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大崎玄蕃と名を変え生き延びた武田勝頼の末裔の咆哮  作者: 吉良山猫
第4章小田原城編
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蘆名陥落

いつも誤字脱字ありがとうございます。

武田勝頼は評定を開いていた。


いくら上杉輝虎の夫とは言え、武田勝頼に従うのを良しとしない者へ対しての対策でもあった。


武田勝頼は、かの評定において足利勝頼と名乗ったのだ。


越後の将達は上杉輝虎が影響もあり、幕府の威光をむげにはできないところをついたのである。


足利将軍家の猶子になど普通に考えればあり得ない破格の事なのである。


史実で豊臣秀吉は足利義昭の養子になり幕府を開こうとしたのだが、それが許されなかった為、関白秀吉となったのだ!


武田勝頼が足利義輝の猶子となれたのは、ひとえに彼の実力を幼少期より将軍に認められていた事と清和源氏と言う家柄があってのことなのである。


血筋的には祖先を考えれば遠くても同族であると言うところが大きい。


史実で徳川家康は源氏の血統を偽って幕府を開いたが、武田勝頼は真の清和源氏なのである。


武田家に伝わる家宝からもそれは誰もが認める真実であったのだから。


そして今の勝頼は周辺の大名達からこう言われている。


小田原公方と…


その名の力により結城氏や里見氏などが配下に加わったことで関東平定に近付いている。


今関東において武田勝頼に従わないのは佐竹氏のみであった。


武田勝頼はしばらく猶予は与えるが、佐竹氏がその猶予期間中に従わねば力攻めにより関東統一を考えているのだ。


蘆名盛氏は、名君として有名だが武田勝頼を侮り過ぎである。


自身の妻である上杉輝虎の領土に攻め込んだら普通に考えて猛獣の尻尾を踏むことになるのが何故わからない?


しかし、内乱もあり自身の力を家臣達に示す必要があり、追い詰められての苦渋の決断かもしれんとも思った。


武田勝頼自身においては、蘆名盛氏のことは嫌いになれない。


史実で生涯妻1人を愛し、側室を持たなかったと言うのは同じ男として賞賛に値する。


勝頼は、出来ることなら蘆名盛氏を殺さず配下にしたいと思っていた。


だから無理を言って今回の迎撃の指揮官を願い出たのである。


そして、足利の名を出した勝頼は上杉家の諸将から迎撃の主として認められたのである。


実のところ、足利家の名前の影響も強かったが、上杉家の家臣達は武田勝頼の恐ろしい程の強さや能力、人柄を認めており、何より次期当主の父親であることも大きく影響していた。


彼らにとって武田勝頼は家族同様なのである。


団結した上杉家の家臣団の強さと武田勝頼の指揮が加われば言わずもがなであろう…


蘆名勢は、武田勝頼と上杉家臣団により蹂躙され、蘆名盛氏は捕らえられたのである。


そして勝頼の鶴の一声により、死罪を免れ蘆名盛氏は武田勝頼の下に降ったのであった。


上杉家臣団は強兵として有名です。武田勝頼は武田信玄より上杉謙信に戦い方が似てると史実の言われました。そんな彼が上杉勢を率いたらどうなるかわかりますね。

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