第五章
キースとガイルは目を擦りながら、ミルーナの後を歩いている。
朝もやが残る通りを三人は歩いていた。
ミルーナは二人に肩を竦ませる。
「ほら。とっとと歩く」
「だってよ、まだ眠い」
ガイルは大欠伸をした。
「ったく」
ミルーナはガイルとキースの腕を握り、歩き始めた。
「そんなちんたら歩いてたら、着くものも着かなくなるの。今日が一番長い距離なんだから、ちゃっちゃと歩く」
ガイルはミルーナの手を振りほどいた。
「だっ、大丈夫だ!」
ミルーナはガイルに苦笑いを浮かべた。
「そう? じゃあ、並んで歩きなさい」
ガイルはミルーナと並び、手を引かれているキースを見た。キースは目が半分以上閉じている。
「半分以上夢の中だ、こいつ」
ガイルは口を押さえ、笑いを堪えた。ミルーナもキースの顔を見て、押し殺した笑い声を上げていた。
ガイルは前を向いたミルーナを一瞥し、口をヘの字に曲げる。
「キースは特別なのか?」
ミルーナはガイルの顔を見て、再び前を向いた。
「そうね。あたしには年の離れた弟がいたの。琥珀色の髪で色の白い弟。坊やは弟と被るんだよね。だから、弟にしてやれなかった事をしたいのかもしれないわね」
「今からしても、遅くないんじゃね?」
ミルーナはガイルを見つめ、悲しげに微笑んだ。
「生きていたらね」
ガイルは慌てて視線を逸らした。
「ご、ごめんなさい」
「弟が坊や達くらいの時に、『術 ―系統と種類 理論と実践―』を古本屋で見付けて、買って上げたんだ。すごい嬉しそうだった」
ガイルはミルーナの横顔を見た。
「キース、その本読んでる」
「昨日見た。だから、余計にしてあげられなかった事をしてあげたいのかもね。坊やは本当に術士になりたいの?」
「たぶん。でも、才能と素質がなきゃ術士ってなれないんだろ?」
ミルーナは頷いた。
「そうね。でも、それを見極めるのは、その筋の人間じゃなきゃ分からないと思う。だから、坊やにそれがあるのかどうか分からないけど、少なくともガイルよりはあるんじゃないかな」
ガイルは少し口を尖らせた。
「俺は剣で護衛騎士団になりたいんだ」
「だから、坊やは術に興味があるんでしょ? 少なくとも興味のないガイルよりは、あるんじゃないかなって事よ。剣に関していえば、ガイルは坊やより確実に才能と素質はあるでしょ。目指す物が違うんだから、比べたってしょうがないじゃない」
ガイルは頭を掻いた。
「そうか」
ミルーナはガイルに微笑んだ。
「ガイルなら護衛騎士団になれそうね」
ガイルはその笑みから視線を外した。
「なれるように頑張るよ」
「僕だって頑張るよ」
キースは目を擦りながら、ガイルとミルーナを見た。
ミルーナはキースの頭を撫でる。
「やっと目が覚めてきたかしら、坊や」
「うん。でもまだ眠い」
キースはそう言って大欠伸を零した。『眠い』が発音しきれてない。息が抜けた発音になっていた。
「なんか、お前見たらと気が抜けた」
大きく伸びをするキースにガイルは苦笑いを浮かべた。
キースはミルーナの手を握り返し、ミルーナの体越しにガイルを見た。
「なんで?」
「今から帝王領直轄区に行こうっていうのに『まだへはあ』はないだろ」
ガイルはミルーナと手を繋ぐキースの手を見て、口の端を下げた。
「いつまで手繋いででるんだよ」
キースは慌てて手を離そうとしたが、ミルーナは強く握り返してきた。
「ミ、ミルーナさん、離して下さい」
「ダメ」
ガイルとキースはミルーナを見た。
「ダメって」
「坊やはまた迷子になりたいのかなぁ。何回迷子になる気なのかなぁ」
ガイルは吹き出した。クーイットの家に滞在中、キースは少なくとも三回迷子になった。
キースは顔が赤くなる。
「好きで迷子になってるわけじゃないです」
「まだクィナ庄内ならあたしに土地勘があるから探せるけど、この先はあまりないから迷子になられるのは困るのよ。それに好きで迷子にあるのはガイルの方」
「お、俺?」
ミルーナはガイルに口の端を上げた。
