001 ダンヒ女王国(4)
老人に連れられてやってきたレディファ警吏団・南西署は、私が宿泊しているおんぼろ屋敷に負けないくらいみすぼらしい外観だった。
聞けば、数年前から建て替え申請を行っているらしいが、職員が全員男性で占められているこの役所の工事は常に後回しにされているらしい。
思わず、待遇の差に不満はないのかと尋ねると、生まれてこの方それが当然だと思ってきたから今更気にならないとの返事が返ってきた。
どこかあきらめたように笑う老人に思わず胸が締め付けられる。
こんなところにも、超女性優遇国家のいびつさが現れていた。
「さ、どうぞ入ってくんな。今、お茶を出すからよ。」
南西署の内装は、外装から予想した通りおんぼろで、木でできた壁や床はところどころ朽ち果て、どこからか吹き込む隙間風のせいで扉を閉めていても外気と変わらぬ寒さだった。
そんな中に質素な机が四台ほど並んでいたが、老人のほかに職員はいないようだった。
おそらく、持ち回り制で夜勤業務が入るところ、今日がたまたま老人の当番の日だったのであろう。
ぐるりと署内の様子をながめていると、二人分の湯呑を持った老人が給湯室から帰ってきた。
そのまま部屋の隅の来客用スペースまで案内されたが、ここもほかの設備と変わらぬ簡素さで、ところどころ破れかかったソファーが向かい合って配置してあり、その中央に傷だらけのテーブルが置かれているだけだった。
老人は遠隔魔導装置を操作し、空調魔道具を起動させながら、ソファーに座るよう促してくる。
すすめられるがままに、ソファーに腰かけ、差し出された湯呑に口をつける。
老人も私の正面に腰かけ、ずずっとお茶をすすった。
「じゃあ、そろそろ何があったのか、聞かせてもらえるかい。」
湯呑の茶も少しぬるくなってきたころ、老人が口をつけていた湯呑を脇におき、ペンと紙を用意しながらそう切り出した。
表情こそ穏やかな笑みを浮かべてはいるが、先ほどまでとは打って変わって真剣な雰囲気をまとっている。
いよいよか、と湯呑を抱えた手に自然と力が入った。
私は、メインストリートにある酒場へと向かおうとしたこと、その途中で道に迷ってしまったこと、そして、偶然にも前方にいた人影に助けを求めるため肩をたたいたこと、すると、その人影は恐ろしいモンスターであり、突如奇声を発して泣き喚いたことを順を追って丁寧に話した。
その間、老人はところどころ何かをメモしながらも、終始うんうんと相槌を打って真剣に話を聞いてくれた。
「・・・というわけでして、肩を触った行為に一切いやらしい意図はございません。」
最後にわいせつ目的ではないことを強調して説明を終えると、老人は手にしたメモを見ながら険しい表情で唸っていた。
やがて、老人はメモから視線を離しこちらの方を向くと、意を決したように口を開いた。
「最後に一つ、確認させてもらいたいんだけどね。あんたは確かにあの人の肩を触った。その事実に間違いはないんだね。」
「ええ、確かに触ったことに間違いはありません。ですが、」
言葉を続けようとする私に向かって、老人は手を突き出し無言で首を横に振る。
その表情には先ほどまでの穏やかな笑みはなく、無念さや憐憫の感情が浮かんでいた。
「残念だけどねぇ、この国では夜間に女性の同意なく体を触ること、これ自体が痴漢行為に該当するものとして処罰の対象になっちまうんだよ。そこに、いやらしい意図が含まれていたかどうかは問題じゃない。触ったこと、それ自体が問題なのさ。」
老人の言葉に、頭をガツンと殴られたような衝撃が走る。
私の希望はあえなく打ち砕かれた。
いや、希望など初めから存在しなかったのだ。
そもそも、私の行為は冤罪などではなく、立派な犯罪だったというのだから。
あの化け物に触れた時点で、私は変態の汚名から逃れることはできなかったのだ。
「そ、そんな理不尽な法律がありますか。肩を触ることのどこがみだらな行為だというんです。」
怒ったところでどうしようもないと分かっていながらも、抑えきれない怒りの感情を老人にぶつけてしまう。
