ダークマターからエネルギ―抽出失敗のつけで、日本昔話を再生する羽目に。鶴に変身して機を織ってもツレがのぞいてくれず、過労死寸前
1.むかし、むかし、あるところの日本で
西に傾き始めた太陽が、機織り部屋の障子に痩せた男の影を映し出す。
「今日もか」
沙知の中に絶望感が広がる。
「俺が朝戻るまでに、極上の布を織っておくんだぞ」
そう言い置いて、男の影が消える。
男は、これから山を降りる。ふもとの飲み屋「あさぎ」で沙知が織った極上の布を飲み代に替え、女将の手酌で飲み明かす。男は女将に入れあげている。男はへべれけになって明朝戻って来て、夕方再び「あさぎ」に出かける間際まで寝込んでしまう。
沙知が男と暮らし始めてひと月。毎日、同じことが繰り返されていた。沙知は深く大きなため息をつき、鶴に変身する。自分の身体を見回し、沙知はぞっとする。全身を覆っていた艶やかな羽毛は半分に減り、残された羽毛からは光沢が失われ始めている。
沙知は、地球の並行世界にあるラムネ星の「日本昔話再生支援機構」から日本昔話『鶴の恩返し』を再生するため「むかし、むかし、あるところ」の日本に送られてきたクローン・キャストだ。沙知は日本人の女性の姿に作られているが、そこに鶴に変身できる能力を付加されている。
えっ、なぜ、沙知のようなクローン・キャストが存在するのかって? 話は今から100年前にさかのぼる。
今から100年前、ラムネ星は宇宙のダークマターからエネルギーを取り出そうとして失敗。時空を歪めて地球に通じる穴をあけてしまった。それだけではない。この穴から巨大なエネルギーが地球の日本に向けて噴出。日本人の脳から「日本昔話」の記憶を保持する能力を奪ってしまった。
地球のベストの科学者と巫女が将来予測をしたところ、日本人が昔話記憶の70パーセントを失うと日本人とその国土が消滅することが判明。地球はラムネ星に損害賠償を請求してきた。
巨額の賠償額を払えないラムネ星は、日本人および「日本昔話」に登場する動物、モノなど全キャラクターに変身できるクローン・キャストを作って「むかし、むかし、あるところの日本」に送って昔話を最大頻度再生することを提案。
つまり、同じ昔話が発生する回数を極限まで増やせば、その記憶も補強されるはずだというアイディア。これが地球側に受け容れられ、ラムネ星に「日本昔話再生支援機構」が設立され、沙知のようなクローン・キャストの製造・訓練・派遣を行うことになった。
クローン・キャストによる日本昔話再生が始まって80年、日本人の昔話記憶の喪失はマイナス50パーセントで下げ止まっている。
さて、話を沙知に戻そう。日本昔話『鶴の恩返し』は、次のように進行するはずだった。
沙知は夜になると男に「決して中を見ないでください」と言いおいて機織り部屋にこもる。鶴に変身し、自らの羽を抜いて絹糸に混ぜ極上の布を織る。男はそれをふもとの町で売って大金を得る。
しかし、男は沙知がどのように極上の布を織るのか興味を抱く。ある日、好奇心に負けた男は機織り部屋の戸を開けてしまい、鶴に変身した沙知が布を織っているのを目撃する。沙知は「正体を知られてしまった以上、おいとまするしかありません」と嘆いて山の彼方に飛び去る。
ここまでを最長でも二週間で完結させる。それが「日本昔話再生支援機構」が定めた『鶴の恩返し』再生規定期間であり、その間に完了しない場合は再生を中止することになっていた。
ところが、沙知が男の家で機を織り始めて一ヶ月が経つというのに、男は、沙知の機織りにはまったく興味を示さない。沙知が身を切る思いで布を織っている間、男は「あさぎ」で飲み明かし、朝帰ってくると前の晩に沙知が織った布を枕に眠りにつき、夕方にはその布を持って「あさぎ」に行く。それが毎日、繰り返されている。
