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オロチ綺譚

邂逅綺譚

作者: かなこ

シリーズ物です。上部「オロチ綺譚」より1作目「巡礼綺譚」からお読み戴けるとよりわかりやすいかと思います。

 ようやくUNIONに預けていたスイリスタルの荷物がすべて届き、自由貿易船オロチの船長である南は胸を撫で下ろした。

 ローレライ救出の報酬として要求した税金減額や閲覧権に関してはまだ申請中との事で確実な返答はもらえなかったが、もしUNIONが嘘をついたり誤摩化そうとした場合は自分が後ろ盾になると商業区ローレライのエンテン星大統領のサオトメに言ってもらえたので、南は少し安心していた。

 今回の件でUNIONはローレライに大きな負い目ができた。ローレライ滅亡の48時間前にやっと事情を説明したという手際の悪さは、あの体裁を気にするUNIONにとっては完全な汚点となっている。そのエンテン星のバックアップがあれば申請はおそらく通るだろう。

 他にも南を安心させる要素が増えていた。菊池が完全に回復したのだ。お陰で慣れ親しんだ料理をたらふく口にする事ができ、南だけではなく他のクルー達も喜んだ。

 そして肝心のオロチも、ローレライの技術により復活しつつあった。

 真っ白だった機体はややクリームがかった色に塗り替えられ、黒で描かれていたオロチのマークは藍色に染め直された。「地味すぎるんちゃう?」というサオトメにもっとカラフルな翼尾灯を増やそうと持ちかけられたが、これは南が丁重の断った。


「やっと宇宙に帰れそうっスね」

 嬉しそうに機体を見上げる狙撃担当の柊の隣で、南も同じような表情を浮かべた。

「そうだな。今回の滞在は長く感じるよ」

 スクリーンに映し出される光と闇の広大な宇宙、ブリッジに浮かび上がる3Dグラフ、進路を示す光の方位。そのどれもが泣きたいほど懐かしい。

「……早いとこキャプテンシートに座りたいよ」

 目を細めて機体を眺める南に柊が口を開こうとしたその時、突然オロチの機体の陰で怒声が響いた。

 柊は反射的に銃を手にすると南をかばって前に身を乗り出した。ここがいくらエンテン星政府の格納庫であろうとも、不審者が出入りしないとは限らない。

「柊」

 片手を挙げて柊を制した南は、ゆっくりとオロチの向こう側に移動すべく歩き出した。柊がそれに続く。

「……ずいぶんいい度胸だね」

 よく知っている生意気な声が聞こえて来て、柊はやっと銃をしまった。

「何があったんだ? 北斗」

 主操船担当の北斗は柊を見ようともせず、銃口を前方へ向けていた。そこにはエンテン星政府の警備隊に押さえつけられた男が床に両膝をついて北斗を睨みつけている。

「北斗」

 南に呼ばれて、北斗はやっと口を開いた。

「ただの泥棒っス。うちの荷を盗もうとした」

 北斗は銃も視線も前方に定めたまま、低い声で簡潔に状況を説明した。

「申し訳ございません、南船長」

 泥棒を押さえていた警備員の1人が頭を下げた。ローレライを救った英雄達の乗る船に泥棒を近づけさせた事を心から申し訳なく思っているようだった。

「しかしご安心ください。オロチには指1本触れさせておりません」

「怪我人は?」

 南の声に警備員は首を左右に振った。

「ならいい」

 南はゆっくりと泥棒の前に歩を進めた。

「1人か?」

 顔を背けた泥棒に、南はわずかに眉を寄せた。

「何を積んでいるかを知っていなければUNION非加盟の自由貿易船のために政府の格納庫まで侵入しようとは思わないはずだ。どこから聞いた?」

 泥棒は尚も無言だった。警備員に「答えろ!」と恫喝されても、決して口を開こうとはしない。南はため息を吐いた。

 オロチの居場所に関してはローレライ全域に知られている。救世主としてマスコミにかなり取り上げられたからだ。だがオロチがどんな荷を積んでいたかという事に関しては、サオトメと契約していたのでどこにも漏れていないはずだった。高価なスイリスタルの荷を大量に積んでいると知られたら誰に標的にされるかわからないからとサオトメから箝口令が敷かれたため、オロチのクルー達も口を閉ざしていた。

 知っているとすれば荷を売ったスイリスタルか、荷を預けていたUNION関係者、そしてスラムのジャンク屋の2人だけだが、あの2人が言って回るとは思えない。

「……まぁいい。ここはエンテン星だ。お前の罪はエンテン星で裁かれるだろう」

 罪という言葉に泥棒は初めて顔を上げた。その瞳には凶暴な光が宿っている。

「何が英雄だ。何が救世主だ。自由貿易船ごときがまともな方法であんな荷を手に入れられる訳がない。どうせ汚い金と汚い手を使って手に入れたんだろう」

「汚いのはあんたの根性でしょ」

 銃にかけていた北斗の人差し指に力がこもった。

「悪いけど、俺達は我ながら馬鹿なんじゃないかと思うほどまっとうな商売しかしてないよ。勝手に決めつけないでくれる?」

「北斗、いい」

 南は静かに泥棒を見下ろしていたが、その視線にいつもと違う冷たさを感じて柊は怪訝そうに顔をしかめた。

「いま問題なのは俺達の商売がまっとうかそうでないかではなく、お前が金を手に入れようとした手段と、その目的だ」

 おおよその物事に関しては寛大である南の雰囲気が張りつめている事に北斗も気付いた。

 いつもの南じゃない。柊と北斗は瞬間的に視線を合わせた。

「お前」

 南は低い声を発した。

「麻薬常習者だな?」

 冷ややかな南のセリフに警備員達は泥棒を見下ろした。

「顔色、目、皮膚を見ればわかる。麻薬欲しさに俺達の荷を狙ったな?」

 泥棒は黙っていたが、落窪んだ目や土気色の顔色、年齢に不相応なたるんだ皮膚を見れば、確かにうなずけるものがある。

「麻薬をやってプラスになる事など何もない。これを期に辞めるんだ」

 男は突然歯をむき出して吠えた。

「お前に何がわかる!? ゴミためみたいなスラムで何の希望もなく生きる事の苦しさが、お前なんかにわかるか!?」

「希望が見つけられないからといって、他人の希望を奪っていいわけじゃない」

 北斗は銃をしまった。泥棒にとって今もっとも恐ろしいものは、自分の向ける銃口などではなく南の鋭利な言葉だと思ったからだ。

「今すぐ麻薬なんか辞めろ。死ぬほど苦しいだろうが、運がよければ寿命が延びる」

 泥棒は目を血走らせていたが、やがてがくりと肩を落とし、弱々しい声を上げた。

「……薬だけが救いだったんだ……これがないと眠る事も息をする事もできない……」

「人はそんなに弱くはない。大事な何かを失う事に比べたら、禁断症状を克服する事などそう難しい事でもないさ」

 南は顔を上げると警備員達と視線を合わせて目礼し、きびすを返した。



「あ、船長おかえりなさい。さっき売買契約書が届いたよ。いま宵待と一緒にチェックしてたとこ」

 振り向いた菊池の無邪気な笑顔に、南はほっとしたような表情を見せた。ここはサオトメが用意してくれたオロチクルー用の宿泊場所だった。オロチの修理中はここを使えとだだっ広い迎賓館を丸ごと貸してくれたのはいいが、元が貧乏性なのでクルーのほとんどはこぢんまりとしたリビングの一室に集っている事が多い。今もそうだった。