老人は、そんな私の怒りを真正面から受け止めて、極めて冷静な口調で言葉を返す。
「痴漢っていう言葉の定義の問題だよ。あんたの国じゃ、痴漢って言葉は「女性にみだらな行為を行うこと」って意味だったのかもしれないが、この国ではそこに「夜間に女性の体に許可なく触ること」も含まれてるってだけの話さ。」
「しかし、それでは触られた女性のさじ加減で痴漢かどうかが決まってしまうではありませんか。」
「だから、そういう法律なんだよ。あんたもこの国へ来てわかったろう?この国では、女がどう思うかがすべて。男たちに決定権や拒否権は存在しないのさ。」
老人は、先ほどと同じくどこかあきらめたような表情でそう言った。
そんな老人の表情を見て思わず言葉があふれてしまう。
「・・・悔しくはないんですか。こんな奴隷みたいな扱いを受けて、あなたに男としてのプライドはないんですか。」
ニコニコとした笑みを絶やさなかった老人の顔に、初めて怒りの表情が浮かんだような気がした。
直後、これまでため込んできた感情が一気に噴出したかのように、老人が声を荒げた。
「悔しいに決まってるだろ。こんな扱いを受けて平気なわけがない。」
それが引き金となったのか、なおも老人の言葉は止まらない。
「確かに、うちは昔から女が中心になって国を仕切ってきた。だけど、女王様が生きてた頃は、おれたちがこんな惨めな思いをすることもなかったんだ。女王様は、おれたちのことをちゃんと一人の人間として尊重してくれてたからな。だけど、あいつが、あの王女が国を仕切るようになってから、この国はどんどんとおかしくなっちまった。」
たしか文献では、五年前にダンヒ女王国の王、テンビン・ダンヒがなくなり、娘であるベッサ・ダンヒが即位したと記録されていたはずだ。
そして、彼女が即位してから、女王国への女性移民の数は急激に増加し、国内生産力も高まってきたことから、世間では彼女のことをやり手の政治家と称賛する声も多い。
しかし、国民からしてみれば、そんな王女こそが諸悪の根源だというのか。
「王女様は、おれたちのことを人間だとは思っちゃいねぇ。奴隷か家畜くらいに思っていやがる。おかげで、この国には男の人権なんぞ一切無視した法律や慣習があふれかえっちまった。街の女たちも、王女さんが即位してからはなんかおかしくなっちまってるし、女王様が生きてればと毎日そればかり考えてるよ。」
「じゃあ、どうして声をあげないんです。あなたのように思っている男がこの国にはたくさんいるはずでしょう。一人では無理でも、力を合わせれば。」
「無理だよ。」
それまで饒舌だった老人は、きっぱりとそう言い切ったきり押し黙ってしまった。
再び見せた老人の妙なあきらめの良さにいらだちを隠しきれず、拳を太ももに叩きつけてしまう。
そんなこちらの様子を一切見ようともせず、老人はうつむきながら湯呑を睨んでいた。
沈黙がその場を支配する。
それでも根気強く彼の方を見つめていると、やがて老人は観念したようにぽつぽつと語りだした。
「おれたちだって何の抵抗もしなかったわけじゃない。嘆願書だって出したし、議会に議席を取りに行こうともした。そうすることで何かが変わると信じていたさ。」
そう語る老人の口調からは、遠い昔を懐かしむような寂しさや優しさが感じられた。
この人にも、現状を憂い行動を起こしていた時期が存在したのか。
はじめから諦めて何もしてこなかったとばかり思っていた私は、打ち明けられた老人の過去に驚きを隠せない。
「でも、駄目だった!!」
突如として、老人の口調に激しさが増した。
わなわなと体を震わせ、両の掌は血が滲みそうなほど強く握られている。
その目にはただただ怒りだけが宿っていた。
「嘆願書は目の前で燃やされ、議員に立候補したやつは性犯罪者の汚名を着せられて、みんな監獄にぶち込まれていった。おまけに、奴はあの『四奧』ともつながりがあるらしく、他国へ陳情したところで奴に都合の悪いことは全部もみ消されちまう。いったいどうすればよかったって言うんだ。」
