001 眼 04
001 眼 04
足のギプスが取れ、左足の義体化も完了した頃に、研究所にアイツが挨拶に来た。アイツが試験運用テストに志願すると言ってきた事は、研究チームにもう伝えてあった。その事もあって挨拶と誓約書の記入はつつがなかくすんだ。
「お前の紹介してくれた、義師のおかげで生身の足の頃より快適に歩けてるよ。ありがとな」と帰り際に言われた。
返事に困っていると。
「前にも言ったろ、事故の事は気にするな」と言われ、頷くことしか出来なかった。
志願者が見つかった事で、思いのほかすんなりと、ヒトの義眼運用試験の許可が上から下りた。そんな事もあって自宅に帰る時間を惜しんで研究室にこもることが多くなってから一ヶ月ほど過ぎた頃。
机に置いてあった飲みかけのマグカップを疲れからか、誤って倒して端末に溢してしまった。なんとか端末を壊さずに済んだ。一旦休憩をした方が良さそうだ。
職員用のシャワー室で体をすっきりさせて気分転換に公園で昼食をかねて散歩をする事にした。
研究チームの人に声をかけてから行こうかと思ったがやめた。昔のホラー映画に出てくるゾンビのような呻き声が返ってくるのが容易に想像出来たからだ。
事故から一週間が過ぎた頃、公園で昼食を取ろうとしたことがあったが出来なかった。
公園の出入口が目に入った瞬間に全身から汗が吹き出て止まらず膝が震えてそれ以上公園に近づく事が出来ず断念したのだ。
今回は事故があった出入口からではなく、少し遠回りをした別の出入口から入る事にしたのが良かったのか、無事に公園に入る事が出来た。いつもと違う道を通って池に向かっていると、屋台から漂ってきた食欲をそそる香りに負けて、いつも買うサンドイッチではなくその屋台で倍の値段のハンバーガーを買った。池の近くの自動販売機で飲み物を買ってから、いつもの大きな木の近くのベンチに腰掛ける。
池の方を眺めながらハンバーガーを嚙る。隣に女性が座ってきた、他にベンチは沢山空いているのにと不思議に思い、ハンバーガーを喉に詰まらせそうになって咳き込んでしまった。
「病院の時もびっくりさせてしまったみたいでごめんなさい」
少し、誰だったか分からず考えてから
「あの時は、事故のせいで気が動転していたんです。あなたのせいじゃありませんよ」と言い終わる頃にはっきりと思い出した。
事故直後の病院で手術が終わるのを待っていた時に、声をかけてくれたインターンの女性だ。
「私も目の前で自動車事故を見るのは初めであの時はとても驚いた」
「近頃では、ほとんどの車がAIによる自動運転で事故なんて起きないですもんね」
そんな事を言ってから、少し遅れて気がつく。
「あの時、僕が救急車を呼ぶように頼んだ女性はあなただったんだですね。ありがとうございました」と驚きで早口に言ってしまい、聞き取れただろうかと不安になる。
「お礼を言われるようなことじゃないです。あの時は頭が真っ白で、救急車を呼ぶのをすっかり忘れていたんだから」
「僕もあの時は突然の事で、まわりが全然見えてなかった」
「もう知っているかもしれないけど、救急隊員に聞いた話では、あの時の運転手は事故の直前に心筋梗塞で亡くなっていたそうです」
「知りませんでした。あの後しばらくの間、事故のことを考えたり、車を見る事すら辛かったので」
「ごめんなさい」心底申し訳なさそうに言われ、とても居心地が悪くなってしまった。
長い沈黙が続いた。
「この前病院でインターンをしてるって言ってたけど、何科のドクターになる予定なんですか」沈黙がつらくて、とりあえず間を埋める為に記憶の中から覚えていた事を引っ張り出して質問していた。
「インターンをやってる間、ずっと迷ってたんです。色々な怪我や病気で病院に来る人達を見ていて、そして退院していくのを見てきて。確かに身体の怪我や病気は治ってるんです。でもなんとなく、心に引っかかって。あの事故を目の前で見た時以来、少しだけわかった気がして。怪我や病気が治っても心にはまだ残ってるものなんだって。だから将来はそういった心を少しでも楽にするのを手伝える仕事に就きたいと思ってます」
こんなに真剣に答えてくれるとは思っていなかったから、話を聞いている間ずっと黙って頷くことしか出来なかった。
「こんな事を人に話したのは初めてで、少し恥ずかしいですね」と頬を赤らめてカノジョが笑う。
しばらくしてカノジョが立ち上がって。
「私、そろそろ行きますね。話せて良かったです」
「僕の方こそ、話せて楽しかった」と僕も立ち上がる。
二人とも帰りの方向が同じらしく出口まで一緒に行くことにした。
「この公園に来たのは事故以来なんです」
手遅れだった。事故のあった出入口が目に入ってしまった。全身から汗が吹き出る。膝が震えて動けない。喉が熱くなって、胃が痛い。呼吸が荒くなる。必死でその場に蹲りたい気持ちを抑える。
これ以上はもう耐えられそうにないと思っていると、不意に少しだけ気分が楽になった気がした。
「大丈夫。目を閉じて、ゆっくり呼吸して」子供をあやすような声でカノジョが僕に言いながら手をそっと握ってくれた。
なんとか公園の外に出る事が出来た。気分が良くなって、頭の回転もだいたい元通りになると、先ほどの出来事が無性に恥ずかしくなって繋いでいた手を振りほどく。気まずくて、なんと言っていいか分からずにいると。
「私もなんです」
なんのことか分からなかった。顔に出ていたのだろう。
「事故があって以来、公園に来るのは三度目なんです。二回目までは公園が視界に入るとすごく怖くなっていたんですけど、今日は幾分ましでした。慣れなんだと思います」独り言かのように言う。
それが真実なのか、僕に気を使ってくれてなのかは分からないが、気が楽になった。
「だから、大丈夫」
このままカノジョと別れてしまうのは嫌だと思い、アイツなら絶対に連絡先を聞けと言うだろうなとも思った。
意を決して言う。
「今日は、色々ありがとう。お礼がしたいから、今度晩ご飯でも行きませんか」と自分の端末を差し出す。こいう事はとても苦手だ。
「もちろん」
断られずに済んで安心したからなのか自分の端末を落としそうになる。お互いの端末を翳して連絡先を交換する。
「それじゃ、また」短く手を振って別れる。
振り返ってカノジョの姿をもう一度見ておこうと思ったが、やめた。
公園の出入り口を見るのがまだ怖かったからだ。