「そうか。終わったら俺にも見せてくれ」

「うん、わかった。今お茶を煎れるね」

 そそくさとキッチンへ消える菊池を見送って、南は上着を脱いだ。

「ちょっとシャワーを浴びて来る。菊池にはお茶が冷めないうちに終わらせるからと伝えてくれ」

「了解や」

 笹鳴は部屋を出てゆく南を見送った後、北斗と柊に視線を向けた。

「何ぞあったんか?」

 北斗はソファに座り込むと、帽子を脱いで指先に引っ掻けた。

「別に。届いた貨物部に泥棒が入っただけ」

「何を盗られたんや?」

「何も盗られてねぇっスよ」

 柊も勢い良くソファに腰掛けた。

「警備員にとっ捕まったっスから」

「それだけにしては、南の様子がおかしやんな」

 宵待が契約書を引き出していたモニタから不安げに顔を上げた。

「そう? 俺にはいつも通りに見えたけど」

「頑張っとるようやったからな。せやけどあいつの演技はどうにも未熟や」

 何があったか話せと視線で伝えて来る笹鳴に、北斗は面倒そうに視線を合わせた。

「泥棒が麻薬常習者だったんスよ。船長はそれをひと目で見抜いて、その時からあんな感じっス」

 麻薬か、と笹鳴は小さくため息を吐いた。

「笹鳴は船長が麻薬嫌いな理由って知ってるのか?」

 振り向いた宵待に、笹鳴は肩をすくめてみせた。

「よう知らん。あいつは嘘をつけへんからな。誤摩化せへん事は言わへん主義なんやろ」

 宵待は北斗と柊を見たが、2人ともそれ以上の事はわからないようで小さく首を振った。

 やがて菊池がお茶とお菓子を持って現れ、続いて南も戻って来たので、その話はそこで終わりとなった。




 オロチの修理が終わり、荷の売買も完了し、南達は名残惜しそうに見送られながらローレライを後にした。

 スイリスタルの設計に感動したのと同時にライバル心に火をつけられたローレライの技術者達の手によって、オロチは更にパワーアップしていた。「これはすでに貿易船の装備じゃないな……」と南が虚ろな目をしたほどだ。

 データの自動入力、レンジ幅の増幅、次元航法レーダー増大に加え、プレ・ロデア砲やミサイルの自動照準装置もより精密になっている。税金半額免除の件がUNIONに承認されなければおそらく倍額の税を払わなければならないほどの設備だ。

 中でも1番喜んだのは菊池だった。キッチンがいっそう改良されたのだ。

「レシピもたくさん増やしたし、今日の夕食は期待してていいよ」

 と嬉しそうにクラゲとキッチンにこもっている。

 菊池のように表面には出さないが、北斗も気分好さそうに操縦席に座っていた。自動航法装置の改良により仕事が軽減したので柊だって機嫌がいい。

 その中で1人、南だけが静かに正面モニタを凝視していた。

「船長、次はどこへ?」

 見上げて来た宵待へ、南は我に返ったようにぎこちなく笑みを浮かべた。

「そうだな。元手も手に入ったし、もうひと稼ぎしてからスイリスタルへ向かおうと思う。次は古巣の地球にでも」

「アラート!」

 北斗の緊迫した声に、クルー全員がいっせいに緊張した。

「菊池、すぐに戻って!」

 艦内通信で宵待が叫んだ10秒後、エプロン姿のまま菊池がクラゲを抱えてブリッジに飛び込んできた。

「何!? 海賊!?」

「合致パターンなし! 海賊だ!」

「全員戦闘態勢!」

 南が戦闘用のスイッチを入れると、鮮やかなランプが四方に灯った。

「距離3,000! 数27! 戦闘機20! 戦闘艦7!」

「Sシールドフルパワー!」

「オートリロードシステムオン! 自動照準システムオーバー! パルス・レーザー及びプレ・ロデア砲ディスチャージ!」

「柊! 敵攻撃と同時に撃て!」

「了解!」

 柊がゴーグルをかぶりながら照準器をセットした。

「一匹残らず退治してやるぜ」

 海賊のプレ・ロデア砲発射と同時にオロチは機体を90度立ててひらりと躱した。プレ・ロデア砲程度なら当たってもそう被害はないが、自分の乗っている機体に攻撃が当たるというのが北斗は許せない。

