001 眼 01
001 眼 01
僕は早起きがとても苦手だ。早起きで唯一利点だと思うことは街にいる人の数が少ない事くらいだ。
ホームに入ってくる電車が普段と比べてのんびりしているような気がする。
電車に乗り中を見渡す。
一般的な通勤時間帯より早いからか、電車はとても空いている。乗車しているのは僕の他に三人だけ。端末をいじりながらあれこれと考え事をしている女子高生、真剣な表情で電車の扉の上のスクリーンに映し出されたニュースを見つめるスーツの男性、座って静かに読書をする老人。
扉付近の席に座って端末を確認する。施設にいた頃からの唯一の友達、兄弟と言っても良い、アイツからメッセージがきている。
今日、いつもの公園で久しぶりに会わないかとのことだ。
いつもの公園の池が見えるベンチに座って金はないが時間はあり余っていた頃、二人で頻繁に話をしたのが、とても昔のように感じられるくらいには久しぶりだ。などと考えながら返事をしようとしていると、奥の座席から
「爺さん、オレはあんたのAIじゃねえんだ、自分のに聞きな」と怒鳴るスーツ男の声が車内に響きわたる。
その声に驚いてスーツ男の方を見る。女子高生ですらびっくりして夢中になっていた端末から顔を上げたのが横目に見えた。
どうも老人が何かをスーツ男に尋ねたようだ。
今時、AIを入れていない端末を持ち歩いている人もいるんだなと僕は思った。
「邪魔してすいませんね」と老人が言う。
そのまま、元の席に戻るものと思っていると、老人は僕の方に近づいてきた。
「隣り座っても良いかい? お兄さん」とスーツ男に聞こえない程度の小さな声で老人は僕に言いながら席一人分離れたところに腰を下ろした。
「お兄さん、ちょっと道を聞きたいのだよ」とまたスーツ男に聞こえない程度の小さな声で僕に囁いた。
「僕に助けられるなら、良いですが」と囁き返す。
「ありがとう。ここの駅なんだがね、あとどのくらいで着くのか、わかるかい?」と最近では見かけなくなった紙の本に栞代わりに挟んでいたプラスチック製の自動車修理工場の名刺に書かれた駅名を見せてきた。
「ちょっと待ってくださいね、調べます」と僕は自分の端末でその駅名を検索してから。
AIに現在の駅からの到着時間を聞いてみる。
「三十分後に着きますね」
「わざわざ調べてもらってわるいね。ありがとう」とまだお爺さんは囁くのをやめないらしい。さぞかしスーツ男に怒鳴られたことが堪えたみたいだ。
二駅ほど過ぎた頃。
「ところでお兄さんは仕事は何をしてるんだい?」お爺さんが尋ねてきた。
「仕事ですか。三駅先の研究所で眼球の義体化について研究してます」と簡単に答える。
「学者さんなんだね。すごいね」
「ただの研究員ですよ」
「世の中のためになる事をしてるのに違いはないだろう」と優しい声で言われる。
「そうなんですかね。そうだと嬉しいです。お爺さんのお仕事はなんですか?」と訊き返す。
「仕事は引退して久しいが保険のセールスマンを四十年していたよ」と誇らしげに答えてくれた。
「四十年も同じ仕事を続けるなんて想像もつかないです」
「セールスマンをするのが好きだったんだ」と笑顔で言われる。
「僕も今の研究がとても楽しいです」
僕がそう言うのを聞いてお爺さんはとても優しく笑った。
「もうすぐお兄さんの降りる駅だね。長々と老いぼれの話しにつきあってくれてありがとうね。研究うまくいくのを応援してるよ」と笑顔で優しく言われる。
「こちらこそ話せて楽しかったです。頑張ります」と座席から立ち上がって言う。
電車が駅に到着して扉が開く。お爺さんの方に小さく会釈をしてから電車を降りる。
アイツに返事をしていない事を思い出しメッセージを送る。
「すぐに行く。いつもの公園の池のベンチで合流だ」
「もうベンチにいるぞ」
相変わらず気の早いやつだなと思いながら改札をいつもより少しだけ良い気分で通る。