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大崎玄蕃と名を変え生き延びた武田勝頼の末裔の咆哮  作者: 吉良山猫
第2章海津城編
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上杉政虎

史実では1561年に上杉政虎になりますがこの話は違う部分があります。

長尾景虎の元に北条により関東を追われた関東管領上杉憲政が身を寄せていた。彼は戦で妻子を失い失望の中にあり全てを諦めかけていた…いや諦めていた…しかし名門上杉家が自分の代で名を失うことを嘆いていた。


現在身を寄せている越後の龍長尾景虎は女性でありながら軍神と呼ばれる他国を寄せ付けない強さを持っている。しかし憲政はこれ以上戦いに身を置きたくないと思っており上杉の名を残すことのみを考えていた。関東管領がもはやなんの意味もなさないことも彼は知っていた。


そんな中で憲政は長尾家が守護代の家柄で身分の低さで長尾景虎が苦しんでいることを知った。


そして憲政は提案した。上杉の家督を継いで欲しいと。関東管領も譲る。しかし関東に戦さを仕掛ける必要はない。上杉家の名前を残してくれればそれ以上何も望まないと。


そこまで懇願されたら断れる景虎ではなく受け入れるのであった。


そして名を改め関東管領上杉政虎となったのである。


勝頼は祝いに政虎に真珠のネックレス贈ったのであった。


政虎は上杉の名や関東管領よりも勝頼から貰ったこの美しい真珠のネックレスの方が嬉しかったのは秘密だ。


政虎はいつも重圧を背負わされそれを酒に向ける傾向があり史実では早死にをしたが、勝頼と恋仲になってからは重圧も彼が支えてくれるので酒よりもスイーツに目が行き可愛い女子になっていた。


実際に可愛いのだが。


しかしこれだけ畏怖される存在の政虎を可愛いと思い愛せるのは勝頼だけであろう。


戦国の世なので勝頼は複数の側室を持つであろうが政虎はそれでも良かった。自分が一番なら。


日本史いや世界史にもかかわるかも知れない上杉政虎の実の子がいるのといないのでは歴史はかわる。


勝頼と政虎が恋仲になった時武田の滅亡の歴史は変わっていたのはこの時は誰も知らない…


勝頼の子を産むのはまさかのあのゆるキャラが含まれるのも今は誰も知らない…

政虎は上杉についになりました。長尾景虎で通そうと思ったのですが上杉の名を惜しみました。

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