「菊池!」

「近すぎて狙えない!」

「バックアップに入れ! 宵待はデータ解析開始!」

「とっくにやってます!」

 宵待の仕事も日を追うごとに早くなっていた。今だって菊池が駆けつけるまでのわずか10秒でエネルギーチャージを終わらせている。

「船長! 敵司令艦より通信です!」

 菊池の報告に南は眉間のしわを深くした。

「宵待、海賊の情報は?」

「システムにはありませんが、海賊旗の映像なら出せます」

 宵待がそう言いながら空中に新たに立ち上げたモニタの映像には、ドクロの煙を上げるタバコが描かれていた。

「初めて見た。ドクター知ってる?」

「いや。北斗、自分知らへん?」

「知らない」

 返答を待っているのか、海賊からの攻撃はぴたりと止んでいる。

「船長、どうす……」

 見上げた菊池はそこで言葉を詰まらせた。愕然と目を見開いた南が、海賊旗の映像に釘付けになっていたからだ。

「……船長?」

 南は息を整えるように深呼吸した後、喘ぐように「繋げ」と呟いた。

「映像繋ぎます」

 宵待とのシート位置を回転させた後、菊池は前面のスクリーンに海賊側からの通信映像を繋いだ。

 そこに映し出された銀髪の男に誰も心当たりはなかった。凶悪な目つきと挑戦的な笑みが特徴的な、見るからに凶暴そうな男だ。

『久しぶりだな、ゆうなぎ。元気そうじゃねぇの』

 南はしばらくスクリーンを見上げていたが、やがて小さく息を吐いてシートにもたれかかった。

「お前も元気そうだな、アゲハ」

 アゲハと呼ばれた男は狂気を含んだ笑い声を上げた。

『俺がわかるのか? ゆうなぎ。禁断症状は克服できたようだな』

 オロチのクルー達は瞬間的に互いに視線を合わせた。

「……うちの荷に泥棒が入った。お前が情報を流してそそのかしたのか?」

『ああそうだ。金で動く役人は大勢いるからな。いくらでも情報は手に入る』

 その言葉に南はこれまでクルー達が見た事もないほど冷ややかな視線をスクリーンへ向けた。

「アゲハ、それがお前の復讐か?」

『復讐?』

 アゲハの笑みは崩れなかった。

『あのゆうなぎ・エアシーズが、今は吹けば飛ぶような小せぇ自由貿易船の船長か。泣かせる現実だな』

「アゲハ、俺は」

『いいかゆうなぎ、俺の邪魔をするなら例えお前でも容赦はねぇ』

 スクリーンの中のアゲハが片手を上げると、オロチに向いていたすべての海賊船が進路を変えた。

『俺はお前とは違う。泣き寝入りはごめんだ』

「待てアゲハ!」

 通信はアゲハによって一方的に断たれ、ブリッジは静まり返った。

 やがて、南が席を立つ音が小さくクルー達の耳に届いた。

「……しばらく部屋で休む。何かあったら知らせてくれ」

 南が出て行った後も、ブリッジは誰も言葉を発しなかった。





「ねぇ菊池、麻薬って具体的にはいったい何なんだ?」

 キッチンで2人になってから宵待が呟いた言葉に、菊池は包丁を止めた。

「うん……俺は見た事ないんだけど……」

 調理を放棄して菊池はクラゲを抱きかかえた。

「今は副作用のない軽いものも出回ってるらしいから一概には言えないけど、普通は強い副作用を伴う精神高揚剤の事を言うんだと思う」

「精神高揚剤? 精神を高揚させるだけのものなのか?」

 菊池は小さく笑った。悲しげな笑みだった。

「宵待、嫌な事思い出させて悪いけど、例えばお前がオボロヅキ星で逃げ回っていた時、両親を奪われてたった1人で海賊に追われていた時に、その苦痛すべてを忘れさせてくれる薬が目の前にあったとしたら、どうした?」

 宵待も手にしていた食材をまな板へ戻した。

「辛くて辛くて、生きて行く事がしんどくて、心細くて悲しくて……そんな時に、全部を解決できる気分にさせてくれる薬があったとしたら?」

 宵待は菊池から視線をそらせた。

 生きて行く事が辛くてたまらなかったあの頃、理不尽さに涙が涸れるほど泣いたあの夜、あの時に、夢を見せてくれる薬があったとしたら。

「俺だってそんな時に目の前に麻薬があったとしたら手を出さない自信はないよ。どんな副作用が襲って来たって、今以上の辛さはないと思っちゃうだろうからさ」

 恐ろしい、と宵待は思った。

 人が生きる為に備わっているはずの力をすべて否定する薬。それに手を出した瞬間、人は人としての道を踏み外してしまう。

「昔……まだ人類が宇宙に人工衛星を持つ前から、麻薬っていうのはあったんだ。その為に起こった戦争だってある。当時の薬は今よりまだずっと効果が低くて、副作用もずいぶん軽かったそうだけど、それでも禁断症状が出た時は全身を拘束して押さえつけたって言うよ」

「じゃあ、今の麻薬って言うのは……」

「それぞれだと思うけど、俺の知る限りは9割以上の常習者は禁断症状を克服できずに死んじゃうんだって」

 宵待は目を伏せた。

「船長は……それを克服した?」

「俺は」

 菊池は顔を上げた。

「船長は自ら進んで麻薬に手を染めるような事はしないと思う。もしそうだったとしても、きっと何か理由があったんだよ」

 菊池は船長崇拝者だ。何があっても信じようとするだろう。

 宵待は小さくうなずいた。自分もそうだ。南を信じている。

「俺も、そう思うよ」

 宵待は笑って食材を取り上げた。

「意気消沈している船長に、美味しい料理でも作ってあげようよ」

「……そだね」

 菊池も笑みを浮かべてクラゲを近くの台に置いた。



「さっきデータを照合したんだけど」

 北斗は笹鳴の席に向かって振り向いた。

「ドクロを吐いてるタバコのマーク、あれ、海軍のデータにはないっス」

 笹鳴はモニタから顔を上げた。

「海軍にもないか……南のあの様子からするとそう新参の海賊とも思えへんのやけどな」

「それ、当然っスよ」

 柊はシートの上で両手を後頭部へ回した。

「柊、なんぞ知っとるんか?」

 柊は気怠げに笹鳴へ振り返った。

「連中の名は海賊カスターニャ。UNIONのみを標的にする“煙の一族”。商業船だけじゃなく、要人に食い込んで麻薬をバラまいてるって噂っス」

 その名を聞いて、北斗は帽子のつばを人差し指で押し上げた。

「そういえばそんな噂を聞いた事がある。UNIONの輸送船のみを狙い続けている正体不明の海賊がいるって」

「そ。それがカスターニャ」

 柊は組んだ足首をひょこひょこと動かした。

「UNIONの輸送船は航路が決まってっから、やろうと思えば案外狙いやすいんだよ。でも護衛艦のステータスがハンパねぇからだいたいの海賊は敬遠する。それでもちょっかい出してんのがカスターニャだ。幸か不幸か、俺は1度も連中とやりあった事はねぇけどな」

「強いの?」

 柊は北斗にも気怠げな視線を向けた。

「さぁ? 強いんじゃねぇの? 俺が知る限りUNION護衛艦隊の撃破率は7割を超えてるって話だしな」

 7割か、と笹鳴はため息を吐いた。

 柊の言う通りUNIONの護衛艦隊の戦力は海軍並みだ。その艦隊の7割を撃破するとなると、相当の戦力を持っていると思っていい。

「UNIONのみを標的にしてるから海軍には情報があらへんわけか。そら中央管理局にもあるわけないな」

 難しい表情を作る笹鳴とは対照的に、北斗は好戦的な笑みを見せた。

「面白そうだね。やりあってみたいよ」

「ばか。船長がいいって言うわけねぇだろ」

 一瞬不機嫌そうな表情を作った北斗だったが、船長という言葉にふと視線を床へ落とした。

 さっきの通信後の南の態度は普通ではなかった。アゲハという男との間に何があったと言うのか。

「何ぞ因縁の深そうなセリフ吐きよったな」

 笹鳴もアゲハの事を思い出していたようで、小さくそう呟いた。少なくとも浅い縁ではなさそうだ。

 そこへブリッジのドアが開き、暗い表情の南が姿を現した。

「……みんなに、話がある」

 集中する視線にそう告げた時、南はつんのめるように前方へ向かってたたらを踏んだ。

「あ、ごめん船長。でもちょうどよかった、ご飯だよ」

 菊池の押すワゴンが南の背中に当たったようだった。

「エンテン星でたくさん食材を仕入れたからね。今日はなんとチョコレートケーキのデザート付き」

 菊池の後ろから宵待もワゴンを押して顔を出した。

「柊、テーブルセットするの手伝って。北斗はオーパイ確認してくれよ」

 菊池と宵待が賑やかにしゃべりながらテーブルセットを引っ張り出すのを、南はまぶしいものでも見るように眺めていた。



「これ、エンテン星で仕入れた味噌で作った味噌焼きね。ネギをいっぱい入れたらすんごい美味しくなったよ。で、こっちはなんかよくわかんないけど魚っぽい生き物の煮込みね。で、こっちはスイリスタルのアキサメ皇帝にもらった栽培セットでクラゲと作った新鮮な野菜のサラダ。ドレッシングは宵待にも手伝ってもらったんだ」

