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大崎玄蕃と名を変え生き延びた武田勝頼の末裔の咆哮  作者: 吉良山猫
第2章海津城編
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内政を頑張ります

1567年(弘治三年)

勝頼は海津城にて力を蓄える為に新たな物を作ることを指示していた。


一つ目は木工職人に命じ水車を、二つ目には鉄は軍事面に優先して回している為、竹を使用して作った千歯扱きを作り自領内と越後には安く売り国外には助五郎を使い売ることにした。


また富山城での塩田整備も指示をだした。入浜式塩田製塩方法と流下式塩田製塩方法である。これにより高品質な塩を生産することに成功し高値での取り引きは勿論、朝廷や幕府への献上品になるほどであり莫大な利益を手に入れることになる。


富山城ではガラスの開発、灰吹法を指導して国中から悪銭や銅の塊を集めさせて金銀を取り出させている。商品を売る際に大陸銭の倍の悪銭で売ると言えば恐ろしい程悪銭は集まりそれが金銀へと変わる。銅も勿論再利用して永楽通宝の型を製造して銭に変えているので銭は溜まる一方だ。しかしまだまだ稼ぐ方法は尽きることなく勝頼の頭の中に原案がある。海津城ではイモ焼酎が主であるが、富山城では清酒造りとイモ焼酎を、父晴信にお金を払い甲府の斜面の土地を借り甲州ブドウの栽培量を増やしている。しばらくしたらワインができる予定だ。


勿論酒類は毎年、躑躅ヶ崎館と春日山城に晴信と景虎の為に献上品として納めている。


海津城名物としてこの時代ににはない麺の状態にした蕎麦に山菜を乗せシジミで出汁を取った醤油ベースの物を作ったらこれが家臣だけでなく、城下どころか北信濃全体に広まった。信州の蕎麦は日本一だと勝頼は思っている。いずれは鰹節や昆布や煮干しなどの海産物の出汁も広めたい。


助五郎には南蛮や明国など海外から作物の種や苗、家畜などを金に糸目をつけず仕入れさせているがどうしても必要な物がありサーチアイを使い仕入れさせた。それはじゃが芋である。寒冷地でも育つのである計画を実行に移す際に必ず必要な作物であった。


家臣団は、海津城には山県昌景を筆頭に、馬場信春、加藤段蔵、小姓の真田源五郎がいるがまだ全然足りない。


各国より引き抜きを考えると共に、段蔵と配下を使い城下に人材が集まるよう各国に噂を流させることにする。


甲斐では父晴信が下山城を攻め滅ぼし、見せしめの為、穴山一族は女性を除き全て皆殺しにして城下にその首を晒したらしい。


血の繋がりが例えあったとしても情け容赦しないのが武田晴信の恐ろしいところである。


勝頼は思うところがあり遠くを見つめるのだった…

勝頼は内政に励む中で甲斐で史実の天敵が一つ滅んだことで感慨に浸ります。


小説は多忙の合間に少しずつ素人ながら書いています。構想は頭に色々あり面白くしたいと思いますが文章は難しいです。

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