「何回、ケンカしたの?」
ガイルは口を尖らせた。
「別に俺がしたくてしたんじゃない。向こうが勝手に文句を言ってくるんだから、仕方ねぇだろ」
ガイルは少なくとも五回は因縁や難癖を付けられ、逆に相手を伸した。
「売られたケンカは必ず買う主義みたいね」
「あんなへなちょこ連中に舐められるのは嫌だ」
ガイルは口を曲げる。その視線の先に、伸してきたこの辺の悪ガキ共の姿が浮んできた。ガイルにしてみれば、ただ威勢がいいばかりでなんてこと無い相手ばかりだった。
「ここの連中はみんな弱い」
ミルーナはガイルの言葉に肩を竦ませた。
「ガイルが相手したのが弱かっただけでしょ。まあ、お馬鹿三男の舎弟ばかりだけどね。あの馬鹿三男となんかあったの?」
「一番最初に突っ掛かってきた。えーっと、領主嫡子が止めに入ってくれたけど」
ミルーナはガイルを見た。
「あら、エルファンドも里帰り中なの?」
「エル‥誰だって?」
ガイルは小首を傾げた。
「エルファンド・アルスルーン・ウナルバ様だよ、シヴァハンターの」
キースはガイルに苦笑いを返した。
ガイルは手を打った。
「ああ! で、なんでファーストを呼び捨てなんだ? あの人貴族だろ?」
ミルーナはガイルに肩を竦ませた。
「幼馴染みよ。あいつが嫌がるのよ。特別扱いすんなって」
「そうそう。高が伯爵嫡子ってだけで特別扱いされたくないんでね」
三人は驚いたように振り返ると、すぐ後ろに旅姿のエルファンドが立っていた。
「エルファンド、驚かせないでよ!」
「よう、ミルーナ」
エルファンドは口を開けているガイルの頭を撫でた。
「また会ったな、未来の帝国戦士」
「え、あ、はい」
ガイルは少し顔が赤くなる。
ミルーナはガイルの表情に微笑んだ。憧れの高位帝国戦士が目の前に現れたのだ、恥ずかしくも嬉しくもなるだろう。
「おはようございます、アルスルーン様」
キースが頭を下げた。
「おはよう、未来の帝国術士」
キースは恥ずかしそうに首を振る。
「そんな、まだ術士になれるかどうか分からないのに」
エルファンドはキースの頭を撫でた。
「いいじゃないか。夢は大きい方がいい」
「父さんも同じ事言ってた」
ガイルが嬉しそうにエルファンドを見た。
「そうか。いいお父さんだね。えーっと、未来の帝国戦士はガイルだっけ」
「はい! ガイル・ゼベッツです!」
ミルーナは肩を竦ませ、キースの手を引き歩き出した。
「エルファンド、行くよ」
「行くって。この子達を帰すんじゃなかったのか?」
隣りに並んだエルファンドに首を振った。
「クーイットが坊や達に頼み事をしてね、あたしが帰るついでに、帝王領直轄区にまで送り届ける事になったの。坊やはキース・ミゼルナ。ミゼルナ鍛冶の八男よ」
エルファンドはキースを見た。
「へえ。名高いミゼルナ鍛冶の息子さんだったのか」
キースは驚いたようにエルファンドを見た。
「え、お父さんって有名なの?」
エルファンドはガイルを見ると、ガイルも驚いたように自分を見ていた。
「有名鍛冶の一人。戦士達が一度は手にしたい剣を造る人かな。この剣も君のお父さん作だ」
エルファンドは腰に佩く太剣の柄を軽く叩いた。
ガイルは間近で見る太剣の大きさ長さに驚いた。
「でけ」
「ガイルの佩している剣もミゼルナさん作だね」
ガイルは自分の腰にある剣の柄を見た。エルファンドの太剣に比べたら針のように細い短い剣。だが、生まれた処は同じ鍛冶。ガイルはそれだけで嬉しくなった。
「そうなんだ。えへへ」
「アルスルーン様は見ただけで、誰が造ったのか分かるんですか?」
キースはエルファンドを尊敬の眼差しで見つめていた。
エルファンドは朝日を浴び、キラキラ輝いている紫苑色の瞳に目を細めた。
「惜しいなあ、実に惜しい」
エルファンドはキースを見つめ、口の端を上げる。
キースとガイルは首を捻った。
「キースが女の子だったら、私の好みに育てて、嫁にしたいくらいだ」
「僕は男です!」