「と言ってもかき混ぜたくらいだけどね。でもこっちのコロッケは俺もこねたよ」

 暗い表情の南を少しでも元気づけようと、菊池と宵待が明るく会話を繋ぐ。それを見て南は苦笑いを浮かべた。

「食べながらでいいから、聞いて欲しい事がある」

 意を決して顔を上げた南の目の前に、今度は笹鳴がどんと音を立てて酒のボトルを置いた。

「南。言いたない事なら言わんでもええで」

 南は驚いたように笹鳴と視線を合わせ、次いで他のクルー達を見回した。

「過去に何があったとしても、俺らは今の自分に命預けとんねん」

 南は何かを言いかけたが、何も言えずに口を閉じた。

「俺も別にどうでもいいっス。実は船長がロボットだったとか、余命3ヶ月とかだったら聞いときたいっスけど。いただきまーす」

「あー、ロボットだったらステルスシステムに悪影響ありそうだからね。いただきます」

 柊と北斗が南を無視して箸を動かし始めた。コロッケにはこのソースをかけてねという宵待の声も、南の深刻さを吹き飛ばすように明るい。それを見やって、笹鳴は笑った。

「ええんやで、南。自分が自分であるために無用な責任感持たんでも。俺らもほら、こない感じやしな」

 笑ってそう言う笹鳴に、南は困ったように、しかし安堵したように苦笑して頭を下げた。

「すまんな、みんな……ありがとう」

 頭を下げる南にクルー達は視線を交差させた。南がこうやってクルーに頭を下げるなど初めてで、どうしていいのかわからなくなったのだ。

 真っ先に打開策を思いついたのは北斗だった。南の目の前にあった白身魚の味噌焼きに思い切り箸を突き立てたのだ。

「なんだかわかんないけど、悪いと思ってるならこれちょうだい、船長」

「あ、じゃあ俺はデザートのチョコレートケーキください」

 まったくいつもと変わらない北斗と柊の態度に、南はやっといつもの笑みを浮かべた。

「仕方ないな」

「大丈夫だよ、船長、お代わりあるから」

 菊池がワゴンからメニューを追加しようとした時、通信を知らせるランプが灯った。

「もー、こんなゴハン時にいったい誰?」

 菊池は口をもごもごさせながら食卓テーブルを立った。宇宙には原則として日中と夜間はないのだから『食事時』という時間も存在しないのだが、オロチ基準の菊池は不本意だった。

「はい、こひら宇つー貿易ひぇんオロチ」

『何だい、酔っぱらってるのかい?』

 モニタに映し出されたのがUNION通産交渉部門管理官のウララ・カスガだったので、菊池は口の中の味噌焼きを無理矢理嚥下した。

『さすがオロチだねぇ。この距離でも完璧な画像と音声を保ってる。何でもローレライでまた改良されたそうじゃないか』

「……用件は手短に願います」

 表情を引き締めながらも不機嫌そうに言う菊池の背後に、南が立った。

「船長の南だ。何の用だ? UNION」

『あたしの名前はUNIONNじゃないだがねぇ』

 カスガは苦笑して両腕を組んだ。

『まぁいいさ。ローレライの件であんた達が申請してた税金やら閲覧権やらの話、通しといたよ』

「ありがとう。……というのはおかしいのか。報酬なんだからな」

『ずいぶん人の足下を見た要求だったがね』

「お互い様だ。で?」

 南は真顔のままモニタを見た。

「今度はどんな無理難題を吹っかけるつもりだ?」

 カスガは困ったように苦笑した。

『そう言われると多少言いづらいものもあるんだかねぇ』

 また何か要求をする気か、という露骨な菊池の顔を意図的に無視して、カスガも真顔になった。

『カスターニャという海賊を知っているかい? おそらくそこに居るだろう柊にでも訊けばわかると思うんだけどね』

「……UNION専門の海賊か」

『知っているなら話は早い』

「ちょっと待てよ」

 柊が間に割って入った。

「俺達はもうお前らに要求する事なんかない。よってお前らの言う事を聞く義理もねぇってわけだ」

『なんだい? カスターニャの名前を聞いただけで不愉快になるような事件にもう巻き込まれてたのかい?』

「挑発は無駄だ」

 柊が真正面からモニタ睨んだ。

『じゃあ質問を変えようか。お前達、海賊スネイクと顔見知りだろう?』

 これには柊は言葉を返さなかった。顔見知りだとは言えない。かといって顔見知りではないと嘘はつけない。

『同じように、カスターニャと顔見知りではないだろうね?』

「……何が言いたい?」

 南が剣呑な視線を返した。

『顔見知りじゃなければそれでいいさ。実はUNIONは近々カスターニャの完全殲滅を計画している』

 柊は南の顔色をうかがった。カスターニャの海賊旗を見てあれだけ同様した南だ。カスガの言葉に反応を示さないはずがない。

 しかし南は、1ミクロンも表情を崩さなかった。

「……なぜ俺達にそれを?」

『お前さん達はあちこちに顔が広いからね。スイリスタルはもちろんローレライも全面的にお前さん達の味方だ。ヨナガ星だって新世206号……今は新世283号だってお前さん達の味方をするだろう。その新世283号を斡旋した中央管理局特殊部隊所属の対テロ作戦部、COETだって怪しいもんだ。そんな影響力を持った一味を敵に回すほど、UNIONは馬鹿じゃないんだよ』

 一味ときたか、と笹鳴はぼやいた。まるで海賊扱いだ。

『そしてあたし達はカスターニャの首領の素性を掴んでいる。エアシーズともめ事を起こすかどうかは、あんたにかかってるんだからね』

 クルー達は南を見守った。すべての決定権はもともと南にあるが、今回はクルー達の伺いしれない事情がありそうだ。うかつに返答はできない。

 南は長い間無言だったが、やがて小さく吐息した。

「……俺達はただのフリートレイダーだ。海賊の始末に関わる気はない」

『その言葉、忘れるんじゃないよ』

 通信が切れた後、オロチのブリッジではしばらく誰も声を発しなかった。全員が黙って南の言動を見守っている。

 やがて南は気分を払拭するように1度深呼吸をし、クルー達へ振り向いた。

「やはり話しておかなきゃならないようだ。みんな、悪いが聞いてくれ」



「俺はエアシーズの王家出身なんだ」

 食べながら聞いてくれと言われたので箸を手に食卓へついたクルー達だったが、南の言葉に全員が箸を取り落とすほど驚いた。

 エアシーズは伝説の巨大組織だ。今はさほど影響力のない小さな太陽系だが、以前はUNION以上の管理組織だった。

 統括していたのは、エアシーズの王家だった。

 それまで完璧な統括をしていたエアシーズは、ある王を境に道を踏み外した。禁制品目の解除、税金の増加、法律の厳格化等、それは築き上げた秩序すべてを破壊するものだった。

