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大崎玄蕃と名を変え生き延びた武田勝頼の末裔の咆哮  作者: 吉良山猫
第2章海津城編
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今後について

史実では穴山家と小山田家は武田家に属していましたが穴山家と小山田家は三国同盟の直前に穴山家は今川家を、小山田家は北条家を頼みに反武田の意思を明確にして躑躅ヶ崎へ出仕しなくなっていましたが、三国同盟が結ばれた為、今川家と北条家は武田家に気を使い表立って受け入れることや支援することができなくなり小山田家と穴山家は武田に戻ることが出来ず孤立している設定になります。

景虎への越中国での詳しい報告は、直江景綱に任せて俺は海津城へ帰還した。海津城では、昌景に事の次第を話した後、富山城へ少しずつ移すべき物を移すなど内政面に追われる日々を送っていた。


城に戻り変わった事と言えば俺にも小姓ができたと言うことだ。真田幸隆の三男で名を源五郎と言う。一つ歳下だがこれが中々優秀で痒いところに手が届くというか大変助かっている。


まあ源五郎が誰であるかを転生者である俺は知っている為、小姓の話しが出た際に是非にと指名したのだが。


昌景から武術の指導を受ける際には源五郎も一緒に参加させている。


戦術や築城などについては幸隆だけではなく、最近は甲斐より時々山本勘助が訪ねてきては色々指導してくれている。


山本勘助とは、父晴信の軍師で凄まじい知略と知識の持ち主なのだが、何故か嫡男の兄義信ではなくこんな武田領の果てにいる勝頼の処まで訪ねて来て勝頼を教育してくれている。有り難いことだ。


そしてそんな日々を過ごしつつ一年が終わった。


新年となり挨拶の為、勝頼も主だった者達を引き連れ躑躅ヶ崎館に来て挨拶をすませた。その際に父晴信に後で別室に来いと呼ばれたので別室で待つと父晴信が入ってきた。


「お呼びにより勝頼参上致しまして御座いまする」


「そう畏まらずともよい!今日はちと其方と話したいことがあってな」


「どのようなご用件でしょうか?」


「うむ。儂は力を蓄える為に上野をとろうと思うておる。その前に邪魔な小山田と穴山を始末するつもりじゃ。小山田は太郎に任せようと思っている。穴山は儂が直接叩く」


「出陣命令ではないので?」


「其方の領地からではちと遠すぎるのと、嫡男として太郎に手柄を立てさせねばならぬ」


「其方は今年は内政に励めばよい。ただその後の上野攻めの事を考え真田幸隆をこちらに返して欲しいのじゃ。代わり馬場信春を家臣として遣わす」


「承知致しました。しかし馬場殿とは家中名の通った方ですが私ごときに本当に宜しいのでしょうか?」


「うむ、本当は秋山あたりと考えておったのだが本人がえらく其方の事を買っていてな、評定の際に、勝頼様の元へは是非某を!と本人たっての希望があった故のことじゃ」


「私の事をそこまで…恐縮です」


「うむ、では決定じゃ!それとな、其方も元服している故そろそろ嫁でもと考えているのだが?」


「それにつきましては申し上げたきことがあります」


「なんじゃ?言ってみよ」


「実は将来を誓いあった女子がおりまする」


「なんと!?それは何処の誰じゃ?いくら四男とはいえ其方も武田の血を引いている身じゃ。流石に何処の馬の骨ともわからぬ者では認める訳にはいかんぞ?」


「越後領の武家の姫君ですので家柄は問題ないかと思いまする。父上にはいずれ直接会って頂き紹介しとうございます」


「うむ、まあよいであろう」


晴信は越後の武家の娘が誰かは見当がつかないが蛇が出る事もあるまいと思った。実は蛇どころか龍が出ることになるのだが…それなりの身分の家臣の姫なら上野を攻める際に越後との繋ぎになるやもしれんと。


越後の長尾景虎は軍神と言われており戦上手で既に越中国を平定し、蘆名にも圧勝したと聞いている。


流石にそこまでの相手と戦い兵を消耗させる気は毛頭ない。ただ一つだけ悩んでいたのは、思っていた以上に勝頼が優秀で義信以上だと晴信は認めていた。晴信が認めるくらいなので家臣達にもそう思っている者がおり、家中の分裂を避ける為に一度は武田性でいることを認めたがいずれ何処ぞかに養子に出さなければならないと思っていたからだ。


まあいざとなれば廃絶したどこかの家の名前でも名乗らせるかと思った。いくら優秀でも嫡男は義信であり、晴信にとっては勝頼はあくまでも四男でしかなかった。



勝頼と晴信の親子の関係は良好ですが普通の親子ではなく国主とその四男との関係の為、常に国が優先でありその為には優秀であっても四男は四男でしかありません。実際の歴史でも勝頼に対しては駒的要素を思っていたようです。YA M Iさんの助言大変参考になっております。今後も気にせず助言宜しくお願い致します。

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