キースは口を尖らせ、ガイルは大笑いし、ミルーナは吹き出した。
エルファンドはキースの頭をガシガシ撫でた。
「だから惜しいって言っているんだよ。質問の答だけど、幸いにして、家にはたくさん剣を見る機会があったからね。それぞれ特徴を掴めば、大抵分かるものさ」
ガイルとキースはエルファンドの太剣とガイルの剣を見比べながら、ああでもないこうでもないと話出した。
ミルーナは口を軽く上げ、エルファンドを見上げた。
「やっぱり男の子よね。可愛い弟達、取られちゃったわ」
エルファンドは脇にいるガイルとキースを見て、苦笑いを浮かべる。
「そうだな。で、クーイットは何を届けさせるつもりなんだ?」
「小剣よ」
エルファンドはキースとガイルが背に背負っている木箱を見て、顎を撫でた。
「ふうん。キース、ガイル、どちらでもいい。その小剣、後で私にも見せてくれないか?」
二人は顔を見合わせ、同時に首を振った。
「見せられません」
「なんでだ?」
「帯封印がされているんですよ」
エルファンドはミルーナを見た。ミルーナは肩を竦ませる。
「あたしを見たって分からないわよ。クーイットの考えてる事なんか」
「いや、そうじゃない。帯封印をする程の物を運ばせてるのか?」
ミルーナはエルファンドを見た。
「あ、そういう事。うーん…… 確かに豪華だったけど…… まあ、宿に着いたら、見せてもらえばいいんじゃない?」
エルファンドは二人の背中を見て、黙って顎を撫でた。
「ところで、なんで帰郷時期、教えてくれないのよ」
「今回の里帰りは見合い蹴る為に帰ってきたようなもんだ。本当ならこんな時期に帰ってきたくはない」
キースとガイルはエルファンドに首を傾げた。
「すごいいい時期じゃないですか。花もいっぱい咲いてますし、気候もいいですし」
キースは辺りを見渡した。若葉が勢い良く生茂り、色豊かな花々が群生している。
「坊や達は、本当に帝王領の事、何も知らないんだね」
ミルーナは苦笑いを浮かべた。ガイルはその言葉に口を尖らせる。
「知らねぇよ。今の今まで住んでたリルエルス庄から出た事ないんだから」
「じゃあ、これから知っていけばいい。今から知ったって遅くはないさ」
エルファンドは微笑んだ。
「リルエルス庄にも帝国戦士達はいるだろ? この時期には里帰りしないはずだ」
「そうですね…… バース兄さん達はもっと前か、もっと夏近くに帰ってきますね」
キースはエルファンドに頷いた。
「この時期にね、ルゾ・ラタンがあるのよ」
ミルーナの言葉にキースとガイルは首をさらに捻った。
エルファンドはミルーナに苦笑いを浮かべる。
「正式名称を言ったところで、内容を知らない子供に古代語は分からないだろ。ガイル、キース。ルゾ・ラタンとはね、我々帝国戦士・術士の昇進選考を兼ねた模擬戦の事だ」
「武道会なら話を聞いた事あるけど……」
ガイルは首を捻った。
キースも頷いている。
「ルゾ・ラタンなんて名前出てこないよね、バース兄さん達から」
「坊やのお兄さん達は位どこ?」
ミルーナはキースを見た。
「ダークハンターです。バース兄さん達もまだまだだって言ってました」
ミルーナはキースの言葉を聞いて頷いた。
「ああ。ダークハンターなら、言わないかもね」
キースとガイルはエルファンドを見た。
「ルゾ・ラタンってどんな事するんですか?」
「毎回、内容は違うけど、秋のルゾ・ラタンは鬼ごっこだったな」
「鬼ごっこ? それって俺らがやってる鬼ごっこと一緒?」
ガイルは驚いたようにエルファンドを見上げた。
「まあ、近いかな。ガイル達の鬼ごっこと違うのは、鬼に見つかったら、鬼とやらなきゃいけなくて、鬼から逃げるのは勝つか頭を使うかのどちらか。ルゾ・ラタン期間内は、日夜関係ない。鬼に勝てばかなりの賞金と名誉が付いてくる」
「鬼って誰なんですか?」
エルファンドは口の端を上げた。
「メアハンターまでの鬼は、我々シヴァハンターと護衛騎士団」
ガイルとキースはエルファンドを見た。
