闘に全く自身が無い訳ではない。高校時代は荒れており喧嘩に明け暮れていた。喧嘩に強くなるためにと空手部にも所属していたくらいだ。今の人格はこの頃に形成されたと言って良い。
だが所詮は素人。
もし囲まれでもしようものなら、捕まらない事だけを考え逃げるしかない。
視線の先に誰もいない事を確認するとゆっくりと物音を立てぬよう忍び足で進む。
だがこの老朽化した建物内では音を消すという事は困難である。歩くとみしみしと音が鳴ってしまうのだ。いつ気づかれてもおかしくない。
心臓の鼓動がやけに煩い。顔には脂汗が滲み出ており、疲れているわけでも無いのに呼吸が荒くなってしまう。これでは不味いと呼吸音を隠すため、昨日マリーに貰った手ぬぐいを取り出して口元を隠すように巻くと、どこからどう見ても悪事を働こうとする悪党のようである。
だが運よく誰にも出くわす事無く二階へ続く階段を見つける。一階にも誰かいた可能性は高いが、恐らくは寝ていたのだろう。さすがにこの程度の音で目を覚ます者はいなかった。
一瞬だけ考えを巡らし、二階へと上がる。
ソリアーノ兄妹がいるとすれば上だろうと安易に考えただけだ。
遠くから談笑するような声が聞こえてくる。
そのまま進み、壁から顔を僅かに出して様子を伺と、そこには広い部屋があり、ソファーやテーブルなど居間のような空間が広がっていた。部屋はランプの光でぼんやりと暖色に染まっており、そこにいる者達を照らしていた。
恐らくは見張りで起きているのだろう。
部屋には三人の姿を確認出来る。
手にはグラスを持ち、よく見ればテーブルには酒瓶らしきものが何本も見える。
以前トニオと行った酒場の酒とは違い、テーブルの上の酒瓶には文字が綺麗に並んだラベルが貼ってある。
一人の男がその瓶を手に持ってグラスに注ぐと、あろう事か水を入れて搔きまわし始めた。どうやら水割りで飲むらしく、それはどう低く見積もっても、この廃墟の街では滅多にお目に掛れない度数が高い酒である証であった。
つまり"レッド・コープス"が密造しているという酒である可能性が高い。
しかし見張り番にも関わらず酒を飲んでいるとは都合が良い。碌にまともな判断も出来ないのでは無いか。
そう思っていると、一人の男がこちらへ向かって歩いてくる。一瞬身体が固まる。
(マズイ…ッどうするッ?)
だが考えが纏まらずそのままその場で固まる事しか出来ない。だが幸い男は益荒男には気づかず、そのまま横を通り過ぎてどこかへ行ってしまう。
(…あぶねぇ)
男は一人だ。この機会を逃す手は無い。後を付けると扉を開けて中へと入っていくのが見えた。近づくと中からは何やら音がしており、耳を澄ますとそれが小便の音だと気づく。
短刀の柄を強く握り閉め、覚悟を決める。
ゆっくりと音が出ないよう扉を開ける。
――キィ
「あぁ?」
「…ッ!」
そのまま扉を開くと、左手と右手をほぼ同時に男の頭に突き出す。
左手で男の口元を抑え、右手に持った短刀で一思いに喉元を掻っ切る。
男の喉元から血が勢いよく噴き出し、正面の壁に飛び散り付着する。
そのまま糸が切れたように床に倒れようとするが、既の所で身体を支え、ゆっくりと音を立てないよう床に寝せる。
その惨状に暫く放心したように固まっていたが、床の溝を伝って流れる血が、足元まで来たのを見て再び動き出す。
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「ん~?遅くないか?もう十分は経ってるぞ。小便って言ってよな」
「遅いわね~。さっさと戻って来てくれないと、ゲームが始まらないじゃない…」
何やらトランプのような物に興じていたようだが、小便に行ったまま男が戻らないためゲームが中断してしまっているようだ。
「ねぇ、ちょっと見に行きなさいよ」
「あん?俺が?…っていやいや、分かったって、睨むなよ…はぁ」
女に睨まれた男がソファーを立ち、嫌々ながらも便所へと向かう。
女はグラスに酒と水を注ぎ水割りを作っている。
グラスから口に流し込むと吐息が漏れる。
