佐竹家の滅亡
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武田信玄は今回の賊の撃退の結果の報告を受けて満足すると甲斐の国へ戻っていった。
これ以上小田原城にいては今川義元がいつちょっかいを出してくるか分からないからである。
帰り際に信玄は捕虜にした女性達の中より、自身が気に入った女性を選び躑躅ヶ崎館へ連れて帰った。
信玄は女性に向かい、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると舌舐めずりをしながら耳元で囁く。
「たっぷり可愛がってやるので覚悟せよ」
「ひいいいいい」
女性の悲痛な叫びが響き渡る。
勝頼はそのやりとりを眺め信玄を見送りながら考えていた。
「昌景、一体どちらが幸せだと思うか?」
「なんとも言えませんな」
その理由は、残りの者達は明智光秀に任せている蝦夷地送りだからである。
躑躅ヶ崎館で信玄にたっぷりと可愛がられるのが良いのか、それとも開墾地へ赴くのが良いのか、両名は結論が出なかった。
信玄が急いで今川義元対策の為に帰ったのは、とある者からの書状による。
伊達家当主である伊達晴宗よるその書状には、佐竹義昭が奥州の大名達に対武田勝頼の為の包囲網を作る為に動いており、既に相馬家や今川家はその話に同意して戦支度に入っていること、伊達晴宗にも話が来たが態度を保留していること、伊達家は武田家につくと言う内容だ。
その為、今川義元が動きを見せた際には信玄と氏康で挟み撃ちにする事に軍議で決まったのだ。
勝頼自身は佐竹義昭達を伊達晴宗と協力して挟み撃ちにする。
佐竹家と相馬家に関しては、伊達家より北の大名達への見せしめを兼ねて徹底的に打ち滅ぼすことにした。
勝頼は雪解けと同時に自身が1万5千の兵を率いて即座に佐竹家の本拠地である大田城を目指し出陣した。
最大動員兵力から考えれば少数だが、内約として山県昌景の赤備え3千、高坂弾正の部隊3千、雑賀孫市の雑賀衆が千、前田慶次郎の部隊が2千、島津家久の部隊が千、そして勝頼と葵のいる本隊が馬場信春と上泉信綱、5千の編成だ。
雑賀孫市の雑賀衆と島津家久の部隊は鉄砲隊の為実質2千の鉄砲が火を噴く事になる為、鉄砲が十分に普及していない奥州の大名達にとって脅威となり、特に騎馬隊などは使い物にならないだろう。
勝頼は、鉄砲隊の装備は軽装にしており、その分鉄砲の量産を続けている。
だから武田家の保有する鉄砲の数は恐ろしい事になっている。
大田城に向かうまでの砦や城は殆どが降伏したが、降伏しなかった城は火攻めにし、全てを燃やし尽くして敵に対する狼煙になってもらった。
結果、大田城では兵の逃亡が相次ぎ佐竹義昭は勝頼とまともに戦える状態ではなくなった。
自身の敗北を悟った佐竹義昭は自分以外の者達の助命を願い出て切腹をして果てた。
勝頼が電光石火の速さで進軍した為、相馬家の援軍は間に合わなかったのである。
こうして佐竹家は滅亡し常陸の国は完全に勝頼の領地になったのであった。
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