「それって無理なんじゃ……」
「さあね。無理かどうかはやってみなきゃ分からない。それに毎回内容が違うからね。ただ、同じなのは、模擬戦で破れた戦士の額に判子が押される事かな」
「判子?」
「そう。その判子は特種でね、期間終了から一週間しないと消えない。
負けた瞬間、ポンっと、一瞬で押されるんだよ。大きく丸死ってね。ルゾっていうのは古代語で死人っていう意味がある。ラタンはゲームって意味がある。戦士や術士達は死人ゲームって呼んでるけどね」
ガイルとキースは額を押さえた。
「すんげえ、格好悪い」
エルファンドはガイルの感想に頷いた。
「かなり格好悪いよ。私もかなり落ち込むし、毎回」
ガイルはエルファンドを見た。
「え、シヴァは鬼じゃないの?」
「前回の鬼ごっこでいうなら、期間四日目から狩る方から狩られる方になるんだよ。真の鬼は護衛騎士団十二頭」
キースの胸が大きく高鳴った。
「護衛騎士団十二頭…… それって、クラーク・マックスウェル様も出られるですか?」
エルファンドはキースを見た。
「マックスウェル様の名前は知ってるんだ」
キースは少し興奮気味に頭陀袋から本を取り出し、エルファンドに見せた。
「これに! これに書き込みがされていて」
エルファンドは本を手に取り、ペラペラと捲っていく。
「懐かしいな」
「懐かしいって、エルファンドは戦士よね」
ミルーナは驚いたようにエルファンドを見た。ガイルも頷いている。
「もちろん、私はシヴァの金だ。メアハンター以上の昇級試験には必須項目にこいつがあるんだよ」
エルファンドは手の甲で本を軽く叩いた。
「ええ! 俺もいつかその小難しい本、読まなきゃいけないの!」
ガイルは目を剥いて驚いていた。
「メアハンター以上の戦士には必要な知識だからな」
「アルスルーン様、クラーク・マックスウェル様は出るんですか?」
エルファンドはキースに苦笑いを浮かべた。
「死人ゲームに毎回参加するわけじゃないが、前回、私に引導を渡したはマックスウェル様だよ」
キースとガイルはエルファンドを見つめる。
「術士に負けたの?」
ガイルはエルファンドを情けなさそうに見つめた。
エルファンドはガイルを見つめ、苦笑いを浮かべる。
「ガイル。お前の知っている術士は誰だ?」
「術士なんて知らねえよ。バース兄貴達の武道会での話の術士しか聞いた事がない」
「なるほど。じゃあ、考えを変えたほうがいい。マックスウェル様に関していえば、この森を一瞬にして灰にするくらい朝飯前だ」
ガイルとキースは森を見つめた。かなり深い森だ。自分が知っている森より遥かに大きな森なのが分かる。
ガイルはエルファンドを見た。
「確かにすごいけど、えーっと、アルスルーン様はどうやってやられたんですか?」
エルファンドはガイルの質問に苦笑いを浮かべた。負けた人間に負け試合の内容を聞く。それは戦士にとって屈辱以外ない。
「ガイルは酷いなあ。古傷をえぐるのかい?」
ガイルは慌てて口を押さえた。その仕草をエルファンドは頷いた。
「分かって聞いているならいいよ」
「ごめんなさい…… 俺だって負けた話したくない。でも、気になるし、納得出来てない」
エルファンドはガイルの頭を撫でた。
「ゲームだけど、選考会も兼ねているからね。逃げ回っていたらシヴァの誇りに傷が付くし、シヴァのほとんどは、自ら鬼を探す方が多いよ。で。仲間達と対峙しているマックスウェル様を見付けてね、三対一なら自分達に分があると思ったんだ」
エルファンドは頭を掻いた。
「だがな、対峙した瞬間、それが罠だって気が付いた。気が付いた時には、すでに私は負けていたんだけどね。マックスウェル様が涼しげに笑ったんだよ、『飛んで火に入る戦士が一人』ってね。結局、仲間十人一気にやられた」
ガイルとキースは首を傾げた。
「対峙しただけで十人一気に?」
「ただ対峙しただけで、なんで死人なの?」
ミルーナも思っていたようだ。
