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大崎玄蕃と名を変え生き延びた武田勝頼の末裔の咆哮  作者: 吉良山猫
第2章海津城編
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永禄元年

1558年、弘治4年、永禄元年、武田晴信甲斐国守護と兼任で信濃守護を任命される。

以前富山城で謁見した武芸者はあの後、海津城を訪れ城下町の発展と天守閣に感嘆して勝頼に対して一目も二目も置いたらしい。


勝頼は軍備、内政に専念した為、兵農分離をさせた軍隊を富山城に約一万二千、海津城に昌景達の兵を含めて約一万動員できるようになっていた。


富山城の最新式の軍備や新装備はまだ内密だが、海津城の軍備は赤備え騎馬隊三千の木曾を攻めた時の装備にこの時代の火縄銃の鉄砲隊二千、大楯部隊千、スコップと手斧装備の工作部隊千、その他は長槍や弓などのこの時代の装備である。


荷駄隊は別でこれの他に、忍び部隊や金堀衆、富山城の水軍衆など各分野のスペシャリストも集めている。


絶対的に足りないのは指揮を執る将で、富山城下や海津城下に流れて来た者や仕官してきた者を雇うことでだいぶ人数が増えたが、どのような者達を雇ったかはここは伏せておく。


この年も俺は内政に専念できそうな為、まだ人材不足なので少しお忍びで諸国を周り配下を増やそうと思う。


直江津では建造中の船が3番艦までが今年中には完成しそうだ。


甲斐では兄義信が思った以上に小山田氏攻めに苦戦しているらしい。数で上回る義信軍だが夜間休息を取っている際に夜襲を受けて痛い損害を受けたそうだ。


正に窮鼠猫を噛むだ。しかし段蔵の報告によると所属不明の部隊が小山田氏の手助けをしていたようだとのこと。


父晴信が動けばすぐ攻め滅ぼせるのだろうが今回は全て兄義信に任せる姿勢を崩さないようだ。


父晴信は内密に西上野に調略や小規模な出兵を行なっている。


勝頼はどうしてもスカウトしたい人物がおり箕輪城下に向かうことにする。海津城は山県昌景に任せて馬場信春と段蔵を護衛に上野へとひっそりと旅支度を整えて旅だったのであった。


勝頼がもてる最上級の土産を持って…

史実との時系列が多少異なるのはオリジナルチート作品なのでお許しください。

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