機織り機に向かう前に、沙知は、脳内の時空超越通信機を起動させる。「日本昔話再生支援機構」のプロジェクト管理部長を呼び出す。呼び出しに応じたのは、部長でなく課長だった。
「部長は、いらっしゃいませんか?」
「私が話を聞いておくよう、部長から言われている」
あぁ、部長に逃げられた。
しかし、相手が課長でも、言うことは言わないといけない。いや、言わずにいられない。
「今日も、男はふもとに飲みに行きました。今日で三〇日連続です。部長にはこのプロジェクトが再生規定期間を超えていると何度も申し上げました。今日で規定の二倍になりました。今すぐ、プロジェクトを中止していただくよう、お願い致します」
「クローン・キャスト製造番号M1098、しつこいぞ。何度、我々に同じことを言わせるつもりだ。『昔話再生審査会』からプロジェクト中止の指示は、来ていない。したがって、プロジェクトは続行だ」
「羽毛が半分になりました」
「つまり、まだ50%も残っている。プロジェクトを継続するのに十分な量だ。頑張りたまえ」
課長が通話を一方的に切った。
どのくらいの時間、茫然としていただろうか。沙知は長い首を振り、自分の羽でくちばしを叩いて気合を入れ、機織り機に向かった。
2.ラムネ星で
沙知が機織り部屋で苦悶しているころ、「日本昔話再生支援機構」のプロジェクト管理部長室を一人の男性が訪れていた。男性がインターフォンに向かって名乗る。
「産業医のトライムです」
産業医はクローン・キャストたちの健康状態を見守り、労働環境に問題があれば「日本昔話再生支援機構」に環境改善を提言する立場にある。
「どうぞ」
重厚な金属製のドアが開き、プロジェクト管理部長が産業医を招き入れる。
「産業医がお出ましとは、緊張しますな」
管理部長は笑顔をつくるが、その目は笑っていない。
「『鶴の恩返し』の件で、うかがいしました」
「進行中の昔話再生プロジェクトに、産業医がどのようなご用でしょう? 鶴役のM1098は、プロジェクト前点検で先生からお墨付きをいただきました。プロジェクトが完了したら直ちに、プロジェクト後点検を受けさせます」
「そのプロジェクト後点検をいつ実施できるのでしょう?」
「と、おっしゃると?」
管理部長が油断のない目つきで産業医を見る。
「『「鶴の恩返し」プロジェクト』の再生規定期間は2週間です。それが、すでに1ヶ月継続しています」
「それが、なにか?」
「鶴役は自分の羽根を抜いて布を織ります。羽根は外付けされた装飾品ではありません。クローン・キャストの体細胞が変化したものです。羽根を抜くことは体細胞を自らむしり取ることです」
「しかし、クローン・キャストには体細胞の再生能力がある」
管理部長が冷たい笑みを浮かべて産業医を見る。
「再生能力にも限度があります。だから、再生規定期間が2週間に制限されているのです。それを超えてプロジェクトを続けると、沙知さんの身体に重大な障害が起こります」
管理部長が眉をしかめるが、すぐ元の作り笑顔に戻る。
「沙知さん? クローン・キャストの間で使われている愛称ですな。『日本昔話再生支援機構』を管理する我々の間では製造番号のM1098で呼んでいただきたい」
部長の顔は笑っているが、目は笑っていない。刺すような視線を産業医に向けている。
「先生、プロジェクトの継続・中止を決定するのは、地球とラムネ星合同の『昔話再生審査会』です。その『審査会』が中止を命じてこない。我々としてはプロジェクトを続行するしかない」
産業医が管理部長に挑むような目を向ける。
「本当に、中止命令が来ていないのですか?」
