暗殺
武田信玄が川中島で失ったものはあまりに大き過ぎました。
1553年俺は7歳になっていた。俺はあることを阻止する為に信濃と越後国境付近に段蔵を潜ませていた。
父である晴信が信濃攻略を進める中、敗れた敵将が越後に逃れるのを阻止する為だ。段蔵は越後に逃れようとするものは全て始末していた。
最終的に目的の人物を討ち取り首を素早く切り落とすと、布に包み段蔵は武田軍の陣地に走り去った…その場所に残されたのは複数の死体と首がなくなった上の家紋の入った陣羽織を着た死体だった。
段蔵は武田軍の信濃侵攻軍に参加していた山県昌景に首を渡しその場所を教えておいた。
「うまくやりなされ、との我が主人からの伝言じゃ」
「こ…この首は村上義清!?」
昌景が驚愕の声をあげた。
四郎の考えはこうだ。信濃の豪族が越後に逃げる前に皆殺しにすれば長尾景虎に大義名分が立たず川中島の戦いは起こらない。
武田信玄が天下統一が出来なかったのは上杉謙信との戦いで時と人を失いすぎたからだ、とも言われている。
そして山県昌景は四郎が給金を出しているわけではなく晴信が給金を出しているので昌景が出世すれば四郎の使える軍勢が増えるのだ。
山県昌景は村上義清を打ち取った褒美として騎馬500騎をもてるまでに武田家中で出世した。
その頃四郎は現在知識を利用して高火力がだせる鉄鋼用の炉を職人につくらせていた。
信濃には鉄の取れる鉱山が複数ある為、父である晴信に領内の鉱山をたまたま見つけたと報告し開発を進め自分にも鉄鉱石が回って来るように手回しをしていた。
この時代製鉄技術が進んでいなかった為加工できない分の鉄鉱石を回してもらっていたのだ。
あるものを作るために。鉄砲も段蔵に命じて畿内の戦さ場に落ちているものを複数回収させそれを魔改造する予定で手元にいくつかあるがまだその時ではない。
山県昌景の騎馬隊の機動力を生かしたあるものを密かに作らせていた。
そして手紙とともに長尾景虎に贈り物として今回は京より助五郎に取り寄せさせた美しい女性の着物用の布を使って作った背中に毘沙門天の刺繍を施した陣羽織を贈った。
長尾景虎はそのあまりの見事さに「ほう…」とため息を漏らすと段蔵に感謝の手紙と背中に毘の刺繍が入った陣羽織を返礼品としてもたせたのだった。
景虎は薄っすらと頬が赤らんでいるのを自分では気づかなかった…
しかしいつか逢いたいと強く思ったのである。
鉄鋼炉と鉄砲と新兵器を手に入れました。