「対峙した瞬間、指一本動かせない。自分の知ってる破解術を唱えたくても、口は動かないしな。冷たくない氷付けにされたようなもんだ」
エルファンドがガイルとキースを見ると、口を開けてエルファンドを見上げていた。
ガイルが小石に躓いた。
「うがっ! なんだその術っ!」
「いや、その術自体、そんなに難しい事じゃない。物理系防壁術の応用だ」
エルファンドはそう言って、二本指を口に当て、シュッと何かを口から前方に投げる仕草をした。
ガイルとキースは首を捻り、エルファンドを見た。
「何したんで痛っ!」
ガイルは思いっきり額横を何かに打ち付けた。キースがガイルを見るとキースも頭横を打ち付けた。
「へ」
キースとガイルは前方に手を差し出してみた。そこには何か目に見えない壁があった。
エルファンドが太剣を抜き、二人の前に立った。
「え! アルスルーン様っ!」
ガイルとキースは慌てて後ろに下がると、後ろにも見えない壁がある。二人は慌てて左右を確認すると四方を見えない壁に囲まれていた。
エルファンドが口の端を上げる。
「逃げられないだろ」
「アルスルーン様、な、なんでっ!」
エルファンドは徐に太剣を振り上げ、二人目掛けて振り下ろした。
「うわぁ!」
岩を叩くような音がし、ガイルとキースは目を開けると、見えない壁に太剣が刺さり、エルファンドが手を離しながら、二人に微笑んだ。
「これが防壁術」
キースは腰が砕け、その場に座り込んだ。ガイルも同じように座り込んでいた。
エルファンドは太剣を鞘に戻し、指を鳴らす。
「口で説明されるより体験した方が分かるだろ? これの応用があれ」
エルファンドが指差した方を見ると、歩く姿のミルーナが止まっていた。ミルーナの顔が赤くなっている。そうとう力を入れているようだった。
エルファンドは再び指を鳴らすと、ミルーナが二〜三歩前に飛び出し、膝に手を付いた。
「なにすんのよ!」
「すまんすまん」
ガイルとキースはエルファンドを見上げた。
「アルスルーン様が出来るのに、どこがすごいんですか?」
「中位以上の戦士は大抵防御術の癖を知っているからね。掛かっていれば、破解術を唱えて突破していく。あの時ももちろんそうだった。あの人が張らない訳ないからね」
「それでも掛かったんですね」
キースの言葉にエルファンドは頷いた。
「そうだ。その防御術さえ罠の一部だったわけだ。破解術を唱えさせる事で、最終拘束術が波動するように仕掛けてあった。自分を囮にしてね。で、一度に十人を拘束するなんてかなりの力を使うんだけど、あの人は瞬きだけでやってのけるんだよ」
キースとガイルは互いに瞬きをしあった。このホンの僅かな時間で、大の大人、名だたる戦士達に術を掛けていく。
「アルスルーン様。ちなみにアルスルーン様は一度に何人が限界ですか?」
エルファンドはキースに頷いた。
「面白い質問だね。拘束術は三人が限界かな。マックスウェル様のあの術をやれと言われたら、出来ないって即答するね」
ガイルは立ち上がり、埃を払った。
「俺、帰ったらまじめに寺子屋通わなきゃ」
エルファンドはガイルの頭を撫でた。
「頑張れ、未来の帝国戦士」
「おう! いつかアルスルーン様に追いついてやる! 違う、追いついて追い越してやる!」
ガイルはエルファンドに腕を振り上げ拳を見せた。
「ほう。夢は護衛騎士団か。では、私と一緒だね」
ガイルは情けなさそうにエルファンドを見上げた。
「ええ、ずるいよ。アルスルーン様はすでにシヴァハンターじゃないか」
「だから、早く追いついてこい」
ガイルはニッと口を広げた。
「おう! キース、何やってんだ、早く立てよ」
キースはガイルに苦笑いを浮かべた。
「立ちたいけど……」
「え、お前腰抜かしたの?」
キースは顔を真っ赤にした。
ミルーナはエルファンドの鼻先に、勢い良く人差し指を突き出した。
「罰としてエルファンドが背負いなさい!」
エルファンドは苦笑いを浮かべ、キースを見た。
「すまん、度が過ぎたな」