 その行いに反抗したのが、現在のUNIONの前身だった。

 エアシーズは宇宙すべてを敵に回して敗北し、レジスタンスは『SPACE UNION』と名前を改め、全宇宙の航路に関する権利を確立させた。それが約300年前だ。

 通常の教科書に掲載されているのはここまでで「そして現在に至っている」としか載っていない。

「といっても、俺が産まれたのはとっくにエアシーズが実権を失った時代だ。王家というのも名ばかりで、実質的権利は何もなかった」

 そのエアシーズに千載一遇のチャンスが巡って来た。

 純度の高い麻薬の成分を、どこにでもある鉱石から抽出する事に成功したのだ。

 それを元にすれば莫大な富と権力を手にする事ができる。その麻薬はよほどの量を投与しなけければ効力は一定で、用法容量を守れば常習化も防げるという優れものだった。

 過去の栄光を知っている者達はこれを手段に再度返り咲く事を望んだ。

 だが南達王家は全面的にそれに反対した。これ以上エアシーズの名をおとしめたくなかったのだ。

「仮にも王が反対するものをごり押しする事は、いくら政府でもできなかった。UNIONも目を光らせていたからな。だから貴族院達は王であった親父を殺害した」

 菊池が息を呑んだ。

「そして俺を洗脳して王に据え、麻薬の宇宙規模での売買を画策したんだ」

「洗脳って……」

 柊の言葉に南は目を伏せた。

「その麻薬を使ったんだ。俺は致死量ギリギリの麻薬を連続で投与され、自我を失った」

 南は小さくため息を吐いた。

「症状の詳しい状態については、正直今でも思い出したくないので割愛させてくれ。とにかく理性がなく獣のようになったと思ってくれたらいい。気が付いた時には、俺は自分の妹を手にかけていた」

 誰もが箸どころか呼吸まで止めた。

「なけなしの理性で目の前の亡骸が妹のものである事を理解した時、俺は完全に気力を失った。ただエアシーズの王は年に1度、どうしてもUNIONの前で言葉を発せねばならない条約があるんだ。そのために精神的に死人だった俺は選りすぐりの医師団によって最低限人前で話ができるまでに回復させられた」

 回復させられた、という言葉にクルー達は皆表情をゆがめた。多分当時の南は回復より死を望んでいたのだろう。

「体力を回復させた俺は貴族院達に騙されているフリをしながら生き延び、そしてある日麻薬のノウハウをデータ保管している研究所とその研究員、そして抽出方法を知るすべての人間を殺害してエアシーズを脱出した」

 壮絶な過去だった。誰もが息を殺すように聴き入った。

「もちろんエアシーズの軍が追いかけて来たが、俺が逃げ込んだ先がUNIONだったので逆にエアシーズは麻薬の情報を盾に今度こそ再起不能にまで叩きのめされた」

 そこで南は北斗を見た。

「エアシーズへの2度目の総攻撃には海軍も参加したが、お前は知らないだろう?」

 北斗は黙ってうなずいた。

「公的には2度目の総攻撃はなかった事になっている。UNIONが麻薬の存在を公にしたくなかったからだ。それまでエアシーズは300年かけてコツコツと経済状況を回復させていたんだが、今ではもうある一定の空域を出る事ができないよう規制がかけられている。UNIONと海軍の監視によってな」

 だからエアシーズの船を見た事がなかったのかと、菊池は思った。

「エアシーズは軍事力と技術力すべてに中央管理局の監査が入るようになった。今ではほとんど存在を許されているだけの牢獄だ。武器も兵器も最新鋭だが、何一つ使用を許可されていない」

「……それでか」

 笹鳴は初めて口をはさんだ。

「以前『未来を捨てた男』て言われとったやろ。麻薬で莫大な富を手に入れ、UNIONを凌ぐ存在に返り咲く事も可能だったと言うのに、自分はその選択をせぇへんかったんやな」

「そんなもので地位を確立してどうなる? 俺がこの手で殺した数以上の命が失われるんだぞ」

 そう言って南はクルー達を見回した。

「俺は人殺しだ。殺した数は両手で足りない。……それでもお前達は、俺について来てくれるか?」

 ふいっと南から目をそらし、真っ先に箸の動きを再開させたのは北斗だった。

「それを元軍人の俺に言うんスか? 船長。自慢じゃないけど、俺なんか戦闘で殺した人数を数える事もできないっスよ」

 次に茶碗を持ち上げたのは柊だった。

「俺だってUNIONの護衛艦隊隊長やってた頃には、数えきれねぇほどの海賊を殺してるっス」

「それを言うなら、俺はこの力でいっぱい戦闘艦を破壊してるし、人の事は言えないと思う」

「俺はみんなに出会う前に自分の身を守る為に何人もの海賊を殺したよ。それこそ、この手でね」

「せやなぁ。俺もオロチでぎょうさんミサイルもエネルギー砲も撃っとるし、同罪やな」

 いっせいに箸の動きが再開された。そこのソース取ってといういつもの会話も飛び交っている。

「お前達……」

「この時代、自分が生きる為に人を排除するんは、残念ながら摂理や。地面で生きとった時代とは訳が違う。いやな時代やとは思うけどそうせぇへんと生きていかれへん」

「うん、俺もここにいる皆を守るためなら、これからもたくさんの戦闘艦を落とすよ」

「つか、今1番問題なのは船長が過去に何人殺したかって事じゃなくて、あのカスターニャとかいう海賊と船長がどういう関係かって事なんスけど」

 北斗の視線を受け、南は目を伏せた。

「アゲハは、俺の妹の婚約者だった」



 オロチは地球へ向かっていた。

 南は地球出身ではないがオロチの機体を手に入れて貿易船として出発したのが地球だったので、南にとっても地球は懐かしい場所だ。

 地球は、北斗と柊の故郷でもあった。

 北斗など生まれ育ちから就職までを地球で行っている。柊は10代後半をウンカイ星で過ごしたが、それでも地球出身には変わりない。

 菊池は地球ではなく、正確には地球の衛星であるルナベースの出身だが、母星である地球にはそれなりに愛着があった。

「最近は地球もあんまり治安がよくないんだって。ほら、あそこってイマイチ政策が甘いじゃない? 経済進歩より犯罪率の方が急成長してるみたいだよ」

「まぁ、基本的に地球人は農耕民族でお人好しだからな。北斗みてぇなのは突然変異だろうし」

「あんたに言われたくない」

 菊池と柊と北斗が会話をしているのを、南は黙って聞いていた。

 あれから、クルー達は南の過去についていっさい触れようとしなかった。カスターニャについてもだ。まるで何事もなかったかのように接して来る。

 南にとってはそれは大きな救いだった。どんな過去があろうと受け止めてくれる人がいる。それでも共にいようとしてくれる。孤独ではないという安堵は、何ものにも代え難かった。

