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大崎玄蕃と名を変え生き延びた武田勝頼の末裔の咆哮  作者: 吉良山猫
第4章小田原城編
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獅子王武田勝頼誕生

武田勝頼は琉球王国で富国強兵を目指します。歴史上苦しい生活を強いられた沖縄ですが、勝頼の手により琉球王国は勝者の歴史を目指します。

武田勝頼と武田水軍は沖縄本島北部の運天港に到着した。


今帰仁城は勝頼達が来る前に兵が逃げ出した為、無傷で手に入れそこを仮の本陣と定めた。


上陸した武田軍は2千に対して琉球王国側は1万の大軍であったが、水軍が全滅させられた事実と轟音と味方がバタバタと倒される恐怖に戦意を喪失していたのだ。


山県昌景率いる赤備えと雑賀孫市率いる鉄砲隊の強さは他者を寄せ付けない凄みがあった。


その為、戦う前から逃げ出す者が続出したのである。


武田勝頼は略奪や無闇な放火は禁止し、攻撃を仕掛けてくる者は見せしめとして容赦なく葬らせた。


この飴と鞭の作戦が功を奏して首里城を目指す武田軍の前に正面から戦う者はいなくなった。


そして武田勝頼に付近の有力者達が降伏してきた為、勝頼はそれを受け入れた。その中には名護親方良員など名だたる者達も含まれた。


降伏した者には所領の安堵と住民の安全を保障した。


元々、武田勝頼の目的は琉球王国の王位であり、優秀な人材はそのまま欲しかったので勝頼は口元を緩める。


首里城に近付いた際、一度大きな戦闘があり、琉球王国軍数千が武田軍に挑んだが、鉄砲の一斉射撃と赤備えの前に、数百名が討死し残りは降伏した。


そして完全に戦意喪失した琉球王は、武田勝頼へ王位を譲る事を条件に降伏した。


琉球王は降伏した為、命までは取らず甲斐武田信玄の監視下で隠居生活を送る為、この後甲斐に送られることとなる。


琉球王国の血筋であるサーヤを勝頼は妻とする事を宣言し、琉球王武田勝頼が誕生する事となった。


島の者達は武田勝頼をその出で立ちから獅子王、そうシーサー王と呼ぶ事になる。


武田勝頼が琉球王国の王位にこだわった理由は、日の本とは一線を置き、琉球王国として沖縄本島を王都とした世界に目を向けた戦略の第一歩である。


蝦夷地に関しても琉球王国に編入するつもりである。


日の本は天皇を中心とし、いずれ武田幕府を開き統一が望みであるが、琉球王国はスペインやポルトガルにも負けない国にするつもりである。


武田勝頼が自国領で行っている塩の増産やコンクリートを使った王国内の整備、コンクリートを上手く利用すれば飲み水の確保にも繋がり台風対策にもなる。


そしてサトウキビの整備などを行い、漁業改革、食料増産、貿易などによりまずは琉球王国内を豊かにして兵を鍛える富国強兵が当面の目標となる。


まずは琉球王国民の暮らしを楽にする。それが琉球王となった武田勝頼の決意であった。

まずは王国民が平和に暮らせるための国づくりの為、琉球王国は攻め込まれない以上は自ら戦は仕掛けず内政重視により皆の生活水準の向上を目指します。

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