小田原城の戦い7
現在1560年で史実で上杉政虎は上野の国を支配しており、この作品では占領時期書きませんでしたが、調略等を駆使して上杉家の支配地になっています。
今川義元が武蔵勢を盾にして、殿に岡部元信と朝比奈泰朝に任せながら駿河に向けて撤退する中、武蔵勢では悲劇が起きていた。
偃月の陣にて、風林火山を掲げた武田軍が自分達に突っ込んでくるのである。
偃月の陣とは、あまり聞きなれない陣形だが、この陣形は少数部隊や統率の取れていない軍勢が使うもので、本来なら武田軍の様な軍律がしっかりしている軍勢では使用しない陣形なのだが、大将が武田勝頼の為にこの陣形が可能となっていた。
有名な鶴翼の陣は大将を中心に両翼をブイの字に広げて、攻めてくる敵を左右から包囲して殲滅する陣形なのだが、偃月の陣はその真逆の陣形である。
大将が先頭に立ち両翼が左右に下がる陣形である。
弱点は大将が討ち死にする可能性が高いことだが、利点は、大将が先頭に立つことにより、軍の士気が上がり強力な馬廻りを最初から前線で使えることで攻撃力が高いところである。
この戦いでの馬廻りは、上泉信綱と松風を駆る前田慶次郎が務め武田勝頼の左右を固めている。
そして、この戦いで勝頼は助五郎に以前から頼んでおり、最近やっと乗りこなすことが出来るようになったアラブ馬にまたがっている。
その名を火影と名付けていた。赤栗毛馬体に炎の様な美しい鬣、影を残してあっという間に走り去るその馬力は、前田慶次郎の松風に負けていない。
武田勝頼は火影の背に風魔葵を乗せていた。普通の木曽馬では、鎧を着た勝頼の他に人を乗せると馬が潰れてしまうが、火影はサラブレッドの原種になった馬で、サラブレッドより速さは劣るが、耐久力がある。
武田勝頼は武田信玄から譲り受けた鎧姿で、風魔葵は鉢金、胸当て姿の軽装である。
何故、風魔葵が勝頼の背にいるかと言うのは、本人の希望で、夜戦の為闇でも目が効く葵が勝頼の為に敵の兜首を探すなどの補助をするためであった。
所々、炎で明るくなっているが、やはり夜戦の為闇が深いのである。
葵が兜首を見つけては、勝頼に報告する。
上泉信綱と前田慶次郎は近く敵を薙ぎ倒している。正に戦国無双だ。
既に上泉信綱に武蔵勝沼城の三田綱秀が、前田慶次郎に武蔵忍城の成田長泰が討ち取られていた。
武田勝頼も葵の補助で身分の高そうな騎馬武者を見つけて対峙する。
それは武蔵松山城主であった上田朝直であった。
上田朝直は歴戦の老将であり、その眼光は鋭く勝頼に向けて槍を繰り出すが、経験だけでは強すぎる大将と呼ばれ、上泉信綱の弟子となり、毘沙門の加護を受けた武田勝頼の敵ではなかった。
数回打ち合った後、喉元に槍を刺され絶命した。
勝頼は吠える「敵将この武田勝頼が討ち取ったぞ!降伏する者は命までは取りはしない!今すぐ槍を捨てその場に座るが良い!」
武蔵勢は、主だった指揮官を討ち取られ戦意を喪失し、武器を投げ出して降伏した。
武田勝頼としても武蔵の国は重要であり領主以外は殺す気は無かったので計画通りである。
降伏した者の中に使えそう顔をした武将がいたので勝頼が名を尋ねると、その男は太田資正と答えた。
成る程、あの有名な太田道灌の子孫か、使えるなと勝頼は喜んだ。
そして武蔵勢を制圧した武田勢は、武田勝頼と馬廻りと夜戦の為、今回は出番の無かった雑賀衆はその場に留まり、馬場信春を大将、北条氏邦を副将に任命し今川勢を追撃させる。
結果、今川勢は駿河まで逃げ延び武田勢は空になった伊豆を制圧した。そして流石にそれ以上追撃するほど武田軍は愚かではなかったのである。
次は上杉政虎と斎藤朝信視点になります。