「本当に斬られちゃうのかと思いました」
エルファンドはキースに背を向けて座った。
「手を貸せ」
キースはエルファンドの肩越しの両手を握る。エルファンドはその手を握り返し一気に引き上げたと同時に立ち上がった。
「ひゃ!」
キースの悲鳴にガイルが吹き出した。
「ひゃってなんだよ」
キースはエルファンドの背からガイルを見下ろした。
「出ちゃったんだからしょうがないだろ!」
「情けねえ、悲鳴」
ガイルは笑いながらキースの頭陀袋を肩に掛け、エルファンドとミルーナと共に歩き出した。
一日目、二日目の旅路はのんびりと何ごともなく過ぎていった。
二日目の宿に夕刻に着いたキースとガイルは、夕飯も風呂もそこそこにベッドに潜り込み、すぐに寝息を立て始める。
エルファンドが部屋に戻ってくると、ミルーナが二人の掛布を直していた。
「そうやって見ると、ミルーナも女だよな」
ミルーナはエルファンドを軽く睨み付け、ガイルの木箱を差し出した。
「見たかったんでしょ」
エルファンドはミルーナに苦笑いを浮かべる。
「始めは純粋に見たかったが、今は帯封印を確認したい」
エルファンドは木箱を開け、包みを取り出した。
ミルーナはテーブルにカップを置く。
「どう?」
エルファンドは包みを見つめたまま、口を一文字にしていた。
ミルーナは首を傾げる。
「エルファンド?」
「ミルーナ、キースの木箱も見せてくれ」
エルファンドの声が少し堅いのに首を傾げながら、キースの木箱を差し出した。
エルファンドは木箱を開け、同じような包みを取り出し、口を一文字からへの字に変えた。
ミルーナは不安げにエルファンドを見た。
「エルファンド」
エルファンドはミルーナを見て、首を振る。
「お前達、クーイットに騙されてる」
ミルーナは即座に首を振った。
「馬鹿言わないでよ! あのクーイットが騙すはずないじゃない!」
「この帯封印、かなりの力がある人間が造った物だ。中身はただの装飾小剣なのか?」
ミルーナはエルファンドを見た。
「あ、騙すってそういう事? だったら騙されてないわ。あたしらが黙っていただけだし。なんか儀式用小剣みたいよ。坊やが鍔の処を見て、古代語が刻まれているの見付けてたから。それにこやつらはクーイットが造ったわけじゃないよ、クーイットは磨き直しただけ」
エルファンドは眉間に皺を寄せた。
「で、剣身の打ち直しはミゼルナ鍛冶かよ」
ミルーナはエルファンドの眉間に再び不安を覚えた。
「エルファンド、もしかして、あたしらとんでもない物運んでるの?」
「私は実際に見ていないから確証出来ない。だが、この帯封印からして、とんでもない物だと思う。なんでそんなのを、こんな時期に女子供に運ばせるかな、クーイットの奴」
「でも、あのクーイットが仕事に追われてるみたいよ。キースのお父さんもそうみたい」
エルファンドは顎を撫でた。
「で、納品期日が迫っていた…… そうじゃなきゃガイル達に運ばせたりしないか。確かにこの時期、打ち直しに出す連中は多いからな…… 関係ないといいが」
「どうかしたの?」
エルファンドはカップを口にした。
「下の酒屋で聞いた話だが、この先出没してる」
「野盗?」
「野盗だといいんだが、そいつら、この位の木箱を狙ってるらしい」
ミルーナはエルファンドの声の堅さに漸く合点がいき、唾を飲んだ。
「この木箱を狙っている可能性があるって事ね」
「そうだ。届け先は?」
「四ツ橋三本木のパルマイル旅宿の五〇一号室。アバン・ヘルムって人」
エルファンドはますます眉間に皺を寄せた。
「高級宿に運べってか。怪しい。怪し過ぎる」
「怪しいって何が怪しいの?」
エルファンドはしばらく口を閉ざしていた。
「ミルーナはここに包まれた小剣を見たんだよな」
「見たわよ」
「豪華だったか?」
ミルーナは大きく頷いた。
「この国の指折り装飾鍛冶クーイットの作品をいろいろ見て来たけど、これは桁外れよ。確かにクーイットの作品も凄いけど、これは全く格が違う」