管理部長が胸を張って答える。
「来ていたら、とっくにプロジェクトを中止しています。私だって、クローン・キャストの安全は気がかりだ。1体を完成させるのに1,000万ラムネードもかかる。安い道具ではない」
産業医が視線を足元に落とす。顔を上げた時には、穏やかな顔が怒りの形相に変わっていた。
「金のために、中止命令を無視している。違いますか」
「『金のため』とは、どういう意味かな?」
管理部長の口調が険しくなる。
産業医も厳しい口調で応じる。
「地球連邦政府から成功報酬を得るためです」
「日本昔話再生支援機構」と地球連邦政府の契約は固定支払いと成功報酬の二本立てになっている。
昔話の再生成功率は決して高くない。そして、失敗する原因の多くは、地球側にある。「鶴の恩返し」プロジェクトで鶴の機織りに興味を示すはずの男が全く興味を示さないのも、一例だ。予期せぬ自然災害も地球側の原因に含めると再生失敗のほとんどが地球側原因となる。
地球連邦政府はこの事情を理解している。そこで、「日本昔話再生支援機構」が年度内に決められた再生トライ回数を満たせば固定報酬を支払う。この固定報酬は、「再生支援機構」の運営費用が回収できる水準に設定されている。
これに加えて、「再生支援機構」へのインセンティブとして、昔話再生に成功した回数に応じて成功報酬を支払う。成功報酬は「機構」の利益となる。
「機構」は再生トライ回数を達成することは当然として、成功回数の目標を設定している。本来は非営利組織のはずだが、利益追求をしているのだ。その利益の一部はラムネ星統合政府に上納され、残りが「機構」上級幹部の懐に収まると噂されている。
産業医がポケットから携帯端末を取り出し、画面を管理部長に突き付ける。
「今年度はあと2ヶ月で終わりますが、成功報酬は、まだ目標の98パーセントしか得ていません」
「それが本件と関係あるのかな?」
「あなたは、残り2パーセントを実現するために沙知さんに無理を強いているのです」
管理部長が鼻で笑う。
「『審査会』が目を光らせている。我々にそんな勝手ができるはずがない」
「『再生審査会』のラムネ星側審査委員に賄賂を払って、中止命令を実行しないことに目をつむってもらっているのです」
管理部長の表情が凍り付いた。氷のような視線を産業医に向け、ドスの効いた声を出す。
「先生、言葉に気をつけたまえ。私は、先生を名誉棄損で訴えることもできる」
産業医が驚いた顔で管理部長を見つめる。管理部長が表情を和らげ、ニタリと笑う。「私が先生を名誉棄損で訴え『機構』内の審問会になったら、どれだけの職員が先生に有利な証言をするのか、楽しみですな」
「日本昔話再生支援機構」の中でプロジェクト管理部長は最も力のある幹部の一人だ。管理部長が原告、産業医が被告の審問会となったら、産業医は被告側証人を集めることすらできないだろう。
産業医が唇を噛んで管理部長をにらむ。
「私の話は済んだ。お引き取り願おうか」
管理部長が断ずる。
産業医は、唇をかみしめたまま、管理部長室を出て行った。
3.ふたたび、むかしむかし、あるところの日本で
機を織り始めて50日目の朝日が障子を通して差し込んできた。沙知は光の中で、自分の身体を見る。羽根が、3分の1まで減っている。
もう限界だ。ここ2週間というものは、1本の羽根を抜くたびに痛みが全身を貫き、昼になっても疼痛にさいなまれ、ろくに眠っていない。
これ以上つづけたら、私が壊れる。確信があった。「昔話成立審査会」が決めてくれないなら、私が自分で決着をつける。
男がふもとから帰ってくる。沙知が縁側に出しておいた布を取り上げると、機織り部屋をのぞくでも沙知に言葉をかけるでもなく、自分の部屋に入る。すぐに、いびきが聞こえ始める。