「はぁ~っ、…うっく、ちょっと濃すぎたわ…うぅ」
やはり元の酒の度数はかなり高いようだ。女は頭を押さえている。するとその時、部屋の外から何かが倒れるような音が聞こえた。
「ん~?何?…ちょっとまさか倒れたんじゃないでしょーね…勘弁してちょーだい…」
女は立ち上がると部屋の外へ向かおうとする。酔っているのか身体がふらついている。そんな女の前に人影が見えた。
「何?倒れたかと思ったじゃ、な…い…?…っちょ!?、だれ」
一瞬何か光るものが見え、言い切る前にそれが横切ったのが目に入った。その直後目に映ったのは赤い血吹雪であった。女は一体何が起こったのか分からなかったのだろう唖然とした表情で事切れた。
・
・
・
「ハァ、ハァ、ハァ…。げぇ…最悪だぜ…!」
見張り番の三人を全て殺した益荒男は、最後の女を殺した際に返り血を浴びていた。そのせいで顔と服は血で濡れてしまっており、すぐにでもシャワーを浴びたい気分だった。
だがそれとは裏腹に気分は高揚しており、不思議と人を殺した事に対する嫌悪感は無かった。自分のこの気持ちに戸惑いつつも今は時間が無いと動き出す。
倒れている女を横切りテーブルの上にある酒を見る。それを空いたグラスに少しだけ注いで匂いを嗅ぐと、そのまま飲み干す。
「うおぅッ、…ふぅ~。…こりゃ60度くらいはありそうだな…」
決して一息つく事が目的では無い。
今酒を飲んだのには理由があった。万一に備え、アルコール度数を確認したのだ。
そして使えると判断した。
益荒男は部屋にある棚や物置を隅々まで調べる。すると同じ酒瓶がいくつも出てくる。
その酒瓶の蓋を開けると、それを逆さにし床に撒き散らす。中身が空になれば次の酒瓶を同じように空にする。そして先ほど通った一階の床にも撒き散らすのだ。
最後に残った一本だけを手に持って今度は三階に登る。
壁の陰に隠れて部屋の様子を伺うと、部屋はうっすらと明るく灯されており、ソファーには人が二人、横になっているのが確認出来る。目を凝らすと赤い色の髪が見えた。
短刀を横に振って、付着している血を払うと、腰を屈めてゆっくりと前へ進む。
一人に狙いを定める。
横まで近づき顔を見ると、目を瞑っており、どうやら寝ているようだ。髪が短くラニエロ・ソリアーノだろうか。
そして視線をもう一人の方へ移すと同じように目を瞑って寝ている。
こちらは髪が長い。ラーラ・ソリアーノか。
短刀を両手で持ち上げ、そのままラニエロの喉元へ突き刺そうと、態勢を変える。
そして躊躇することなく短刀を振り落とした。
だが驚きで目を見開く。
なんとラニエロが首を傾け既の所で短刀の刃を避けたのだ。
「…誰だ、てめぇ?」
益荒男は咄嗟に後ろへ跳んだ。すぐに短刀を前に突き出し構える。すでにラニエロはソファーから立ち上がっており、こちらに鋭い視線を向けていた。
だがおかしい。妙に声が高い。よく見ると顔の造りも男というよりは女の物だ。つまりこのラニエロと思っていた人物はラーラ・ソリアーノだったという事か。するとまだ寝ているもう一人がラニエロ・ソリアーノか。
(こいつがラーラ・ソリアーノ…"レッド・コープス"のボス…)
益荒男の心臓の鼓動が煩く動き出す。
奇襲は失敗した。戦うしか無い。
一気に距離を詰め、短刀を振り下ろす。
だがラーラは態勢を捻り紙一重で避ける。それを視認すると振り下ろした短刀をそのまま振り上げる。だがそれは叶わずラーラの蹴りにより、後ろへ大きく突き飛ばされる。
「てめぇ…!"イルジオン"かッ!?」
何の事か分からない。だが益荒男にそれを考える余裕は無かった。今の一瞬の攻防で実力の差が分かってしまった。ラーラは短刀を紙一重で避けたが、しっかりと目で見て余裕を持って避けていた。動きが明らかに違う。
「んぁ?何だぁ…どうした…んん…?」
ラーラに気を取られ過ぎた。ラニエロが起きる。
益荒男はラーラを無視してラニエロのいるソファーへ駆けると一気に跳び、そのまま短刀をラニエロの身体目掛け突き下ろそうとする。だがその瞬間、目の前が赤く染まった。
(ッ!?何だ!?)