「そうか。受け渡し場所は遜色ないわけか」
「パルマイル旅宿なら相応しいでしょうね。あたしはクーイットの腕を知ってたから、剣身の時から坊や達だけに運ばせるのは、怖いなと思ってね。坊やもそう思ったみたい」
エルファンドはベッドから覗くキースの頭を見た。
「まあ、キースは勘の鋭い子みたいだからな。何か感じる物があったんだろ」
ミルーナはキースをしばらく見つめ、エルファンドを見た。
「エルファンド。坊や、少し変わってるのよ。自分の中に赤と青がいるんだって。それがね、この小剣の出来上がり時間に騒いだらしいよ。あたしらその時、別の場所に居たんだけどね」
エルファンドはミルーナに首を捻った。
「赤と青? なんだそれは?」
「クーイット曰く、あたしらには完全に理解出来ないみたいなのよね。なんだろうね」
エルファンドは腕を組んだ。
「確かにあいつの虹彩は珍しい色をしてる。あの瞳を見た時、キースは高位術士になるんだなって思ったくらいだからな」
「なんでそう思ったの? 昼飯の時とか見てて、才能あんまりなさそうじゃない」
エルファンドは昼の時、キースに火を熾させた。
キースは呪文を唱え、火を熾す。ガイルは手を叩いて、早くなったと言っていたが、エルファンドはその能力の低さに逆に驚いたくらいだった。
キースの額に汗を流し、嬉しそうにガイルに笑い掛けていた。
「あたしらがあのくらいの時、もっと簡単に熾してたわよ」
エルファンドは頷いた。
「確かにな。あいつ、もしかしたら術系統が違うのかもしれない」
「なに、術系統が違うとどうなるの?」
エルファンドは首を振る。
「文言や術陣が違うんだよ、力の種類自体が違うんだ。キースが唱えていた呪文は、一般的な呪文だけど、あんなに汗を掻くほど力は使わない。もし、キースの素質が一般的な術と合わないとしたら、力があっても育たないだろうね」
「それって勿体ないってこと?」
エルファンドは頷いた。
「かなりね。下手に術士の下についたりしたら、それこそ潰される。出来れば帝国立の呪術学校に入るのが一番だ」
ミルーナはキースの頭を見つめた。
「呪術学校……」
「お前が真剣に考えてどうするんだ?」
ミルーナはエルファンドを見て、寂しげに微笑んだ。
「なにかしてあげたいの」
エルファンドはキースの頭を見て、首を振った。
「キースはリナンの代わりじゃない。キースはキースだ」
「そうだけど……」
「あれは事故なんだ。自分だけを責めるのはよせ。それよりもキースとガイルをきっちり届け、親元に帰すのが、今の私とお前の使命だ。私達は今、他人の子供を預かっているんだ」
ミルーナはエルファンドに頷いた。
「そうね。それが何よりも先口ね」
「だから、喚び出しておけ」
ミルーナはエルファンドを見つめた。
「佩剣しなきゃヤバいって事なの?」
「分からん。だが、用心に越した事はない」
エルファンドは二つの包みを箱にしまい、箱を持った。
「重さが違うな」
「小剣は全部で五竿。多分、分担して持たせてるんじゃないかしら」
エルファンドは違和感があった。取り出した包みは同じ大きさだった。包み方でいくらでも形を変える事は出来るが、持てば布の厚さなど分かる。
「もしくはどちらかが模造品だな」
「って事はクーイットの奴、狙われるの分かってたのね。あの野郎! 小柄五竿じゃすまないからね!」
「いや。クーイットは依頼主の指示に従っただけだ。この帯封印はそうそう用意出来るものじゃない。それにクーイットは万策を考える男だ」
エルファンドは木箱を見て、寂しげに微笑んだ。
「だから、勝てないんだよな」
ミルーナはエルファンドに首を傾げた。
「クーイットに何が勝てないの」
エルファンドはミルーナに口の端を上げた。
「なんで、私がお前達の後ろから現れたと思う?」
ミルーナはエルファンドの家ウナルバ城の位置を考えて、初めて後ろから現れるのがおかしい事に気が付いた。
「あれ?」