ドンッと、握りこぶしが机に向かって振り下ろされる。
自分はなんという勘違いをしていたのだろう。
老人の妙なあきらめの良さは、やってもないうちから無理だと決めつけていたことによるものなどではなかった。
できうる限りのことを全部やりつくして、それでも無理だったという結果に対する絶望からくるものだったのだ。
そんな男に対して、悔しくないのかという問いかけは、あまりにも配慮に欠けていた。
「申し訳ありませんでした。詳しい事情も知らないよそ者が軽率な発言をしてしまって。」
謝ってすむようなことではないのかもしれないが、謝らずにはいられなかった。
しかし、当の本人はこちらの発言にさして怒っている様子もなく、気にするなといった風に手を振ってみせた。
「謝んなくたっていいさ。外からみればうちの国がちょっと行き過ぎてるってのは明らかだろうしね。あんたは当然のことを言っただけだよ。むしろ、謝んなきゃいけないのは、俺の方さ。」
「え?」
こちらが謝罪したはずなのに、なぜか謝り返されていた。
しかし、これまでのやり取りを思い出してみても、老人に謝罪されるような心当たりが全くない。
いったいどういう意味かと聞き返そうとした瞬間、足元に白い輝きを帯びた魔方陣が出現した。
「これは、転移魔導陣!?」
視線を足元から前に戻すと、目の前の老人が今にも泣きだしそうな顔でこちらを見つめていた。
その拳にはかすかな魔力の痕跡。
・・・まさか。
自分の考えすぎであることを祈りながら、老人が拳をたたきつけた場所を見る。
そこには、一見しただけではわからないよう加工が施された遠隔魔導装置が埋め込まれていた。
悪い予感が的中してしまったことに、思わず顔をゆがめてしまう。
おそらく老人は、先ほど机をたたきつけた時、遠隔魔導装置を作動させ、私の足元にある転移魔導陣発生装置を起動させたのだろう。
遠隔魔導装置の微弱な魔力を感知することは困難なうえ、魔導陣発生装置にしても実際に感知しうるほど大きな魔力を消費するのは、描いた魔導陣を起動させる段階に至ってからなので、起動段階以前に魔導陣の存在に気付くことは極めて難しい。
そこに相手の意識を逸らすような巧みな話術と演技力が組み合わされば、気づかれずに魔導陣を起動させるなんてことは朝飯前だろう。
私は、老人の術中にまんまとはめられてしまったのだ。
やり場のない怒りの感情から振り下ろされたとばかり思っていた拳が、自分を罠にかけるために振り下ろされたものだったと知って、言い様のない感情が全身を支配する。
「謀ったのか。最初からこうするつもりで思ってもないことをぺらぺらとしゃべっていたのか。」
対する老人は、こちらに向かって申し訳なさそうに何度も何度も頭を下げながら、弁明の言葉を口にした。
「おれがあんたに話したことは全部俺の本心さ。国に対する不満も、王女に対する不満も、全部が全部うそ偽りない俺の気持ちさ。でもよぉ、どうしようもないってのも、おれの本心なんだよ。おれだって、自分たちの窮状を一緒になって嘆いてくれたあんたをこんな目に合わせたくない。これ以上、何の非もない奴が性犯罪者の汚名を着せられていくところなんて見たくない。でも、仕方ないんだ。これが、おれの仕事なんだから。」
後半は、ほとんど悲鳴に近かった。
そうこうしているうちにも、魔導陣の輝きはどんどんと強くなっていく。
それと同時に、長距離を転移する際に特有の上に引っ張られるような感覚も徐々に強まり、だんだんと意識を保っているのも辛くなる。
薄れゆく意識の中で、老人がその場で泣き崩れるのがわかった。
「すまねぇ。でも、これがおれの仕事なんだ。こうやって、何の非もない連中を、もう何百人と監獄送りにしてきた。いまさら、やめられないんだよ。」
老人に何かを言い返すよりも先に、視界が真っ白に染まる。
その瞬間、上に引っ張られるような感覚は最高潮に達し、私は意識を手放した。
一応、ここまでで導入部はおしまいです。
次から監獄に入ります。