普通平凡無機質男子が柔道と出逢った日
晴れた春の日の暖かい風。
am8:30、松陰神社前駅。
伊達に神社の名前を使った駅ではない。
吉田松陰を祀っているという『松陰神社』の鳥居は落ち着いた街角に突然現れた。まだ慣れない街並み。携帯のマップで確認し、それを左折する。
程なくして現れた平たい屋上の建物。
どうやら俺はここで、今日から、きっとなんの変哲もない、4年間を過ごすらしい。
〜
「クロダくん」
「…」
「クロダくん!欠席ですか!」
「あッ、はい!!」
思ったよりも大きくて裏返った声が出てしまった。
窓の外で懸命にビラを配りながら、大きな身体で新一年生に肩を組み当然のように嫌な顔をされているラグビー部に気を取られていた。
初日からイヤな目立ち方をしてしまった、それにしてもなぜ、最初のオリエンテーションなのに周りの学生には友人らしき存在が居るのだろうか。ひとりでオリエンテーションを受けているのは俺だけなのか。
「クロダクン!」
「はい!?」
左後ろの席からまたも突然声をかけられ、大きな声を出してしまった俺へ痛いほどの視線を感じる。
「クロダクン、ちゃんと聞いていなさい。」
「すみません…」
なんだか悔しい気持ちで左後ろを睨むと、涙を流しながら笑いをこらえているいかにも陽気そうな外国人が座っていた。
「なに。」
「クロダクン、ヒトリボッチ?」
こいつは、デリカシーってやつが無さそうだ。
「見ての通りだけど。」
「オ〜!トモダチナッテアゲルネ!」
…嫌だ…。
「シツレイチャウカ!ワタシハレオナルド、レオです」
握るよね?とレオの手が話しかけてくるかのように、破壊的な笑顔で差し伸べてきた手を、俺は握る以外に選択肢はないように思えた。
が、こいつ、骨が折れるかと思うほど力が強い。逃げるように手を払った。
「いって、、どこから?」
「ローマネ!」
「ローマか、イタリアだっけ。」
そうそう、とレオは首を縦に振る。
「ジュウドウ、シニキタ。」
「ジュウドウ?」
あの、柔道の事だろうか。
「ソウ!ニホン、ジュウドウ、サイキョウ。ワタシガスモ〜ルナトキカラジュウドウヤッテ、ワタシヤットニホンコレタ。ウレシイネ。」
また、やっと春がきたはずなのに、咲く日を間違えた向日葵みたいにはにかむこいつの事を、俺は心のどこかでもう赤の他人だとは思えていないようだった。
「へぇ、そうなんだ。日本って強いの?」
そう聞くと、レオは口を開けて驚いたあと、残念そうに肩を落として頬杖をついた。
「クロダクン、ホントニニホンジン?」
「なんだよ、そんなにがっかりするほどのことじゃないだろ。」
レオは口を不服そうに尖らせている。
「シノハラ、リョウコタムラ、ショウヘイオオノ、、ミンナアコガレネ。ワタシモアンナフウニワザキメタイネ…」
「そんなに面白いの。」
「クロダクンモヤリタイ!?」
こいつの感情はどうなっているのだろうか。
「やらないよ、聞いただけだろ。」
柔道なんて高校の体育で単位の為にやっていただけだ。
「エーー…オモシロイノニ…」
それにしてもレオは、訛りはあれど日本語が上手だ。レオが柔道が好きで日本に憧れていたことは、疑う余地もない。
俺が持ってきた筆記用具しか入らないサイズの鞄の5倍はあるリュックを持っている事で、今日の予定の想像もつく。
「今日、練習?」
「ソウ、モウブカツハナンニチカマエカラキテル!」
「へぇ。」
「クル!?」
そんなキラキラの瞳というやつは歳の離れた弟のトシが小学生の頃、じいちゃんの家の裏の木でカブトムシを捕まえた時に見たのが最後だったようなぎがした。
「今日オリエン終わったら暇だし、少しだけなら、まぁ。」
「ヤッタ!!!!」
「そこ!!!さっきからうるさいですよ静かに!!!」
今度は2人とも怒られてしまったが、俺は仲間ができたようで心のなかでガッツポーズをした。
〜
オリエンテーションが終わり、中庭に出るとまた暖かい風が桜の枝を揺らしていた。
「キレイネー!」
ずっと目の前に池田エリーザでもいるかのような喜び方をし続けているレオを見ているだけで満腹だ。
「ドウジョウアッチネ!」
俺の方が日本にいるのに、大学内を先日日本に来たばかりのイタリア人に案内してもらっている光景は大分滑稽だった。
「アッ!ユリー!」
突然レオが大声を出して手を大きく振りだした先にいた女性を見て、桜の花びらが一瞬止まった。
「あ、レオ〜」
落ち着いた雰囲気でまったりと返事をする"ユリ"という女性
は、黒髪のショートヘアが白い肌によく似合っていた。身長は、俺より少し低いくらいだろうか、女性にしては高めに思えた。
「キョウモサクラノヨウニキレイネ!」
「ありがと〜」
天然なのだろうか。このレオのテンションにすでに慣れているように見える。
「コチラ、クロダクン!」
突然の紹介に声が裏返る。
「こ、こんにちは。」
「こんにちは。君も柔道をやるの?」
「いや…」
「クロダクンジュウドウシラナイカラミニキタ!」
「いや、知ってはいるから!高校で少しやったし!」
「ナンダヤッタコトアルジャン!イッテヨネ!」
「そうなんだ、面白いよ。」
さっき出会ったばかりのこの人になら騙されても良いと思えるから、男っていうのは単純な生き物だと笑われるのかもしれない。
「あとでね〜」
ユリという女性はヒラヒラと手を振りながら建物の中へ入っていった。
「ユリ!ニネンセイネ!」
「先輩かよ!!!」
「ユリ、ツヨクテウツクシイ!ナデシコ!」
「強いんだ、あの人。」
「ハヤクイコウクロダクン!クロダクン、ナマエナンダッケ!」
「柔一」
「ジューイチ!11ネ!」
こいつ今、絶対数字の方で呼んだな。
そう思いながらも、きっと平凡なはずの4年間の始まりの日が、思ったよりも華やかで、少しだけ胸が弾んでいる事に、自分でも驚いていた。