エルファンドはミルーナに苦笑いを返した。
「出発前にクーイットのところに寄ったんだ。入れ違いでミルーナが帰ったって聞いてね。追い掛けた」
「なる! と、言いたい処だけど、怪しいなあ」
エルファンドはミルーナの訝しげな視線に、ますます苦笑いを浮かべた。
「ご想像通り。子供達を送り届けるのに、ミルーナだけじゃってね」
ミルーナは掌に拳を何度も打ち付けた。
「クーイットの奴っ! 小柄十竿じゃすまないわよ!」
ミルーナはエルファンドを見て、微笑んだ。
「でも、正直エルファンドがきてくれて助かった。あたしだけじゃ、やんちゃ坊や達、守りきれなかったかも」
エルファンドはその笑顔に苦笑いを返した。
「その言葉は無事送り届けてから聞きたいね。出来れば私の腕の中で」
ミルーナはエルファンドの腕を叩いた。
「んな馬鹿な事、言わないでよ! 本当、エルファンドは相変わらず変わらないよね」
エルファンドはミルーナに片目を閉じた。
「ミルーナだって昔から変わらないだろ」
そう言って、エルファンドは自分の胸から下に手を滑らせた。
「ああ! どうせナインペタンですよ! エルファンド、むかつく!」
ミルーナがエルファンドを見ると、エルファンドは旅外套を羽織っていた。
「エルファンド、どこ行くの?」
「もう少し情報集めてくる。ミルーナは二人に付いててくれ」
ミルーナは頷いて、エルファンドの背中を見送った。
ミルーナはテーブルに着き、浅葱色の頭と琥珀色の頭を見つめた。
脳裏で琥珀色の髪の少年がミルーナに笑い掛ける。永遠に歳をとる事がないミルーナの弟、リナン。
「リナンって弟?」
ミルーナは慌てて顔を上げると、ガイルがベッドから起き上がっていた。
「ガイル。起きちゃったの?」
「エルファンドさんが帰ってきた辺りから」
ミルーナはガイルのベッドに寄り、ベッドに腰掛けた。
「こら。狸寝入りしてたのね」
ミルーナはそう言って、ガイルの鼻を摘んだ。ガイルはそのまま、ミルーナを見つめる。
「俺も弟なのか?」
ミルーナはガイルの鼻から手を離し、ガイルに微笑んだ。
「弟になりたいの?」
「ち、違う。なりたくねえよ。ミルーナはクーイットさんとエルファンドさんのどっちが好きなんだ?」
ミルーナは驚いたようにガイルを見た。
「なに言ってるの、あいつらは幼馴染みってだけよ。それよりアルスルーン様は止めたの?」
「エルファンドさんが、お前は私の仲間だから、敬称ってやつはいらないって。敬称って、様とかミドルやラストで呼ぶって事だろ?」
「そうね。エルファンドはガイルを気に入ってるみたいだしね」
ガイルはキースを見た。
「気に入られてんのはキースだ」
ミルーナはキースの寝顔を見て微笑み、ガイルにその笑みを向けた。
「坊やの事は気に掛けてるだけよ。気に入っているのはガイル」
ガイルは口を尖らせた。
「キースは根っから弟みたいだから、大人にはすぐ気に入られる」
ミルーナはガイルの焼きもちに苦笑いを浮かべた。
「ガイルだってすぐ気に入られてるじゃない。他人の事は良く見えるものよ。ほれ、寝た寝た。明日も歩くわよ」
ガイルはミルーナを見つめる。
「狙われてるってホントなのか?」
ミルーナはガイルに首を振った。
「分からない。だから、エルファンドが調べに出てるんでしょ。それにあんたが寝なきゃあたしも出れない」
ガイルはミルーナを見つめた。
「エルファンドさん、俺らを任せるって言ってたじゃないか」
ミルーナは肩を竦ませた。
「確かに言ってたけど、あたしは警邏。情報収集も得意な仕事の一つよ。それを生かさない手はないわ。一人で調べるより二人の方が集まるしね」
「じゃあ、俺も行く」
ガイルは掛布を剥いだ。ミルーナはガイルに掛布を被せる。
「子供が夜ほっつき歩いてどうすんの。それにまだ足手まとい。分かったね」
ガイルはぐうの音も出なかった。
ミルーナは外套を羽織り、ガイルを振り返った。
「いい、寝なさいよ」
ミルーナはそう言って、部屋を出ていった。