 だが、アゲハはどうだったのだろうと南は考える。

 あの動乱の中、麻薬を投与された自分は貴族院の手によって監禁された。妹もだ。

 妹の事を考えると今でも叫び出したくなる。最後の方の記憶では彼女にはほとんど表情がなかったように思う。もう1度栄光をと息巻く貴族達に対し、反対していたのは自分達王家を含めわずかな文官だけだった。その中で、女の身でありながら彼女は気丈な態度を崩さなかった。

 そんなたった1人の妹を、自分は守る事ができなかった。いったいどんな思いで自分に殺されたのだろう。守ってくれるはずの相手の殺意に、どれだけ絶望しただろう。

 妹を殺した自分を、アゲハは許していまい。例え薬のせいであろうとも、婚約者を殺されて黙っているような男ではない。

 アゲハがUNIONを狙っているのは自分が逃げ込んだ先がUNIONだったからだろう。あの時自分を守ったUNIONを、アゲハは海賊に身を持ち崩すほど憎んでいる。

 たった1人で憎しみを抱えて生きる事の辛さを南は思った。

 自分には仲間がいる。だが、アゲハに仲間はいるのだろうか。

「はい、船長」

 不意に視界に入ったコーヒーに、南は我に返って顔を上げた。

「エンテン星で手に入れたコーヒーだって、菊池が言ってた」

 いつもと同じように微笑みかけながら自分にコーヒーを差し出す宵待を見上げて、南は小さく礼を言って受け取った。

 自分はこんなに穏やかな安寧を手に入れてよかったのだろうか。そんな資格があるのだろうか。

「……なんだろう」

 やや緊張した声に、南は菊池のシートを見下ろした。

「どうした?」

「うん、この近くで戦闘があるみたい。距離は100キロくらいかな。すごいエネルギー量……」

「モニタに出してくれ」

「了解」

 映し出されたのは実際の映像ではなく、モニタリングされた二次元グラフだった。確かにかなりの数同士がぶつかり合っている。クラスから言って戦闘艦同士の戦いに見えた。

「このまま直進すると交戦ポイントにぶつかるけど、どうするの?」

 北斗が帽子の下から視線を寄越すのを見て、南は両腕を組んだ。

「余計なトラブルに巻き込まれたくない。回避できるか?」

「できない事はないけど、この距離ならこっちのポイントも割れてるっス。ステルス起動させる?」

「300秒以内に回避できるか?」

「無理」

「ならダメだ。航法違反に引っかかる。Sシールド起動、交戦地区を迂回しろ」

「了解」

 柊が応えていくつかのスイッチを押した。自動航法システムが整備されているので綿密な計算は必要なく、角度と方向を指示してやればオロチは勝手に回避してくれる。

「それにしてもすごい大規模な戦闘だな……。宵待、この近くにそんな大きな戦争をやってる星なんてあったっけ?」

「いや。俺も調べてるんだけど、地球のある天の川銀河って周囲には生命体の生息できるような惑星はないみたいなんだ」

「じゃあ何だろう。海賊にしてもこの規模はちょっと桁違い」

 北斗はモニタを見た。確かに小競り合いというレベルのエネルギーではない。まるで戦争だ。

「宵待さん、分析できないの?」

「今やってる。核反応はないけど、ロデア砲クラスの強力なエネルギーなら軍の巡洋艦並みだよ」

 そこで宵待は複数同時に走らせていたリサーチシステムの1つがはじき出した結果を見て瞠目した。

「これ……片方はUNIONの護衛艦隊だ!」

 柊も息を呑んで食い入るようにモニタを睨みつけた。

「冗談じゃねぇ。これだけの護衛艦隊を編成するなんざ、相手が相当の大物って事だぞ! 太陽系でも破壊するつもりかよ!」

「違う……っ!」

 宵待が青ざめた。

「合致パターン、アウトロー12……カスターニャだ!」

 ブリッジに衝撃が走った。全員がいっせいに南を見上げる。

 つい先日ウララ・カスガが言っていた『近々カスターニャの完全殲滅を計画している』というのがいま行われているのだ。

 UNIONの海賊への攻撃には一切の容赦はない。1人の残党も残らないほど完全に叩きのめす。逃げ延びた海賊は5大海賊のうちの1つ、八つ手の別名を持つクモだけだが、それも完全に逃げられた訳ではなく、利用価値があるから見逃してもらっているに過ぎない。

「船長、この距離なら俺、狙えるよ」

 菊池がクラゲを抱えて南を見上げた。

「ここからならUNION艦隊の半分は落とせる。半分も落とせば、海賊の力ならきっと脱出くらい」

「ダメだ!」

 南の怒鳴り声がブリッジに響いた。

「……ダメだ。UNIONを敵に回す事はできない」

「なんでや? 新世206号の時やって、俺達は中央管理局と海軍もまとめて敵に回したやろ。今更怖じ気づいとんのか?」

「あの時は『自治区の最高責任者から緊急支援を申し込まれたら、通常の職務を放棄してでも人命第一に受諾しなくてはならない』という宇宙航法の盾があった。今はそんなものはない。海賊の味方はできない」

「でも、船長、このままじゃ」

「麻薬を商売道具にするような連中の手助けは、断じてしない」

 南は顔を上げた。

「戦闘地区を回避。このまま地球へ向かえ」

 ブリッジは静まり返った。南に逆らうなんて事を考えるクルーは、オロチにはいない。しかしこのままアゲハを見殺しにすれば、南は取り返しのつかない後悔を抱える事になるだろう。

 南は音を立ててキャプテンシートから立ち上がった。

「オーパイで行けるだろう。俺は少し休む」

「船長」

 北斗が不意に南を呼んだ。

「言い忘れてたけど、小型戦闘機なら今2機ともメンテ中だから」

 ブリッジを出て行こうとする南に、北斗は振り向きもせず言葉を投げた。

「燃料が腐りそうだったから、昨日抜いたっスよ」

 柊の声も南の広い背に当たり、南は足を止めた。

「脱出用ハッチと搬出用ハッチの前には、朱己がエンテン星で買った生活用品をなんでか大量に積んどったさかい、開かへんで」

「俺も言い忘れてたけど、全員分の宇宙服を保管してあるロッカーの鍵を昨日なくしたんだ」

 クルー達は気付いていた。南はアゲハを命に代えても助けようとするだろう。だがそのためにオロチクルー達を巻き込むような選択はしないはずだ。

 たった1人で救出に向かうに違いない。そう思ったから、あらゆる移動手段をそれぞれが封じたのだ。

 南はクルー達に背を向けたまま、黙って立ち尽くしていた。

「南、選択肢は2つや。俺達と共にUNIONを敵に回すか、俺達と共に海賊になるか」

 ずいぶん長い事、南はそこを動かなかった。クルー達の気持ちは嬉しかった。自分を失うまいと思ってくれている。

 しかし、一緒に心中してくれとは言えない。

「……加速ポンプ及びオートリロードシステム、自動照準システム、エンジンローダーオールグリーン。プレ・ロデア砲及びパルスレーザーディスチャージ。ランチャー及び各インパクトキャノン装填完了」