一瞬頭が混乱する。だが遅れて何が起こったか分かった。この身体のせいで気づくのに遅れた。
身体が燃えているのである。来ていた服から火が上がっている。
だが事前の確認通り痛みも熱さも感じない。大丈夫だ。殺れる。
ラニエロはすぐ横にいる。ラニエロも何が起こっているのか理解出来ていないのだろう。驚きの表情で益荒男とラーラを交互に見ている。
「ッ!?避けろ!ラニエロッ!」
短刀の先がラニエロの頬を掠める。ラーラの声に反応したラニエロが皮一枚で避けたのだ。
だがそれでは終わらない。すぐにラニエロに突進し身体を密着させ短刀を肩へ突き刺すと、離れ際にさらに短刀を縦に振って胸辺りに切り傷を与える。
「ぐあッ!くそ、痛てぇ!」
だが浅い。これでは足りない。舌打ちをすると、次の瞬間目の前に炎の塊が見えた。
「チィッ!何だコイツは!?炎が効いてないのかッ!?」
炎は頭に着弾したが、益荒男に変化は無いく髪も燃えず焦げた跡も無い。
「ラニエロ!私が時間を稼ぐッ!準備しろッ!」
ラーラが何かを叫ぶと距離を詰めて蹴りを繰り出してくる。益荒男がそれを腕を上げて防ぐと、今度は短刀を横に振り抜く。だがラーラもそれを後ろに跳ぶことで避ける。距離が出来るとすぐにラーラから魔法が飛んでくる。
(疾いッ!呪文は!?ちゃんと唱えてンのかよッ!?)
この一瞬の攻防の中、さらに慣れない戦闘という事もありラーラの口元を見る余裕など一切無い。だが想像以上に素早い動きと包まれる炎によって魔法に必要と思われる呪文を本当に唱えているのか疑わしく思えてくる。
飛んでくる炎の塊を左手で押し退けるのように振り払うと、意外にもそれだけで炎は散っていった。
(何だ!?意外とショボいじゃねぇか!)
振り払う事が出来るという事はそこにある質量が少ないか、あるいは全く無いかのどちらかである。炎の塊であれば確かにそこに質量はほとんど無いのかもしれない。
「くッくッく…!何だぁ?意外と大した事ねぇんだなぁ…!」
だがそんな挑発の言葉を聞いていないのかラーラはさらに益荒男との距離を離して呪文を唱える。
「ッ!やっぱ唱えるンじゃねぇかッ!」
すぐにラーラとの距離を詰めようと駆け寄るが、直前で足元から炎が舞い上がり前が見えなくなる。
「くそッ!見えねぇッ…!」
手で振り払おうとするが、全く意味を成さない。
五秒程度で炎は収まるが目の前にはラーラの姿は無く、急いで周りを見渡すと、ラーラはラニエロの後ろを陣取りこちらを信じられないものを見るような表情で睨んでいた。
ラニエロは掌を上に掲げており、視線を上げると、そこには黒い炎が浮いていた。
「黒い…ッ!?」
(ヨ、…、ロ!)
本能かそれとも勘か、アレは不味いと感じた。黒炎の塊がラニエロの掌から離れており、こちらに向かって飛んで来ていた。
身体と、そして顔を横に傾かせるが間に合わない。黒炎の塊が左目付近に着弾する。その瞬間に益荒男の絶叫とも言える悲鳴が轟いた。
「ッぐッがあァッーッ!!!」
顔を抑え倒れ込み、悲鳴のような声が部屋に響き渡る。
「はぁ、はぁ、はぁ、…くはッ!はははッ!」
「…危なかった…ッ」
ラニエロの笑い声とラーラの安堵の声が聞こえた。