沙知は、男のいびきが一定したリズムを刻み始めるのを待つ。
——もう大丈夫だ。あいつは、すっかり寝入っている。
沙知は足音を忍ばせ縁側に出る。男の部屋の障子をそっと開け、中に忍び入る。部屋の真ん中で、沙知が織った布を枕に男が大の字に寝そべっている。男が吐き出す息で、あたりは酒の匂いで満たされている。
沙知は男の傍らの火鉢から、まだよく燃えている炭を三個取り出す。クローン・キャストである沙知の手は耐熱仕様なので、素手で炭を持っても火傷はしない。
機織り部屋に戻ると、人の目から見えにくい下の方の障子を破り、ちぎって細片にする。それを集め、機織り部屋と男の部屋を隔てる薄い板壁の隅に積み上げる。
沙知は、火を絶やさぬよう三個の炭を掌に抱き息を吹きかけながら、障子ごしに太陽の動きを見守る。日が傾き、陽光が沙知の顔を水平に照らし始める。そろそろ、男が起き出す時間だ。
沙知は機織り部屋の隅に移動し、手の中の炭で紙片の山に火をつける。ぼっと燃え上がった火が、ちりちりと板壁の表をなめ始める。
沙知は鶴に変身する。広げた翼で、ふすまの火にふいごのように空気を送る。大きな炎が立ち上り、黒い煙が出はじめ、機織り部屋にあふれる。煙は建付けの悪い板壁の隅を通って、男の部屋にも流れ込んでいく。
男の部屋で人が動く気配がする。すぐに、男の大声が聞こえてきた。
「なんだ、これは? おい、火事か? あのアマ、俺の金づるの機織り機を燃やしたら承知しないぞ。おい、早く火を消せ」
縁側にドタドタと足音がしたと思うと、男が勢いよく障子を開けた。沙知は、翼で炎に空気を送りながら、頭だけを男に向ける。
「げっ!」
男が言葉にならない声を発する。女がいるはずの機織り部屋に鶴がいる。それも、翼をひろげてふすまの炎に風を送っている。驚いて当然だ。
男が縁側から転げ落ちる。沙知は男を見下ろしながら告げる。
「2ヶ月近くもの長きにわたり、本当にお世話になりました。しかし、この姿を見られてしまっては、もう、ここにいることはできません。お名残り惜しゅうございますが、これでお別れです」
沙知は、羽根が3分の1しか残っていない翼で離陸する。右に振れ、左に振れしながらも、なんとか地上から20メートルほどの高さまで達した時、沙知の脳内で時空超越通信装置が強制起動された。プロジェクト管理部長の太い声が、頭の中に響き渡る。
「M1098、貴様、何のつもりだ。家に火をつけるのは犯罪だぞ」
「私がラムネ星に帰ったら、裁判にかけるなり何なり、お好きになさってください。ただ、私をここに廃棄しようなどとは、お考えにならないように。もし、時空転移装置が迎えに来なかったら、私は村々を回って鶴に変身してみせます。さぞ、面白い昔話が後世に伝えられることでしょう」
「貴様、クローンの分際で私を脅すのか!」
管理部長が吠える。
「どう受け取られようと、結構です。ともかく、私をラムネ星に戻してください」
「クソっ、今、時空転移装置をそちらに送る」
管理部長がいまいましそうに言い、交信が切れる。
5分後、林の中の開けた地面に時空転移装置が現れた。沙知は地上に降り立ち、変身を解いてクローン人間に戻り時空転移装置に乗り込む。
どっと疲れが襲ってくる。意識が遠のいていく。おぼろな意識の中で、ラムネ星に戻される代わりに宇宙の彼方に飛ばされるかもしれないと思う。だが、今の沙知にとって、そんなことはどうでもいいことだ。
——私は、あの泥沼のプロジェクトを自分の力で終わらせ、私を守った。この後に何が待っていようと、私に悔いはない。
沙知は深い眠りに落ちていった。
〈おわり〉