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大崎玄蕃と名を変え生き延びた武田勝頼の末裔の咆哮  作者: 吉良山猫
第2章海津城編
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剣聖

勝頼は人材を探す為暫く東国を旅します。

勝頼は上泉信綱の息子である上泉秀胤を家臣にしてその一族も富山城下に屋敷を構えて移住させることに成功した。


上泉信綱に大崎玄蕃として会ったのだが、護衛の馬場信春が不死身の鬼美濃で武田家臣である事を見抜かれてしまった為、自身が武田勝頼であること、長尾景虎とのこと、身内にも話してない今後の夢のこと、戦がなく、人々が飢えることなく平和に暮らせらる世の中を作りたいこと、その為に、日の本の為にも力を貸して欲しい事を正直に話したのだ。


上泉信綱は商人達や弟子達から富山城や海津城の繁栄や農民が幸せに暮らせている事、勝頼の真っ直ぐな瞳や人柄、身体から滲み出る毘沙門天の覇気を感じ、勝頼に賭けることにした。


勝頼は手土産に越中国で打たせた最上級の太刀を信綱に贈り、信綱はその御礼にと暫く剣の稽古をつけてくれた。


信綱程の剣豪ともなると剣を交える事で相手の事がある程度わかってしまう。


「このお方は…」


信綱は勝頼の剣の先に底知れぬ物を感じていた。初手合わせの際は勝頼の燕返しの最初の一撃を無刀取りで受け止めていなしたのだがこの若者がここまで隙のない動きで技を繰り出すのに驚愕した。今までこれ程の者とは立ち会ったことがないと。


結果将来的に勝頼は信綱より新陰流奥義を授けられることとなるのはまだ少し先の話だ。


信綱は主君の事があり領地のこともある為、すぐにはついていくわけには行かず自分の嫡男を側にと先につけてくれたのだ。


勝頼は上泉秀胤とその一族には富山城へ向かってもらい、次はこの目で北条の小田原城を見てみたかった為、馬場信春と小田原方面へと旅立つのであった。

上泉秀胤は兵法家としてなが残っており、その息子は泰綱です。

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