001 眼 02
001 眼 02
いつもの公園は通勤の道を一本それた場所にある。普段は駅から研究所に一直線で寄り道はしない、立ち寄ろうと思えばいつでも行けるんだなと思いながら結局は立ち寄らない自分を容易に想像できた。
公園に入って池に向かう途中の自販機で飲み物を二本買う。
池に着いて辺りを見回す。あの頃とさほど変わっていなくて少し退屈さを感じたが、やっぱり馴染みある場所は安心できる。
アイツはお決まりの大きな木の近くのベンチに座って池の方を眺めている。ちょっと驚かしてやろうと思ってアイツに気づかれないように後ろからゆっくり近寄っていく。
あと少しの所で
「今回は飲めるジュースを買ってきたんだろうな」と文句を言われ驚かす事に失敗した。
「いつも飲み干すくせに文句ばかりつけるなよ」とベンチに腰掛けて買ってきた飲み物を一本渡す。
「貰ったものは、ありがたく飲むさ」それを聞いて、二人とも可笑しくなって顔を見合わせて笑ってしまう。
ひとしきり笑い終わった後。
「最近の調子はどうだ」
「そっちが呼び出したのに僕から近況報告するのは変な気がするけど」
「お前はいつも考えすぎなんだ、いいから聞かせろよ」
納得しないまま答える。
「研究の方は順調だよ、義眼の試験運用テストで鼠、羊、チンパンジーと順に行って全てこれ以上ないくらいの良い結果が出た。後はこれを論文にまとめて頭の固いお偉方を納得させれば、ヒトの試験運用テストの許可が下りると思う。今のところの心配は、許可が下りても自分から進んで義眼のテストをやりたがるような人が簡単には、見つからない事だね」いつもの癖で一息で言いたい事を言ってしまう。
「お前は相変わらずだな。何度も言ってる事だが、おまえの話を割って自分の話をするなんて事はしないからゆっくり話せ」と呆れた風に言われる。
「そうだね、ありがとう」
「それに、世の中には色んな奴がいるから案外、簡単に志願者が見つかるかもな」
「そうだと楽だけどね。僕の方の近況報告はそんな感じかな。今度はそっちのを聞かせてよ」
アイツは勿体ぶる様にしばらく池の方見てから話し始める。
「国を三つまわって半年ほどたった頃。この街のギャラリーで個展をやらせてもらえる連絡が入ったから帰ってきた。今はその個展に出す新しい絵の構想を練っている所だな」
「君に十代の頃に良く連れていかれたギャラリーか」と尋ねる。
「そう、あそこだ。前々から頼んでたんだがやっと、やらせてもらえる事になったんだ」と興奮気味だ。
「むかしから言っていたもんな。いつかここに自分の絵を置くんだって。やったじゃないか」
「まだ一年くらい先の事だけどな。それまでに納得のいく物を描くよ」
「君ならきっと良い絵が描けるよ」
「俺の話はそんなところだ」
先ほど文句をつけた飲み物をきっちり飲み干して、ベンチから立ち上がる。
「そろそろ行くか。お前この後、研究所に行くだろ」
「そうだね。次は散歩でもしながら話そう」と自分のも飲み干して立ち上がる。
二人で公園の出口に向かう、途中で飲み物の空の容器を自販機の隣のゴミ箱に捨てる。
なんだか昔みたいに二人でなんでも出来た頃に戻った気がしてくる。
研究所に着いたら論文を纏める思案をしていると、もうすぐ公園の出入り口だというところで女性の悲鳴が聞こえた。それと同時にアイツに思いっきり突き飛ばされて倒れ込んでしまう。
「いきなり何するんだ」と言って立ち上がりながら眼を白黒させてアイツの方を見る。
見当たらない。
ゴムの焼けた匂いがする。
僕の後ろから、おそらく先ほど悲鳴をあげた女性が「あっち」と指を指す。
指をさされた方を見ると公園の生垣をなぎ倒してなんとか止まった古くさい車がある。
状況を少しずつ理解しはじめる。
喉が干上がって、全身から汗が吹き出る、手が震えて止まらない。
最悪の場合が頭をよぎる。
先ほど悲鳴を上げた女性にむかって
「救急車呼んでください」と言ったが、辛うじて出た声があまりにも小さかったので聞こえたか不安になって女性の方を見ると二回程頷いたのが見えた。
車を横切って生垣を越える。運転手の顔に見覚えがあった。電車で話しかけてきた気の良いお爺さんだ、様子を確認する気は起きなかった。
アイツの安否の方が僕には大事だ。
必死に肺に空気を取り込もうとする音がする。音のする方へ行くと木に寄りかかるアイツを見つけた。
「お前に怪我がなくて良かった」
「もう大丈夫だから、救急車がすぐ来るよ」
そんな事しか言えない自分の無力さに怒りがこみ上げる。
それ以上何も言えずにいると僕に気を使ってなのか痛みに歪んだアイツの顔が少しだけ笑った気がした。