「システムパルスMAX。出力曲線ニュートラル。燃料タンク及びタービングリーン、ハイパードライブオートロック解除」

 菊池と宵待の声が静かにブリッジに響いた。

「船長、戦闘スイッチを」

 すべてのセッティングを完了させても、キャプテンシートにある戦闘スイッチを稼働させなければ、ミサイル1本撃てはしない。

 南はまだクルー達に背を向けていた。

 その時、北斗はふと手元に灯ったランプを見た。

「船長、通信が入ってる。相手は……UNIONです」

 それでもたっぷり5秒は、南は返答しなかったが、やがて小さな、しかしはっきりした声で「繋げ」と呟いた。

『こちらUNION護衛艦隊ダンテ・アリギエーリ! オロチ応答願います!』

 南はゆっくりとキャプテンシートへ戻ると、通信スイッチを押した。

「こちら自由貿易船オロチ、船長の南。ダンテ・アリギエーリどうぞ」

『現在貴船付近に向けて海賊カスターニャの主船モトクロスが逃走中! あらゆる手段を以て撃墜を依頼する!』

 ブリッジに緊張が走った。アゲハがこちらに向かっている。モトクロスそのものを収容するのはオロチの大きさから言って無理かもしれないが、アゲハをオロチに移動させる事ができれば、単独ワープで逃げ切る事ができる。

「……了承した」

 南はキャプテンシートに座り直した。

「レーダー確認。海賊カスターニャの主船を補足しろ」

「了解!」

 宵待はレーダー範囲を拡大させ、すぐにモトクロスの位置を確認した。

「位置補足しました!」

「全速力でモトクロスへ接近」

「了解っ!」

 北斗は操縦桿を傾けた。オロチなら5分とかからず追いつける。

 案の定レーダーで補足していたモトクロスは、すぐに映像として捕らえられた。

「オロチより機体が大きい上に火を吹いてる……あれじゃ収容は無理だ」

「お前は操縦桿握ってろ。俺は格納庫へ行って往復分の燃料を積み次第、戦闘機でアゲハを迎えに行く」

 柊がシートから立ち上がろうとしたその時、突然戦闘スイッチが入った。ブリッジに鮮やかな攻撃用のランプが灯る。

「プレ・ロデア砲用意。目標モトクロス」

 南の静かな声に、全員が驚いてキャプテンシートを見上げた。

「……今、なんて?」

「プレ・ロデア砲の軸線上に上がり次第、モトクロスを攻撃しろ」

 オロチには船長命令に逆らう者などいない。いないが、こればかりは誰もが反応できなかった。

 そんなクルー達の思いを感じながら南はモニタを見つめ続けた。心中させる訳にはいかない。海賊になる気もない。そして何より、麻薬を商売にする者は誰であっても許せない。

 今この時に、自分とアゲハの運命が再び交差した。互いに譲れないものを抱え、護りたいものを抱えて、ぶつかり合う時が来たのだ。

 それぞれの選択が、この未来を導いた。焦がれるほど望んだ以前のような関係には、もう2度と戻れない。

 己の人生と矜持と命を賭けて、失ったものへの責任を取る時が来たのだ。

「……これがアゲハの選んだ道だ。撃て」

 しばらく南を見つめていた柊は、やがてシートに座り直すと低く「了解」と告げた。



「UNIONより通信。回線繋ぎます」

 南は気怠げに視線を上げた。

 元々火を吹いて瀕死の状態だったモトクロスは、オロチのプレ・ロデア砲がとどめとなって停止を余儀なくされた。大破しなかったのは命を奪う事をためらった柊がモトクロスの動力部に狙いを定めたためだ。

 アゲハは生きたまま捕らえられ、UNIONに連行された。その様子を南はモニタ越しに確認した。

 おそらくアゲハは決して自分を許すまい。屈辱を受けるくらいなら死を選ぶ男だ。生かした自分を、アゲハはもっと憎むだろう。

『度々ごめんよ。UNION通産交渉部門管理官のウララ・カスガだ』

「……用件は?」

 南は疲れた顔を隠さなかった。そんな余裕などなかった。

『まずは応援依頼を受けてくれてありがとうよ。まさかカスターニャの首領を生きて捕らえられるとは思わなかった』

「断れば海賊の味方と判断して攻撃するつもりだったくせによく言う」

 カスガは声を出さずに笑った。

『そこまでは考えてなかったさ。少なくともあたしはね』

「用はそれだけか?」

『いや。UNIONが民間船に戦闘要請をした場合、それ相応の代価を払う決まりがあってね。税金と閲覧権はもう申請が通っちまったし、他に何か要求はあるかい? なけりゃ規定の金額を支払う事になるけど』

 南は背もたれに深く寄りかかった。今はUNIONのユの字も聞きたくない。

「何も」

「1つ要求がある」

 南を押しのけるようにモニタの前に身を乗り出したのは、笹鳴だった。

「カスターニャの首領アゲハとうちの船長に、サシで話す時間をくれ」

 南も、そしてカスガも眉を跳ね上げた。

「アゲハと南の関係は知ってはるんやろ? 金目のものも権利も何も要求せぇへん。代わりに時間をくれ」

『……惑星ミヤコの医師、笹鳴ひさめ、だったね』

 カスガはじっと笹鳴を見つめた後、小さく吐息した。

『完全に2人きりにする事はできない。会話は別室でモニタリングさせてもらう。武器の所持は禁止。取調室でのすべての権限はUNIONに帰属する。それでもいいかい?』

 カスガの後ろにいた部下が何か言いかけたが、それは片手で制された。

「かまへん」

『それほど時間は取ってやれないよ。海軍へ身柄を引き渡す予定だからね』

「すぐに向かう。どの船や?」

 アゲハを収容した船への着艦許可を得ると、笹鳴は通信を切った。

「笹鳴、お前」

「行ってき」

 笹鳴はメガネを押し上げた。

「行かへんと、ホンマに一生後悔するで。ここで待ってたるから」

 笹鳴は北斗に視線を向けた。

「自分はついて行き。船長を守れるか?」

 北斗は帽子を持ち上げ「当然でしょ」と呟いた。



 南が取調室へ入ると、両手を拘束されたアゲハの鋭い視線が突き刺さった。

 南は黙ってそれを受け止め、向かいの席に着いた。

 しばらくの間、2人に緊迫した時間が流れた。最後に会話をしたのは動乱の中だった。南の妹をアゲハに託し、エアシーズから脱出させる計画を練っていたその時に、南と妹は貴族院に拉致されたのだ。アゲハにとってはそれが自分の婚約者の生きている姿を見た最後になった。

 南は1度深呼吸をしてから、改めてアゲハと目を合わせた。

「お前に謝る為に来た」

 アゲハは何も言わず、じっと南を睨みつけていた。

「あの時、あいつも、そしてお前の事も、護ってやれなくて本当に申し訳なかった」

 南は深々と頭を下げた。

「あれからお前をずいぶん探したんだ。俺だけじゃない。お前を捜している者はもう1人いる」

「……ホタルの野郎、まだ生きてるのか」

「この間会ったよ。両親が亡くなった事を伝えたいと言っていた」

 アゲハは天井を見上げた。

「そうか……まぁ、育てられた訳じゃねぇから、実感はねぇな」

 アゲハは視線を南へ戻した。

「それで? 頭を下げるだけならもう用は済んだだろうが」

 南は目を伏せた。会えたら言いたいと思っていた事がたくさんあったはずなのに、上手く言葉にできない。

「俺を……憎んでるんだろうな」

 アゲハは返答をしなかった。

「許してくれとは言わない。とても許されるような事じゃないからな。だが俺にもお前を心配する権利をくれないか。何もかもを失った俺にとって、あの時それでも生きてあの星を這い出ようと思えたのは、お前にもう1度会いたいと思ったからだ」

 南はそこで疲れた苦笑を浮かべた。

「婚約者を殺した男の顔など、2度と見たくはなかっただろうがな」

「……殺した?」

 アゲハは怪訝そうに眉をしかめた。

「ゆうなぎ、お前はあいつを自分が殺したと思っているのか?」

 今度は南が怪訝そうに顔を上げた。

「思っているも何も……あの時確かに俺はあいつの亡骸を目にした」

「てめぇが殺したんじゃねぇよ」

 アゲハは粗末な椅子に寄りかかった。椅子のきしむ音が小さな部屋に響く。

「あいつは麻薬の禁断症状に耐えきれずに死んだんだ。てめぇは同じ部屋に放り込まれていたから錯乱したんだろう」

「な……ん、だって……?」

「いいか、南」

 アゲハはゆうなぎ子を引くと、テーブルの上に両足を放り投げた。

「今から俺が言う名前をすべて記録しろ」

「え? ちょ、ちょっと待ってくれ。録音録画は禁止されたからレコーダーは何も……小型PCなら持っていたはずだが……」

「さっさとしろ」

 南が小さなPCを立ち上げたのを見計らって、アゲハは大量の名前を口にした。その数は50人を下らなかった。

「……以上だ」

 南は額の汗を拭った。訳も解らず慣れないキーボードを叩いたので、思わず大きく息を吐く。

「何なんだ? 今のは」

「今現在、UNIONで麻薬の横流しに関わっている高官達だ」

 南は息を呑んだが、別室で会話をモニタリングしていたカスガはもっと大きな衝撃を受けた。アゲハの上げた名前の中には局長クラスの人物もいる。もしそれが本当なら、UNION内部の権力構図はひっくり返るだろう。

「それは……本当なのか?」

「幸か不幸か、てめぇらはモトクロスの動力部をぶちこわしてくれたからな。システムが生きているなら証拠も揃ってる」

「お前……その証拠を集めるためにUNIONばかりを狙う海賊になったのか?」

 アゲハはフンと鼻を鳴らしただけで返答はしなかった。代わりに長い足を組み替えて南を睨む。

「てめぇみてぇに無害な男を長い事憎み続けるほど、俺はヒマじゃねぇ。俺が狙っていたのはUNIONだけだ。エアシーズが2度目の総攻撃をくらった最初の原因はUNIONだからな」

「……どういう事だ?」

「麻薬の精製だ。最初に発見してその情報をエアシーズに売ったのは、UNIONの人間だったんだよ」

 愕然とする南に、アゲハは表情を変えずに続けた。

「貴族院をそそのかして再興の入れ知恵をしたのもUNIONの人間だ。まぁ、そいつは俺が早々にぶち殺してやったがな」

 南は言葉もなかった。300年前の戦争からやっと立ち直りかけたエアシーズを、平和で安定した星を目指していた父母を、UNIONが破滅させた。その事実が大きすぎて、なかなか頭に入って来ない。

「俺はてめぇなんぞどうでもいい。どこか俺の知らねぇ場所で知らねぇ仲間と仲良しごっこでもしてな。話は終わりだ」

 アゲハは両足を下ろした。

「もう2度と会う事もねぇだろう。せいせいするぜ」

「アゲハ……」

 自分の事など忘れて自由に生きろ。憎んでなどいない。

 そう言外に告げるアゲハに、南は泣きそうに顔を歪めた。自分1人だけ安寧を手に入れた事への罪悪感と闘っていた南にとって、その言葉は何よりも欲しいものだった。

「地味な顔で地味な泣き顔見せるんじゃねぇ」

「地味は余計だ」

 南は努力して苦笑を浮かべた。



「おかえりなさい船長……!」

「きゅきゅう!」

 ご丁寧にオロチの乗降口で待っていた菊池とクラゲに、南は思わず苦笑した。

「何をやってるんだこんなところで」

「だって……ねぇクラゲ」

「きゅう」

 菊池は立ち上がってお尻のホコリを払い、南の後ろにいた北斗に顔を向けた。

「北斗、大丈夫だった?」

「大丈夫に決まってんでしょ」

 カスガと共に別室でモニタリングしていた北斗は、アゲハの爆弾宣言に慌て始めたUNIONを尻目に、ずっとアゲハと南の2人を見ていた。

 アゲハの凶暴な表情にはまったく共感できなかったが、少なくとも嫌悪や殺意というようなものを、アゲハは南に持っていなかいように北斗には見えた。軍人としての教育を叩き込まれた北斗にとって、その程度は相手の目を見れば察する事ができる。冷たい視線ではあったが、憎しみはなかった。

「まったく、UNIONの連中ときたらコーヒーも出さないんだから、気が利かないったらないね」

「とか言って、本当に出されたって飲まなかったくせに」

「飲む訳ないでしょ。何が入ってるかわからないんだから。それにどうせ不味いに決まってる」

 北斗は菊池の横を通り過ぎた後、くるりと振り向いた。

「だから喉乾いてるんだよね。炭酸のジュースちょうだい」

 はいはいと苦笑して、菊池はクラゲを抱えてオロチの中へ入って行った。

「北斗、後で皆にも改めて言うつもりだが」

 ハッチを閉めた後、南は穏やかな表情で北斗を見た。

「今回の件では本当に迷惑をかけた。すまなかった。そして、ありがとう」

 北斗は1度南と視線を外してため息を吐いてから、もう1度視線を合わせた。

「別に、俺は何もしてないけど?」

 いつものそっけない北斗の態度に苦笑して、南は目を閉じた。苦しかったエアシーズ時代、それを経て見つけたこの場所。この幸福を護る為に、今後は生きていきたい。

 目を開けた南は、やがてゆっくりと足を踏み出した。

「帰る場所があるというのは、本当にありがたい事なんだな」

「船長」

 ん? と言って振り向いた南へ、北斗は帽子を脱いでにやりと笑った。

「お帰りなさい」

 一瞬の間をおいて、南は破顔した。

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